タイトル■闘魂猪木塾と何か?
書き手 ■谷田俊太郎
1999年5月に僕はあのアントニオ猪木さんと
「闘魂猪木塾」なるツアーでアメリカを一緒に
旅させてもらいました。これはその時の旅日記
です。「紙のプロレス」という雑誌に掲載され
た原稿をここに再録します。ひとつの良い思い
出にというかね。では、行きますかーーッ!?
※今年もこのツアーは行われます。2/28〜3/4でinパラオです。
詳細は「アントニオ猪木OFFICIAL HOMEPAGE」
http://www.inokiism.com/contents/cont_j.htm
>バックナンバー
<迷わず行って、行けばわかった!>
「第3回闘魂猪木塾 INアメリカ大自然 自己発見の旅」報告リポート
その2 遂に猪木塾長とツーショットに!
●2日目 ザイオン国立公園→レイクパウエル●
5時半起床。はえー。
バスに乗り込み、最初の目的地
“岩と芸術の宝庫”ザイオン国立公園に出発です。
塾長の愛娘・寛子さんとその旦那さんであり、
UFO・USA代表のサイモンさんも合流しました。
幼少の頃、月刊プロレスのグラビアで見たあの寛子ちゃんが、
こんなにも大きく…と大感激!
とりあえず3時間はかかるこのバスでの移動中、
塾長の近くの席を確保すれば、ずっとお話できるわけですが、
席取りに失敗。
やむなく延々と続く砂漠を眺めながら、
遠くから洩れ聞こえる楽しそうな塾長達の語らいに耳を傾けていました。
それにしても、この広大さ!アメリカはスゲーリー・グッドリッチ!
そうこうしてるうちに、ザイオン国立公園に到着。
ザ・ジャイアント改めポール・ワイト級の岩山が
いくつもそびえまくっています。
そんな大自然を塾長とハイキング。
すると道端で出会ったイタリア人が
「オー!アントニオ!カンゲキ!」と、記念撮影を
お願いしてきました。もちろん気さくに応じる塾長。
それにしても、イタリアでも有名という話はホントだったんです!
途中の便所タイムで、僕は塾長と並んで小便!
という好機会にも恵まれました。思わず、モンゴリアン・ストンパーの人参ジュースで
三日三晩立ちっぱなしだったという伝説のムスコを
ノゾきたい衝動にかられたことを告白しておきます。
自粛しましたけど。
そこから少しバスで移動し、岩山の斜面で昼ごはん。
メニューは「闘魂ランチ」!
塾長の好きなものばかりという、この弁当は
サバ、シャケ、各種フライとケタ外れのボリューム。
しかも弁当に包み紙には、筆で書かれた塾長直筆の
「闘魂」の文字!またまた大感激!
移動は続きます。
今度は2時間半かけて“砂漠のオアシス”レイクパウエルへ。
この砂漠の湖で船に乗り、ディナー・クルーズを楽しむのです。
今度も席取りに失敗し、
塾長のテーブルとは別になってしまった僕ですが、
塾長が一人でデッキに出た一瞬のチャンスを逃しませんでした。
待ちに待ったツーショット!
さっそく近寄っていくと、なんと塾長
「今はどんなのを書いてるの?」
と逆に質問してきてくれたのです。
これがどういうことかというと、
前日の自己紹介で、僕が雑誌の編集部で働いていると
話したことを覚えていてくれたのです!
昨日何やらメモっていたのは
そのためだったのか!
なにしろ28人も参加者がいるわけで、
名前はもちろん誰が何してるかなんて
ツアー参加者同士ですら全然把握してないというのに、
あの「アントニオ猪木」が、
しかも「忘れることもひとつの才能というか」が口グセの、
そして実際過去の試合の記憶を
ほとんど持たないと言われる塾長が、
我々単なる一般人のことをわざわざ覚えようとして
くれていたなんて、モーレツに大感激!
それからは、紙プロ・インタビューでもおなじみの
ライオンタマリンの話から、アマゾンに環境大学を!の夢、
さらには知られざる北朝鮮情報まで、様々な話をさせていただきました。
船上でレイクパウエルの風を浴び、
コラルド高原の沈む夕日を眺めながら、
アントニオ猪木と世界的スケールのトーク。
ズバリ言って、至福の時間でした。
その後は、塾長をみんなで囲んで、大質問大会。
佐山脱退の真相、現在の新日に関する不満、
小川×橋本の再戦の可能性について、
大仁田あるいはWWFの人気をどう考えるか、
ヒクソンに対する評価など話は多岐に及び、
その質問ひとつひとつに真剣に、
そして実に正直すぎるほど答える塾長。
そんなこと俺たちに話していいの?と思える話も続出で、
飾らないというか、心のフルチン状態というか、
ともかく素敵すぎる塾長にまたまた大感激!
すっかり話が盛り上がり、ロッジに戻ってからも、
塾長自らの提案で2次会に突入。
しかも酒はすべて塾長のオゴリ。もう素晴らしすぎます!
(つづく)
[谷田俊太郎の自己紹介・のようなもの]
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