タイトル■叫ぶ奇人の怪
書き手 ■ヘドロ岡林

これはノンフィクションである。
叫ぶ奇人……、この怪物は実在する!
不夜城・新宿大久保に生息する
このミステリアスな怪物の正体に迫るべく
取材を重ね、その様子をリアルタイムで
報告していくのが、この企画の主旨だ。
繰り返す。“この怪物は実在する”!!

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◇◇ 第二十五話 ◇◇
幽閉された獣人の呻き

「やっぱ、タイ人だな!タイ人に違いない!」

と言い放ってはみたものの、
当然、これに決めつけたわけではない。
いまいま手元にある6カ国の言葉の意味だけを元に推理するなら、
これが最もナチュラリーで、
最も有力な説に思える、というだけのことである。
そしてこれはあくまでも、
叫んでいる言葉自体になにがしかの意味がある、
という仮の前提に基づいた推理に過ぎない。

そう。
人間の叫ぶ言葉は、必ずしも国語的に意味のある言葉ばかりとは限らないのだ。
意味のない言葉を声高に叫ぶ輩も世の中にはゴマンといる。
誰もが知ってる有名どころで挙げるならば、
谷啓の「ガチョーン!」しかり、
村上ショージの「ドゥーン!」しかり、
アントニオ猪木の「ダァーッ!」しかり。
彼らが叫ぶという行為自体には、
ウケを狙う、あるいは自分や周囲を鼓舞するなどの意味が込められているにしても、
叫んでいる言葉自体には国語的な意味などない。

世界にはこの手の無意味な叫びは無限にあるに違いないので、
奇人の叫びを「言語の意味」から分析しようとするアプローチにはおのずと眼界がある。
「世界の(どこかの)砂漠に落っこちているかもしれないし、
あるいは落っこちていないかもしれない、たった1粒のコショウ粒」
を探しに出かけるようなものだ。
ゆえに現段階でこのアプローチにとらわれてしまうのは危険である。
タイ人が誰かを罵倒している可能性もあるにはあるが、
そうじゃない可能性も十分にある、というフレキシブなスタンスを崩してはならない。

そこで、ガラリと目先を変えてみることにした。
言葉の意味の有無はさておき、
なぜ「バァ〜ッ!」以外の言葉が一切聞こえて来ないのか、
という問題について考えてみよう、とポンちゃんに提案した。

ここで改めて読者諸君に説明するが、
俺は奇人の「バァ〜ッ!」以外の発言を一度たりとも聞いたことがない。
しかし奇人の「バァ〜ッ!」には(あくまで声のトーンからこっちが勝手に
判断しているだけだが)微妙な喜怒哀楽のようなものがある。
馬券を的中させて「よっしゃ!」と短く叫んでいるかのような
喜びと気迫に満ちた「バッ!」もあれば、
宿題するよう盛んに命じる親を「うるせえ!」と追っ払っているかのような
軽い苛立ちと怒気を含んだ「バァ〜ッ!」もある。
そうかと思えば傷心OLが一人窓辺に佇んで元恋人の名前を呟いているかのような
憂いを帯びた「バ〜ァ…」もあり、
子供が子供を「やーい!やーい!」からかうような
無邪気で楽しげな「バァ〜ッ♪」もある。

その他、MALTAが舞台裏でサックスの音色を点検しているかのような
軽妙洒脱な「バァ〜ッ♪」もあれば、
飛行機雲を吐き出しながら空を横切るコンコルドのような
強くて長くて勇ましい「ブォアアアアアアッ!」もあるし、
「この怨み、晴らさでおくべきか」とでも言いたげな
陰気で殺意の篭ったような「ブゥォォォアアアアァァ〜」もある。

いやはや、活字でその差異を示すのはつくづく難しいが、
とにかく「バァ〜ッ!」にもいろんな種類があるということを
ここで再認識しておいて頂きたい。

ちなみにこのうち最もスタンダードというか最も聞こえる回数が多いのは、
軽い苛立ちと怒気を含んだ「バァ〜ッ!」であり、
その音階はおおむね「ド」で始まって「ラ」で終わる(2音下がる)。

「バァ〜ッ!」
 ↑ ↑     
 ド ラ

この音階は、以前、絶対音感の持ち主である知人(武蔵野音大卒)の前で
何度も何度も物真似をして、そう判定してもらったのでほぼ間違いがないと思う。
その知人いわく、「グリッサンドというより、
真ん中あたりでドからラに、いきなり落ちる感じだね。
中間音のシはほとんど認められない」とのこと。
ドで始まってラが消えるまで、約1秒といったところか。
叫びは短い。が、ボリュームはデカい。

     「バァ〜〜〜〜ッ!」
(時間経過)0.00………1.00
(音階変移)ドドドドララララ

こんな感じであろうか。
お手元にピアノやギターがある方は、その音程を確かめた上、
自分で奇声を上げてみるといい(窓を閉めるのを忘れずに)。
俺を悩ます奇声(の標準型)がいかなるものか、
ある程度お分かり頂けると思う(そのわずか1秒間の絶叫に、
軽い苛立ちと怒りを凝縮することを忘れずに)。

お手元にピアノやギターがない方は、
電車の警笛を思い浮かべて頂きたい。
プラットホームでフラフラしている酔っぱらいなどがいると、
滑り込んで来た電車が「プァ〜ンッ!」と警笛を鳴らすことがある。
この「プァ〜ンッ!」と「バァ〜ッ!」は、なんだかとてもよく似ているといま気付いた。
音階がかすかに落ちる感じ、聞くとドキッとする感じがよく似ている。
もっとも奇声は警笛ほど大音量ではないが。

さて、話を元に戻す。
俺が知る限り、
こうして喜怒哀楽のすべてを「バァ〜ッ!」のトーンの変化のみで表現し続ける奇人
であるが、
なにゆえ彼(ないしは彼女)は、
他の言葉を一切発しようとしないのだろうか?
俺は実はこれについては、かなり説得力のある見解を以前から密かに温めていたのだが、
まずは奇人ビギナーであるポンちゃんの意見から聞いてみることにした。

「なんでいっつも『バァ〜ッ!』しか聞こえて来ないんだと思う?」

「う〜ん………分かんない」

ポンちゃん、どうも反応が鈍い。
何も考えが浮かばないというより、
考えるのが面倒臭いといった顔である。
長話をさんざん聞かされ、疲れ果ててしまったのだろうか。
ならば俺がここらで一丁、とっておきの見解を発表して、彼の目を丸くさせてやろう。

「あのね、これは結構マジ路線なんだけど、聞いてくれる?」

ともったいをつけて、寝そべっているポンちゃんの注意を引き付けてから、俺は続けた。

「思うに奇人は本当に、『バァ〜ッ!』っていう言葉しか知らない可能性があるな。
いや、厳密に言うとこれは“言葉”じゃなく、動物的な“呻き”だな。
つまり奇人は幼少期からずーっと何者か──それも相当イカレた奴──
に監禁され続けていて、満足な教育を受けていないのかもしれない」

「監禁ッ!?」

この怪しい漢熟語にポンちゃんがビクッと反応した。

「そう、監禁。新潟少女監禁事件みたいなことが身近で起きている可能性がある」

新潟少女監禁事件──。ご記憶の方も多いだろう。
90年11月、新潟県で小学校4年生(当時9歳)の女児が姿を消し、
9年2ヶ月後の2000年2月に保護されたという衝撃的なあの事件を。
女児は監禁されていた間に19歳になり、37歳の男が逮捕された。
警察の調べによると、男は自宅2階の8畳間に女性を監禁し、
行動範囲を厳しく制限、歩く時も足音を立てないよう指示した。
女性が範囲を少しでもはみ出すと、高圧電流銃などで暴行。
ビデオの録画を依頼し、失敗したからといって殴ったこともあった。
この9年2ヶ月の間、女性は一切の外出を許可されず、
当然学校へも通わせて貰えなかった。

「あれより幼少期に拉致されて、あれより劣悪な環境下で監禁されて、
まわりにテレビも新聞もなく、しかも一切の教育を受けなかったら、
言葉をまったく喋れない『獣人』になっちゃう可能性も否定できないよな?」

ポンちゃんはしばし間を置いてから、「まぁ、否定はできないな」と同調した。
それを受けて、俺は自信満々に言葉を続ける。

「ところでお前、アイウエオの中で一番大きな音量を出せる声はなんだか知ってるか?
アだよ、ア。アらしいんだわ。口を大きく開いているから大声も出やすい、ということ
だろうね。さらに言うと、『ア行の濁音』はさらにパワーアップするらしい。よく大声
大会ってあるじゃん? あれにしょっちゅう出てる常連みたいな奴がテレビでそう言っ
てた。ホーン数が上がりやすいんだって。奇人も試行錯誤の末、これを動物的に察知し
た可能性が高いな。『ア〜』の頭に『B』を付けた『バァ〜ッ!』こそが、一番遠く
まで響く声だと。つまり奇人は当初、誰かに助けを求めていたんだよ。『助けて〜!』
の代わりに『バァ〜ッ!』っと叫んでな。だけど悲しいかな一向に助けが来ない。その
うち奇人も監禁生活にも慣れてきて、と同時にダレてきて、もう面倒だからなんでもか
んでも──それこそ日常の喜怒哀楽すべてを──『バァ〜ッ!』で表現するようになっ
たんじゃないか。どうだ?この説は。それなりに説得力あるだろ?」

ポンちゃんは、「その可能性も確かに否定できないな。となると、放置はできないな」
と言いながらヨッコラショと上体を起こし、半笑いで俺を見つめながらこう続けた。

「警察に通報しようよ、面白いから」

(つづく)







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