「映画でひとこと」−『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
(初出 2003/1/15〜17)

このシリーズ、予見していた通り1回1回が徐々に長くなってきているので、今回は短めに。

DVDで『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を見ました。
ちょっと変わった映画でしたね。
一言で言えば「シリアス・サスペンス・ミュージカル映画」ってところでしょうか。
いきなりネタバレするので、今後この映画見ようと思ってる人は以下取り扱い注意。
盲目になりつつあるミュージカル好きの主人公・セルマ(ビョーク)は、遺伝によって同じように盲目になりゆく息子の手術代を稼ぐために毎日工場でせっせと働く。
しかしその貯めたお金を、部屋の貸主に盗まれてしまい・・・
いや、やっぱりこれ以上は書くまい。
とにかく暗〜いお話なんです。

で、ハンディ・カメラで撮ったような、手ぶれしまくりのドキュメンタリー・タッチのカメラワークで物語が始まるんですけど、途中でいきなりミュージカルに。
そのミュージカルって、主人公の空想の世界なんです。
ラストまでにミュージカルのシーンは4回か5回くらいあったでしょうか。
例えば工場で働いているとき、耳に入ってくるあらゆる雑音、騒音がリズムをなして歌となり、皆が愉快に踊りだす、など。
ミュージカルのシーンではカメラワークも手ぶれがなくて、色使いも明るく、鮮やかになってます。
そういった手法で現実と空想の世界を分けているところはうまいんじゃないでしょうか。
さらにそのコントラストは、作風に一貫性を与えない一方で、厚みを出しているように思えるんです。
幅を広げるというか。
同じ調子でずーっと2時間続けられるとダレますからねぇ。
ただし、暗い暗い現実的なお話の最中に、明るいミュージカルがいきなり挿入されていくわけですから、多少の違和感は感じられるところでしょうか。
「彼女の空想の世界」ってことで、現実的には折り合いがついているというか、矛盾がないってことは理論的にはわかるんですけどね。
それと個人的にはミュージカル、好きじゃないんですよね・・・

ミュージカルのシーンでちょっと印象に残ったのは、セルマが「まだ見るべきものがあるの?」と言うところ。
セルマは働き続けるために盲目になりつつあることを隠してるわけですが、もうほとんど眼が見えなくなったところで友人に「ひょっとして眼が見えないの?」と訊かれたことに対する応えが上の問いでした。
問いというより反語ですね。
「まだこの世に見るべきものがあるの?いや、ない」ってやつです。
こういうセリフまわしは好きです。
ストレートに「見える」とか「見えない」って答えるんじゃなくて、問いに問いで返す。
しかも常にちょっと厭世的な私は、このセリフのシニカルな響きに共感するんです。
「そう、もうあらかた見てしまったし、しかも見えないほうがいいものの方が多いよなぁ」ってな感じに。
あんまりよくない傾向ですがね。

主人公を演じるのは、アイスランド生まれのミュージシャン・ビョークです。
あまり洋楽に詳しくない私は、名前と歌はきいたことあったものの、そのルックスは見たことありませんでした。
彼女のCDアルバムで、首なが族の女性のイラストがジャケットになっているのがあったので、そういうイメージがあったんですが(笑)。
映画で見てみると全然違いました。
かなりかわいいオンナノコって感じでした(30代半ばの女性をオンナノコっていうのも失礼かもしれませんが)。
なんかよくこのシリーズで、映画に出演してる女性をかわいいとかキレイとかってほめてるような気がしますが(『アメリ』や『マレーナ』)、ビョークは結構「タイプ」です。
その意味でちょっと別格なんです(笑)。
どこがタイプかっていうと、「色白」ってところと、「笑顔が素敵」ってところと、「やさしそう」ってところ。最後の「やさしそう」ってところが重要ポイントです。
それはさておき、彼女の歌唱力・演技力がこの映画の一つのセールス・ポイントとして数えあげられるべきでしょう。
歌も演技もうまいです。
ダンスはちょっとよくわかりませんが。

さて、ここから内容論。
再びネタバレ警報。
ラストが後味悪いという声が多そうですが、私はむしろ途中までが見ていてイヤな気持ちになりました。
それは、セルマが盲目ということを隠し続けるというところや、法廷で自分に有利になるような真実を明かさない、きちんと弁解しないところなど、ちょっとイライラするところがあったことが一つ。
それともう一つは、BBSで書きこまれていたんですが、「あれ(本作のこと)見た後,しばらく食事をとれなかった」と友人(HN:ひめさま)が言っていたのがひっかかって、「ここでエグイシーンがあるんかな・・あ、ここかな・・」などと考えながら見ていたので、ビクビクしてたこと(笑)。
なおかつ悪い方へ悪い方へと話は進んでいくので、さらに自分の「ビクビク不安感」は大きくなっていったんです。
あのドキュメンタリー・タッチのカメラワークも、不安感を増す要素なんでしょうなぁ。
結果的には私にとってエグイなぁと思うシーンはなかったんですけどね。
そうやってイライラ、ビクビクしながら見てたもんだから、セルマに死刑が決まったところで逆にスッキリしてしまったというか。
む、なんか非人道的なコメントになってしまいましたが。

セルマのように実際には罪がない人が死刑になるんだから、もっと悲しむとか、同情するとか、そういう風に感情移入しなさいよ!って怒られそうですが、私にはあまり感情移入できませんでした。
これにはちゃんと理由があります。
その理由とは、いろんなところで「中途半端だから」です。
まずは息子の眼の手術代が2000ドルちょっとってところ。
死刑が決まったあと、手術をやめればこの2000ドルで裁判のやり直しをやれるってことになるんですけど、「いや、息子の手術が遅れるんなら死刑を選ぶ」なんていう悲壮な選択をします。
2000ドル・・・イメージとしては2,30万円ほどってことですか。
自分の命を捨てるには安すぎませんかねぇ・・・
それくらいの金なら仲間でカンパするとか、借りるとか、なんとか工面できないこともないんじゃないかって思ったんですが。
そんな中途半端な額にしないで、もっともっと高額なら納得もできるんですけどね。
ただ、そう単純には言えないものもあって、これはDVD見たあとに知ったんですけど、舞台は60年代のアメリカなんですね。
で、セルマはチェコからの移民。
時代背景や境遇を考慮に入れると、2000ドルってのは今の私たちが思う以上に、かなりの高額だったのかもしれません。
いずれにせよ見てるときには安いなぁと思ったわけで。
死を選ぶには説得力ありませんよね。
次に、裁判では自分に有利になる証言もしないし、また死刑判決後に裁判のやり直しができるというところではやり直しを拒否して自ら死を選ぶ。
これらはすべて息子のため、息子の視力回復手術のためなんですけど、そうして決然とした「息子のため」っていう強さ・心の軸がありながらも、死刑が近づくと非常に死に対して恐怖するんです。わかるんですけどね。
現実的に描写すればそうなるんでしょうけど(私も同じ立場にたてばきっとそうなるでしょう)、映画としてはあそこでもっと堂々としていて欲しかった。
息子の視力と引き換えに死ねるんだから本望だ、くらいの態度をとって欲しかったんです。
そうでなければ裁判でもっと自分の有利になる真実を話すとか、もう一度裁判し直してもらうとかしろと。
「お前はどっちやねん」と思わずにはいられませんでした。
中途半端だなぁ、とね。

ただ最後の最後には堂々とするんですよね。
そこはよかったかなと思います。
で、絞首刑が執行されてしまうんですが。
これは終わり方としてはよかったんじゃないでしょうか。
ダラダラと長引かせたり、あるいはこの続きがどうなるのかと余計な想像させたりするんじゃなくて、死によって明確なエンドラインを1本引いたところは、完結感があって好きです。
でも、だからこそ、「じゃあ最初っから死に恐怖せずに、毅然とした態度でいればよかったのに」って思えるんです。
どっちつかずになってしまって惜しいなぁ、と。

はぁ、結局また長くなってしまいました・・・
まとめると、表現方法論的なところ、ビョークの歌・演技力・(個人的に)ルックスは○。
内容的な面で、中途半端という意味で説得力がなく、そしてそれ故に感情移入できないってところが×。
ってなわけで、総合的には△かな。
この映画も一見の価値はありますけど、明るい映画が好き・暗い映画大っ嫌いという人には勧めません。
でもミュージカル好きだったり、ビョーク好きな人には勧めます。

それにしてもこれだけパンチのあるストーリーに感情移入できないなんて、私はひょっとしたら「感情不全」みたいなことになってるんでしょうか・・・ちょっと心配。

(映画データ)
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(英/独/米/オランダ/デンマーク)
原題:『Dancer in the Dark』
公開:2000年
監督・脚本:ラース・フォン・トリアー
撮影:ロビー・ミューラー
音楽・主演:ビョーク
管理人お気に入りポイント(★=1、☆=0.5。最高5):
★★★

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