タイトル■突刊マット
書き手 ■ヤマシタヨシテル(メソポ田宮文明)


マット界(プロレス・格闘技界)に関する
読み物企画です。書き手も内容もいろいろ!

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リレー式エッセイ
さよならリングス特集(2)

2月15日・横浜大会を最後にリングスが解散します。
ただ黙って見届けるのは、ちょっとさびしぎるので、
リングスが好きだった人達何人かに、解散の日まで
リングスへの思いをリレー方式で書いてもらいます。
投稿も大歓迎です。tanita@dp.u-netsurf.ne.jp 迄どうぞ。

第2回目は、ヤマシタヨシテルさん!
本業はイラストレーターです。
旗揚げ大会から10年以上リングスを見守ってきた
ヤマシタさんは、今何を思う?




<2002.2.12>
前田が前田らしく生きてくれれば

こないだ、『タモリ倶楽部』に出てた井筒監督を見ていて
「あ、前田の今後はとりあえずコレかもなぁ…」
と思ってしまった。

怒りを忘れた日本人(byミスター猪木)の中で
“本気で怒ることのできるタレント”として
前田は重宝がられるだろう
(でもマジで怒らせたら取り返しつきまへんけどな)。

以前、『リングの魂』という番組で
巨乳ギャルのおちちをペンでツンツンしてた前田は、
子供のような笑顔ではしゃいでいた。

あの笑顔がまた見られるなら、
ワタシはそれでいいのかもしれない。

そんなことも思ってしまった。

リングスの会場にいる前田は、どこかよそ行きの顔をしていた。
いわゆる前田らしさ、を精いっぱい抑えていたように見えた。

かつて前田は、リングスを
「オリンピックの正式種目にしたい」と語っていたが
そのために、キチンとしたヒトを
演じていたようでもあった(最高責任者だしね)。
しかし、赤いブレザーを脱いだら
暴行したりされたり記者のフィルム抜き取ったりと
あいかわらずであった。

そんな前田のぶきっちょさが、また好きだった。
割り切ってビジネスができないところも。
石井館長のようにしたたかなヒトだったら、
やっぱここまで好きにはなってなかっただろうし。

しかし、もう少し、
もう少しだけ器用に生きることができたら
PRIDEに負ける(という言い方はイヤだが)
ことはなかったよなぁとつくづく思う。

リングスは壮大だった。
めくるめく格闘空間であった。

前田が次々と発掘してくる未知の強豪たちに、
ドキドキハラハラした。
(ここ数年は客入りの悪さにドキドキハラハラしてた)
手間もカネもかかった。
それだけに賛同者が必要だった。
有能なブレーンも必要だった。
しかし前田は自分を貫いた。

そしてこうなった。

活動休止。ショックであった。
信じられなかったというか、
今でもまだ信じ切れてない。
最後の大会の入場式の時に、
古田アナから意表を突く発表があるのではないか。
そう思ってもいる。

一度冷めてしまった感情は、
なかなか元には戻らないし戻せない。
(我が家の夫婦関係もそうである)
前田にまだ情熱は残っているのだろうか。
それが心配である。

「もうええわ」とキッパリ辞めちまわないだろうか。
あるいは刀鍛冶に転身して、
海外でのリングス大会があれば、ちょくちょく顔を出す、
というくらいのスタンスになっちゃわないだろうか。

2月15日、横浜。
リングス・ジャパン、最後の大会。

この日、前田は観客に何と言うのだろう。
いつものように、よそ行きの顔で
「今後も各選手にご声援よろしくお願いします」
とかなんとか言って
サラッとあいさつして終わるのか。
それともチロッと涙のひとつでも見せて、
しんみりさせてくれるのか。

ワタシは思った。

今は巨大勢力PRIDEの前に、
何をやっても歯が立たない。
それならいっそ原点に返って、
あらためて大阪から始めてはどうかと。

リングスなにわ。青空前田道場。
あるいは戸塚ヨットスクールならぬ前田ケンカスクール。
強い男を育てよう。健全なる青少年育成。月謝も安いで。
しょっぱい試合したヤツには愛の鉄拳制裁
(シャレにならんほどの)。
トークライブもたまにはやるさかい。

で、PRIDEが 『PRIDE.30』とか『PRIDE.35』になった頃、
前田道場勢でドカーンと殴り込みや。
そん時ゃ清原もいっしょや。
まぁ見といてや。やったるで〜。

まぁ、前田が前田らしく生きてくれれば、
いちばんいいかなと。





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