タイトル■短すぎた夏 〜私が田中康夫氏に投票した理由〜
書き手 ■長野 県太郎♂(仮名)

「もう今は昔になった長野県知事選挙。一人
の有権者として燃え損ねた記録を気分の向い
たときに書いていて、何となく文章になりま
した。オーガガのコンセプトに合致しました
ら掲載してくれるとうれしいです」という投
稿をいただきました。もちろん喜んで掲載さ
させていただきます。長い文章だったので、
何度かに分けてアップしますね。ではでは。

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(5)夏の終わり

選挙公示前日、
忽然と立候補予定者が5人になってしまった。

政策協定が結ばれた。

あっけにとられた。

ある候補者の公約に
政策協定でいなくなった立候補予定者の公約が
取って付けたように
あとづけされた。

一気に冷めた。

そして、選挙公示当日を迎えた。
長野県じゅう、そして全国のメディアが
各候補者の第一声をとらえていた。

旧態の組織を伴わない
新しい長野県の選挙が始まる

…はずだった。

ある候補者の街頭演説の場に、
いるはずのない県議会有力会派の議員が
遠巻きに見ている姿がテレビに映しだされていた。
ある県議がテレビカメラから逃げるように
近くのデパートに駆け込む姿も映し出されていた。

独自候補をたてることができなかった
県議会各会派は
「個人的に」と前置きしながら
ある候補者を支持する旨表明していたから
いても当たり前かと、思うことにした。
自分の組織を使うのもありかと、思うことにした。

だが、選挙戦も後半になり、
なおも田中候補優勢が伝えられると、
状況はさらに変わっていった。

県議会議員が
前線で応援演説をするようになっていた。
国政の有名政治家が
応援演説に現れるようになっていた。

…どんなに素晴らしいことを理念を打ち出しても
これでは、あなたは何も改革することはできないでしょう…。
もはや、旧態という見えない力の「操り人形」のように
振り回されてしまったある候補者が
気の毒にさえ見えた。

私が勝手に争点と考えていたダム建設の有無については
どの候補も(一人を除いてだが)、こぞって
脱ダムの理念を肯定を全面に打ち出すようになっていた。
もはや、争点は見失われていた。

どの候補者も
田中前知事の県政を批判し続けた。
そして、それに終始した。
自分の公約を深めているようには聞こえなかった。

彼らは自分の公約に対して
本気で県民の理解を得ようとしていたのだろうか?
田中県政を批判したかっただけなのではないか?

それぞれの候補者の本意ではないだろうが、
私には、届かなかった。
田中康夫氏と、脱ダムの理念を否定したあの候補者以外からは…

選挙公示前の熱い政策の論戦は
決して深まることはなかった。
いつしか出直し知事選は
ただの田中前知事県政を批判する人たちが
遠吠えするためのステージとしての意味しかなしていなかった。

少なくとも
私にとっては…。

誰が、どんな長野県にしたいのか?
長野県の未来像はどうあるべきなのか?

そんなことはどうでもいいという
雰囲気になっていることを感じていた。

マスコミも
田中前知事の再選なるかだけが
焦点になっていた。

誰がどんな政治をしようとしているのかを
詳しく報じることは
まずほとんどなかった。

選挙戦最終日を待たずに、
政策そのものに深く、熱い理念を感じる候補者は
私にとってたった一人になっていた。
田中康夫氏、その人だけに…。

迷わず、不在者投票所に足が向いていた。


(つづく)





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