このテキストページでは丹水会ホームページの内容の大部分を、図、写真をのぞいてテキスト表示で紹介しています。
丹水会のホームページではこの他に会の活動や丹沢を紹介する写真と絵のページ、日本山岳会や丹水会会員のホームページにリンクするアドレスを記載したページがあります。
日本山岳会・丹水会は1981年7月、故・折井健一氏が丹沢近郊の日本山岳会会員に呼びかけ、故・鳥居 亮、近藤信行、大森薫雄、古谷聖司らを発起人に「小田急沿線の会」として発足しました。
名称を「丹水会」に改称、春と秋の年2回の例会を行っています。日本山岳会の同好会としても登録され今日に続いています。
「丹水会」は会長なし、会則なし、会費なしの『いたって気ままな』会です。
経験豊かな代表幹事と厚木周辺に居住あるいは就労する比較的若手の会員で幹事会の実行部隊が形成されており、『適当に』会を運営しています。
堅苦しいことについては「無いないづくし」の会ですが、参加者にはともに槍ヶ岳の診療所で働いた経験をもつ両親から生まれた前途有望な赤ちゃんをはじめ、現在もヒマラヤ8,000m峰登頂に取り組む現役、10日も山歩きをしないとストレスが溜まる不治の病に犯された「元」現役や丹沢をはじめ日本の登山や沢登りの歴史をつくった大先達たちまで、豊富な人材に恵まれています。
丹水会は会員制度で成立する会ではありません。たまたま例会に参加し、幹事事務局に住所を知らせておくと次回例会の案内状が届きます。
会を維持するための会費は徴収しませんので参加案内への返事が途絶えるとコンピュータ管理の案内状発送名簿(会員名簿)から名前が抹消されます。
例会では丹沢周辺の登山の歴史、山の自然や登山に関連する会員の専門分野の話また海外登山の報告などについて会内外の講師をお願いし30分程度の宴会前の講演があります。
この講演内容は次の例会でパンフレットにされて参加者に配布されます。
幹事の高齢化(?)で沢登りが減ってしまったのは残念ですが、翌日の山行は老いも若きも一緒になって(ベビーはパパの背中で)、時には2班に分かれて宿泊地周辺の山へ登ります。
丹水会では10周年記念誌「丹水」、15周年記念誌「丹水2号」、20周年記念誌「丹水3号」、2006年4月に25周年記念誌「丹水4号」を発刊しています。内容は丹沢に関する記事を中心に構成され、例会時の講義録も巻末にまとめて掲載しています。
表示は例会回数、開催日、講師名(第8回例会より)、山行の順です。
1981年7月16日、中華「謝謝」(神奈川県厚木市内)にて発起人会の開催
第1回例会、1981年11月 7日、伸光館 (清川村煤ケ谷)、宮ヶ瀬越え 登山
第2回例会、1982年 6月12日、箒沢山の家(山北町)、檜洞丸
第3回例会、1982年11月27日、ロッジ峠 (秦野市大倉)、源次郎沢(沢登り)
第4回例会、1983年 6月25日、丹沢ホーム (清川村札掛)、塔ノ岳
第5回例会、1983年11月26日、ロッジ峠(折井健一氏追悼集会)、水無川本谷(沢登り)
第6回例会、1984年 5月26日、寄小屋(松田町寄)、滝郷沢(沢登り)、雨山峠-檜岳-秦野峠
第7回例会、1984年11月17日、清流荘(山梨県道志村)、菰釣山、菜畑山−秋山峠
第8回例会、1985年 6月15日、ロッジ峠、石川治郎(横浜山岳会)、モミソ沢(沢登り)
第9回例会、1985年11月16日、大川楼(秦野市)、宇山幸治(秦野山岳会)、葛葉川(沢登り)、三ノ塔登山
第10回例会、1986年 6月 7日、東学坊(伊勢原市大山)、ハンス・シュトルテ(栄光学園)、大山川(沢登り)
第11回例会、1986年11月 8日、箒沢山の家、鳥居亮(幾徳工業大学)、オンダシ沢(沢登り)
第12回例会、1987年 6月20日、どんぐり山荘(大倉)、松尾良文(神奈川県庁山岳会)、水無川(沢)-塔ノ岳
第13回例会、1987年11月28日、世附キャンプセンター、近藤信行(日本山岳会)、不老山
第14回例会、1988年 5月14日、丹沢観光センター(清川)、澤村幸蔵(日本山岳会)、早戸大滝
第15回例会、1988年11月19日、山中湖高原ホテル、北原正宣(東京農業大学)、石割山
第16回例会、1989年 5月27日、桐花園(藤野町)、生藤山
第17回例会、1989年11月18日、寄小屋、大森薫雄(神奈川県立厚木病院)、鍋割山
第18回例会、1990年 6月 9日、箒沢山の家、佐藤松雄(箒沢山の家)、大室山
第19回例会、1990年11月23日、大倉山の家 、山岸猛男(尊仏山荘)、塔ノ岳
第20回例会、1991年 5月25日、清流荘、森武昭 (神奈川工科大学)、鳥ノ胸山
第21回例会、1991年11月16日、丹沢荘(中川)、渡邉玉枝(神奈川県庁山岳会)、権現山、畦ヶ丸
第22回例会、1992年 5月30日、丹沢ホーム、片岡博(日本山岳会)、丹沢山
第23回例会、1992年11月28日、松葉(道志)、堀井昌子(神奈川県ガンセンター)、御正体山
第24回例会、1993年 5月29日、滝沢園(秦野市戸川)漆原俊(秦野山岳会)、葛葉川(沢登り)、三ノ塔
第25回例会、1993年11月27日、平成館(寄)、シダンゴ−高松山
第26回例会、1994年 4月16日、八戒荘(中川)、日本山岳会・自然保護シンポジウム、ブッツェ平(日影山)
第27回例会、1994年11月26日、リバーランド(清川)、山口次オ、大山三峰山
第28回例会、1995年 5月27日、光荘(道志)、錦織保清(日本山岳会)、畦ヶ丸
第29回例会、1995年11月17日、中川荘、近藤信行(日本山岳会)、権現山
第30回例会、1996年 6月 1日、平成館、川崎精雄(日本山岳会)、秦野峠−檜岳、雨山峠-檜岳-秦野峠
第31回例会、1996年11月30日、武田旅館(大山)、高田真哉(日本山岳会)、大山、大山−南尾根
第32回例会、1997年 5月31日、藤野芸術の家、古谷聖司(神奈川県庁山岳会)、石砂山、石砂山−石老山
第33回例会、1997年11月15日、丹沢荘、岩田傳三郎(みやま山荘)、大野山、畦ヶ丸
第34回例会、1998年 6月13日、光荘、渡邊恒美(神奈川県庁山岳会)、菜畑山
第35回例会、1998年11月29日、ろうきん富士センター、渡邉玉枝(神奈川県庁山岳会)、三国山・湯船山
第36回例会、1999年 5月22日、相模湖クラブ、紅葉淳一(神奈川県庁)、堂所山−城山、堂所山−高尾山
第37回例会、1999年11月27日、仙口(寄)、花立昭雄(尊仏山荘)、櫟山・鍋割山、櫟山・大倉
第38回例会、2000年 5月27日、鶴屋(青根)、テーマ別座談会、大室山、鐘撞山
第39回例会、2000年11月25日、大倉山の家、岸順之(神奈川新聞)、 三ノ塔・表尾根、小丸・表尾根
第40回例会、2001年 6月30日、光荘、大森薫雄、今倉山
第41回例会、2001年11月30日、世附ロッジ、泉 久恵、不老山
第42回例会、2002年 6月22日、ユーシンロッジ(玄倉)、山口 喜盛(丹沢湖ビジターセンター)、大石山
第43回例会、2002年11月23日、武田旅館、 、大山
第44回例会、2003年 6月14日、仙口、植木 知司(横浜山岳協会顧問)、シダンゴ山・宮地山
第45回例会、2003年11月22日、ろうきん富士センター、山本正基、矢倉岳
第46回例会、2004年 5月22日、桐花園、分水嶺踏査参加報告、陣馬山
第47回例会、2004年11月 6日、ろうきん富士センター、柳澤須佐男、金時山
第48回例会、2005年 6月 4日、文覚荘、古川純一(日本クライマーズクラブ、元「ジャヌー」店主)、大野山
第49回例会、2005年10月29日、バラギ高原ロッジ(群馬県)、中央分水嶺踏査、四阿山
講師の所属の記載については複数の場合は日本山岳会を省略している場合があります。
記念誌について
丹水会では創立十周年にあたる1990年から5年ごとに記念誌を作成してきました。
記念誌は丹沢や山岳に関する記事、幹事会員の追悼文、会員参加のページ、毎回の例会での講演の記録を載せています。
ここでの内容紹介はタイトルと筆者を記載しています。
「丹水」 B5版255ページ 発行1990年11月23日
「丹水 第三号」 B5版211ページ 発行2001年 2月 3日
内容紹介はタイトルと筆者を記載しています。
「丹水第四号」が完成
昨年秋に会員・会友の皆さんにお願いして原稿をいただいた25周年記念誌「丹水第四号」ですが、幹事の泉久恵さん、三好まき子さんのお骨折りで上梓されました。
頒価は一冊 2,500 円です。
「丹水」の残部はありません。「丹水第二号」「丹水第三号」の頒価は一冊 2,000 円です。購入希望は事務局までお申し出ください。二〜四号とも送料手数料は別途申し受けます。
49丹水会例会報告
49例会は10月29〜30日、「中央分水嶺踏査」のため、丹沢を離れて群馬県嬬恋村バラギ高原ロッジを会場とした例会でした。
会場が遠かったのと開催時期が通常より早めだったので例会参加者は23名と少なめでした。
今回の例会では、登山道が中央分水嶺上を通っている四阿山東方の尾根を参加者全員で歩き、未確認だった四阿山頂の三角点の方位を確認、丹水会の中央分水嶺踏査を完結させました。
例会後、参加者全員の名前を記載した報告書を日本山岳会の中央分水嶺踏査実行委員会に提出しました。
日本山岳会百周年記念事業国内登山「中央分水嶺踏査」の取り組みについて
2005年秋、49例会での山行をもって、丹水会の「中央分水嶺踏査」分担区域の踏査を終了しました。参加の皆様お疲れ様でした。
丹水会の「中央分水嶺踏査」担当区域は、上信国境山田峠から鳥居峠の間で、一部を除き登山道が無くチシマザサなどの密生地帯です。仕事も現役ですと「楽しい藪こぎ」に時間を費やすことはできません。積雪期に地元出身の幹事を中心とする『若手?』グループで登山道のない箇所を踏査しました。
報告書は日本山岳会のホームページに掲載されています。
最終踏査には、「中央分水嶺踏査」実行委員会の事務局長や記念事業としての分水嶺踏査発案者も加わっています。23名もの参加は首都圏の中でも群を抜いて多く、また報告書には年齢の記載はありませんが、この丹水会例会での最高齢参加者は全国での踏査参加者の中でも、最高齢に限りなく近いのではないかと推察されます。
「中央分水嶺踏査」は2006年6月に最終踏査が行われ、全て終了します。日本山岳会では現在各支部から寄せられた報告を纏めています。丹水会でもこの全体記録用の報告書の提出を済ませました。
丹水会25周年記念パーティの報告
2006年4月23日、厚木アーバンホテルにて丹水会25周年記念パーティが開催されました。
丹水会の参加者は55名でした。来賓として日本山岳会から田邊壽副会長、49例会講師の古川純一さんにお出でいただきました。
古谷代表幹事による「丹水会25年の歩み」と題するスライド上映があり、参加者は懐かしい顔、若かった自分と対面、あらためて25年の長さを振り返りました。
また、25周年を期に古谷さんが事務局代表幹事を引退することを自ら表明、これまでの活動をねぎらい感謝状が渡されました。
参加者には25周年記念誌「丹水第四号」が配布されました。
今後の丹水会例会について
25周年を期に古谷さんが事務局代表幹事を引退することを表明したことにともない、幹事会では50例会以降の例会のあり方を検討しています。
25周年記念パーティで古谷さんが「新しい酒は新しい革袋に」「例会はしばらく休んだ後に再開します」とご案内したように、幹事会では新しい例会方針が決まるまでは『丹水会充電期間』を設けたいと考えています。
会員・会友・同人の活動
大森 久雄さん 平凡社ライブラリー「野中至 野中千代子|富士案内 芙蓉日記」を編著
会員の大森 久雄さんが平凡社ライブラリー「山 紀行と随想」大島亮吉に続き、「野中至 野中千代子|富士案内 芙蓉日記」を編著出版されました。
一般には新田次郎の「芙蓉の人」で知られる野中夫妻の富士山頂気象観測の記録です。今では気象衛星での観測でその役目を終えてしまった富士山測候所ですが、野中夫妻の努力は国による観測所設置の先駆けとなりました。
お奨めは、巻末の編者注と解説(本文はもちろんのこと)です。
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