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23,2004年5月27日(号) 『旅に出る訳』 |
申し分のない天気。扇を5~6本用意しておいたら、良く活躍しました。インターネットでがま口塾のホームページに辿り着いて初めて来た人など、3人のニューフェイスを入れて、今回もよく笑った9人でした。最後は黄泉路の旅の話になったのは、自然のことなのでしょうか。一人で生まれて一人で死ぬまでの旅が人生ということでしょうか。人生の旅人達のがま口塾名物、言いたい放題をお届けします。 ●旅に出るって程の大袈裟なことでないんだけど、子どもが3歳と1歳の時に、夫の親とも色々あったりして、傍にいる子どもが何か言って来ても「煩い、あっちへ行ってて!」みたいになっちゃって、とにかく一日でいいから、この状況から離れてどこでもいいから行ってみたいと思って、妹のところへ行って、次の日に帰ってきた。全く光が見えなくて「子どもももうじき大きくなるよ」と言われても、さ中にいる時は見えない(分かるよ!)(家出に近い旅ね)そう。その時の旅しか思い出せない哀しい私。(笑い) ●今日も私にとっては旅。初めての所なので冒険。到着してご近所の方に道を聞いていたら、親切に教えてくださり、分かったからもういいと思うのだけど、親切に「ここだよ」と(笑い)。私は、宿泊するようなのだけが旅という訳ではない。 ●市内だが、ハーハーフーフーここまで来るのは旅。(おいおい!)現実逃避、非日常に変わるのが旅だと思う。地図を見るのが好きで近い所にはちょくちょく行く。地図を見るとここはどうなんだろうと頭の中に夢が膨らむ。島に憧れる。ツアーではなくて、何もない所で行って、そこで何かを見つけてくるのが好き。(一人で行くの?)場所によっては。京都までは一人で行ける(笑い)最近は夫と一緒。(じゃ、現実と一緒じゃん)(爆笑)すごいつっこみ。(笑い)現実を引きずるけど(場所が変われば・・・)でも、3日ともたないね(笑い)(分かります) ●今、生活してるとか、今仕事をしてるってことが旅に出ると関わらなくていい。「旅に出る訳は?」って聞かれたら「現実を考えなくていい」というのが誰にも当てはまるのではないか。子どもがまだ小学生の頃、2週間くらい旅をした。帰ってきたら何も変わっていない。家が汚くなったりもなく、子どもが「何で行くの?」とも言わなかったので味をしめた。『行っても行かなくても家は同じ』と。 ●個人的なこと聞いて申しわけない。そういう時、ご主人は理解ある? ●一緒になった時から全て自分でやるというのが当たりまえという形だった。旅から帰って来ると米も味噌も確実に減っているから『これはちゃんと作ってたな』(ほーう!)おみやげもほしがらないので精神的に非常に楽。 普段はちゃんとやってるから、旅は間違いなく現実逃避。リフレッシュできる。豪華なのは嫌で最小限の旅。 ゆっくりも嫌で、行ったからには朝から晩まで(貪欲に!)決めた予定はこなす貧乏旅行。 ●目的のある旅はいっぱいしている。父の記録に従って中国での戦跡を訪ねる旅。何も決めないで行くのが大好き。電車でどこで降りるのかも決めていなかった。記録にある駅名があったら、そこで降りようということにした。特急電車の中から見た、サッと通り越したのが探そうとしていた目的の土地の名前だった時は感動した。次に電車が停まった所で降りて、ホテルを探して宿泊、辺りを1週間旅した。 本当に人生が嫌になった時、ある日、「今からちょっと出かけます」ってミニバイクで潮岬まで一週間の旅。(うえーっ)(まさかあ)(50cc?)はい。産業道路通って(信じられなーい)スカーッとした。夫は「ああ、どうぞ」って感じ。(信頼されてるんだね)はい。(爆笑) 中国もいっぱい旅行したけど、どうして旅にでるかって言うと、自分を見つけたいのだと思う。どこかで違う人に会ったら違う自分に会えるのではないかとか、いつも『これはほんとの私じゃないよ』って思ってるから。今でも思っている。(うんうん) 深夜の12時にバスに乗っていても、2時に終点に着くのに泊まるホテルが決めてない(怖いよねえ)。怖いけど、明日になれば私は、生きてればどっかに泊まってるわと思う。すっごく楽しいけど、戻ってきたい所はある。お金がなくなるとね。(笑い)(帰って来ると、だいぶ自分が今までと違うよね)そう。リフレッシュできるね。 9日間自分達以外の人間に会わないという旅をした時も、こういう世界があるのだと。今までゴチャゴチャした所で人にどう思われているかとか、結局は人間関係なんだよね。あれは何だったのかと目覚めて帰ってこれる。新しい自分に会いたくて旅に行く。かっこいいね。拍手!(爆笑拍手) ●私もそろそろ余生を送ろうかと(笑い)真剣に考えている。離婚する勇気も経済力も無い。お互いにいい関係にしようと努力している状態だが、私が旅に出る訳は夫孝行。(えっ!?)夫は職場で海外旅行に連れて行って貰ったのがきっかけだが、海外旅行は一人ではちょっと面白くないみたい。日本は夫婦単位が多い。何か私を添え物にしたいらしい。マイペースの方なので、私にはこれが忍耐。(じゃ、旅でストレスをためちゃうんじゃないの)だから、夫を理解する旅になる。1週間が限度。3日ぐらいがちょうどいい。 ●よくわかる。朝からずーっと一緒なんだよね。お風呂に入る時だけ別々。(意味ないよね) ●お互いに自分が出ちゃって、ぶつかるんだよね。 ●旅で意外な面を発見する。(じゃ、いいじゃない)いや、良くない面をみて、怒らずにこういう人なんだなと諦める。偉いでしょう(拍手)(爆笑)帰ってくる度に自分にご褒美。 ●旅から帰って来ると、ご主人はご機嫌がいいの?(ええ)じゃ、旅のしがいがあるね。日本で一般的に言う、だんなさんが家族を連れて行くという意味の家族サービスとは反対の意味の家族サービスね。 ●2人で行くと、旦那の株があがる。奥さんによく尽くしているなと。期間が長ければ長いほどそういう評価が得られる。してやったという。ついてこない奥さんもいるらしい。(へーえ) ●一緒に行ったら、それなりに楽しまなくっちゃ損だよね。 ●海外なので、それなりの楽しみ方は少しはあるね。(でも奉仕の度合いが強い・・・)でも、あんまり我慢が出来なくなると私は黙る。黙ると向こうもちょっと・・・。 ●旅が大好き。独身の頃は海外に行ったことがない。日本中旅をした。旅に出たいと思う時は、かっこいい言い方をすると傷心。心も体も疲れちゃって、どこでもいい。どっかへ行って早くその重たい荷物を下ろしたい。リフレッシュして新鮮な空気吸って、綺麗な自分に返って、又現実に戻る。 結婚して新婚旅行に行った。主人は普段も黙っている人だが、海外へ行ったらよけい黙っちゃって、英語も喋れなくって(笑い)、私も喋れないけど何とかしなくっちゃと思って、10日間行ったけど、ものすごく疲れちゃった。(笑い)ツアーを組めば楽だけど、かえって時間に追われちゃって、いつもと変わりなくなっちゃうんで、それだとつまんないし、異国の空間は日本と違うものがあるので、あえて、添乗員さん、ひとりだけ付いてもらって行った。それでも、どうしても英語が付いて回るので、こういうもの飲みたいという一言も、夫に「言ってよ言ってよ」って言うんだけど、「分からんから」(笑い)「アイウォントディス」」だけ言ってジュースを買って飲んだ事がある。(笑い) 何をするわけでないけど、自然の空気を吸いたい。もっと広くて開放的な所に行きたいと思う。よく主人と行くのは、ひるがの高原の「牧歌の里」や伊賀などの日帰り旅行。私もどちらかと言うと主人とはあまり行きたくない方。(笑い)(なんだろう、これ)嫌じゃないけど、彼は自分が気持ち良くなりたいために行こうと誘う。行くんだけど、ほとんど会話がない。どこかにお店があって見てこうと言うと、「うん。見ておいで」って自分は煙草を吸って目の前の景色を見ているだけ。何で一緒にお店に入って見ないんだろうと・・・この10年間ずーっとそうだった。(そうとう年季が入ってるよー)(爆笑) 1人の旅は東京まで。以前東京で歌を習っていて、年に1回発表会があるので、先生のご好意で参加させて貰う時の旅ぐらい。最初は2泊3日だったけれど、ちょっと味をしめて、だんだん日を延ばして行っている。 夫は何もしない人なので、茶碗も洗ってない。コンビニのご飯を食べてそのまんま。出して貰ってるんだから文句言えないかなと思っている。地元の人間でないので、近場でも私は行った事がない所がけっこうある。本や雑誌を見ながら、今度はここへ行こう、あそこへ行こうと冒険心はある。1人で行くと寂しい所は調節しながら。 ●旅、大好き。青春切符の大ファンで、青春切符の時期になると、時刻表が見たくなって、もう普段の電車は乗れなくなる。最初は1人でよく行っていたけど、この頃は友達と3、4人で春・夏・冬と楽しんでいる。(秋は?)(爆笑)(青春切符は秋がないの)(あーっそう!)60過ぎでもいいのってよく聞かれるけど、年寄りが多い。快速しか乗れないとか色々条件があるから、時期になるとそういうグループが大体同じコースになって、あの人たちもそうだって分かる。 昔はユースホステルのグループ活動をしていた。(古いね)(笑い)その頃は盛んだった。(印鑑押してらってね)そうそう。スタンプ集めるのが楽しみで。今は時刻表に合わせて楽しんでいる。私も1人の方がいい。(爆笑) いつも1人じゃ悪いと思って夫を誘ったことがある。でも、道中会話がない。(笑い)無口な人。それでも長い間やってきて慣れちゃっていいのだけど。1人も平気、傍にいて黙っていても平気。会話が、こういう場のようにスッといかない。青春切符のグループ旅行がいい。空気みたいな存在でそれぞれが自由にやっていて良いのかなと思っている。 ●さっきのグループ活動ってどういうの?(わかんない?)(知らない?)(安い所で知らない人が一緒に泊まるの) ●ユースホステルは今でもある?(あるよ。でも少しだよね)(今でもグループ活動はあるの?) ●泊まった人が色んな面白い事やったりゲームしたりするの。 ●支部があり、その下にグループを作った。その当時愛知県で16グループがあった。今はほとんどが消えた。主人はXグループのリーダーで、私はYグループのリーダーだった。(それで知り合われたの?)(同じ趣味をお持ちなのね)(笑い)1年に1回山荘でフェスティバルがあった。ユースホステルに泊まるだけてなくて、ハイキングしたり、サイクリングしたりの活動もした。(あ、サークル活動みたいなの?)(笑い)(だってイメージわかないもん) で、そういう風に出会って、お互いに想う人に想われずで(爆笑)(その話の方が面白そう)。 主人は、私と私の友達の2人に手紙を出して(二股だあ)私の返事が友達より1週間早かったので・・。それで3ヶ月で結婚しちゃった。お互いに良い所ばかり見ていたので、後が大変だった。(旅で知り合うなんていいじゃない)ユースホステルって自分の事は自分でする(規則があるね)。ってお互いに思うでしょう。外面だけしか見てなかったから。リーダーって外から見ると良く見えるもの。 友達にユースホステル結婚式をしてもらった。(えーっ)(どんなの?)あの当時、深夜番組で、「オウバッチラー」っていう番組があった。それに主人が変わった結婚式をしたいと応募していた。二組あって1つのカップルは裸の結婚式。(えーーーーっ!)要するに水着を着て、プールで結婚式をするの。(笑い)副賞が香港旅行だった。(いいなあ!)テレビ番組向けに山荘で三々九度をするって感じの式。テレビのために友達にわざわざ山行きの格好をしてもらって。1000円の会費制の結婚式で、副賞狙い。(けっこう楽しい人生ね) そういう結婚式をしちゃったので、離婚できなくなった。)(全国放映じゃ、ちょっとねえ)(笑い) ●夫の両親と同居してからは、全く現実逃避の旅を好むようになった。今も80代の舅を抱えているので、時間との闘いで焦っている。看病が必要になる前に、やりたい事、行きたい所、心置きなくやっておきたいと生き急いでいる自分。自分に何が必要か問いかけて選択して旅をする。現実逃避の旅、まずは実家へ行く。1人で海外へ行く勇気がまだない。日本では日帰りの一人旅はしている。現実逃避の旅はオンリーワンで。誰かと楽しみたい時は友達とツアーでと使い分けている。 実は、子どもが3歳くらいの時に、「三枝の国盗りゲーム」に出てチャンピオンになってしまった。(えーっ)ご褒美が10日間の海外ツアーの旅。(わーっ)(すごーい)その時が初めての海外ツアーの旅だった。夫を説得して、子どもを私の母に預けて10日間旅行した。(どこへ行ったの?)オーストラリアとクアラルンプール。(あーあ!)それで、海外へ行く事がこんなに自分を解放してくれるものかと味をしめた。日本の今までの旅とは全然違う自分を発見した。その後、中国へツアーで行くようになった。 夫孝行で結婚20周年でどうしても私と行きたいと誘われてしまったので、しかたなく8日間の海外旅行に出たら、もうストレスの塊になってしまった。(笑い)もう二度と私は夫とは行かないぞと決めた。ただし、おじいちゃん連れての温泉の1泊旅ぐらいはしている。来年は30周年なので、夫は又言ってくると思うので、上手にかわして費用だけを頂こうかなと(爆笑)来月は北海道の実家に行く。おじいちゃんがヨロヨロとでも歩いているうちに、急いで旅行している。 ●見たいものが夫婦でも違うからね。(違う違う)価値観の違いは)どうしようもない事。貴方は貴方で行ってらっしゃいというのが一番いいこと。私達は長崎と東北が実家。子どもが小さい時はあっち行ったりこっち行ったり大変だった。大きくなったら、ダイビングがしたいから沖縄に行くと言えば、じゃあ、1人で行ってらっしゃいって感じ。行動が違ってくる。何も言わないし支障もない。 ●宿も決めずに無鉄砲に旅をするってことだけど、分析すると、人間ストレスの極致にいくと生死の境を超えるようなものを自分に求めるところがあって、姑を4年間看た時、我が家の13階から下を見た事がある。死を覚悟するくらいの事がやりたくなって、全然今までの自分ではない自分になってしまってダイビングのライセンスを取ってしまった。さっきの話も自分を追い詰めたいという自虐的な旅じゃないのかな? ●ないないない!(笑い)私は違うよ。あなたはすごく真面目だよね。 ●鬱になった時、私は荒治療をする。落ち込みをもっと深くして這い上がらざるをえなくする。そして浮上する。(ちゃんと下を見ちゃうのね)(どこが底だか分かんないじゃない)(笑い)自分が生きていく中で自分を見続けて、自分を知る。(そんな冷静でいられないんじゃないかなあ)けっこうクールな自分がいて、自分を見てる。 1年の半分は私は冬眠する。今の私を見てると、11月頃の私は別人。(冬とともに)枯葉がハラハラ。人に会いたくない。喋りたくない。家にいたい。(冬のアナタだ)そういう自分を分かった時、自分とのうまい付き合い方を知る。自分のリズムに乗るのも辛いけれど、春を待てるので、暗くない。冬眠は充電期。 ●じゃ、旅行は絶対必要ね。 ●はい。お金は天下の回り物だから、どうにかなる。ストレスを解消した方が家族の為にもなる。舅を看なくてはいけなくなるし、自分の心身をいい状態にしておくための事は許されるかなと自分に都合のいい解釈をしている。 ●旅行したら、3ヶ月くらいはやさしーい気持ちになれるよね。(なるね)(笑い)1年に2~3回は行かないとね。海外旅行はちゃんと計画を立てて、頭にルートは入っている。スイスのバーゼルからドイツのある所に行く時、そんな所はないと言う。「地球の歩き方」を見せてもそんな所はないから切符は売れないと言う。ついに汽車の中で買ってくれと言われて、乗った。何の事はない、国境の、バーゼルからドイツに入ったらちゃんと駅はあると言う。スイスはスイス、ドイツはドイツってわけ。無人駅で、ホテルの場所を聞く人がいない。警察署を探したら英語が通じて、パトカーでホテルまで連れて行ってもらった。ツアーでないと、そういうハプニングは山程ある。 例えば、現実から逃れるために日本人がいない所に行く。やっぱりゆっくりできる。1人や2人の旅行は荷物も全部しょってしんどい。でも、後になってよくやったねってことになる。 ●泊まる宿も決めないって平気なの? ●いや、平気じゃないけど自分を試している。これを解決する自分がいるかなって。解決できなきゃだめだぞと ●1人って泊まりにくくない? ●そう。自殺願望者に思われる。(場所が場所だもの)潮岬に行った時はね。電話帳見て10軒以上旅館に電話したけど、女1人というと、皆満室だって断る。ぶっつけ本番で自分を見てもらう。(とても自殺するような人には見えない)(笑い)そのスリルが何とも言えず楽しい。 ●普通はそう思いながら実行しないもんね。抑える。 ●明るいうちはそのスリルはいいけど、暗くなったら私は怖い。味わう余裕がない。 ●中国の学校に勤めていた時、生徒を10数人つれて列車に44時間乗って広州に着いたことがある。降り立った時は深夜。他にも中国人の教師が2人引率者として同行していて、どうするかと思ったら、客引きのバスに乗って移動してから、降りた所で私達全員に「待ってなさい。先生は今から宿を探してくる」。深夜の2時。日本だったらありえない。先生はまず下見の旅行をして、全てを決めて危険箇所をチェックする。時間は決まってない、旅館は決まっていない。それが普通。だから自分もそうなっていく(慣れた?)そうしなきゃ生きていけないって感じかな。そうすると、違う自分が自分の中から育って出てきて『オウオウ!やってるやってる』。 ●愚痴は言えないから臨機応変にやるってことよね。 ●最低限、生きてなきゃって。日本から救助隊が来たら悲しいでしょ。 ●中国へ行った友人の話だけど、国交正常化何周年かの記念フェスティバルの行事に、お世話になっている先生のツアーに連れて行って貰ったそうだ。日本なら1年前から日にちは決まっているのだけど、むこうはタイムスケジュールが決まるのは1ヶ月前。現地へ着いたら予定はあってもめちゃくちゃになって、踊りを披露する事になっていたのが、突然早く出番が来た。急いでホテルに帰って衣装に着替えたけれど、待ち時間に覚えるはずだった踊りが、その時間がなくなって結局わけの分からないメチャメチャを踊ったとか。 ●だから、メチャクチャの踊りでも、何とも思わない。日本なら恥ずかしいとか、間違えたとか気にするけれど。 ●つれて行った先生が慣れてる人で、パニクってる皆に「大丈夫大丈夫」(笑い)(大陸って大らかね。) ●私も北海道だから、大らかって言われるけど、中国には負けるわ。(笑い) ●その度に落ち込んで自殺していたら、命がいくつあっても足りない。でも、最初の頃は悩む。だんだん色々な事に驚かなくなる。 ●頑張れば自分で出来るとかって自分が変わっていくね。 ●私のような性格は中国に行った方が楽になれるかもね。(真面目すぎるからね)老後は絶対中国。 ●私ははまってない。老後は沖縄(いいよね。沖縄は癒される) ●雅子さんは可哀想だね。自由に旅もできなくて。自由に国際交流ができない。外も歩けない。 ●分かっていたとは言え痛々しいね、皇室に入ると皆。(私達すごい幸せだね)(笑い)(好きな所へ行ける) ●お金の心配はあるけどね。 ●お金は天下の回り物。旅には代えられない。 ●ご夫婦で海外旅行してるの見ると、男の人がタッタッタッと先に歩いて、後ろから奥さんが荷物を持って必死について行くっていうの見ていて『なんでえ』って感じ。普段が出てくるのね。 ●日常がそのまま旅に出るんじゃ、何なの旅って(笑い)何で嘘でも、海外だけでもちょっと優しく出来ないのかと思う。(できないよ、そんなの)(笑い) ●日本からの海外ツアーに一人で参加すると、やっぱりご夫婦が多い。大抵は奥さんが『はーあ』って溜息ついてる。旅で知り合った外国の友人と手紙のやり取りをしていて、最初は夫のことなどを聞いてくるけど、私は夫とは旅をしないので書かないでいると、察知して、もう家族のことは聞かなくなる。向こうも今度はインドへ1人で行くとか書いてくる。あれ、何で1人かなと思って、再会した時に奥さんに聞くと、やっぱり夫婦では行きたくないらしい。(へーえ) 仲はいいんだけど、趣味が違うんだって。(外国でも一緒なんだあ!)旦那さんからも手紙がきて、「妻は今、友達4人とポルトガルの美術館めぐりをしています」等と書いてる。旦那さんがあまりにも几帳面な人で、きちんと計画を立てすぎる。奥さんはそれについていくのがしんどかったんだなって分かった。いつも一緒って言うのは無理がある。どこの国も一緒というのを非常に感じた。 ●私も北京にいた時、夫と息子が来た。だけど、飛行場に着いた時から、「仕事で突発的な事があって本当は来られなかったけど、振り切って来た」ッて言うし、私の部屋では会社にメール打ってる。落ち着かない。(忙しい中を来てくれたんだよ)・・・はい。(笑い)(会社人間は仕事から離れられないのよね)そのくせ「、放っておかれた放っておかれた」って言う。(グッとくるね)こない。放っといたと思う(笑い)男性でも、旅が好きな人は逆に、旅が好きでない奥さんをおいて出かけるでしょ。夫とか妻ではなくて、人間的にだと思う。 ●夫は現実的に仕事があって、休みが取れない。誘えない。でも、とったとして、一緒に行っても夫はお酒が好きで、もう4時や5時からお酒飲んで「ああ、今日は良かったあ」なんて言ってる。私はもっとギリギリまで遊びたい。お酒はいつでも飲めるのに何のために来たの?でしょ。 ●初めての海外旅行の時、ツアーの人たちはクイズの優勝者達や芸能人。芸能人大会で優勝した人ね。今の吉本の社長さんも一緒で、当時は皆独身で若者と一緒だったので、私は自分に子どもや夫がいる事をすっかり忘れてしまった。帰る飛行機の中で、もう帰りたくないと思った。だんだん日本に近ずくと『ああ、帰りたくない帰りたくない』(笑い)皆と別れるのが嫌になって泣いてしまった。10日も一緒にいると、お互いに兄弟のように情が移ってしまって。ルームメイトだった彼女とも今だに手紙のやり取りをしている。もう20年くらい経つけど、あれがなかったら、今の私はありえない。30歳の転機だった。 ●私は飛行機の中で切り替える。明日から仕事、イヤ、午後からって事もあったから。 ●こんだけ遊ばしてもらったから、明日からは・・と最近は出来るようになった。 ●旅は絶対必要だね。() ●そうお?でも、帰って来た時に洗濯機の前に洗濯物がドーンと溜まっていると溜息が出るの。それを見た途端に楽しかった事全部が帳消しになって、こんなことなら・・と思ってしまう。 ●そんなの毎日だよ。今日もここへ来るのに、お爺ちゃんのご飯作って来たでしょ。帰れば、食卓はクッチャクチャ。夕飯の支度にかかる前にそれからやらねばならない。お茶碗は洗ってほしいわあって言ったことあるけど、やらなくなっちゃったから、諦めた。でも、自分も出ているから、ヒフティヒフティで帳消し。自分は出させて貰う代わりにこれは我慢しようと思う。ぜーんぶ帳消しにして旅に出ないって、そんな考え方はダメ。(爆笑)そんな人生もったいないよ。 ●うーん。でも、2年も家空けて、帰ってきたらクッチャクチャじゃないの? ●立派にクッチャクチャ。廊下なんて、歩く真ん中だけ谷のようにへこんで両端は埃の山。(笑い) ●そうだよ。埃ふわふわなんて当たり前だよ。そんな事考えてたら旅行にいけないよ ●ある時、久々に日本に帰って、飛行場にテレビ局が待ってて、迎えに来た息子と感動の対面を撮ることになっていた。でも、何のドラマもなく、淡々と「ああ」って感じなので、家まで撮影に来る事になった。(笑い)(うわーっ)そのまま家に入って貰った。泣きたかった。(笑い)でも、幸せだった1人の生活には代えられない。 ●方法としては、子どもを味方につけるのも手だよ。私も一回目の時は洗濯物の山を見て、「ああ。どっと疲れが出るなあ」とコソッと言ってしまった。(そうでしょう!)でも、次の時は家がピッカピカ。(ほーお!)お台所もピッカピカ。学校へ行く前に全部やったって。食事は5日間、全部作って冷凍庫に入れておいたから(すごーい!) 娘は私のつぶやきから学習した。素直に「有難いなあ!」って言っておくと、次の時、又気を良くしてやってくれるかもしれないなと思って。小さい子も出来るよ。親が思っている程子どもはやりたくないと思っていないよ。 危なくない範囲でお台所するのも楽しいんじゃないか。子どもは結構親のいない時間を楽しんでいるのかもしれない。私達は、自分がいないと大変だろうと勝手に思い込んでるんだよ。実はお母さんのいない空間を楽しんでいるかもしれない。自分に都合の良い様に良い様に考える。(そういうことかあ) ●子供が受験の最中に私は旅行の方を先に入れてた。(笑い)子供たちは私に「あなたがいて、私達の成績が上がるわけじゃない」って言った。関係ないもの。 ●私も子どもの大学受験の最中だった。でも、推薦で旅立つ前日に入学が決まったので、じゃ行ってくるね。 ●何回かやっているうちに子供も「今度いつ行くの?」「今度一緒に行こうね」「自分で行くからいい」になる。 ●旅で、田舎だと、電車が前後で切り離されて違う方向に行く事がある。知らなくて乗って(笑い)全然反対の方向に行ったことがある。2回目の時は通り過ぎてしまって半泣きになった。(爆笑)行くたびにハプニングがある。田舎の終電に間に合わず、派出所で泊まる所を聞こうと思って行ったら、「パトカーに乗って本署へ行きましょう」(えーーーーっ!)。本署は大きいから、色々旅館が調べられるんだと思ってそのまま行った。そしたら不審人物として扱われていたのだった(爆笑)。とりあえず警察のソファで一晩泊まった。(えーっ)(貴重な体験!)警察で世間話をしたり、その地区限定のカップラーメンを食べさせて貰ったりした(爆笑)。次の日は、駅まで遠いからって又パトカーで駅まで送って貰った(VIP待遇だね)。ちょうど通学時間で地元の学生達で電車はギューギューなんだけど、私の周りだけは誰もいない。不審人物(爆笑)。 ●今の話を聞いて思い出した。昔、夜学生だった頃、土曜日の夜、仕事を終わってから、今の夫と、車中2泊の鳥取砂丘の旅をした。朝4時に鳥取について、喫茶店も開いてないので、仕方なく、ブラブラと2人で歩いていたら、パトカーに止められた。家出の心中するカップルに間違えられた。 私は、今、夫とは旅行したくない。日常の関係が出てしまう。見栄っ張りなので、ホテルでもキチンとしてなくてはいけなくて、ヤレ、あれを捨てて来いとか、色々私に指示をする。で、今、何が言いたくて言っているかというと、どうしてあの学生の時は楽しかった旅行が、こうなってしまったのかという事。(何でそうマイナスにマイナスに考えるの?(笑い)(無理して一緒に旅行しなくてもいいような気がする) ●そりゃ、ボーイフレンドとの旅行は行きたくて行ったんだし、楽しいに決まってるジャン。 ●そうそう。だから、永遠には続かないって事だよね。(続かないから老後は愛人と暮らしたい・・・)(笑い) ●旅に行って、朝起きて目の前にパーッと海だったっていうのもいいよね。窓を開けた瞬間、一日が嬉しい。だって、電気をつけなきゃ一日が始まらないって所で毎日生活してるとね、外が開けているっていうのは、本当に旅に出る良さ。それだけで、私は何にもご馳走はいらないと思う。窓の外は海! ●でも、ふと見たら、そこに旦那が・・・(何でそういうふうに話を悪い方に悪い方に戻すのよ!)(大爆笑)) ●旅に行く前までは何だかんだあっても、ここまで来てやっぱり良かったあって思う。(うんうん) ●去年のがま口塾でも話したけど、マンションなので、舅と一階と二階というふうには分かれられない。音から何まで皆分かっちゃうので、解放されたい時に健康ランドへ行く。そうすると一日夕方までひとりでお風呂入って映画見て、美味しいもの食べてリフレッシュできる。そういう方法もあるって、何か彼女をプラス思考に変えてあげたいと思って言ってるのだけど(爆笑) ●そこが真面目なのね、私、彼女の事は放っとく。(爆笑)彼女の人生。どうにでもすれば(笑い) ●ちょこちょこは今までも出てるけど、泊りではねえ・・・。自粛して良い子で家にいるの。 ●こういうふうに言ってくれる人がいて、それが一歩になるかもしれないよ。 ●でも、帰ってきた後の洗濯物がイヤ・・(まだ言ってる)(笑い)(片付ければ終わりじゃん!)(そうよ!) ●そんなふうに考えたら人生つまらないって!(・・・はい)(爆笑)(ちょっと素直になったね)(笑い) ●土地の食べ物を食べたいので旅に出るって話は出ないね。 ●もともと外国の食文化とか言葉に興味があったので、楽しめる所がないかなっと思って探したら、東京にそういう倶楽部があって会員になって、毎月、色々な国の方の家庭料理を教えてもらって楽しむ。名古屋に引っ越してきて、友達に聞いたら、名古屋にもあるっていうから、リトルワールドクッキングっていうのに入会した。講師は必ず外国の方。自分の生まれ育った所の家庭料理を教えてくれる。皆で試食して楽しむ。旅に行けない分、そこで楽しめる。日本は意外と色々なものが輸入されているので、世界のものが食べられるけれど、なんで、外国ではそういうものを食べるのかって聞きたい。インドだったら、何故辛いものばかりたべてるのかとか・・。やっぱり暑くて体がほてってしょうがないからスパイスを効かせて体の熱を下げるんだとかね。そして、その土地だからできるものを神様が用意してくれてるんだとかという話を聞いて面白い。 ●食文化から見えてくるものがちょっとした旅になるんだね。 ●先日は筍の料理。普通に生えている竹が小さくなったような竹の料理。(へえ)講師の皆さんは実家からわざわざ材料を送ってもらって食材を調えて下さるようで申し訳ないって感じだけど。たまには大使館でパーティがあってシェフの料理が楽しめる。 ●今日の結論みーつけた!(何何?)私はこれから一緒に旅行する男友達を見つける!(爆笑)(又難しい問題が出来るよ!)(女友達の方がいいよ!)(わざわざそんな面倒な事しなくていいよ!)(そんな家庭のトラブルを起すようなのはダメ!)(笑い) ●愛人というのは愛する人って言う意味なんだよ。意味は広いんだからね。若い人ととか男の人となんて条件はつけちゃダメだよ。 ●結婚式のための旅は楽しかった。朝鮮族の結婚式なので、皆チマチョゴリ着て座ってやる。式の朝、新郎が花嫁の実家へ迎えに行くのに一緒に行った。狭い部屋に親族や友達がギュンギュンに集まっていて、儒教精神が色濃く残っているから、新郎新婦は座って礼をして次々と親族に挨拶をする。私も親として扱われて、一応祝福の説教をたれて(笑い)、額を床にこすりつけるような深々とした礼を受けた。そのあと、オープンカーで景色のいい所へ写真撮影に行った。冬でウェディングドレスだから、後で聞いたらとても寒かったそうだ。その時はもちろんニコニコしてたけど。(笑い)付いていく車もドアーに風船をいっぱいつけてすごい派手。 ●めったに出会えないけど、そういう目的のある旅もいいね。 ●私の一番悲惨な旅行はチェルノブイリ。暇だったから私が行けただけなんだけど。(放射能汚染の地?)そう。日本人の市民としては初めて現地に入ったので、帰ってから、日本全国に報告の旅。本を書いたからバッグに20冊ぐらいづつ入れて歩く旅。重いよお。(個人の旅?誰かアシスタントがいるの?)いやいや個人の旅。 大変な旅だったけれど、そういう時は目的が一つで、気持ちが張り詰めていて生きがいを持って旅しているから、荷物の重さは問題でない。純粋に自分の為に使っている時間の旅だから幸せだよね。 ●チェルノブイリに行った時は事故現場まで行ったの? ●原発の30キロ圏内は入れない。でも、撮影のカメラとディレクターは入っていった。私は30キロのギリギリのゾーンでも、車から降りないでって言われた。ちょっと降りたけど、よもぎが目の高さぐらいまで放射能の影響で異常生長してるんだよ。(一度汚染されたら何十年ダメなんでしょう?)いや、半減期が何百年という単位。劣化ウラン弾も何億年の単位でしょ。(移動した人もいっぱいいるけど、移動したくてもしない人もいるでしょう) プリピャチという原発で働いていた人たちの町は事故のあくる日に1300台のバスで避難して、そのままその町は今もゴーストタウン。他にも汚染地から移住しなきゃいけない人は何百万人いても、移住場所がない。親戚に行っても汚染してるから嫌われるので、結局究極の選択をして、もとの村に戻って汚染の中で暮らす人もいる。私も現地で出された食べ物が汚染してること分かってるけれど、精一杯のおもてなしをしてくれるから、食べなきゃ悪いでしょ。現地の人たちは、日々、汚染している物を食べないで餓死するか、食べて死ぬかの選択だよ。(うーん) ●義捐金を持って行ったの? ●救援物資やファックス。その頃、ウクライナとの連絡はKDDで繋がるのに3時間かかった。だからファックスを持っていって取り付けてきたの。ココム規制に引っかかって捕まらないかと空港でものすごく緊張した。それからしばらくしてソ連は崩壊した。(行くのに身内の反対はなかったの?)そんなのいつも決めた後に報告する。 ●私はそんなハードな旅行じゃないけど、マッターホルンの宿に泊まった時、変な宿だった。鍵がバーッとそこら辺に置いてあるの。行っても誰もいないので「ハロー!」とか言って、やっと出てきたら、ちょっといなくなるから、鍵はここへ置いといてとか変な事言うの。夜の食堂は工事中だから、外からちゃんと持ってくると言う。私達の部屋から隣の部屋が見える。(へーえ!)ホテルには私達一組だけだった。外は真っ暗で、でも、マッターホルンに月が出て。絵葉書のような丸い月。不思議なホテルだった。 ●変なホテルってあるよね。チェルノブイリへ行った時、春夫さんという人と行ったのだけど、ホテルで一夜明けたら、春夫さんが「夜中に僕の部屋に女性から電話がかかって僕の名前を何度も呼ぶんだよ。どうして分かったんだろう」って気味悪そうに言うの。私、「それってハローって言ったんじゃないの?」(大爆笑)(やだあ!) ●私の父は中国に4年行ってる。そして私が1才の時に亡くなった。父の記憶は全くない。父のアルバムが2冊と昭和15年からの半年の日記だけが残っている。その日記の中で南京とか漢口という地理を見ているので、いつかその地の空気にふれてみたいという思いがある。そういう旅に憧れがある。 ●がま口塾で中国に行かないかという話があるんだけど・・・。(計画してえ!)そんな半年間だけの日記を抱きしめて行く旅もいいね。 ●でも、すごく字が読みにくいので、自分で書き写してね。私の今の生き方とか考え方は父の影響をすごく受けてるなと思う。たまたま近衛部隊に入っていて、226事件に関係したらしい。電信部隊だったが胸を患って除隊になった。それから結婚して、昭和19年4月に私が生まれた。海軍工廠の下請工場にいて軍需部品がなくなったという事件で、取り調べを社長の代わりに受けて拷問された。たまたま知り合いがいて、人格を保証してくれて命が助かった。それから胸を再発。1年病んで33歳で死んだ。それが5月。 6人兄弟の次男だった父は両親が早く亡くなっているせいか兄弟想いだったそうで、末の弟である私の叔父が私と文通し、折に触れて私を心にかけてくれた。その叔父も60歳で死んでしまったけれど、その叔父の生き方がすごく好き。そのお嫁さんがいい人なので行きやすく、私はそこへ青春切符で行くのが楽しみ。(あーあ)先祖様をお参りさせてっていう感じで行くと、兄弟の長男だった人のお嫁さんがまだ87歳で元気だけれと、半分ボケていて誰だったかねえと言う。でも、昔の写真を出してくれるので、貰ってきたりする。父の実家だから、普通なら縁が切れているのに母の実家より縁が濃くて、旅でちょっと近くに来たから寄るねと言って行ける。父はふっと思い立って手紙を書いたりした人らしい。私は父を知らないけれど、父がよくしてあげた人のおかげに私が包まれ、そういう旅を味わえる。母は83歳で元気に主婦をしている。(素晴らしい)(お母さんはそのまま独身?)結局胸だったから、移るということで再婚の話はあったれど、しなかった。 ●私の叔父と叔母が21年に結核で亡くなっている。その頃は土葬が主流だったのに、結核だからって、焼き場まで、父がリヤカーに乗せて行った。それを近所の人たちが障子の陰からそーっと恐ろしげに覗いていたそうだ。当時は結核は恐ろしい病気で、移ると言われていたのだと思う。 ●私は鬱病の時があった。旅行ができるっいうのはまだ鬱病ではない。母がいたから、母の未来を信じる前向きな生き方を手本にして今日まで来られたと思う。 ●今度6月に母を連れて旅行に行く。(温泉?)はい。兄の退職記念旅行。それを母が言い出す。家族が仲良くやっているというのを味わいたいのだと思う。演じるというか・・(家族を確認したいのね)でも、そんな家族旅行は初めて。10年前に両親と姑の3人をつれて旅行した。父はヨロヨロ、姑はオシメパンツ。オシメパンツが足りなくなって、ホテルで乾燥機を母と大探しした。でも、その時の事をとてもとても喜んで逝ったので、一緒に親孝行の旅をして良かったなって思っている。最初で最後になった。道中、老人達の話を聞いてるだけでも難行苦行だったけど。 ●夫の母の遺言で身延山にお墓を立ててほしいと言われていた。その通りにした。山梨県なので、そこへ行くには日帰りはかなりきつい。1年に1回はお墓参りの名目で、日本の各地から姉妹が身延に集合する。ホテルに10数人来れる人だけ来ようと言って泊まる。ある意味、死んだ人のご縁で身内が集合してコミュニケーションがとれるのは有難いかなって思う。お説教も面白い。 ●じゃ、義理の母さんは黄泉の国への最後の旅まで指定して逝かれたのね。 ●私が死んだらこれとこれも入れてね、と言われていたし、全部長男の嫁として守った。でも、本家の墓は函館にあるので、皆を丸く治めるために分骨したのが引っかかっている。そちらも母の義理の姉妹がちゃんと守ってくれている。死んだ後ももめないようにするためには大変。 ●お墓が分かれていても、最後の旅の行き着く所は天国だからいいよね。 ●そういう旅もあるんだね。 ●決して戻らない旅。 ●まだ行きたくないね。 ●だって幸せな晩年が待ってるんだもん。 ●すっごいお金持ちの1人息子さんが亡くなってしまって、ご夫婦は財産を全部処分して、豪華客船を終の住処にしたってのが新聞に載っていたね。 ●死ぬまで豪華客船に乗り続けるの?いつ死ぬか分からないでしょう? ●桁外れのお金持ちなの。船には病院もあるから大丈夫。 ●終わりなき旅。(いいわあ、それ。適当に刺激もあってボケないね。 ●でも、私は旅の終わりはほしいなあ。) ●そんなお金ないんだから、考えるのむだだってば。(笑い) ●でも、色々なしがらみが無くなったら、結局そううことだよね。しがらみがあって、今、ここから動けないって言ってるんだから。しがらみが無ければ私達はどこへ行ってもいいのよ。 ●自分を解放するのが旅でもあるので、最後はそういう自由な生き方をして終わりたいと思っています。 これで結論になったでしょうか。(笑い)(拍手) <手紙・メール参加> ●一言で言うと、日常からの脱出。非日常の世界に浸って日常を忘れるのだ。仕事、家事、世間のしがらみ、全て忘れて、未知の世界への心弾む旅立ち。異文化に触れ、新鮮な光景に感動し、新しい出会いを楽しむ。旅を充分に堪能したら、余韻に浸りながら現実に戻る。そして、元気な日常を過ごす糧にするのです。願わくば、薬効の薄れぬ内に度々旅に出たいのだが・・・。 今春について言えば、前から願っていた角館へ高校時代の友人と3人で行った。武家屋敷と枝垂桜の角館、田沢湖畔のカタクリの群生地、水芭蕉の群生地。いずれも見事で大満足だった。 フランスへは一人旅だった。一番の目的は美術館めぐりと奇跡の伝説に彩られたルルドの町を訪ねること。「奇跡の聖水」を数本小瓶にに汲んで持ち帰り、病を持つ友人と私で分けた。 今月のがま口塾の日はアイルランドのゴールウェイに滞在中。ダブリンへは既に2回行っているが、その他の地域に行っていず、特に西海岸のアラン諸島は学生時代にJ.M.シングの作品を読んで以来、いつか訪ねたいと思っていた所。45年間の夢の実現である。ダブリンでは、14年前の夏休みにホームステイした一家と会うことになっている。当時乳幼児だった姉と弟の2人の子どもがどんなに大きくなっているか、会うのが楽しみだ。外国で知り合い、友人となった人々を訪ねて何年後か、何十年後かに再会するのも、私の「旅に出るわけ」だ。昨秋カナダへ行ったのも、紅葉のメープル・ロードを楽しむためとともに、25年振りにかつて名古屋に滞在時、友人となったカナダ人夫妻を訪ねるためだった。自然の景観も、街も人も大好きである。 ●お金と暇があって、好きなことをしていいよと言われた時、私が真っ先に考えるのは旅行だろう。旅行と旅、ちょっとニュアンスが違う気もするがここでは同じ意味で旅としておこう なぜ旅に出るのか…その時々で目的や理由は違うが、第1の魅力はなんと言っても未知との出会い。本や映像、あるいは人の話などで自分の身近なものとは違った興味深いことを知ると、やはり行って見たくなる。自分の目で確かめたいし、そこに身を置いてみたくなる。 そんな思いで最近出かけた旅が、中米のコスタリカである。 コスタリカは人口約415万人の小さな国。そこで日本とほぼ同じ時期に軍隊を廃止し、軍事に使うお金を教育費に当てていると知りびっくりした。教育費は国家予算の4分の一。それだけでも子どもがとても大事にされていることが分かる。一人ひとりの意見や人権が尊重され、争いがあっても話し合って解決するよう徹底して教育されているという。人々の政治意識が高く選挙の投票率も非常に高いそうだ。また、南半球と北半球のつなぎ目にあたり多くの動植物が生息し環境保護では先進国。映画を見た後読んだ今井通子さんの「緑深き森へ遊学行」という本によって、ますますコスタリカに興味をそそられ、ぜひ行ってみたいと思うようになった。 そんな時この旅行の企画を知り、観光だけでなく視察・交流が入っていることも気に入って申し込んだ。現地に行って、映画で見たことを実際に見、聞き、肌で感じ、体験したい。日本では平和憲法が危なくなっているこの時期、コスタリカでは実際のところはどうなんだろう、平和を守るためにどのようなことがなされているのだろう、そこが知りたいとの思いが強かった。 視察・訪問したのは、国立子ども専門病院、リンコン・グランデ小学校(平和教育推進プロッジェクト実践校)、エスペランサ財団(DVを排除する活動を行なうグループ)、国会、国民解放党の党首および女性国会議員との懇談、CASEM(女性の民芸品協同組合)、モンテベルデガイド協会(スライドを見ながら環境保護に関する説明を聞く)、など。 それぞれの訪問先で、お話を聞き、質問に答えていただいたり交流したりでき、感激した。また通訳の現地在住日本人女性からも率直な話を伺うことができ、コスタリカの素晴らしさ、映画や本で紹介されていることがうそではないことが分かった。それは、平和はまるで空気のようなものと受け取られ、戦争をしない、軍隊を持たないのは当たり前の事、政治家や教師、国民全体が平和や自然を守るために努力をしていること、その要である教育を重視していること、などである。わずか5〜6日の滞在ではコスタリカのほんの一部が分かっただけで、わからないこと、もっと知りたい、もっと聞きたいと思うことばかりであるが、コスタリカという国がぐんと身近に感じられるようになった。そして日本との違いもいろいろ考えさせられ充実した旅であった。 旅の魅力は、もちろんこんな硬い事ばかりでなく、温泉につかりおいしいものを食べたり飲んだりする、くつろぎ・癒しも大きく、そういう旅も大好きである。同じところに何度も行く事もある。それに、一人でボーっと考える旅(現実にはしたことがないけれど)もいいだろうな。要するに、非日常を楽しむことが私にとって旅の最大の魅力である。 (以上) |