「映画でひとこと」−『ハリー・ポッターと賢者の石』
(初出 2002/12/28〜29)


先週レンタルビデオ店で、「1週間100円キャンペーン」みたいなのをやってたので、4本ほどビデオ・DVDを借りてきました。
借りてきたものは次のとおり。
『おっぱいとお月さま』
『クィーン・コング』
『フェリスはある朝突然に』
そして、『ハリー・ポッターと賢者の石』。
ハリポタはかなり話題になっているので一回観ておかないとと思いながらも、「ほんまにおもろいんかいな」と懐疑の念を払拭できず、ずっと観ないままでいた作品です。
今回100円ということで、「100円なら面白くなくても後悔はすまい」と、サクっと借りちゃいました。

感想としては・・・うーん、微妙。
面白いことは面白いんですけど、なんかひっかかるって感じですかね。

まず設定のディテールがしっかりしているところはなかなかだと思いました。
「クィディッチ」という競技の試合や、魔法、魔法学校、魔法商店街など、細かいところまでしっかりと考えられていて、世界観がみごとに構築されてます。
そこはすごいなと。
観ていても面白かったです。

筋もエンターテイメント性はばっちりです。
ちょっとCGCGしすぎなところは気になりましたが。
上でも言った「クィディッチ」や、人間チェス(?)の場面、最後の対決のシーンに至るまで、観ていて楽しめました。

ただし最初からひっかかったのは、主人公のハリー・ポッターが「生まれながらにして特別な人」というところ。
そういうのって、なぜか好きになれません。
最初っから有名で、最初っから魔法の能力が高い。
そしてちょっとチヤホヤされて、よくも悪くもまわりから注目される。
なんかなぁ・・・

逆にそういうのって、きっと子どもにとっては観ていてワクワクするもんなんですよね。
私だけかもしれませんけど、子どものときはそういう「人とは違う特別なもの」に憧れました。
で、子どもたちは単純にその「憧れ」と「自分」を映画のなかで重ね合わせる、みたいなことをして楽しむ。
所謂「自己投影」といいますか。
ハリポタのように、巧みに「現実との接点」を残しておくと、さらに自分と重ね合わせるのが容易になるんじゃないでしょうか。
魔法の学校へ行くあの鉄道が、最も象徴的な「現実との接点」だと思います。
ハリーたちはホグワーツ魔法魔術学校まで「どこでもドア」みたいなものでポンっと移動するんではなく、列車で移動するんです。
しかも現実のロンドン駅から。
全くの御伽噺ではなく、そういう形で現実世界とつながっているってことを暗示しようとしているんじゃないかと思えるんです。
そしてそれは作者の一つの作戦ではないのかと。

とにもかくにも「生まれながらにして特別な人」というところが(大人である私は)嫌いで、そういう意味では好きになれない作品でした。
ストーリーも、それほど深いものがあるわけでもないです。
ただ、元々子ども向け作品なので、そういうところに期待するほうが間違っているんでしょう。
ちびっこにはめちゃめちゃオススメできます。
映像はきれいだし、大人でもエンターテイメントとしては楽しめること請け合いです。
私も楽しめました。
2時間半という長さが全然気にならなかったくらいで、それだけでもなかなかスゴイ。
あと、いろいろ文句つけましたが、なぜか続きが気になるところではあります。

というわけで、評価は「微妙」なんです。
まぁ「一見の価値あり」ってところですかね。

(映画データ)
『ハリー・ポッターと賢者の石』(米)
原題:『Harry Potter and the Philosopher's Stone』
公開:2001年
監督:クリス・コロンバス
脚本:スティーブ・クローブス
音楽 :ジョン・ウィリアムズ
主演:ダニエル・ラドクリフ
管理人お気に入りポイント(★=1、☆=0.5。最高5):
★★★☆

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