タイトル■短すぎた夏 〜私が田中康夫氏に投票した理由〜
書き手 ■長野 県太郎♂(仮名)

「もう今は昔になった長野県知事選挙。一人
の有権者として燃え損ねた記録を気分の向い
たときに書いていて、何となく文章になりま
した。オーガガのコンセプトに合致しました
ら掲載してくれるとうれしいです」という投
稿をいただきました。もちろん喜んで掲載さ
させていただきます。長い文章だったので、
何度かに分けてアップしますね。ではでは。

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(3)強権発動…第2ラウンドのゴング


かくして田中康夫氏は
長野県知事として執務に当たるようになった。

田中知事の公約であった
県庁知事室の移設は
あっという間に行われた。
ガラス張りの知事室は
彼の目指す県政の象徴のごとく
華々しく映った。

自らが市町村に赴いて
直接住民の声を聞くべく開催された
車座集会はどの会場でも盛り上がりを見せている旨
新聞に伝えられていた。

浅川ダム予定地に何度も赴いて
自らの足で調査をする田中知事の姿は
何度となくテレビを通じて私の目に飛び込んできた。

県議会はおろか、
県庁職員すらも理解してくれる人のいない
そんな悪魔の館のようなところに
飛び込んだ田中知事であったが、
自らの公約実現のために
自らの足でその必要性を説いていく姿は
これまでの知事には感じることのなかった
エネルギッシュさを感じた。

そして、期を得て飛び出した
今や天下に名高い「脱ダム」宣言…。
彼の理念の奥底に
彼が自然豊かな長野県を、
日本の風景を愛している一人の
県民であるということを感じることはできた。

しかし、
脱ダムの理念が歩き始めたとき、
田中知事の抵抗勢力は強権を発動した。

…知事不信任決議の可決。

抵抗勢力である県議会が
ただならぬ力を持っていたことを
改めて感じた瞬間だった。

地域住民との対話を重視していた反面、
市町村長や議会議員との対話が少なかったことが
田中知事の不信任決議の可決につながったのだろうと思う。
確かに、敵対意識むき出しだったような印象はあった。

だが、田中知事と市町村との対立姿勢も、
私にとってとてつもなく大きな問題
ではなかった。

なぜなら、私は「どうしても!」という思いで
首長も、市町村議員も、
そして県議会議員も選挙していなかったからだ。
そんなある意味いいかげんに選んだ人たちと田中氏の
県民を巻き込んだ大喧嘩…。

有権者として、
この喧嘩に白黒つけなくてはならない責任を
ちょっとだけ感じた。

田中知事不信任決議、そして失職は
長野県の民意を問う第2ラウンドのゴングとなった。

(つづく)





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