タイトル■ニューヨーク貧乏 〜金が尽きたら、さようなら〜
書き手 ■マイティー井上Jr
現在ニューヨーク在住のフォトグラファーによる
貧乏生活報告を含めた、ニューヨークの今を伝え
る身辺雑記です。あくまでも1個人のみの視点で
お送りするエゴイズム通信であります。「セプテ
ンバーイレブンで激減した観光客を1人でも多く
ニューヨークへ呼び戻したい!そんなピュア−な
気持ちもありますよ」という、そんな企画です!
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第30回
■■■ 東京の沖縄人とNYの日本人 ■■■
今春、知り合いのライター新垣 譲が「東京の沖縄人」という本を出版した。
帰国の際に1冊いただいたがインターネットで注文していたので
それは人にあげ、注文した本を待つ事に。
その本が届いたのは先週のことで実に3月経っていた。
出版者からは入金の催促のメールが来たりと何処をさまよっていたのやら?さて、本の内容だが東京で暮らす沖縄出身者をインタビューし
後に彼等がどうなったかを追ったものである。
沖縄という地を離れ東京に出る決意をした時のこと、
東京での生活、その時の未来像、そして現在と、
彼らの思いの変化を綴ったものである。これを読んで思ったのは、ニューヨークの日本人と
「東京の沖縄人」との思いが近いということだった。個人的に、こちらで会った日本人にインタビュー、
というほどではないが、話を聞いた時のことを思い出した。夢を抱いて来るのはどちらも同じだが、確固たる目的がある人、
漠然と憧れで来る人、事情により居場所を探し求めて来た人など。
ある人は不倫の末、子供を身籠り、世間の目を気にせず生きられる、
このニューヨークを選んだ。
またある人は、双児で何時も親から比較され、ひと旗揚げて見返そうとしていた。列挙に暇はないが、コンプレックスを抱えている人が多いように思えた。
それはトラウマといっても良いのかも知れない。また、過ごし始めてから文化、言葉、食などの違いによるストレスから
日本人同士、沖縄人同士のコミュニティーに依存していく過程も似ている。
(これは地方出身者すべてに言えることだが。)
なかでも、夢と現実のギャップに苦悩するあたりは・・・。これを読んで
「沖縄人にとって、東京は外国で沖縄は日本国
沖縄県ではなく琉球王国なのだ。」と感じた。その独自の文化は若い時は邪魔なもので、歳が経つにつれ
愛おしいものに変わっていくあたりは、
日本人が日本人である事をニューヨークでそう思うものと同じであろう。知り合いが出した本とはいえ
「自分のアイデンティーとは?」と考えさせてくれる1冊である。ところで、帰郷の際、駅のキヨスクで
「〜ニューヨーク!!」という単行本を暇つぶしに買って読んだのだが
あまりの面白くなさに唖然とした。しかもこの本は
大手出版者K社から新刊として発刊され、目立つ場所に置いてあった。
内容はニューヨーク在住の筆者の日常の出来事を
おもしろおかしく綴ったものだが、軽〜いノリの本だ。俺としては
「永く住んでるんだったら、もっといろんな事がもっとがあったでしょアンタ?」
とイライラ。あまりの薄っぺらさに途中で読むのを止めたが、
でもこういう本は売れるらしくパート2であった。確かにこの手の海外モノは単行本化しやすく売りやすいと聞くが
「売れば良いってモノか?」
風船みたいにパーンと割れて終わり、といった刹那的な快楽を求めるのではなく
ドカーンと地雷みたいに心底衝撃を与えてくれるモノを何故もっと求めないのか?
刹那的なものからは何も産まれてこないと思うのだが・・・?ひょっとして『ニュ−ヨーク貧乏』もリニューアルして、文体や内容も
“28Stチェルシーのお気に入りのカフェで
いつものを「今日は砂糖抜きで」とボブに頼む。”なんてコソバイこと書けば単行本になるのか?ゲーーー!!!
こんなことばかり言っているおかげで
お金とは縁のないマイティーであった。
(つづく)
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