渡辺さんの俳句傑作選
2012年 3月の俳句
雛の日や一人カラオケ初体験
最近はカラオケの声がめっきり聞こえない。
カラオケの声というより、
カラオケへ行こうという掛け声だ。
以前だと何人かで寄り会うと、
カラオケに行こうかという言葉が必ず出た。
myマイクを馴染みのカラオケ店には、
備えてるつわものもいた。
しかし、時と共にカラオケも低空飛行に移り、
いまや関心ありと関心無しが相反する時代だ。
カラオケ店も今の時流を取り込んで、
一人で楽しむカラオケスペースというのを設置している。
カラオケを一人で籠って歌って楽しいのかどうか・・・。
いや、今は歌うことが、
ストレス発散の手段にもなっている時代だ。
一人で思いっきり歌えるスペースも、
カラオケ店には必要な時代なのだ。
みんなで楽しくの正反対のコンセプトだ・・・。
ところで初体験の一人カラオケというのは、
結果どうだったんだろうか・・・。
回りに事例がまだないせいで、
結果の心境を想像できないのだが・・・。
春を待つスポーツクラブ婆婆盛り
冬の寒い時期にはみな籠る。
若い連中はそれでも元気なのだが、
元気な連中というのは、
そうそうスポーツクラブには縁がない。
スポーツクラブに縁がある層というのは、
だいたいが若干くたびれてきてる。
そうすると一番籠る族ということになる。
次に元気な層というのが、
真冬でもスポーツクラブの常連さんになる。
だいたいは引退組という層だ。
この引退組の層でも爺組はだめで、
婆組がクラブの主力客層だ。
そもそもスポーツクラブで元気になるというより、
すでに元気な層だ・・・。
この元気な層に春の声とともに、
籠り組が合流する。
いきなり枯れ木に花が咲いた状態になる。
この花が咲いた状態になるのを、
冬のスポーツクラブは待っているのです・・・。
海鼠食うイナセ男の伊達メガネ
海鼠というのはどうも苦手という人もいれば、
とにかく大好きといって目がない人もいる。
賛否両論のはっきり分かれる食べ物ってことだろうか・・・。
食べ方というのはだいたい皆一緒。
いまいちという人が、
おいしそうに食べてる人を見ると、
どうなんだろう・・・。
わりとはっきりした結論が出てきそうだ。
イナセな若い衆が海鼠を美味しそうに食べている。
これ、好きな人は「いいねぇ江戸っ子だってねぇ」
とか言って機嫌よく眺めていられるんだろう。
しかし、これがいまいちの人が眺めるとどうなるだろう。
見て見ぬふりかな・・・。
これでイナセな雰囲気で、
伊達メガネをかけていたら・・・。
好きな人が見ると愛嬌。
いまいちの人が見るとアンバランスでダサい。
海鼠食べてるだけで結構怖い状況ってあるね。
春隣り二丁拳銃の西部劇
西部劇の放映って今のテレビではないですね。
今はバラエティー全盛という感じ・・・。
二丁拳銃の西部劇というと昭和の御世かな。
昭和30年代中盤から40年代前半にかけてが全盛。
そのころのテレビの番組にはアメリカ物が多かった。
今は日本の時代劇も、
通常チャンネルからは姿を消した。
なんだかテレビ番組も幅がなくなったという感じだ。
どこのチャンネルでも、
だいたい似たようなものが放映されており。
出てるタレントまで共通だったりする。
隣のチャンネルにまた同じ人物が出てると、
こりゃあ、いまいちだろう・・・。
二丁拳銃とか西部劇という、
言葉の雰囲気がなんかいい・・・。
忘れていたイメージを呼ばれる気がする。
春という季節の中だと懐古的というより、
もう少し前向きにとらえられそうだ。
ヒポクラテスの鼻筋をみて入学す
ヒポクラテスといえば、
現代医学の父よ呼ぶにふさわしい人物だ。
それまでの迷信や呪術的なものを排して、
科学的に見ていくスタイルを確立した人物だ。
医学を志す人には欠かせない人物といえようか・・・。
紀元前の話だからかなり遠い人物ではある。
どんな世界でも人間のを滅ぼしかねない事例から、
その時代時代において救ってきた人物がいる。
日本に坂本竜馬あり・・・、
って、ちょっと例としては離れたてはいるが・・・。
その人物の後に続こうと考えて、
その道に入っていくもの人間だ。
それによってまた人間は絶滅の道から、
辛うじて逃れることができてきているのだ。
そういう人物が現れなかった人類は絶滅しているのだ。
ヒポクラテスレベルの人物は、
今でも影響を及ぼしている。
その鼻筋を見て医学を志すというのも、
またポジティブな話だ。
鼻筋というのは、
その人間の多くを語っている部分ではある。
そこがこの句のポイントだろう・・・。
主催者吟
二度目咲くなおも鮮やかシクラメン
暮れ残る空に星月冴かえる
散るツバキ並んで我を眺めおり
森奥に轟く音や冬の風
ギター弾く春の湿りの憂鬱かな
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