タイトル■叫ぶ奇人の怪
書き手 ■ヘドロ岡林
これはノンフィクションである。
叫ぶ奇人……、この怪物は実在する!
不夜城・新宿大久保に生息する
このミステリアスな怪物の正体に迫るべく
取材を重ね、その様子をリアルタイムで
報告していくのが、この企画の主旨だ。
繰り返す。“この怪物は実在する”!!
>バックナンバー◇◇ 第十話 ◇◇
ビルの谷間のピンボール
こうなったらもう、奇人と1対1で向き合うしかない。
そう決意をしたものの、
いったいどの方角を向けばいいのかが、よく分からない。とりあえず、なんとなくの方角は把握しているつもりだったが、
それについても、実はだんだん自信がなくなってきていた。
向かいのマンションの左の切れ目の裏側あたりの、
ちょうど俺んちからは死角になって見えないエリアから
声が聞こえてくると、一度は断定したものの、
日を追うごとに、そうとは言い切れないんじゃないか、という気がしてきたのだ。というのも、
我が家のベランダ側は、
複数のマンションや民家の壁が背中合わせに密集している、
ちょっと入り組んだ感じの“ビルの谷間”になっているため、
声が、山びこのように反響する可能性があることに気付いたのだ。(上空からの見取り図)
■┃ ┃■ ┌───────┐ ┃ ┃■
■┃ ┃■ │ 向かいの │ ┃ ┃■
■┃ ┃■×│ マンション │ ┃ ┃■
■┃道┃■ │ │=┃道┃■
■┃路┃■ └───────┘ ┃路┃■
■┃B┃■ ┌─┬♀┬─┬─┐ ┃A┃■
■┃ ┃■ │3 3 3 3│ ┃ ┃■
■┃ ┃■ │0 0 0 0│ ┃ ┃■
■┃ ┃■ │4 3 2 1│=┃ ┃■
■┃ ┃■ └─┴─┴─┴─┘ ┃ ┃■♀………303号室のベランダに立った俺
■………民家
×………最初、見当をつけた発声源
=………マンション入口
注意事項/マンションとマンションの隙間は約4メートル、
マンションと民家の隙間は約2メートルだが、
いずれも私有地であるため歩行はできない。
正直、山びこの仕組みはよく分からないが、
音は壁にぶつかって跳ね返ることがあるという、
小学生レベルの知識を元に推測するならば、
壁が何枚もあれば、ピンボールの玉のように、
声が(秒速340メートルで)アチコチにぶつかりながら、
最初に飛び出した場所とは全然違うところに飛んで行き、
最後にどこかの行き止まりじみた場所に辿り着き、
そこで音が響き渡る可能性があるのではないか、
という気がしてしてきたのだ。いや、物理のとこはよく分からないので
これ以上、浅知恵を披露するのは危険だが、
とにかく、最初に付けた「×」印のあたりが、
必ずしも発声源とは限らないような気がしてきた。
実は全然違う場所で発せられた声が(まぁ近所には違いないだろうけど)、
最終的に「×」印のあたりで鳴り響いている可能性も
十分あるような気がしてきた。そういえば「バァ〜ッ!」という叫び声は、
いつも、かすかにエコーがかかっている。
団地の階段で子供が何かを叫んだ直後のような、
ウォァァアアン…!という空気の波動を感じ取ることができる。
ピンボールのような派手な動きはないかもしれないが、
声がどこがしかの壁にぶつかって、反響しているのは明らかだった。しかしそれにしても、
一人でそんなことを考え続けるのは、
実に不毛で、馬鹿馬鹿しいことである。仮にその発声源を特定したところで、
誰かと喜びを共感できるわけでもないし、
誰かから賞賛を浴びることも、報酬が振り込まれることもない。
だったら、無視すればいいじゃないか!
…と自分でも何度も思ったのだが、
毎日のように、それこそ時間帯によっては、
ひっきりなしに聞こえてくるものを
ないものとして黙殺するというのは、かなり難儀なことなのだ。
無視しよう、無視しよう、と思えば思うほど、
余計に気になってしまうのだ。ならば、自力でこれに立ち向かい、解決するほかないと思った。
とは言え、どの方角にそれが居るのかさえ、
ほとんど見当が付いていない状態なのだから、
解決するのは、きっと難儀なことだろう。
しかし、同じ難儀を背負うなら、
いつまでもストレスを抱え込む方向ではなく、
いつの日かスカッとする可能性のある方向に向かうほうが、
幾分か健全な選択なのではないか、と思った。しょうがない。
とことん向き合ってやろうじゃないか。
向き合って、このものの住処と正体を
明かしてやろうじゃないか。だが、何度も言うように、
どっちを向けばいいのかが分からない。少なくとも、今までのように、
ただ自宅から調査を続けているだけでは、
一向にラチが明かないであろう。今後はなるべく多角的に、
具体的に言えば、
自宅のベランダからだけではなく、
全然違う角度から、そう、
時にはマンションの前にある道路A(上図参照)から、
あるいは、民家と民家のはざまにある道路Bから、
叫び声を聞いてみようと思った。何かに行き詰まった時には、
角度を変えて物事を見てみろ、とよく言う。
そうすると案外、いとも簡単に突破口が見つかったりするのだそうだ。
押してダメなら引いてみろ、
引いてダメなら押してみろ、
ベランダがダメなら道路に出ろ。
そんなフレキシブな精神で、奇人に立ち向かうことにした。だが後日、
マンションの外に出て調査を開始した俺は、
思いもよらぬ“外敵”に襲撃されることになる。
(つづく)