トリノの聖骸布
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この写真では正面像だけだが、背中側の像も
ひと続きの布に写し取られている。
十字架に磔(はりつけ)にになった「キリストの遺体を包んだ」とされるが、イタリアはトリノの洗礼者ヨハネ大聖堂に保管されている。(所有はバチカン)

縦4.36メートル、横1.1メートルのリネンの布で、日本では聖骸布(せいがいふ)と呼ばれている。

聖骸布に残る男性の像がキリストのものであるとされる証拠は…
  1. 手首や足に釘を打たれたような傷がある。
  2. 右肩に十字架を背負ったと思われる傷跡がある。
  3. 頭にイバラの冠でつけられたような傷がある。
  4. 背中に鞭で打たれたような傷跡がある。
  5. 脇腹に槍で刺された傷がある。
  6. 布からイスラエル周辺にしかないはずの花粉が検出された。

といったものである。

しかし、1988年に実施された炭素14による年代測定によると、聖骸布は95%の確率で1260年から1390年の間に作られた中世の作品だとされた。

これは聖骸布が歴史に唐突に現れた年代と一致している。

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聖骸布には血痕が残されており、1978年の
科学調査の結果、人間の血液でAB型であ
ることが判明した。


聖骸布に現れている男性像はネガ像で、左の写真は上の像をモノトーンにし、ネガ/ポジを反転し、見やすいように少少加工したものだ。

布への像の転写は、顔料で行われておらず、布の繊維内で色の変化が起こっているのは、表層の5〜6ミクロンまでで、その奥は変化していない。顔料や染料なら、もっと深くまで色が変化しているはずである。
また、像自身に左右のゆがみが非常に少ない。

この像は、なんらかの方法でリネンの布をフィルム化し、遺体(か、生きた人間)をキリストのように扮装させ、炎天下で数日かけて感光させた写真ではないか? といった説が最近主張されている。

しかし、14世紀には写真技術などなかった。

ダヴィンチが、針穴で野外の景色が上下逆転像になることを説明したのは、聖骸布が現れて130年もたってからのことで、ルイ・ダゲールが今日的な写真術を確立したのは1839年になってからだ。

一体どのようにしてこの聖骸布を制作したのか、まだ謎である。
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これはキリストの顔なのだろうか?

サレジオ修道会のガエタノ・コンプリ神父は、
「聖骸布は、信仰上なくてはならないものではありません。これが偽物でも、私たちの信仰は何ら変わりません。でも、これが本物なら、キリストのご受難を具体的に示す貴重な遺産であり、信仰の助けになるものです。だから研究を続ける価値があるでしょう」
と語る。


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