タイトル■ニューヨーク貧乏 〜金が尽きたら、さようなら〜
書き手 ■マイティー井上Jr
現在ニューヨーク在住のフォトグラファーによる
貧乏生活報告を含めた、ニューヨークの今を伝え
る身辺雑記です。あくまでも1個人のみの視点で
お送りするエゴイズム通信であります。「セプテ
ンバーイレブンで激減した観光客を1人でも多く
ニューヨークへ呼び戻したい!そんなピュア−な
気持ちもありますよ」という、そんな企画です!
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第46回
■■■ バタバタの日々 ■■■
ネタ切れのため、少し更新を休むつもりが2ヵ月弱が経過、時の経つ早さにあせる。
この2ヵ月を振り返ると、なんかバタバタとし落ち着かない毎日であった。
10月に来訪者が去り、授業料も未だ残っているので暇だし、語学の鍛練に復学を
しようと思ったが、思い掛けないところから仕事が舞い込みそれどころではなくなった。仕事はソーホーで個展を開くコリアンのファッションデザイナーが洋服の写真を
それに合わせて撮影したいとのことで、その話を聞いたのが個展の1週間前。
とにかく日数に余裕がなく撮影前日にスタジオや機材の手配がやっと済む。
点数が多く、朝から撮影を始めるが翌々日の朝までかかる。
その夕方からは個展のオープニングパーティーの撮影。殆ど不眠不休の3日間。
その後もデジタル写真のデータをコンピュータで少し色味などを調整し
CDに焼くのにまた丸1日寝れず。4日で6時間睡眠。2日後に納品をしすべてが終了。クライアントにも納得していただけヤレヤレであった。
日本にいる時も何故かこういう激務な仕事が良くまわって来たが今回のは凄かった。
自分でもよく終わったと感心している。
その後数日は天国に入っていたと思う。(?)振り返ると、「日本語通じなくてよかった〜!」と思うのである。
というのは、私を知る人は御承知かと思うが、仕事の時、俺はかなり短気になるからだ。
撮影中は余裕がなくハイテンションになり、なりふり構わなくなる。
以前、編集者からアシスタントを怒鳴りつけている時は
関西弁になっていると指摘されたことがある。
温厚さを保つメッキがボロボロ剥げ落ちて行くのだ、撮影中は。で、今回相手に小言を言うのも英語で言わなければならないから
「面倒くせ〜黙っておくか。」となり無駄な摩擦をわりと起こさず済み
韓日(日韓)の友好に支障をきたさずに済んだのは日本語の通じなかったおかげだ。激務だった以外、相手の人柄も良く、お金も沢山いただいたので
何の不満もない仕事だった。「サンキュー、サンキュー」翌週、久し振りの大金を手に3メガのデジカメを10メガにグレードアップしようと
カメラ屋に下取りに行くが、わずか3年前に買ったばかりの我が虎の子のカメラが
10分の1の値段に、軽自動車並みの値段が原付きバイクまで下がってしまっている
ではないか。店のオヤジに理由を問いただす。
店のオヤジ曰く、「今は6メガのカメラが$〜で買えちゃうんダヨ・・・。」
ごもっともです。で、10メガはあきらめ、6メガのものを買う。
しかし渡米以来始めての新品カメラの購入で、少し興奮気味で家に戻る。
子供がクリスマスに買ってもらったオモチャを枕元に置くのと同じく
その晩は説明書を読みながらカメラをいじくりまわして寝る。翌日、興奮もおさまり、「これで仕事がこなかったら高い重石じゃねーか!」
と少し不安を憶えるが「そうなればまた売っちゃえ〜!どうにかなるだろう。」
とすぐ開き直るのであった。開き直ったおかげか今度は別のところから油絵の複写の仕事を貰う。
これがまた金やら銀をふんだんに使用されたキラキラなもので非常に技術的に難しく
骨の折れる仕事となった・・・。
50数点を丸2日間かけて撮る。その後また昇天。気がつけば12月。ウインドウディスプレーがクリスマス用に変っていた。
おまけ)今日、西武にいた松井がニューヨークに来たそうだ。メッツに入るために。
ニュースでは結構話題にしているのにはビックリした。
俺と時同じくして来た新庄は日本に帰っちまったなあ〜。
果して俺はどうなるやら・・・。
(つづく)
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