■■ <小特集> か、かけない! (特別篇) ■■

〜ちーちゃんからの緊急寄稿〜
まさかと思っていたことが…

ちーちゃんから、「か、かけない」に関する
返信がなかなか来なかった。どうしたのかな?
と思っていたら、昨日やっと返信が届いた。
そこにはこんなことが書いてありました。

「返信が遅れてしまったのは、
 無論私自身の仕事のせいでもあるのですが、
 実は父が大変なことになっていまして。。。」

とにかく読んでみてほしいです。
僕が何かを言えるようなことじゃないです。




父は、とある損保(損害保険会社)に勤めていて、
勤続約30年になります。

「金融は人間が存在する限り、倒産したりしないからね」

父が保険をやっていると友だちに話したとき
そう言われたことがあります。

それが、いきなりの経営破綻です。
無常にも。。。

あまりに唐突で、リアクションのしようがないというか。

父は51歳ですから、定年まであと4年ありました。
私が小さいときから、毎日遅くまで残業していたので、
赤ん坊だった私を育てるのに、
体が弱い母は非常に苦労していたようです。

平日は、めったに家族揃って夕飯など
食べたことがなかったくらい
汗水たらして働いてきたのに…。
30年かけて頑張った結果が、破綻です。
あまりにも悲しいことでした。

正式に破綻を表明したのは
先月22日の17時。

この時間帯は、会社にいましたので
勤務時間中に、ヤフーのニュース欄を見て確認しました。

でも、父は何日か前からこのことを知っていたのです。

マスコミに表明した、その3日ほど前のことです。
真夜中の26時になっても、
父から何ら連絡がなかったのです。

携帯に電話してみても、全くつながらず
母と二人で、心配しながら待っていました。

結局この日、父は帰ってきませんでした。

翌日の20日、
深夜になってから一度だけ電話が鳴りました。

「ちょっとトラブルが発生して、
 今日も帰れそうにないけど心配しないで。
 元気にやっているから。そうママに伝えて」

なんだか沈んでいて、カラ元気であることが
その声から伺えました。

そして21日。
母は1階のリビングで、私は自分の部屋で
それぞれが、ずっと寝ないで父の帰りを待っていました。

帰りが遅いのはいつものことだし、
長く仕事をしていればトラブルの一つや二つはあるだろう。
父は冷静に対処しているに違いない。

そんな風に思いながら、父の帰りを待ち続けました。

その日、夜もかなり深まってから、
父は久しぶりに家に帰ってきたのです。

父と母の話し声が、しばらく下の部屋から聞こえた後
二人の階段を昇る音がしました。

私の部屋を開けるなり、母は
「パパの会社、破綻しちゃったの」と
言いました。

びっくりしたのだけど、実感も湧かない。
なんだか不思議な心地がしました。

24日は、私の23回目の誕生日。

いつもなら、家族でごはんを食べに行くのですが
当然お祝いなんてことはせず、
母と二人、涙ながらにごはんを噛みしめるという
せつない夕食のひとときでした。
(また母が暗ったいこと言うんですよね)

父は連休中(※1)も
ずっと出社していました。
(※1 勤労感謝の日があったので、3連休でした)

帰ってきては何時間か眠り、
そしてまた、夜が明けると会社へ向かいます。
タクシーが自宅付近に辿り着くやいなや、
弁護士先生に呼ばれてトンボ帰り、
という日もありました。

こうして、長かったような、短かったような時間が過ぎていきました。
11月18日からの一週間、父にとってはどんな時間だったのでしょうか?

父は、なんとかして会社を立て直そうと、
夜となく昼となくとなく駆けずり回りました。
役員は、責任をとって総辞職となるため、
部長である父が、何から何まで取りまとめなくてはならないのです。

父は東京地裁へ、
会社更生法(※2)の適用を申請しに行き、
無事受理されました。
そのため、何とか倒産という形は間逃れることができました。
(※2 損保の破綻としては、戦後2社目にあたるそうですが、
    更生法が受理されたのは、史上初。)

来年4月、2社の損保と合併し、
新しい会社となって生まれ変わります。
それまでの期間は、自社の名前はそのままで
会社として機能し、
顧客のクレーム対応などに追われながら
一応営業しています。

「春から合併するならいいじゃない?」

ここまで読まれた、多くの方はきっとそう思われるでしょう。
ですが、今までの地位や給与も何もかも
全て捨てなくてはなりません。

統合するなかでの一番大きな会社が、
偉そうな顔して、ふんぞり返ることは目に見えています。

会社に縛られて働いたって、会社は何もしてくれない。

仕事ってなに?
人生ってなに?って
この間、いろんなことを考えました。

サラリーマンって、すごくせつない。

普通に定年を迎え、これだけ退職金をもらえるだろうと、
そう想定して建てた今の家も、結局はローンだけが山積み。
もうローン地獄ですよ…。

もともと近所とはうまくいっていなかったので、
いずれは引越す予定でした。

もう売って、出て行きますよ。
人間らしい生活のできる町へ…。

なぜ破綻したのか?

それはマスコミでも報道されていた通り
ビン・ラディンの仕業です。

ヤツがテロを起したせいで、飛行機が落ちました。

飛行機が落ちると、保険がおります。
それも膨大な額が。

そうなると、現地の保険会社だけでは
支払いきれないので
何社かある、提携先の日本の保険会社に、
支払いの依頼をしてきます。

そうやってリスクを分散しないと、
一社では払いきれませんから。

コレが再保険って呼ばれるものです。

父の会社は中堅でありながら、
地道な営業の甲斐あって
厳しい業界ながら、ずっと黒字続きだったそうです。

それが飛行機一つ落ちたことによって、
一気に赤字に転落。
あまりに巨額な負債であるがために
破綻まで引き起こす。

飛行機が落ちなければ、
黒字続きだったはずです。

いわば、バクチみたいなもんですね。

ビン・ラディンがテロを起したって、
所詮は他の国の出来事。

びっくりはしたけれど
映画のワンシーンを見ているような、そんな面持ちで、
貿易センターが崩れていくさまをニュースで見てました。

その影響が、まさか家族の身に降りかかってくるとは…。
こんな事態に陥ってやっと、テロの恐ろしさに気づいたんです。

浅はかだとは思いますが、きっとみんな同じだと思います。
若い人なんて特に。
「まさかね」って気持ち、誰だって持っているでしょう。

狂牛病だって、HIV感染だって、そう。
自分の身に降りかかることは、
いつだってありえるんです。
それにみんなが気づいていないだけで…。

最近、父がよく口にしているのが
「企業小説を書きたい」という言葉です。
もっとも、いまだ、まともに家には帰ってこない父と
きちんと顔を合わせて話したことはないのですが。

今回の事件を通して、
保険のことやテロのこと
いろんなことを書いてみたいそうです。
もともと社内報や業界誌で、コラムを寄稿していたので
書くことは昔から好きなようです。

だから、「タニタさんのHPで書いてみたら?」と
スカウトしています。
でも、まだ乗る気ではない様子。
なんだかんだ理由をつけて、
あやふやにしてしまいます。

「まだ在職中だから、口外すると罪になるから」って。

父の仕事がどうなるのか、
再就職するのか、
私たちの生活はどうなるのか。

わからないことだらけですが、
きっと今までよりも、父にはヒマな時間が増えることでしょう…。
もうしばらくして落ち着いたら、
もう一度スカウトしてみるつもりです。


《寄稿に寄せて》

HPへの投稿をしばし悩みました。

だけど「みんなにも起こりえることなんだよ」ってことを
たくさんの人に感じてほしい。

そんな風に思いながら、近況報告がてら、
タニタさんにメールしているうちに、
いつの間にか、他の人が読むことを意識しながら書いていました。

「か、かけない」って悩んでいた、
あのちーちゃんが書いたってこと、
みなさんに知ってもらった上で、読んでもらいたいからです。

名無しではなく、自分の書いた文には
きちんと責任をとりたいという気持ちもあります。

また、張本人である父が書きたいと言っていることは、
娘である私にとっても、当然書きたいことであるからです。

17日から始まるB級映画コラムでは
内容も文体もノリも、
また違った感じになると思います。

でも「全部同じ人が書いたんだよー」ってなったら
また違った面白みが出てくる気がします。

前から「時事的なコラムがあるといいのでは?」
とも思っていたんで、この度思い切って暴露しました。

人生最悪な23回目のバースデーを迎えたちーちゃんに
あたたかい励ましのおたより、ご意見をお待ちしております!
(しっかし、さすが前厄だわよ。来年は厄年だーー。)

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