タイトル■狼男の記録
書き手 ■谷田俊太郎
「狼はガガーリン空港へ行く」を主宰している男
の書く生活記録でがんす。略して「狼男の記録」。
狼男といえば、「ウォーでがんすのオオカミ男♪」
でおなじみの「がんす」でがんす。でも面倒くさい
ので、本文では「がんす」は省略するでがんす。
>>これまでの記録
<167> 9月22日(日)
■■ 「あの地域の人とはつきあわない方がいい」 ■■
平壌宣言以後の各メディアの
報道を見ていると、怖い。それに踊らされている
人々も怖い。俺は日朝間の様々な問題について
ろくに勉強してないし知識もない。でも、今「怖い」状況に
なっていることはすごく感じる。テレビや新聞では
拉致問題が明るみになって以来、
「あの国は許せない国だ」
「あんな国と仲良くすべきじゃない」
という声が叫ばれている。それは昔からよく聞くような
ある言葉を思い出させる。「あの地域の人とはつきあわない方がいい」
有史以来、人間にまとわりついて離れない
差別意識を象徴する忌まわしい言葉だ。人それぞれに人格があることを無視した、
属性やイメージだけで人間をひとくくりにしようとする
まったく想像力を欠いた、野蛮な思想。差別は暴力である。
この言葉、この思想によって
数え切れない人々が苦しみを味あわされてきた悲劇を
我々は知っているはずだ。今、盛んに言われている
「あんな危ない国とつきあうべきじゃない!」
といった発言は、
この差別思想とまったく同じ発想だと思える。拉致された人たちの家族が
感情的になるのは仕方のない話だと思う。
自分が同じ立場ならきっと
同じように思うだろう。しかし、仮にも公のメディアで
政治家にせよニュースキャスターにせよ
そういった人々が平然と
そんな言葉を吐いていいものか。北朝鮮の人々への差別心を芽生えさせ、
様々な個人の生活をおびやかしかねない
非常識な言葉が
平然と飛び交っている現状は異常だ。いや、在日の朝鮮人に対するイジメが
増えているというから、
間違いなく、確実に、おびやかしている。なにかの週刊誌は
「人殺し国家」という言葉を
中吊の大見出にしていた。正気の沙汰とは思えない。
しかも日本人だって朝鮮の人々を
強制連行し死に至らしめている
そういった歴史的事実は、
まるでなかったかのようである。それはまだほんの数十年前のことにもかかわらず。
やったことの質は違うにせよ、
どっちもどっちじゃないか。一方の言い分だけを感情的に
垂れ流すことは公正じゃない。そうでなくても、特定の国や民族に対する
憎しみだけを助長するような報道や発言は
あってはならないこと。憎しみは憎しみしか生まない。
ほんの1年前には、9.11があった。
(そして、この戦争はまだ続いている)
あの日、あの後、
憎しみの恐ろしさを我々は
学んだはずじゃなかったんだろうか。そう思うので、
細かいところはよくわからないが、
今回の小泉首相が下した判断は
非常に良かったと思ってる。扉をあけて、一歩踏み出す。
それしか前に進む道はない。まず話し合いのテーブルに
つかなければ何も始まらない。
もつれた感情もそのままだ。そりゃ最初からすべてうまくいくはずない。
なんだってそうだ。
時間をかけていくしかない。でも取りあえず、踏み出した。
憎しみあうだけの関係はやめようという
意志を表明した。
これは称賛されていいことだと思う。個人的な話な話をしてみたい。
俺が中学1年生の時のクラスは
「悪の巣窟」と呼ばれるにふさわしい
荒廃したクラスだった。荒れた大勢の同級生によって、
窓ガラスは割られ、
教室の入口にはバリケードが築かれ、
授業中には教師に生卵がぶつけられた。
ヤクザの息子が権力を持ち
イジメもあった。ちなみに俺は
それには加担してなかったので、
当然のことながら対立し、
しょっちゅうケンカになった。
血を流したこともあった。けれど、ケンカしたり、
いろいろ話したりするうちに
やがては仲良くなってきた。青春マンガとかによくある
殴りあった末に
二人で「ワハハハハ」と笑うようなことを
実際に経験した。実際にはもっとみっともない
ケンカだったけど、まあとにかく。別に俺が不良になったわけでなく
彼らがマジメな生徒になったわけでもないが「こいつ、ろくでもない奴だと思ってたけど
案外いい奴だったな」
と思えるようになれた。
一緒に遊びにもいくようになった。そうしてクラス全体にも団結心のようなものが
少しずつ芽生えてきて、
卵は投げられなくなった。それまで常にドンジリだったクラスマッチでも
少しは勝てるようになっていった。
その勝利の喜びは格別だった。俺が転校したら
「谷田がイジメられてないか?」
と心配した不良グループが大挙して
押し掛けてきてくれたこともあった。最初に、お互いが
「やつらは別世界の人間だから口もききたくない」
という態度だったら、
そういう関係にはなれなかった。もっとたくさんの血が流れたり
悲惨なことだっておきたかもしれない。こういった経験は
たぶん俺だけじゃなくて
様々な場面でいろんな人にあると思う。まずは互いの違いを認めあったうえで
理解しようと努力してみる。難しいことだとは思う。
コミュニケーションしても、
その上でダメな場合だってある。
いい奴がいれば
悪い奴もいる。気の合う奴もいれば
どうしても合わない奴もいる。でもそんなの住んでる場所とは関係ない。
どこの出身だろうと関係ない。
そういった積み重ねしか
「平和」につながる道はないはずだ。大袈裟かもしれないけど、そう思う。
個人と個人のつきあいも
国家と国家とつきあいも
スケールが違うだけで
根っこは同じなはず。まずはつきあってみること。
その上で
「お前のそこはどうかと思うよ」
「悪かった。でもお前だって」
といった話ができればいい。そういった考えは
理想論にすぎないと言う人もいるだろう。
現実的には核兵器の問題などもあるかもしれない。
でも仮にそうにせよ
今の一方的でヒステリックな報道の多くは
あまりにも危険すぎる。国民の憎しみを煽りたてて
どうするつもりなんだ。なにやら時代が逆行している
不気味さを感じて仕方がない。
(つづく)