タイトル■叫ぶ奇人の怪
書き手 ■ヘドロ岡林
これはノンフィクションである。
叫ぶ奇人……、この怪物は実在する!
不夜城・新宿大久保に生息する
このミステリアスな怪物の正体に迫るべく
取材を重ね、その様子をリアルタイムで
報告していくのが、この企画の主旨だ。
繰り返す。“この怪物は実在する”!!
>バックナンバー◇◇ 第十四話 ◇◇
ビッグ・ビジネス安請け合い!
ポンちゃんが厳しいとなると、
他に誰か、この仕事を手伝ってくれそうな人はいるのだろうか?俺はベッドに横たわり、目を閉じながら、
頭の中で、次候補を検索し続けた。現役バリバリの同業者の知り合いは、何人もいるが、
果たして、こんなムチャな仕事を引き受けてくれるだろうか?
俺としては、120ページのうちのせめて1/3、
40ページぐらいを誰かに振りたいと思っている。
最低でもそれぐらい誰かに手伝ってもらわないと、締め切りに間に合いそうにない。
いや、それでも正直言って、キツい。
できれば半分の60ページぐらいを、誰かにお任せしたいところだ。しかし、そんな人は、誰も思い浮かばない。
皆それぞれにレギュラー企画の取材や執筆を抱えていたりして、
それどころの状況じゃないというのは容易に想像が付いた。
仮に、運良く、「今ならポッカリ暇だよ!」という同業者がいたとしても、
その人が、エロビジネスをよしとするかどうか、という問題が残されている。
「そんなのやりたくない」と言われればそれまでだし、
そんなこと言われたら俺が悲しくなってしまう。となると、同業者以外の、気心の知れたエロ人間を当たるべきか。
学生時代の友人、むかし同じ職場にいた友人…。
何人か思い当たるフシはあったが、しかし、
そいつらが、文章が書けるかどうかはポンちゃん同様まったくの未知数だし、
これから5日間、ポッカリ暇だという保証はどこにもない。
むしろその確率は、限りなく低いと言っていいだろう。どうするべきか。
とりあえず、片っ端から当たってみて、
ちょっとずつ何人かに押し付けてみるか。
いや、それじゃあまるで、マルチ商法にハマって、焦りまくってる奴みたいだ。
そんな人材探しだと、きっと何かが破綻する。麻雀のメンツ集めと違って、
相手がタコであればあるほどこっちは大助かり、というものではない。
焦って、出来もしない人間をかき集めて、
仕事の質を落としてしまったら、元も子もない。
金が絡んでいるだけに、それが原因で友情にもヒビが入りかねない。だったらもう、いっそのこと、
死んだ気になって、一人でやってみるか。
期限は5日間、一人で120ページ。
出来るのだろうか。
やったことないから分からないけど、
考えれば考えるほど、「それは断じて出来ない」と思えてくる。というか、一人でやるなら、
こんなふうに今、ベッドで呑気に寝そべって考え事なんかしている場合じゃない。
とっとと起きて、今すぐ取りかからねば!しかし、どういうわけか、体がまったく動かない。
こういう時は、無理は禁物なのかもしれない。あぁ、なんだか俺は、とんだ安請け合いをしてしまったようだ…。
こういう時は、どうしたらいいのだろう?
5日後には、どうにか形になっているのだろうか?
・どうにかなるかな。
・・きっと、どうにかなってる。
・・・いつも、どうにかしてきたじゃないか。
・・・・・・・・・・・
考え事をしているうちに、俺は本格的な眠りに落ちてしまった。
よくあるパターンだ。現実逃避の睡眠である。
いったい何時間寝たか分からない。
ポンちゃんに揺り起こされた時、外はもう真っ暗だった。
「とりあえず、終わったんだけど…」
アゴに無精髭をたくわえたポンちゃんが、
にやけたような、バツが悪そうな表情で枕元に立っていた。
「あぁ…、おつかれさん。…いま何時?」
時計を見てアゴが外れるほどビックリしてしまったが、
「こんなに長時間かかったのかよ!」という一言は、なんとか飲み込んだ。
結果はどうであれ、その一言は間違いなく、相手を傷付けてしまうからだ。
それは、俺が人から何度も言われて
イヤな思いをしたからこそ知っている、
こういうシチュエーションにおける禁句だった。
だから俺は、平静を装って、笑顔でこう聞いた。「どうだった? 大変だった?」
「…う〜ん、よく分からない。難しかった」
俺は枕元のSFチックなゼットライトを付け、眼鏡を装着し、
「じゃ、見せてよ。笑わないから」
と言って、400字詰めの原稿用紙を2枚、受け取った。
……むぷぷっ!
いきなり吹き出しそうになってしまった。
ポンちゃんの字があまりにも汚かったからだ。
死にかけた糸ミミズのような、そんな馬鹿丸出しの文字。
彼がこういう文字を書くということは昔から知っていたが、
今改めて、その糸ミミズがこうして一匹一匹、
原稿用紙というフォーマルな紙のマス目にキチンと収まり、
まるで標本のように並んでいる様を見たら、
なんだか無性に可笑しくてたまらなくなってしまったのだ。「笑わないって言ったのに! 変…? やっぱダメ…?」
ポンちゃんは真っ赤な顔になり、
両手をジャブのように繰り出しながら、
原稿用紙を俺から取り上げようとしている。「違う!違う!内容じゃない!字だよ、字!字で笑ったの。まだ読んでない!」
俺は、いきり立つポンちゃんをひとまず制し、
原稿に目を走らせようとした。
しかし、ポンちゃんが目の前でモジモジ動き回っているから、
ちっとも落ち着いて読めない。
俺が顔を上げると、ポンちゃんがその動きを止め、
許しを請う子供のような目付きで「ダメ…?」と言ってこちらを見つめる。
また読むフリをして、すぐさまパッと顔を上げると、
また同じ表情でこっちを見て「ダメ…?」と言う。
そんなことを5〜6度繰り返してから、
「進まねぇよ!」と言って2人で爆笑した。「とりあえず、そこのソファーに座ってろ!もう二度と、俺の顔を見るな!」
そう力強く命じてから、俺は仕事机の椅子に腰掛け、原稿のチェック作業を開始した。
ちなみにここで我が家のレイアウトを簡潔に説明すると、
壁を背にする形で仕事用の椅子があり、その前に仕事机があり、
その仕事机の前面を覆い隠すような形でソファーが置いてある。
分かりにくいだろうか。
とにかく、仕事用の椅子の背もたれと、
ソファーの背もたれは同じ方角を向いているため、
両者ともに普通に前を向いて座っていれば、目が合わない配置になっている。それでもポンちゃんはやはり、
落ち着いてソファーに座っていられないのか、
時折、クルッと体を反転させて、パソコンとプリンターの隙間から、
こっちを覗いては隠れ、覗いては隠れ、を繰り返している。2回目までは反応してやったが、3回目からはあえて無視して、
原稿を真顔で読み始めるフリをした。
(遊びはもう終わりだぞ)という意思表示だ。
ポンちゃんもそれを悟ったのか、諦めたようにテレビを見始めた。
でも実際は彼、気が気じゃなくて、テレビなんか目に入らない心境だったと思う。
いや、そうに違いない。
なにしろ100文字のキャプションを5本書くのに、彼は5時間も費やしたのである。
よほど苦労したのだろう。それはそれはもう、大変な労力だったと思う。
ポンちゃんの頭の中は、
(これだけ頑張ったのに、「ダメだ」「使えない」と言われたらどうしよう…)
という不安感でイッパイだったに違いない。だからこそ、俺としても、うかつなことは言えないと思った。
ハッキリ言って、
これだけの分量のものにこんなに長時間を費やしている時点で、
もう読むまでもなく、
ポンちゃんは今回の助っ人ライターとして「失格」だった。
だが、これは、企業の採用試験とはワケが違う。
「縁がありませんでした」という書面を後日郵送すればいいって問題じゃない。
受験者は俺の友人であり、なおかつその友人がいま俺の目の前で、
ハラハラしながら結果が出るのを待っているのである。
「たかがエロ作文」だが、「たかがエロ作文」だからこそ、
こちらの出方次第によっては、救いがなくなってしまうのだ。俺はこのあとポンちゃんに、一体なんて告げたらいいのだろう?
原稿を読んでいるようなうつむき加減のポーズを取りつつ、
実は俺、原稿はまったく読まずに、そんなことばかりを考えていた。(つづく)