タイトル■狼男の記録
書き手 ■谷田俊太郎
「狼はガガーリン空港へ行く」を主宰している男
の書いた制作記録でがんす。略して「狼男の記録」。
狼男といえば、「ウォーでがんすのオオカミ男♪」
でおなじみの「がんす」でがんす。でも面倒くさい
ので、本文では「がんす」は省略するでがんす。
>>これまでの記録
<130> 6月13日(木)
■■ 垢と粘り ■■
いつからか仕事で「粘る」ことを
あまりしなくなってきたような気がする。もっと若い時は、とにかく粘った。
経験も知識もないから「粘る」以外に
何かを思いつく方法がなかった。いろいろな経験を積んで、
いろんな方法論を覚えて
とにかく最初よりは器用になった。
粘らなくても、そこそこできるようになった。
職場の立場も上になって
効率化を推進しなくちゃいけない立場になり
もっと器用になろうとした。そして、それと比例して
仕事はつまらなくなっていった。でもそれが「プロ」として
洗練されていることなんだと思った。
間違ってはいない考え方だと。会社を辞めてフリーになっても
その気分はあまり変わらなかった。いま、友人の編集者と
ある単行本の企画を進めている。偶然ある企画がその編集者に
持ち込まれ、その話を俺にふってくれた。
それはその編集者にも俺にとっても、
人生の転機となるくらい影響を
与えられた、ある作品に関する企画だった。最初はそれが単純に嬉しかった。
さっそく具体的な企画立案をした。今の流行りはこうだから
それをこう取り入れて
こんな風にすれば一丁あがりでしょう!
…そんなかんじですぐできた。版元の感触は悪くなく、
いくつかの改良点を指摘されただけで
前進していけることになった。ただ、その企画を見直してみた時に
これで本当にいいのだろうか…?と思った。この企画が、本当に
自分に大きな影響を与えてくれたその作品の
本としてふさわしい内容なんだろうか?その作品に対しても、
その作り手に対しても、
失礼にしかならない
インスタントな企画なのでは…?本屋にいくと
おそらく同じ発想で作ったであろう
似たような本がたくさんあった。
「俺たちが作ろうとしてるのはこれなのか」そういう本は作りたくないと思った。
いまさらとは思いながら
編集者に話すと
彼も同じ気持ちだった。自分達はこれまで一応培ってきた
どこかその場しのぎ的なテクニックを使って
小手先だけの本を作ろうしてるんじゃないだろうか?
…そんな話をした。垢がついている、と思った。
長年、せっせと培ってきてしまった垢が。
慣れや経験や
方法論や常識といった垢。
安直でもいい、
そこそこにできれば
それでいいと思う垢。
本気になる自分をセーブする垢。
それをプロだと思う垢。垢が年々ついてきている自覚はあった。
でも、その垢を身にまとうことが
大人になることだと思ってた。実際問題、それは簡単に取れるものじゃないし、
また全部取ればいいものでもないとは思う。ただ、今回の本に関しては
その垢をはがして取り組んでみたいと思った。
垢をできるだけ拒否するような、
そんな仕事の仕方を、そんな年のとり方を、
我々はその作品に学んだはずだったことを
思い出したのだ。それから企画を練り直し始めた。
垢をはがして本気で考え直してみようと。
編集部で、飲み屋で、本屋で、
さまざまな場所で話し合いを続けた。
他の友人にも相談した。
何十時間、話しあったのだろうか。
ただ泥沼にはまってるだけ
なんじゃないかという気さえした。コンセプト、構成、デザイン案、
そしてタイトル。
すべてが二転三転四転し
なかなか辿りつかなかった。でも、お互い腹をくくって
完全に納得できるものに辿りつくまで
とことんやる気になっていた。
何度も何度も練り直した。そしてようやく、ある程度
納得できる形が見えてきた。それは本当に嬉しかった。
そして楽しかった。自分のまわりの空気が
一瞬でも十代の頃のような瑞々しさを
取り戻したように思えた。粘ることの大切さを思いだした。
その気分は新鮮だった。
この本が出せるのかどうかはわからない。
もちろん、そうなればお金にもならない。でも、今いい経験をしている。
とても貴重な経験を。いつかその本が
公に見てもらえる機会が来ることを
祈りつつ、まだまだ粘ってみようと思う。
…と、しみじみ書いてる場合ではなかった!
この本の企画書やらなんやらを作らなければならなかった!出版が決まってから書くべきネタだったんだけど、
昨日、超難航していたタイトルを遂に思いついたもんだから
ついつい嬉しくなって書いてしまった。あかんな。うわーでも今日はブラジル戦にイタリア戦か、
明日は日本vsチュニジアか!時間が!
(つづく)