タイトル■ニューヨーク貧乏 〜金が尽きたら、さようなら〜
書き手 ■マイティー井上Jr
現在ニューヨーク在住のフォトグラファーによる
貧乏生活報告を含めた、ニューヨークの今を伝え
る身辺雑記です。あくまでも1個人のみの視点で
お送りするエゴイズム通信であります。「セプテ
ンバーイレブンで激減した観光客を1人でも多く
ニューヨークへ呼び戻したい!そんなピュア−な
気持ちもありますよ」という、そんな企画です!
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第52回
■■■ 厳しさに生きる威厳のたたずまい ■■■
ニューヨークも徐々に春が近くなってきたと感じられる今日このごろ。
路上の物売り達も少し元気になり、威勢よく声を張り上げて商売をしている。
「彼らはアフリカのどこから来たのだろうか?何年住んでるのか?
冬の風のきついマンハッタンのビルの谷間でこうやってきつい仕事をしていて
何が彼らのゴールなんだろうか?」などと横目で見ながら思いにふける。
またその先では中東系の親爺がピーナッツを黙々とローストしている。
「一日こうして働いて何ドル稼げるのだろうか?」
「これでも彼らの母国で働くよりは見入りが良く安全なんだろうか?」
彼らの答えがイエスと解っていても俺にはとても実感できない。
最近こういう光景を見る度に彼らの逞しさに尊敬の念をいだき、愛おしく思う。
人間の在り方として見ていて気持ちが良い。
以前タクシードライバーの話を書いたが、そのような事はニューヨークの町中に
ごろごろしている。
彼らは俺にとってニューヨークでもっともフォトジェニックな対象。
そういった人たちを写真に収めるため、毎日街を徘徊しているが
いざカメラを向けようとすると自分の中にためらいがあるのを感じる。彼らストリートベンダー(屋台、路上販売の物売り)はほぼ100パーセント
移民者、中には違法就労者、不法滞在者がいる。
だから写真を撮られる事を恐れている人がかなりいるのである。
プロである以上それらの写真を俺はなんらかの媒体に発表するつもりでいる。
そうした時に可能性はかなり少ないが彼らに実害がないとは全く言い切れない。だから写真を撮る時は何時も断わりをいれるようにするのだが、そうすると照れと
共にニッコリと彼らが微笑んでしまい、俺のイメージする写真とギャップが生じる。
「俺は厳しさの中に生きる、あんたの威厳なたたずまいを撮りたいんだ!」
と英語でスラスラと言える訳もなく、数枚撮ると彼らは商売に戻ってしまうから
なかなか上手くいかない。
気に入った写真は未だ1枚もない有り様だ。「これがすんなり行くようになったら写真集がアメリカで出せるだろうに・・・」
と思う。今さらあと1年いられたらとか、彼らの中にもっと入っていけるよう
英語もっとやっとくべきだったとか思う。
もっといろいろな話をもっと聞きたいし、写真を撮りたい。
ブルースを写真ストーリーとして完成させたい。
そうなるには今少し時間と滞在費も必要だった。
しかし、次はそう遠くはないと考えている。おそらく・・・。このプロジェクトは世の中がデジタルになろうが白黒のファインプリント
(100年以上の耐候性があり長期保存に適したプリント)でやり通す。
一過性の物ではなく自分の証として、彼らがそこに居たと証として、
その時のニューヨークの証として100年後も残っていて欲しいからだ。
ちょっと気張り過ぎに聞こえるかもしれないがマジメにそう思うのである。また、迷いが出た時にこのプロジェクトの写真を見て「シンプルに生きよう。」
と思えるように・・・。
(つづく)
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