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路地の魅力 「魅力の理由」

私の祖父は大変な地図好きで、鎌倉の細い路地をオートバイ(カブと呼ばれていた)でくまなくめぐり、地図と比較することに凝っていた。
地図と実際の道が異なっていると出版元に文句を言ったりもしていた。

次に私の父は山岳部出身で、道なき道をゆくのが好きである。
私は小さい頃から鎌倉の裏山につれていかれたものだ。父は「これはケモノ道だぞ」とかいいながら、背丈ほどもシダや笹なんかが茂った場所を半ば強引につきすすんでいった。虫が嫌いな私はかなり怯えながら歩いていたのだが。

そんな血を受け継いだのか、気が付くと私も知らない道をうろうろするのが好きになっていた。
表通りを歩いていて、ふと横をみると車の通れないような狭い路が目に入る。その両脇に感じのよい生け垣なんかがあると、ついすーっと引き込まれてしまうのである。で、そんなくねくねしたわき道を楽しんで歩いているうちに、お気に入りの道ができるようになった。

いわや小路

ただ感覚で、この路歩いていると気分がいいなあ、ああ、この辺りの雰囲気とてもいいなあ、などといったようなものであったが、
後になって、そのように自分で「いい路」と感じたところは、それなりの理由があるのを知った。
そういう道は、鎌倉時代から続く古い道で、細いながらにキチンと名前が、ついていたりするのだ。そして近年も数多くの文人たちが好んで周囲に住んだりしている。長い年月にわたって、その道を歩いたであろう人々の歴史、生活、思いなんかがミックスして染み付いていったのだ。

彼らが踏んだその同じ地面の上を、靴底で感じながら、もう目では見ることのできない当時の道の姿を想像したい。

 
     
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