タイトル■突刊マット
書き手 ■谷田俊太郎


マット界(プロレス・格闘技界)に関する
読み物企画です。書き手も内容もいろいろ!

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<2002.4.9>
ロックvsホーガン、夢と神話

見た!「レッスルマニア18」!
歴史的な新旧スーパースター対決、
ザ・ロックvsハルク・ホーガンを!!

「レッスルマニア」は、
北米のあらゆるエンターテイメントの中でも
最大と言われる、WWF年間最大のビッグイベント。
もはや「プロレス」というジャンルを越えた夢の祭典。

そのスケール感、エンターテイメント性を
言葉で説明することは難しい。
とにかく豪華絢爛、理屈不要、問答無用の
ワクワク感、強いて似たものがあるとするなら、
ディズニーランドくらいかもしれない。

今回の「レッスルマニア18」は、
カナダ・トロントのスカイドームにて、
6万8237人の大観衆を集め行われた。
その最大の目玉が、ロックvホーガンだった。

プロレスファン以外の人にも
この試合がどれほどの夢の対決なのかを伝えるために
ジム・ロスの言葉を借りてみよう。
「この試合は、モハメド・アリvsマイク・タイソン、または
 ベーブ・ルースvsバリー・ボンズのようなものだ!」

あー、まだるっこしい。
説明は省略。気分だけを書こう。

ザ・ロックvsハルク・ホーガン、
素晴らしかった!
その一言だ。

今年のベストバウトなのは当然として、
今後10年こんな試合はないだろう。
プロレス史に残る記念碑。金字塔だ。

20世紀を象徴するアイコン(肖像)と
21世紀のアイコンになるはずの男の遭遇、
まさしく“夢の対決”
そうそうあるもんじゃない。
空前にして絶後かもしれない。

ゴングが鳴る。
ロックとホーガンが
対峙し、睨みあう。

ウオーン!ウオーン!ウオーン!ウオーン!ウオーン!
大地を揺るがすような大歓声。
ロックとホーガンがそれぞれ客席を見る。
ウオーン!ウオーン!ウオーン!ウオーン!ウオーン!
天にも届くような声援が一層大きくなる。
ウオーン!ウオーン!ウオーン!ウオーン!
かつて聞いたことのないような大声援。
それだけでもう興奮は頂点に。

二人が組み合う。ホーガンがロックを吹っ飛ばす。
ドワーッ!!ドワーッ!!ドワーッ!!ドワーッ!!

比喩じゃなく、本当に声援だけで会場が爆発しそうだ。

試合自体は正直言えば、大して技の攻防があるわけじゃなかった。
ホーガンは言ってしまえばもう老人。動きが鈍い。
若いロックもそれに合わせて、極めてスローモーな試合展開だ。
だが、二人の一挙手一投足にファンが沸き返り、
大地が震える。決してオーバーじゃなく。

そして特筆すべきことは、それがすべてホーガンへの声援だった!
現在のホーガンが、団体から与えられている役目は「悪役」。
そして、ロックは完璧な「善玉」であり、現代のスーパースター。

にもかかわらず、ファンはホーガンを選んだ。
ロックにはブーイングの嵐。
これには本当に驚いた。

アメリカのプロレスは、完璧にベビーフェイス(善玉)と
ヒール(悪役)が分けられていて、ファンもそれは熟知している。
ベビーフェイスには声援を送り、ヒールにはブーイングを飛ばす。
選手もその役割に徹し、決められたシナリオに忠実に試合を進行する。
一部の隙も見せず、その完璧さを全うすることで、
WWFはスポーツエンターテイメントの頂点に昇りつめた。

アドリブが許されない、個人の意志が尊重されない、
という意味では、WWFの選手には自由がなく、
ある意味コントロール通りに動くロボットみたいなものかもしれない。
でもそれに対して、良し悪しを言うつもりはない。
ディズニーランドもそうしてエンターテイメントの王様になったのだ。
それぞれが役割に徹し、ひとつの世界を築きあげる。
これはエンターテイメントの鉄則。
ミッキーや、ドナルドが個人の意志など持ってしまったら、
夢の世界は、一気に現実世界に堕してしまう。

だが、選手が単なるアクターではなく、
自己プロデュースすることを許された表現者である、
という認識が前提にある「日本のプロレス」で育った者には、
WWFは、もはやプロレスではない。別の「何か」だ。

団体>選手>ファン、というヒエラルキーが
決して揺らぐことのないWWFと、
選手、あるいはファンが主導権を握り、
時にアドリブによって
試合、あるいは興行を作りあげていく
日本の(あるいは本来の)プロレスとは
決定的な違いがある。
そう思っていた。

しかし、どうだろう?
ホーガン!ホーガン!ホーガン!ホーガン!
シナリオ通りに金的攻撃、凶器攻撃など「悪役」らしい
ムーブに徹するホーガンには大声援、
BOO!BOO!BOO!BOO!BOO!BOO!BOO!
普段通りに「善玉」としてパフォーマンスするロックに大ブーイング。
こんな光景は、いつものWWFではあり得ない。

WWFが用意した、完璧だったはずのシナリオ
「現代のヒーローが、今は惡に成り果てた
 かつてのヒーローを退治する世代交代劇」を、
ホーガンのカリスマ性が破壊してしまったのだ。
そしてファンも、団体の用意した物語を拒否した!

ホーガンの存在力とファンの力が
WWFの思惑を越えて、
新しい試合を作りあげてしまった!

個人の力が組織を超えて勝利する快感。

これじゃ「プロレス」じゃないか!

そうだ、ロックvsホーガンは
本来の、そして完璧な「プロレス」だった。

技なんて少なくてもいい。
スポーツでなくていい。
どっちが本当のスーパースターなのか、
どっちがカリスマとして上なのか、
どっちが表現者として優れているのか、
それを競い合うことが
本来の「プロレス」なのだ。
だからこそ「他に比類なきジャンル」なのだ。

そして、スローモーな試合だったからこそ、
「行間」がふんだんにあり、そこから
「記憶」がにじみ出る。

かつてホーガンがスーパースターだった時代の記憶。
ハンセンとのタッグでMSGタッグに出場、
IWGPにおける猪木との死闘、
「一番!」の決めポーズとアックスボンバーで
日本マット界を一世風靡した時代、
猪木が欠場していた新日本の救世主だった時もあった、
ブッチャーとも抗争した、東京ドームでハンセンとも戦った、
そしてアメリカでスーパースターになった、
レッスルマニアでのアンドレ戦、サベージ戦…

約20年間の記憶が次々に甦る。
記憶を紡ぎ合わせ、物語を繋げていくのもまた
「プロレス」最大の魅力。

そして、そんなホーガンの歴史に
名を列ねることで、ロックもやっと
「プロレス史」の登場人物になれた。

古い王を倒し、若き新たな王となるロック。
これほど美しい王座交代劇は見たことない。
神話のような試合だった。

そして、試合が終わり、
ロックもまた「かつてハルカマニアだった少年」の顔に戻る。
ロックもまた我々と同じく
スーパースター・ホーガンをリスペクトし、
プロレス史の記憶を愛する、プロレスファンだった。

敗者としてリングを去ろうとするホーガンを呼び止め、
「マッスルポーズ」をおねだり(?)するロック。

役割を終えたことで
「やさしいおじいちゃん」のような顔に戻った
ホーガンが期待に応え、
四方に懐かしのマッスルポーズ。大歓声!
ロックもまた笑顔でそれを見守る。

そして、敵対していた二人は
父と子のように電撃合体し、
新たなストーリーは続く、to be continue…

素晴らしい試合だった。
涙がでた。

全世界を席巻し、マット界のグローバルスタンダートとして
あらゆるプロレスを一色に染めあげようとしていたWWFを、
否定、破壊したのは「本来のプロレス」だった。

それがWWFマットで行われたのは皮肉だったし、痛快だった。
でも、それをも取り込んでしまったわけだから、
これまで以上にWWFが、プロレスの王道になったわけだけど。

でもそんな瑣末なことはいい。
プロレスはやっぱり素晴らしい。
この感動は他のジャンルでは
決して味わえない質のものだろう。
そう思えただけでもう十分。

モハメド・アリとマイク・タイソンが
試合することはあり得ない。
ベイブ・ルースとバリー・ボンズが
対決することも不可能だ。
でもプロレスなら、そんな夢も実現する。
だからこそ面白い!

ありがとう、ホーガン。
ありがとう、ロック。
ありがとう、スカイドームに集結した6万8237人。
最高のプロレスをありがとう。

夢のような時間でした。





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