タイトル■叫ぶ奇人の怪
書き手 ■ヘドロ岡林

これはノンフィクションである。
叫ぶ奇人……、この怪物は実在する!
不夜城・新宿大久保に生息する
このミステリアスな怪物の正体に迫るべく
取材を重ね、その様子をリアルタイムで
報告していくのが、この企画の主旨だ。
繰り返す。“この怪物は実在する”!!

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◇◇ 第七話 ◇◇
奇人は夜眠る

高瀬を自宅に呼ぶことが決まって以来、
叫ぶ奇人に対する俺のスタンスは確実に変わった。

それまでは、「バァ〜ッ!」という奇声が轟く度に、
聞いてはいけないものを聞いてしまったという恐怖心から、
意識的にそれを遮断したり、
あるいは意識的にそれを取るに足らないものと捉え、
フフン、と強がったりしていた。
いずれにせよ、本音の部分では、
一刻も早く、鳴り止んで欲しいと願っていた。
もっと露骨に言うならば、
もうお前には関わりたくない、
とっとと死んでくれ、とさえ思っていた。

しかし、高瀬にこれを聞かせ、分析を仰ぐと決まってからは、
一転して、死んでもらっては困る、と思うようになった。

そして、その存続を確かめるべく、
部屋にいる間は、なるべく耳をそばだてるようになった。
と同時に、
奇人の咆哮パターンをなるべく正確に把握しようと努めるようになった。
叫ぶのは、毎日なのか、そうじゃないのか。
何時ぐらいに始まって、何時ぐらいに終わるのか。
何時ぐらいがピークなのか。

最低限、それぐらいのデータを収集しておき、
どうせなら、最も活発と思われる時間帯に高瀬を自宅に招き入れてやりたい。
それが、ホストである俺の役目だと、考えるようになった。

高瀬が来るまでに、時間的猶予は1週間あった。

6月に入り、だいぶムシ暑くてなっていたが、
俺は24時間窓を全開にして、なるべく耳を澄まして、情報収集に努めた。
と言ってもそれはあくまでも、同時に仕事をしながら、
テレビを見ながら、音楽を聞きながらの片手間調査であり、
また調査員は俺一人であるため、途中、俺が外出したり、
寝ている間のデータ収集は不可能であったと告白しておく。

だが、俺の生活リズムはこのころ、
単なる昼夜逆転レベルを超越しており、
朝に取材などの仕事が入ると寝坊するのが恐いので、
徹夜明けのまま寝ずに出かけ、夕方家に戻ってから眠りに落ちて、
目覚めたら深夜の2時、そしてそれから仕事を始めたり、
日によっては遊びに行ったり、といった具合に
ますます不規則を極めていたため、
結果として、1週間を通してみると、
この時間帯は毎日確実に眠っていた、
この時間帯は毎日確実に外出していた、
という穴はなかったように思う。
つまり、24時間、すべての時間帯に調査をすることができたような気がする。

とりあえず、調査報告は以下の通りだ。

・叫び声は、朝から晩まで毎日聞こえた。
・ニュアンスの違いこそあれ、聞こえてくるのはいつも「バァ〜ッ!」。
 それ以外の「ワ〜!」だの「キャ〜!」だのの叫び声は
 ただの一度も確認できなかった。
・いつも同じ方角から聞こえてきた。
・朝7時台に、その日の一発目が轟くケースが多かった(一番早かったのは7時10分)。
・昼は活発。12時ごろから14時ごろまでの間にとりわけ頻繁に聞こえた。
・一度聞こえると、その後、何度も繰り返し聞こえる傾向にある。
・夜間は比較的大人しい。
・夜間、一番遅くに聞こえたのは、23時7分。
・1日トータル最高で、47回聞き取ることが出来た。 
・深夜から朝にかけては、ただの一度も聞こえなかった。

以上のデータから一つ推測できるのは、
叫ぶ奇人は、朝に起きて、夜は寝ている、ということだ。
あるいは、毎朝どこかからやって来て、夜になるとどこかへ去って行く、
という可能性も残されている。

いずれにせよ、
夜型人間、不規則人間が多数ひしめくであろうこのエリアにおいて、
奇人は、一般社会で言われるところの“規則正しい生活リズム”を
保っているようである。
周囲の雑音には一切惑わされない、そんな大物感が漂っている。

声の主が男なのか、女なのか、大人なのか、子供なのか。
これらについては、相変わらず謎のままだった。
もったいつけてるわけじゃなく、
本当に分からなかったのだ。
声質については近々、詳しく後述するつもりだが、
なんとも識別が難しい、実に微妙な声なのである。

声の主がどこにいるのか。
そしてそもそも、いったい何を、何の目的で叫んでいるのか。
これらについても、依然として、なんら答えを見出せなかった。

だからこそ、高瀬の力をますます欲した。
彼が来るのが待ち遠しかった。

ところで、隣人である韓国ガールズとの関係は、
その後も良化する気配はなかった。
ステレオの大音量こそなくなったが、
口を結んでいないゴミ袋をだらしなく廊下に放置して、
中身が風で散乱しようが知らぬ存ぜぬ、
ほったらかしという新たな火種を、
向こうが連日のようにまき散らし始めたのだ。

だが俺は、もう怒るのはやめようと思った。
というか、これしきのことでいちいち怒っていたら、
ここでは生活できないということを徐々に悟り始めたのである。
漏れ聞こえてくる声や、階段でのすれ違いなどを通じて徐々に分かってきたのだが、
このマンションの住人は、どうやら俺を除いて、すべて外国人のようなのだ。
引っ越し初日こそ確かに静かだったが、
そのころはまだ、新築ゆえ、空家だらけだった、というだけ。
数週間経つと、空室はアッという間に多国籍の外国人で埋め尽くされ、
みなそれぞれが、日本のルールや常識を完全に無視して、
勝手気ままな生活を開始した。

ゴミ捨て一つとっても、
ルールをきっちり守っているのは、なんと俺だけだった。
韓国ガールズのみならず、他の住人たちも皆、
「ここにゴミを捨(す)てないでください」とルビ付きで書かれた場所に
わざわざゴミを積み上げたり(日本語をまるで読めないのだろうか?)、
自転車置き場のど真ん中に、パソコンやマットレスなどの粗大ゴミを投げ捨てて、
それが一向に回収される気配がなくてもそのまま風雨に晒し続けたり、
というデタラメぶり。
ポストの中の不要物をすべてその場で道路にぶちまける奴も多いらしく、
マンションの入口付近で、
デリヘルのチラシが紙吹雪のように舞っているのも日常茶飯事。

こうなるともう、手の付けようがない。
何からどう怒ればいいのかが分からない。
ならばもう、諦めて笑うしかないと、俺は思い始めていた。
そして次第に、「そっちが好き放題やるんなら、こっちもそうさせて貰うわい」
という感覚になっていった。

深夜に友達を呼んでしゃべくったり、
深夜にエレキギターを弾いたり、
深夜に寿司屋の出前を取ったりという、
共同住宅の常識としてやっちゃいけないようなことを
俺もいくつか手探りで開始してみたのだが、
誰からもクレームは来なかった。

ちなみに、
高瀬を呼ぶまでの間に何人かの友人・知人が我が家にやって来たが、
いずれも奇人が鳴りを潜める深夜の来訪だったため、
誰もあの叫び声を聞いていない。
だから俺も、叫ぶ奇人のことはあえて話題に出さなかった。
この場にいるのに、実際に叫び声を聞かせられないのだったら、
最初から話さないほうがいいという判断だ。

そうこうしているうちに
高瀬から、前日確認の電話がかかってきた。

「明日行くけど大丈夫?」

「もちろん。なるべく早い時間に来い!」

「う〜ん、夜8時ぐらいに行くわ。で、一緒に夕飯食おうぜ」

高瀬は当時、22時間営業のディスカウント・ショップで働いており、
夜から朝までの徹夜シフトに配属されていた。
「だからいっぺん家に帰って、夕方まで寝て、
風呂に入ってから、お前んちに遊びに行く」と、
悠長なことを言い出した。
         
俺は即座に「そんなの、ダメだ!」と答えた。

「来るんなら、昼間から来い!」

「起きれないよ」

「大丈夫。モーニング・コールしてやる」

「う〜ん…」

「いいから!いいから!昼間に来たほうが断然面白いから」

ちょっと可哀想な気もしたが、
強引にそれで話をまとめた。
そして、高瀬の気が変わらないうちに電話を切ろう、
と思った矢先、
「バァ〜ッ♪」と一発、快調な叫びが鳴り響いた。

「聞こえたか、今」

「何が?」

さすがに電話の向こう側には聞こえなかったようだ。
まぁ、よかろう。
明日、ライブでたっぷり聞かせてやればいい。

どうか奇人よ、
このままコンディションを崩すことなく、
明日まで好調をキープしてくれ。
そして、高瀬をアッと驚かせてやってくれ。
頼むぞ、奇人!

一度は抹殺したいとさえ思った奇人に対し、
いつしか俺は、エールを送るようになっていた。

(つづく)





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