緒方は、右でも左でも打てて、内野も外野も守れて、足も速いすばらしい選手。 でもそれは、すさまじい努力によってなし得たことでしょう。緒方はすっごく努力家で、 人一倍負けん気が強い人です。ひろシはずっと緒方を応援しています。 |
- 生年月日,出身・・・・・1968年9月2日生、熊本県出身
- 身体・・・・・身長174p、体重68s
- 視力・・・・・左右とも1.5
- 血液型・・・・・A型
- 好きな食べ物・・・・・麺類
- 嫌いな食べ物・・・・・キュウリ、トマト
- 尊敬する人・・・・・藤田元司(元巨人監督)
- ニックネーム・・・・・チャチャ
- 投打・・・・・右投両打
- 走力・・・・・100m11.6秒,50m5.9秒,ベース一周13.7秒
- 遠投力・・・・・105m
11月20日、ドラフト会議でジャイアンツに6位指名される。同期に木田優男,高田誠がいる。ちなみに、指名されたとき緒方は自動車学校にいたそうな・・・。1987
入団1年目。右太もも肉離れを起こし、シーズンをほとんど棒に振る。この年の秋に、当時の須藤二軍監督の勧めでスイッチヒッターに取り組む。1988
二軍成績:20試合、打率.238、0本塁打、0打点、3盗塁
すさまじい努力の甲斐あってスイッチも板に付き、二軍でショートのポジションを獲得。イースタンの盗塁王に輝く。また、1試合6盗塁のイースタン記録を作る。1989
二軍成績:66試合、打率.280、3本塁打、26打点、26盗塁(盗塁王)
5月9日、ついに一軍登録。13日には2番ショートでスタメンデビュー!第二打席でプロ入り初安打を記録したが、守備では生まれて初めてという2連続エラー。悔しいデビュー戦となった。だが、その後もショート・外野を中心に起用された。また、8月15日にはプロ入り初ホームランをランニングホームランで飾る。この年、チームは近鉄に3連敗後4連勝し日本一に。1990
一軍成績:76試合、打率.308、3本塁打、22打点、13盗塁(チームトップ)
一軍2年目。開幕スタメンは果たせなかったが、原の故障でスタメンに起用されるといきなりの猛打賞、盗塁も決めた。 その後も、篠塚などベテラン選手故障の穴を埋め、セカンド・外野の他サードも経験した。1991
打撃も好調で、4月は打率.344!前半戦は3割をキープしていた。ところが、後半戦に入ると、左打席での内角低め変化球の弱点が浮き彫りになり、しつこくそこを攻められ打率は急降下。だが、広島・野村と並んで初のタイトル・盗塁王を獲得した。
この年の日本シリーズ対西武第3戦、緒方は初回先頭打者でセーフティバントを決める。が、ベースを踏んだ時に右足首を捻挫し、シリーズ出場は絶望となる。このケガが、その後の緒方の野球人生を大きく左右する。結局チームも4連敗で日本一を逃す。
119試合、打率.259、3本塁打、27打点、33盗塁(盗塁王)
前年痛めた右足首が完治せず、痛みを押して出場。だが、盗塁の数が伸びず不満の残るシーズンとなった。1992
優勝の可能性がなくなり、9月28日右足首をギプスで固定。治療に励む。手術の話もあったが、一年かかると言われ断念した。
80試合、打率.277、2本塁打、22打点、4盗塁
治療の甲斐あってけがも治り、開幕当初は打率3割をキープ。しかし、完治はしておらず8月に戦線離脱。11月5日には右足カカト軟骨除去手術を受ける。1993
98試合、打率.286、6本塁打、30打点、7盗塁
長島監督就任1年目。手術も成功し試合にも出場していたが、夏頃に打撃がふるわず低迷。しかし10月になると、11試合で打率.333、9盗塁と巻き返し、横浜・石井と盗塁王を分け合う。1994
余談だが、7月6日の横浜戦では、最終回満塁のチャンスに盛田(現・近鉄)からサヨナラヒットを放ちヒーローに。
108試合、打率.234、2本塁打、17打点、24盗塁(盗塁王)
新外国人・グラッデンとコトーの加入によりスタメンの機会が減り、代走,守備固めでの起用が多くなる。1995
日本シリーズ対西武第5戦、不調のグラッデンに代わって途中から出場。6回2死満塁のチャンスに、シーズンで一本もホームランを打っていない緒方が、まさかの満塁ホームランを放ちヒーローに。チームも日本一に輝く。
また、オフには嘉代夫人とめでたくゴールイン。かつてのアイドルもついに落ち着いた(?)
113試合、打率.230、0本塁打、7打点、9盗塁
結婚を機に活躍を期待されたが、膝の故障に悩まされてファーム暮らしが多くなる。だが、ファームでも満足にプレーすることができなかった。また、なぜかひげをもじゃもじゃとのばしていた。ナインには好評だったが嘉代夫人にはかなり不評だったらしい・・・。1996
この年、待望の長男・翔くん誕生!これを機に(?)ひげをすっきり剃り落とし、元の二枚目な緒方に戻った。
17試合、打率.250、0本塁打、1打点、1盗塁
前年痛めた膝をかばっていた影響か、今度は持病の腰痛をわずらってしまう。そのため、一軍どころか二軍の遠征にも帯同できず、ファームでの出場も近場ばかりになってしまう。一軍での出場はわずか1試合。打席にすら立っていない。1997
チームはリーグ優勝を達成。
1試合、打率.000、0本塁打、0打点、0盗塁
腰痛がよくなり、一軍復帰。桑田が復活したあの試合で緒方もひそかに復活を遂げていた。ただ、K.Kコンビの陰に隠れて、この年のチーム初勝利打点をあげた緒方はそれほど大きく取り上げられなかった。せっかくヒーローになりかけても、結局いつもこうなってしまう・・・。1998
結局、腰痛は完治しておらず、本来の実力からするとまだ物足りない結果だった。
73試合、打率.209、1本塁打、4打点、5盗塁
昨年度復帰したこともあり、今年もフル出場は無理としても一軍入りはするだろうと期待していたが・・・・腰の具合は良くならなかったようで、結局一軍出場なし。そして運命の9月26日、ついに引退が報道された。
奇しくもこの日ひろシは、生まれて初めてジャイアンツ球場に行った。もちろん目的は緒方に会うことだったが、準備しながら朝のニュースを見ていたら新聞の隅に「緒方引退」と書いてあるのを見つけた。複雑な思いの新幹線車中。そしてこの日、緒方本人に会うことはできなかった・・・。
引退はすごく残念だったけど、ともかく選手生活お疲れさまでした。これからもずっと応援してるよ!
二軍成績:17試合、打率.360、1本塁打、5打点、0盗塁