タイトル■叫ぶ奇人の怪
書き手 ■ヘドロ岡林

これはノンフィクションである。
叫ぶ奇人……、この怪物は実在する!
不夜城・新宿大久保に生息する
このミステリアスな怪物の正体に迫るべく
取材を重ね、その様子をリアルタイムで
報告していくのが、この企画の主旨だ。
繰り返す。“この怪物は実在する”!!



◇◇ 第一話 ◇◇
恐怖ドロドロ人間、奇怪な鳴き声に遭遇す 

最初に断っておく。
俺は十中八九、正気である。

なぜそんなことをいきなり言うのかというと、
最初にそう断っておかないと、
これから俺が書こうとしていることのすべてが、
単なる妄想や幻聴を文面化したものだと、
疑われる恐れがあるからだ。

なぜ「十中八九」としたのかというと、
「絶対に」と力んでしまうと、
ますます狂人と疑われるんじゃないか、という恐れがあるからだ。
放屁した奴に限って、「なんか臭い!でも絶対に俺じゃない!」
と自分から勝手に騒ぎ出すように、
狂ってる奴に限って、「俺は絶対に正気だ!」
と自分から勝手に騒ぎ出しそうなもの。
だから控え目に、「十中八九」とした。

とにかく、信じてもらうしかない。
俺は今のところ、十中八九、正気である。

そしてもう一つ、勘違いされたら困るので、
今のうちに断っておきたいことがある。
俺がこれから書こうとしている文章は、小説ではない。
ミステリアスな、ノンフィクションである。

ミステリアスと言っても、心霊現象うんぬんの話ではない。
そんな話は、スティーブン・キングか
元T−BACKSのチバちゃんにでも任せておけばいい。
俺が畏怖している対象は、ほぼ間違いなく、実在する人間だ。

そしてこのノンフィクションは、
完結した過去の事件や出来事を取材して、発表するものではない。
まだ何も解明されていない“怪現象”の震源地に、
まだ一度も姿を見せたことのない“怪物”の正体に、
今後この俺がフロンティア・ジャーナリストとして、
ついでに言うならボランティア・ジャーナリストとして、
ジリジリと迫って行くものである。

その取材の様子ならびに成果を
ほぼリアルタイム速報という形で
読者の皆様にお伝えして行くつもりだが、その前に、
そもそもその“怪物”とは一体全体どんな奴なのか?──
について、現時点で分かっている範囲で公開して行きたいと思う。

本腰を入れて取材に取りかかるのは、
その説明が終わってからだ。

◇   ◇   ◇

話は3年前に遡る。

99年の3月、勤めていた会社を辞め、
そのなりゆきで独立せざるを得なくなった俺は、
これを機に親元を離れようと決意した。

それまでは板橋区にある団地で両親と一緒に住んでいたのだが、
団地の一室で今の仕事をするとなると、
家族ばかりか、近所にも迷惑がかかるのは目に見えていた。
仕事のピークはおそらく深夜。
キーボードを叩く音、電話の声、書類をまさぐる音…。
これらのボリュームをいちいち気にしていたら、
仕事の能率は下がる一方だろう。

そこで、
JR大久保駅近く(住所で言うと新宿区北新宿1丁目)に
自宅兼事務所を構えることにした。

自宅兼事務所というと響きはいいが、
その実体は8畳足らずのワンルーム。
ここに机とベッドとソファーとテレビと冷蔵庫があるだけ。
もうそれだけで、いっぱいいっぱいだ。
従業員などもちろんいないし、今後も雇うつもりはない。
雇ったところで、この狭さでは、物理的に座る場所がないだろう。

ヘドロ工房

これが事務所の名称だ。
「なんでヘドロ?」とよく人に聞かれるのだが、
これにはさほど深い意味はない。
ただし、由来はある。

10年ほど前、とある新興宗教がその実体を隠しながら主催するセミナーに、
冷やかし半分、いや、冷やかし全部で1日参加したことがあるのだが、
その帰り際、俺の洗脳をマンツーマンで担当した青年信者から、
「これを読んでおいてください」と、1通の手紙を手渡されたのだ。

文章の内容はあまり記憶していないが、
ただ最後のほうに、次のような一節があったことだけは、
今でもはっきりと覚えている。

「岡林さんは、心の中がドロドロしているように思えました」

帰りのバスの中でその部分を読んだ俺は、
とても不愉快な気持ちになった。
たった1日しか一緒に過ごしていない奴から、
あたかもすべてを見透かしたようなことを書かれたから、
腹が立ったのである。
でもおそらく、それが勧誘の手口なのだろうとすぐに思った。
「やばい、俺はドロドロしてるのか?」
「このドロドロは一体どうすれば浄化できるのか?」
「教えて欲しい!」
「あの青年にまた会いに行こう!」
……と、俺に思わせたかったのだろう。
冷やかしで参加しておいて怒るのも筋違いかもしれないが、
その安直さと、人をドロドロ呼ばわりする無礼さにも腹が立った。

だが、しばらくすると怒りは収まり、
代わりに少しずつ、笑いがこみ上げてきた。
「でも、たしかに俺って、ドロドロしてるかも」
「俺ってドロドロ」
「恐怖!ドロドロ人間」
そんな、自嘲気味な言葉遊びから来る奇妙な笑いである。
バスの中、便箋で顔を隠しながら、一人でニヤニヤ笑った。

そして、この可笑しさを一人占めするのはもったいないと思い、
後日、会社にその手紙を持参し、
みんなで爆笑しながらそれを回し読みした。
以後、ことあるごとに、
「岡林はドロドロしてるから」と
同僚にからかわれたり、
「俺はヘドロみたいにドロドロだ。文句あるか?」と
居直ったような発言を繰り返しているうちに、
「ドロドロ」ないしは「ヘドロ」という言葉に愛着が生まれ、
自分の代名詞のように思えてきたのかもしれない。

あと、これは誰も同意してくれないかもしれないが、
ヘドロって、その存在自体がちょっと可愛く思える。
川とか湖の底で、無言で大人しくドロドロしているだけなのに、
みんなに「汚い!」とか「臭い!」とか言われて嫌われている。
その不憫さが、ちょっと愛おしい。

ついでに言うなら、響きも好きだ。
ヘドロ。
ヨーロッパの哲学者の名前のような高貴な響きを持ちながらにして、
その実体は、ドロドロの泥。
期待させてから脱力させる、このフィーリングも俺好みだ。

だから、ヘドロ工房。
多少こじつけたかもしれないが、
まぁ、その程度のもんだとご理解いただきたい。
いや、これに関しては、
ご理解いただけなくても別に構わない。
会社登記してるわけじゃないから、
そんな名称など、あってないようなものだ。

そんなことより、自宅兼事務所を構えるにあたって
俺が最も重視したのが、立地条件であった。

大久保界隈にしよう、という点においては
ほとんど迷いはなかった。
JR大久保駅は、新宿駅から電車で1駅。
千鳥足でも歌舞伎町から徒歩15分という距離だ。

俺は中学時代からよく歌舞伎町で遊んでいたし、
社会人になってからもよく歌舞伎町で遊んでいた。
そう書くと、まるで風俗馬鹿のように思われてしまうかもしれないが、
歌舞伎町にあるのは風俗店ばかりではないと言っておく。
とにかく俺は新宿が、とりわけ歌舞伎町が大好きなのだ。
何が好きかって、あの下品な感じがたまらない。
悪趣味なネオンに囲まれ、裏路地のヘドロ臭を嗅ぐと、
「あぁ、生きてるなぁ」という充実感を覚える。
別に新宿鮫を気取ってるわけじゃない。

板橋に住んでいたころは、
新宿で終電を逃すと大抵、
2300円払って歌舞伎町のサウナに泊まっていた。
「お金がもったいないなぁ」
「歌舞伎町から歩いて帰れる距離に住みたいなぁ」
といつも思っていた。

だから本当は歌舞伎町のド真ん中に
ヘドロ工房を構えられればベストだったのだが、
さまざまな条件面で折り合いが付かなかった。

そこで、次に目を付けたのが大久保界隈だった。
大久保というと、

・ラブホテルがいっぱい
・不良外国人がいっぱい
・危険がいっぱい

というマイナスイメージばかりが当時から先行していたが、
ネオンを見たりサイレンを聞くのは嫌いじゃないので、
それらはむしろ、俺にとっては好条件だった。

問題は、大久保のどこに住むか、だった。
物件をいくつか見て回り、結局、今の場所に落ち着いた。

大久保通りと小滝橋通りの交差点のすぐ近く。
大久保駅まで徒歩1分。
8畳足らずのワンルームで、家賃は82000円。
決して安くはなかったが、決め手は3つ。

・部屋が適度に狭い。
 永年団地で過ごしたせいか、広い部屋はどうも落ち着かない性分なのだ。

・大通りに面していない。
 同じ大久保エリアで、明治通り沿いに住む友人から、
 「夜は窓を閉めていても車の音がうるさくて眠れない」
 という話を聞いていたのだ。
 また、大通り沿いだと排気ガスが凄くて、
 洗濯物も干せないとの話も聞いていた。

・ベランダが南側にあり、しかも新宿の高層ビル群が一望できる。
 これが最大の決め手だった。
 最初にこの景色を見た瞬間に、「ここに決める!」と叫んだほど。
 まるで「新宿CITY」という絵葉書にありそうな眺めなのだ。

最高とまでは言わないが、
かなりワクワクする物件だった。

この場所からヘドロライフが始まる!
そんな期待と興奮で胸を踊らせながら、
99年のゴールデンウィークに引っ越しを開始。
次から次へと到着する新品の家具を搬入しつつ、
何度も何度もベランダに顔を出し、
何度も何度も高層ビルを拝む。う〜ん、何度見てもいい!

半日かけて、おおざっぱな家具の配置を終えた。
まだベッドだけは到着していなかったが、
もうだいぶ、部屋のイメージは固まった。
満足感と疲労感から、
ゴロンと床に横たわり、
これから始まる新生活に思いを巡らす。

時間は夕方。
開けっ放しの南の窓から、
爽やかな初夏の風が舞い込んでくる。
新品のカーテンが俺の顔をくすぐる。
大嫌いな、わたせせいぞうの世界みたいだ。
でも悪くない。
フローリングだから寝返り打つと痛いけど、
このままちょっと、うたた寝しようかと思った。

なにしろ静かだ。
大久保とは思えないほど閑静な場所だ。
「大通り沿いに住むな!」という、
友人のアドバイスに従って正解だったかもしれない。
ここなら、窓を開けっ放しにしていても静かだし、
排気ガスも入ってこない。
あ〜、なんて気持ちいいんだろう。


















「バァ〜〜〜〜ッ!」


















……うん?
なんだ今の音は?



















「バッ…!」















……むむっ、スタッカートこそ効いているが、
さっきと同じ音質だ。
これは空耳なんかじゃない。
南の窓からハッキリと聞こえてきた。
どうやら何かの鳴き声のようだ。














「ブォァァァァアアアア〜〜〜〜ッ!」














うるさいなぁ!
一体、なんなんだよ!

俺は「よっこらしょ」と身を起こし、
不機嫌な顔でベランダに出た。


(つづく)





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