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14, 2003年7月29日(号)『とどけ北京へ』 |
於 渋谷 ウィメンズプラザ視聴覚室 午後6:30〜8:30
大都会渋谷の場所も建物も素晴らしいのに、ウィメンズプラザにプロジェクターがなかったことや、音響装置のメンテナンスが十分に出来ていなかったことは今回の最大の弱点でした。それでも、29日に向けて全国から届く暖かいカンパや支援の声に、がむしゃらに準備を進めてきた私達でした。迎えた本番で、やっぱり危惧した失敗があっても、落ち着いて待っていて下さった、きっかり50名のお客様達には感謝あるのみ。無事終了まで、支えてくださった全国の皆様にもスタッフ15名と共に心からお礼申し上げます。写真付き記事を御覧になりたい方は 第1部 CDR「雑踏に酔う」より アムール、黄河、長江、メコンの4つの大河。中国の大地に中国の川がある。それぞれの中国の大地の色に染まりながら、それぞれの中国人の気質や大地を象徴し、代表しながら流れていく。川を見るために中国に行って頂きたい。中国へ行ったら川を見て頂きたい。 死者の55%に当たる192人が北京在住者。 @北京取材班(インタビュアー:CRI王小燕アナウンサー。日本人女性ディレクター制作) A中国青年報東京支局長 蘇海河氏挨拶。 今日の集いに感動している。3月の末頃から記者は取材を始めていた。その後すぐ16面の半分である8面がSARSの記事で埋まるようになっていった。写真1枚が語るものは大きい。賀カメラマンは防護服を自分で集め、自分で病院の寮へ泊り、医者と一緒に行動した。薬代、治療代は家族で1人ぐらいの発症の場合は親戚からかき集め何とかなるが、姚家の場合はなす術がない。 B中国国際放送局東京支局藍暁芹記者挨拶。日本語部長メッセージ紹介。 <会場からの質問> <寄付金の最終報告> SARS医療支援 とどけ北京へ チャリティ 会計報告
(単位:円) 2003年 9月 8日 がま口塾代表 坂東弘美 <主催者挨拶> 本日は、最後まで見守っていただき、心から感謝します。SARS期間中、北京や他の中国の地域に在留した邦人のことも忘れないでいたい。中国にいた人達が帰国勧告に従って日本に帰った時、私達は十分に受け入れる体勢をとっていたか?なるべく近所に来て欲しくないと思う、私達日本人自身の心の問題も忘れてはいけないと思う。これから日本でも中国でも、こういうことが起きた時に、私達は、お互いに助け合って克服していくことを学んだ気がする。今日は日本だけでなく、北京でも見守ってくれている多くの人達に対する感謝で言葉にならないほど。有難うございました。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 スタッフ紹介。高橋(会計・レタリング)三浦(器機音響、照明)大日方(受付)公事・衛藤(物品販売)木下(会場・受付)陳(タイム管理)ツ(ビデオ)広瀬(PC・PJ関連)加藤・深井(手話通訳)馬渕(司会)和田(名札・募金箱)後藤(デジカメ・会場)坂東 |