タイトル■叫ぶ奇人の怪
書き手 ■ヘドロ岡林

これはノンフィクションである。
叫ぶ奇人……、この怪物は実在する!
不夜城・新宿大久保に生息する
このミステリアスな怪物の正体に迫るべく
取材を重ね、その様子をリアルタイムで
報告していくのが、この企画の主旨だ。
繰り返す。“この怪物は実在する”!!

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◇◇ 第ニ話 ◇◇
人間しか持ち得ない“渦巻く感情めいたもの”

「バァ〜〜〜ッ!」

「バッ…!」

「ブォァァァァァァアアアアッ!」

引っ越し初日、
新居の窓の外から聞こえてきた、
奇怪な叫び3連発。
たまりかねて、ベランダに出てみた。

しかし、何者の姿も確認できなかった。
4メートルほど離れた真向かいに、
白いマンションが無機的に建っているだけだ。
各部屋の窓は開いていたり、閉まっていたりだが、
いずれの部屋もカーテンはピシャリと閉じられているため、
中の様子は窺えない。

耳を澄ましてみたが、誰かが何かを話している気配すらない。

念のため空を見上げたり、下を覗き込んだりもしてみたが、
人影はおろか、犬、猫の類いも見当たらない。

再び、長い静寂が訪れる。

俺はしばらく、ベランダで待ち続けることにした。

説明が遅れたが、
我が家は、3階建てマンションの303号室。
角部屋ではないので、窓はベランダ側にしかない。
今どき3階建てビルの最上階に住んでいることを自慢する奴など
どこにもいないだろうが、ことここに限って言えば、
3階はかなりの“高台”と言える。

なぜならベランダ側一帯に、
我がマンションより高い建物がほとんどないのである。
だから、見晴らしが抜群なのだ。

真向かいにある前述の白いマンションは、
建物の奥行きも部屋数も
俺の住むマンションとほぼ同スケールの3階建てだが、
こっちに比べ、80センチほど背が低い。
だから同じ3階でも、
こっちから見ると、ちょっと見下ろすような感じになる。
俺の目の高さがちょうど、向かいのマンションの屋根になる。
その先、遥か彼方に見えるのは、初台あたりの高層ビル。
しかしこれだけ距離が離れていれば、日照問題に悩まされることはない。

ベランダからの視点をグイッと左側(東側)にズラすと、
2棟の民家(いずれも2階建て)の裏側が間近に見える。
視界に入るのが2棟だけ、という話であって、
付近を散歩した感覚で言うと、
そのあたりには実際は、ほぼ同じ高さの民家が
たくさんひしめいているはずだ。
その背の低い民家の群れは東側に向かってしばらく続いているものと思われ、
何Hも離れたあたりになってやっと、10階建てぐらいの、そこそこ大きなビ
ル群(おそらく職安通りのハローワーク近辺から新宿西口の小便横町近辺に
かけてのビジネス&飲食店街)が見えてくる。
そして、その中規模なビル群の向こう側に、
ズドーン!ズドーン!ズドーン!と
西新宿の高層ビルがいくつもそびえ建っている、という眺めだ。






「バァ〜〜〜〜〜ッ♪」






また聞こえた!
随分と、でけぇ声だ!

ベランダの床に、
先ほど搬入した家具を包んでいたダンボールが
いくつも無造作に転がっていたせいもあるが、
ドキッとして一瞬、
足元のバランスを崩してしまうほどのボリュームだった。

遠くはない。かなり近くだ。
今度はベランダに出ていたので、
“発声源”はだいたい目星が付いた。

方角で言えば、南東のほう(ベランダから見て左斜め前方)、
距離で言えば、ここから10〜15メートル、
といった感じであろうか。

この時点で明らかになったのは、
少なくともこれは、真向かいの白いマンションのどこかから
発せられている声ではない、ということだ。
距離感や、音の反響具合からして、
向かいのマンションの(こっちから見て)左側の切れ目──
その裏側の、ちょうどここからは見えない死角のあたりから
聞こえてきたような感じだ。

そこは、さっき説明した2棟の民家の並びだから、
おそらくそこにあるのも、似たような民家だろうか。
ちょっと、ここからじゃ見えないから、何があるのかは分からない。

では、声の主は何者なのか。

俺はまず、オウムだろうと思った。
誰かの家で飼っているオウムが、
窓際の鳥カゴの中で、
人間の声を真似て鳴いているのだろうと。
そうじゃなければ、ペリカンか九官鳥。
とにかくそれほどまでに、底抜けに無遠慮な叫び声だったのだ。

フルボリュームで、誰憚ることなく、何の脈略もなく叫んだ感じだった。

細かいことだが、ベランダで聞いたそれは、
さきほど室内で聞いた3発とはやや趣が異なり、
声のトーンが能天気なまでに厚かましく、
なおかつ上機嫌な感じだった(だから語尾に「♪」を付けた)。
聞きようによっては、ちょっと人を小馬鹿にしたようなトーンだった。

人間の子供もよく、ちょっとしたことで嬌声をあげるが、
肺活量から考えて、あそこまで大きな声を出すことは
できないのではないだろうか。
そして子供なら、もっと絶え間なく叫び続けるはず。

常識のある人間の大人だったら、どんなに嬉しいことや楽しいことがあっても、
近所の迷惑も顧みずに、あんな大声を出したりはしないだろう。
いや、サッカーや競馬などのスポーツ中継をテレビで観戦していて、
応援しているチーム、ないしは人物、ないしは馬が、
劇的な勝利でも収めれば、ウッカリあれぐらいの大声が出てしまうかもしれない。

でも、それならば、予兆を聞き取ることができただろう。
日本語で言えば、「オッ!」「よしよし!」「行け行け!」というような
一連の言葉の流れがあった末に、「よっしゃー!」という大声が炸裂するなら、
こちらも納得が行くのである。

大久保には外国人が多く住んでいるらしいから、
「よっしゃ」等の歓喜を示す言語が、母国語では
「バァ〜ッ」だという人がいてもなんら不思議ではない。

しかし俺は、ベランダでずーっと耳を澄ましていたのだが、
事前も事後も、テレビやラジオの音声はおろか、
物音一つ聞こえないのである。
長い長いシーンとした静寂がいきなり、
「バァ〜〜〜〜ッ♪」という
能天気な叫びによって切り裂かれ、
そしてその直後からまた、長い沈黙が続くのである。

「その外国人は、ヘッドホンを付けて競馬中継を聞いていたのでは?」
「その外国人は、テレビではなく、本を読んでいて感極まったのでは?」
などという意地悪な指摘は、すぐに無意味なものになるので、
ここでは受け付けないことにする。

これまでに聞こえた4発をおさらいすると、

──静寂

「バァ〜〜〜ッ!」

──静寂1分30秒

「バッ…!」

──静寂30秒

「ブォァァァァァァアアアアッ!」

──静寂2分30秒

「バァ〜〜〜〜ッ♪」

という流れだ(秒数に関してはかなりいい加減だが、
だいたいこんな感じだったと記憶する)。

一体、どういう意味なのか。
なぜ叫んだかと思えば、急に黙ったりするのか。
なぜ黙ったかと思えば、急に叫んだりするのか。
さっぱりワケが分からない。
やはりこれはどう考えても、動物の仕業だろう。
それも鳥類。
そうとしか思えない。

いや、そう思いたい。
頼むから鳥であって欲しい。

俺はそう願いつつ、
エアコンの室外機の上にドスンと腰掛け、
南東の方角を睨んだ。

もうしばらく待とう。
次の一発で、すべてを特定してやろうじゃないか。













「ヴァォン……〜ヌァァァァアアアアア〜〜〜〜ッ!!!!」















あぁ…。
聞いてしまった。
聞きたくない類いのものを聞いてしまった。
胸のあたりがゾワゾワとしてきて、
陰鬱な気分になってきた。
「オウムかなんかだろう」と表面上は楽観視しつつ、
その実、心の奥底で、俺が最も恐れていた事態…。

先ほどの4発目の能天気さとは打ってかわって、
今の5発目には明らかに、
“渦巻く感情めいたもの”が含まれていたのだ。
そう、新興宗教の青年信者の言葉を借りるなら、
“ドロドロしたもの”が含まれていた。
もっと露骨に言うと、人間しか持ち得ない、
“呪い”か“狂気”のようなニュアンスが含まれていた。

いくら芸達者なオウムでも、今のトーンの声は出せまい。

つまり、叫んでいる者の正体は、
ほぼ間違いなく人間であることが、
この時点で明らかになってしまったのだ。

せめて、今日だけのことであって欲しい…。

俺はそう願いつつ、逃げるように室内に戻った。
そして、ちょっとムシ暑かったが、
窓とカーテンをピシャリと閉め切って眠った。



(つづく)





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