タイトル■狼男の記録
書き手 ■谷田俊太郎
「狼はガガーリン空港へ行く」を主宰している男
の書いた制作記録でがんす。略して「狼男の記録」。
狼男といえば、「ウォーでがんすのオオカミ男♪」
でおなじみの「がんす」でがんす。でも面倒くさい
ので、本文では「がんす」は省略するでがんす。
>>これまでの記録
<116> 5月22日(水)
■■ 俺と女湯 ■■
加藤さこさんの新連載
「女湯物語」が始まった。俺は小学校の頃、
風呂のない団地に住んでいたので
毎日銭湯に通っていた。上京した頃に住んでいたアパートも
風呂がなかったので(玄関・便所は共同)
その頃も銭湯に通っていた。そんなわけで少なからず
銭湯には思い入れがあって、
実に楽しみな連載なのです。そんなわけで今日は
俺と女湯の縁について話そうか。(JUNON調)
実を言うと
俺は女湯に入ったことがある。覗き目的で忍び込んだ
…わけではなく
まだ幼かった頃のこと。小学校低学年くらいまでは
母親と銭湯に行く時は
女湯に入るのが普通だったのだ。しかし残念ながら(?)
当時はまだ性の目覚め前。特に女体に関心もなかったので
これといった記憶はない。女体に関心を持つようになってからは
足を踏み入れることのできない
禁断の世界になってしまった。男湯と女湯の間にそびえる高い壁、
それを越えられなくなったのは、
幼児から少年に成長した証なのだろう。人は何かを失いながら
大人の階段を昇っていく。
俺は人生について学んだ。しかし、越えられない国境はないように
男湯と女湯を隔てる壁にも扉があった。
幼児が移動するときのみその扉は開く。「おかあさ〜ん」とか叫びながら
子供が男湯から女湯に移動するその刹那、
一瞬だけ禁断の世界が垣間見えた。俺はすばやく、そしてさりげなく
視線をそちらに集中させたものだった。
しかし、わずか0.01秒くらいの時間では
ほとんど収穫は得られなかった。つくづく自分の動態視力の低さを
嘆いたものである。女湯から話は少し脱線するのだが、
性に目覚めた中学1年の頃、
友達と激しく議論をしたことがある。「女にも毛が生えているのかどうか?」
これが議題だった。実に馬鹿馬鹿しいが
当時はかなりマジに激論を戦わせていた。
しかも俺は「女には陰毛はない説」を唱えていた。今考えると、俺は女湯に通っていたわけで、
それについての事実を知っていたはずなのに
なぜそんな主張をしていたのだろう…?おそらく夢見がちな中学生らしく
美しくすべすべした女の体に
毛などいう汚らわしいものがあってはならない、
とかそんな風に思っていたのだろう。それから20年がすぎた今では
陰毛の見えないヌードグラビアに苛立つ
立派な大人へと成長を遂げることができた。人は間違いを繰り返しながら
大人の階段を昇っていく。
俺はまた人生について学んだ。ま、それはともかくこの議論を思い出すと、
つくづく自分の学習能力の低さと
救いようのない思い込みの強さを痛感する次第。だが、その2年後、
思わぬ形でその議論の正解を
知ることになるのだが…。中学3年の夏休みのことである。
思いがけず、俺はその禁断の世界を
覗き見る機会に恵まれた。友達3人で近くにある高ボッチという山を
登山した時のことである。いや、登山とはいっても
実は山に辿りつく前に早くもバテてしまって
結局ヒッチハイクして車で登ったので、
登山とはいえないものだったのだけど、
下山はさすがに足を使った。それほど高い山ではないにせよ
標高1665m、しかも真夏である。
巨大なリュックサックを背負った3人は
汗だくになってフラフラと
夢遊病者のように下り道を降りていた。そして、ある温泉の前を通りがかった。
すると女将さんらしき人が
「お風呂でも入っていきなさい」
と言ってくれたのである。
我々の様子を見るに見かねたのもしれない。まさに天の恵みだった。
しかもカラーライスまで御馳走してくれて
感謝感激!ヒデキ感激!だった。で、その男湯に入ろうとしたまさにその時、
幸運乱れ打ちの決定打が訪れた!女湯の扉が全開に開いていたのである。
脱衣所まる見え!今、奇跡の瞬間が…!うおおおおおおおおおおおおおおおおお!
…と興奮しまくる中学生の目に飛び込んできたのは
一人のおばあさんの裸体だった。しかもかなり高齢の御様子。
漫☆画太郎先生が描く「ババア」を
想像していただければ話は早いだろう。何も隠そうとせず
威風堂々とおばあさんは
体をふいていた。
…俺は萎んだ。
そして女にも毛は生えているか?
というかつての議論の答を確認した。
あまり望まない形で…俺はまた大人の階段を昇った。
これが俺にとっての
女湯との最後の触れあいである。今ではすっかり遠い存在になりにけり。
では次回は
俺と女子便所について話そうか。(JUNON調)
(つづく)