がま口塾
がま口塾ってなーに? CDロム・本の紹介
がま口弘美の日記 がま口塾便り

401122日号

『私の好きな詩』

 5人。久々の小じんまりした会でした。5人でも、テーマを決めて話し合うと、こんなにもお互いを揺さぶりあい、豊かな気持ちになるのだという驚きがありました。自分の好きな詩がちっとも出てこないって、思わないでくださいね。人は皆詩人。∞の数の詩が・・・。

●「ぼくは12歳」。これは岡真史君が、12歳、中学入学したすぐ5月に自殺したけれど、書き遺した詩を次の年に両親が出版した。私がこれを最初に聞いた時には歌になっていて、高橋悠治が作曲して中山千夏が歌った初演をたまたま聞いた。詩の存在を知って衝撃を受け、その後自分でも演奏したいと思って、この詩集の歌を何曲かやった。好きとかでなくて、世の中にこんなに衝撃を受けた詩はないと思う詩。

まだ自分が
20代だった時は、真史君に感情移入して読んでいたが、今読み返すと親の気持ちで読んでしまう。違う読み方をする。自分の子供の思春期の時に読んで見たり、時々読み返しては、節目節目に読んできた。死ぬ最後の最後の方の詩を今日は読む。

 

「無題」

にんげん あらけずりのほうがそんをする。

すべすべしていたほうがよい。

でも、それじゃあ このよのなか ぜんぜんよくならない。

この よのなかに じゆうなんてあるのだろうか。

ひとつもありはしない

てめえだけでかんがえろ

それがじゆうなんだよ

かえして おとなたち

なにをだって?

きまってるだろう

じぶんをかえして おねがいだよ

きれいごとではすまされないこともある。

まるくおさまらないことがある。

そういうとき もうだめだとおもったら 

じぶんじしんにまけることになる。

こころのしゅうぜんに いちばんいいのは 

じぶんじしんをちょうこくすることだ。

あらけずりに あらけずりに

「無題」

けりがついたら どこかへさんぽしよう

また くずれるかもしれないけれど

「ぼくは うちゅうじんだ」

ぼくはうちゅうじんだ 

また つちのそこから じかんのながれにそって

ぼくをよぶこえがする

「 ぼくは しなない」

ぼくは
しぬかもしれない
でもぼくはしねない
いやしなないんだ
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから

●もっと聞きたいね。

●いつもこれを読むと冷静でいられなくなる。ごめん。家庭も複雑と言うか、お父さんが在日朝鮮人で、民族問題をテーマにする作家。70年代なので、まだ混沌としていて非常に複雑な立場だったし、日本人の母親が学校の先生をしながら、父親を精神的にも経済的にも支えた。その中の1人息子。親としては、民族問題を絡めて、どう育てるか考えた末に生んだ。この人が自殺した時、民族問題も含めて非常にセンセーショナルになった。

今回、これを読んで、山田かまち・・高校生で自殺じゃないかと言われたんだけど、エレキギターを弾いていて感電死したというのが真相らしい。その子もいっぱい詩を書いていて、すごく頭のいい繊細な子なんだけど、教育の中では、自分自身をそこに溶け込ませられないタイプの子で、高校の時に亡くなったけれど、絵がすごくうまかったので、アッというまに遺作で「かまち美術館」が作れちゃった。お母さんがかまちの思い出を本にしたのは
10数年後。自分自身で整理する気持ちになれなかったというのは、私も母親として、そんなものだろうと思う。

息子が死んで
1年経って、すぐこういう詩集を出版して自分が「後書き」で色々な文章を書ける人は、ある意味すごいんだけど、何かちょっと私とは違うと思った。(「かまち」ってひらがな?)そう。大きくなったら自分の好きな漢字をあてはめればいいって、父親が考えて。

●若いときに読んだ詩や映画を年とってから見ると、ちょっと違うね。

●あ、高史明の子?!えーっ、ちっとも知らなかった。有名な人の子だね。

1976年初版、うわーっ1983年に28刷。筑摩書房。すごい。

●詩と言うと、小学生の頃一つ覚えたのがある。

「風」  クリスティナ=ロセッティ詩・西條八十訳詞・草川信作曲

(だれ)を 見たでしょう
(ぼく)もあなたも 見やしない
けれど木
(こ)の葉を 顫(ふる)わせて
風は通りぬけてゆく

これを2番くらいまで暗記してたんでしょうけど、今思い出すのは、本も何もないし、それだけしか覚えがないの。それを横文字にして、日本語英語で

Who has seen the window?  Neither  I nor you.

But when the leaves hang trembling, The wind is passing through.

も、ずっとずっと今まで暖めて来た。それはなぜかと言えば、脳細胞が柔らかい時に、それを覚えたから。いつでも、風がすーっと吹くとその歌を思い出す。(知ってる知ってる)(歌って! )♪2人合唱(拍手)()

私は風が大好き。毎週土曜日5時に山に登っている。声のレッスンもあるけれど、慌しい日々に、極力努力して、風とか、四季の移ろいを肌で感じて自分を癒すため。目が弱っているのでその癒しにもなる。洋服も風が通るのが好き。冬でも木枯らしが服の中を通り抜けていくようなのが好き。(ほーっ)

「ふらここ」、俳句で言うブランコ。中国語で言うと秋千
(鞦韆)。ブランコが好き。風を受けて揺れるから。小さい時の自分の想い出は風を感じると言う事。たまたま去年深夜放送で新井満さんが生命再生の歌を翻訳されたのを聞いた。

●映画にならなかった?このタイトルの。

●なりません(爆笑)。ラジオ深夜便の冊子が手に入って、その「千の風になって」に感動した。死者が生者を慰める不思議な詩として取り上げている。普通はお墓へ入って、お盆と正月に・・というイメージだけれど、この詩は生命再生だから、私は死んでなんかいない。どこかに風となって貴方達を見守っているよと慰めている。ナバホ族かなんかの詩。

●やっぱりそうだ。子供を早く亡くした親のドキュメントの映画のタイトル。(・・・)

●新井満さんの親友の弁護士さんの奥さんが40代で亡くなった。追悼文集の中に英語で書いた詩があって、自分なりに訳そうと思い立った。100年前位前にできた詩で、既に結構皆が知っていた。最近では同時多発テロで貿易センターが崩れかけた時、14階にいたシェフが車椅子のご婦人を助ける為に共に犠牲になった。遺された娘さんが1年後の追悼集会で父に捧げる詩と言って朗読した。「お父さんが私の耳元で囁いている様だから」と答えたそうだ。マリリンモンローの25回忌にも朗読された。私はパフォーマンスでこの詩を朗読してから歌を歌う。

●新潟の地震の時、この詩を毛筆で書いて絵を添えたものを500円で売って20万円作って寄付された。

●始めは手書きでやっていたけど、毎晩毎晩色々な色を使って描いていたので目を悪くした。友人が紙を寄付してくれて、コピーを勧めてくれた。色塗りと落款は自分でやりぬいた。こんな事自分で言うことじゃないけど、今、言われたので・・。

「千の風になって」         日本語訳 新井満

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹き渡っています

秋には光になって 畑にふりそそぐ

冬はダイヤのように きらめく雪になる

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹き渡っています

千の風に

千の風になって

あの大きな空を

吹き渡っています

あの大きな空を

吹き渡っています

(拍手)では、次は歌を歌います(ウオーッ)(爆笑)。私が歌うようになったら、安八郡のコーラス部が歌うようになって、大垣のコーラス部からも譜面の問い合わせがあって、歌うことになった。どんどん広がっている。 ♪独唱(大拍手)(すごーい)(心がこもってたよ)

 私は漢詩を35年やっているので、本当は漢詩の中にもいっぱいいいものがあるけど、とりあえず今私が好きな詩なので。今日は人数が少ないので、皆さんに私の描いた詩を差し上げます(わーあっ。少なくて良かったね)()

映画、やっぱり同じ題名。オムニバスになってる。

※(坂東注)2004「千の風になって〜天国への手紙」製作委員会  2004/07/31公開 

 

 

●新井満さんは、高校生の頃病気になっておられ、人の気持ちが解る優しい人。あれから本当によくテレビやラジオに出ておられる。

●私、何かインディアンのイメージがする。

●新井満さんが探したら、アメリカのナバホ族によく似た詩があったんだって。一見不毛に見える砂漠の大地と一体化して生きようとしているから、こういう歌が生まれたのだろうと書いている。

●素敵な詩で、私は母のことを思って涙が出た。

●最近私の友人が亡くなって、この詩を配ったり法事に差し上げたりして喜んでいただいている。私はお地蔵さんが好きなので、お地蔵さんを入れた。絵がないとちょっと寂しいかなと思って。

●母がよく私が死んだらお地蔵さんになりたいって言ってたから(えーっ)

●最近ふと入った喫茶店やお寺に、私の書いたこれが飾ってあってびっくりする事がある。

今夏、うちわになった。「笑って健康」って詩だけど。(へーっ)施設のボランティアをしているが、施設長さんが、どうしてもうちわにして、売って資金にしたいと言われた。快諾した。何千枚か売れたそうで嬉しかった。それを今度名刺にした(爆笑)。というのは、売り上げが施設に入るから。押し花入り。これを作るのがメンバーの仕事。これも皆さんにお分けします。(わーっ!)ごめんなさい。宣伝ばかりして。

●来年法事があるので、お願いしたい。母に会えたような気がする。

●今日の詩がないので困った。でも1ヵ月間思い続けていると、何か思いつくもので、2002年の初めにテレビドラマで金子みすゞの「みんなちがってみんないい」を知った。そこのフレーズだけを覚えていて、その時のビデオを見直した。

若くして亡くなって、書いていた詩を夫に理解されなかった。子供を負ぶって西条八十に会いに行くシーンが印象的だった。でも家に帰って夫に怒られるるそのあたりのシーンを自分に重ねたのか
(笑い)、やっぱり子供が小さくてもそういう気持ちは止められない。最後は詩を書くのを止めて離婚して実家に戻るけれど、戦前の民法で子供を夫に取られそうになって、母に子供を預ける遺書を書いて26歳で自殺する。

みすゞ役を松たか子で西条八十を三田村邦彦がやった。その1番最後に「みんなちがってみんないい」という詩が出てきた。昨日の夜、
6年生の娘に、「明日、この詩を読むよ」って話したら、「教科書でやったことがある」って。5年生の教科書に載っているそう。「私と小鳥と鈴と

   私と小鳥と鈴と
   
   私が両手をひろげても、

   お空はちっとも飛べないが、
   飛べる小鳥は私のやうに、
   地面(じべた)を速くは走れない。

   私がからだをゆすっても、
   きれいな音は出ないけど、
   あの鳴る鈴は私のやうに、
   たくさんな唄は知らないよ。

   鈴と、小鳥と、それから私、
   みんなちがって、みんないい。

 「みんなちがってみんないい」って言うフレーズが何で私の心に残ったのかと思うと、真ん中の子供がT高校に行っていて、入学した時から指定のものが多くて、お金がかかってしょうがない。中学で使っていたカバンは公立ではOKだけど、指定の物を買わなくてはいけない。リュックサックでも機能性があるからいいのじゃないかと質問したけど、「それならそれで揃えないと」と先生が言う。教頭先生が「我校は何でも形から入ります」と言われた時にどうしてそんなに一緒に上辺を揃えたいのかと思った。この詩を思い出しては、早くこういうことが認められる社会にならないかなあと思っている。もう一つ

「夢うり」

年のはじめに

夢賣りは


よい初夢を


賣りにくる。

たからの舟に

山のやう、


よい初夢を

積んでくる。


そしてやさしい

夢賣りは、

夢の買へない


うら町の、

さびしい子等の


ところへも、


だまつて夢を

おいてゆく。

金子みすゞは死後何年かたってから(矢崎さんが大学生の時に感動して探し回ったのね)全集が出た。20から25歳くらいまでに500の作品を作っていた。

私も本当に感動して、詩を読むために仙崎へ3日間行ってきた。どこでこの詩が作られたかって知りたかった。港からずーっと回った。住居は記念館になっている。全然面影はないけれど、見てきてから、もう一回詩をずーっと読み返した。それを舞台で皆に一つずつやってもらった。その後、田村亮さんが金子みずゞの詩を朗読すると言う事で聞きに行ったけど、がっかりした。オーケストラをバックにされたけど。色々受け止め方もある。(海の詩が多いよね)「大漁」という詩に矢崎節夫さんが最初に感動してルーツを辿った。

私はあれはすごいと思う。

●ドラマの跡に娘と節夫さんが対談した。娘さんは、節夫さんに色々教えてもらって良かったと。3歳の時になくなっているので、母の思い出がない。やっぱり自分は愛されていなかったと55歳まで思っていたと。私を命がけで守ってくれたのだと今は思えるようになったと言っていた。

●私は一番最近好きになったモンゴルの歌。中国国際放送局のモンゴル語部の職員の布仁巴雅尓さんが歌っていて、奥さんが中央民族大学の声楽の教師。子供が小さい時何でも質問して「パパ?」「ママ?」って質問する時の音が♪ミソ〜に聴こえたんだって。(はーあ!)それで質問と答えがそのまま自然に詩になり、歌になったそうで、親子3人で歌うという形になっている。これの日本語訳を日本語部の友達と作って、日本で広めようよ〜って言ってるところ。

私は小学校に時々授業に行っている。先日の文化祭で群読を全校生徒と参観の父母、教師全員でやろうという提案が先生から出て、
15分程任された。「のはらうた」なんかが候補に上っていたけど、ふと、この歌をやってみようと思いついて提案したら、学校側に全面的に協力してもらえた。

 参加者全員を子供とパパとママに振り分けた。先生もお父さんもお母さんも初めて見る詩。体育館いっぱいの700人位かなあ(わーあ!)大群読で、子供達は体育館の上にB3枚に書かれた詩を見る。父母と先生はコピーした紙を見る。指揮台を用意してもらって私は指揮者。家から紙ポールに、割り箸にくっつけた月と星と太陽を差し込んだのを作って持って行った。「仲良し家族のイメージ」作り。全学年の児童が「パパ!」「ママ!」って言うと、「はい!」ってパパやママが答えるの。

「仲良し家族の三つの宝」

子 :パパ!

父 :はい。

子 :太陽が出てきたけど、お月さまは家に帰ったの?

父 :そうさ。

子 :星が出てきたけど、太陽はどこに行っちゃったの?

父 :家に帰ったのさ。

3人:太陽、月と星は、仲良し家族なのさ

 

  :ママ!

  :はい。

  :葉っぱが緑になったけど、花はいつ咲くの?

  :そうね。夏になればね

  :赤い花が咲いているけど、実はいつなるの?

  :そうね。秋になればね

  :その実を土に植えたら芽が出てくるの?

  :そうよ

3人:葉っぱと花と実は、仲良し家族なのさ

 

父、母:わが子よ

子   :はい!

父、母 :パパは太陽のようにママを照らしているよ

    :じゃ、ママは?

父、母:ママは緑の葉っぱの中の赤い花

子  :じゃ、私は?

父、母:あなたは芽生えた可愛い種

子  :そうか、分かった!

3人 :私達は、仲良し家族なのさ

 

●わーあ。素晴らしい。(拍手)(歌聴きたい?)聴きたーい。(♪CDを聴く)

●素敵。私も群読を国際会議場でやろうと思っている。良かった、私嬉しい。

●今年中国でものすごく流行った歌で、誰でも知ってるんだって。で、何で私がこの歌が好きになったのかなって自問してみたんだけど、私が子供としては仲良し家族は経験できなかったからだと思う。それで、自分は早々と結婚して仲良し家族を作る努力をしてきたつもり。という事で、この詩の温かさに惹かれたのだと思う。

●モンゴル大好きで、行ってものすごく感動した。

●やっぱり自然がだんだん壊れつつあるので、そういう思いも込めて歌っている。

●草原を見て涙ポロポロ出てきた。何にもない事に感動した。飛行機の中で知りあった家族に招待され、ホテルに迎えに来てくれた。本当にボロボロのアパートだけど、その人は議員さんらしくて家の中はピカピカ。モンゴルでしか食べられない料理をご馳走になった。

●随分詩を読む事から遠ざかっていたので、困って本を探そうと思っていたら、たまたま1ヵ月くらい前に立ち寄った所で「こういう本を出したのであげる」って言った人がいる。詩を書いてるような人とは思えなかったけど、長い間通信を出していて、そこにコラム的に書いていたのをまとめたそうだ。(え?あのHさん?)今は車椅子の議員さんの事務所にいて、長い間、障害者の方達のパンを作る工房で頑張られた。詩集って書いてあるので、びっくりした。

「言葉」      堀田博之

言葉は風船

くるくると辺りを回って

大きく膨らんで遊び疲れるまで帰って来ない。

ぼくが言葉を口にした時、枝分かれして

曲がり曲がって思いもよらない花まで咲かせ

ぼくの夕食の卓上の皿にのる。

人と言葉は知らぬふりしてすれ違う

言葉が口をついて出たとたんに

外気に触れて面白おかしく裏切られる

言葉は口から出たとたんに綿菓子になる。

口の中で噛み締められもせず唇にべとつく。

言葉は口から出た時から石になる。

他人の頭の中で、頑固で動じない塊になる。

言葉が口から出た時から独り歩き始める

言葉は凶器となって爪をたて、

生き血を吸った

首から肩にかけての傷は消えない。

言葉よ 魂の森の深みに 帰って来い

生き血を吸ったなんてとこが彼らしいかなあって思った。今、市の計画で大きな公園ができるのだけど、命に代えてもと、立退きを拒否して頑張っている闘士。(すごい。田島征三が詩集に寄せてを書いてる)(いくつぐらい?)

70代半ば。本当に何も持たないで暮らしていらして、市民運動の仲間で還暦のお祝いに参加した事があるけど、チャップリンの格好をして現れて皆を笑わせた茶目っ気もある人。

●粗大ゴミの場所に行くのが好きで、広島の出身。飾らず、いつも自転車に乗っている。

<メール・FAX参加>を紹介する。最初は自作の詩。JR西日本の事故について。

「母の哀歌」(高見隆二郎運転士のお母さんを思って) 山崎タチアナ作 平尾薫 和訳

おまえ、何てことしでかしたの、息子や

神様がうっかり目をはなしたすきに

どうして黙っていたの ブレーキは

そうして おまえの茶色い瞳は

永遠に閉ざされてしまった なぜ?

    あっという間もなく 大勢の命が

冷たいスチールの炎熱地獄に

放り込まれ 押しつぶされてしまった

途方に暮れて立ちつくす 父さんが

母さん どうしたら世間に顔向けが・・・

夜ごと なんて言って祈ればいいの

血の涙を流しながら

これはひとりおまえのせいじゃない、って思ってみたり

それはあの意地悪な悪魔の仕業にちがいないって

一瞬のうちに107本もの命の灯火を

吹き消してしまうなんて

命の泉は枯れてしまった

もう 時間の遅れを取り戻そうと

焦ることはないんだよ 鋼鉄のレールを震わせて

平安は訪れた 永遠の眠りによって

暴走列車に乗り合わせた永遠が

猛スピードで突っ込んでいく 嗚呼

●皆さん可哀想だったね。(運転手の母の気持ちを想って作るってのもすごいね)

●次は沖縄に最近行って、帰りに那覇空港で見つけた20代の頃から好きだった人の詩集からだって。

芭蕉布」 山之口貘

    上京してからかれこれ

十年ばかり経っての夏のことだ

とおい母から芭蕉布を送って来た

芭蕉布は母の手織りで

いざりばたの母の姿をもい出したり

暑いときには芭蕉布に限ると言う

母の言葉をおもい出したりして

沖縄のにおいをなつかしんだりしたものだ

芭蕉布はすぐに仕立てられて

ぼくの着物になったのだが

ただの一度も

それを着ないうちに

二十年も過ぎて今日になったのだ

もちろん失くしたのでもなければ

着惜しみをしているのでもないのだ

出してきたかとおもうと

すぐにまた入れるという風に  

質屋さんのお付き合いで

着ている暇がないのだ

(笑い)

「鮪に鰯」

鮪の刺身が食いたくなったと

人間みたいなことを女房が言った

言われてみるとついぼくも人間めいて

鮪の刺身を夢みかけるのだが

死んでもよければ勝手に食えと

ぼくは腹だちまぎれに言ったのだ

女房はぷいと横に向いてしまったのだが

亭主も女房も互いに鮪なのであって

地球の上はみんな鮪なのだ

鮪は原爆を憎み

水爆にはまた脅かされて

腹立ちまぎれに現代を生きているのだ

ある日ぼくは食膳をのぞいて

ビキニの灰をかぶっていると言った

女房は箸を逆さに持ちかえると

焦げた鰯のその頭をこづいて

火鉢の灰だとつぶやいたのだ

「ある家庭」

またしても女房が言ったのだ

ラジオもなければテレビもない

電気ストーブも電話もない

ミキサーもなければ電気冷蔵庫もない

電気掃除機も電気洗濯機もない

こんな家なんていまどきどこにも

あるもんじゃないやと女房が言ったのだ

亭主はそこで口をつぐみ

あたりを見廻したりしているのだが

こんな家でも女房が文化的なので

ないものにかわって

なにかと間に合っているのだ

(爆笑)吉幾三の歌みたい。

●人生の意義を 美しい旋律にのせて平易に説いた有名な詩です。

 「人生の賛歌」         ワーズワース(Wordsworth)

         悲しき歌もて 我に告ぐるな

         「人生は空虚なる夢に過ぎぬ」と

        眠れる魂は死せるにて

         真は外見と異なるものなれば

         

        人生は現実にして 真剣なり

         墳墓は人生の終着地にあらず

        「汝塵なれば塵に帰す」とは

         魂に言へるにあらず

 

        われらの運命の目的も方法も

         喜びや悲しみにあらずして

        今日よりは明日こそ優れんと

         絶え間なく励むことなり

 

        学芸は達し難く 光陰は矢の如し

         われらが心は よし強く勇ましくとも

        所詮は布で包める太鼓の如く

         墓まで葬送曲を鳴らすものなり

 

        この世の広き戦場にありて

         また人生の露営地にありて

        黙して追はるる牛となるなかれ

         戦い挑む英雄となれ  

      

        いかに楽しくとも 未来に頼るなかれ

         死せる過去は 死者に委せよ

        心に勇気を 頭上に神を拝して

         励めよ 励め この現在に

 

        偉人たちの生涯を思えば

         われらが生涯も厳粛とならむ

        また死するに際し 足跡を

         時の砂漠に残し得む

 

        人生の厳かなる海を行く他の人が

         寄るべなき難破せる同胞が ふと見て

        再び勇気をふるい起すが如き

         足跡をわれらは残し得む

 

        さらば立ちて行へ いかなる運命にも

         挫けぬだけの勇気を持ちて

        常に成し遂げ 常に求めて

         人事を尽くして天命を待つことを知れ

 

●ほーっ。すごいねえ。

          「夜は一千の眼」  (Bourdillon)

         夜は一千の眼 あれども

          昼はただ一つの眼あるのみ

         しかも明るき 世界の光りは

          日暮れと共に絶ゆ

 

         理性は一千の眼あれども

          感情はただ一つの眼あるのみ

         しかも暖き命の光りは

          愛の終わり と共に絶ゆ

●ちょっと難しいね・・何回も読まないとね。でも激励されるような言葉もあった。       

●この詩に出会ってから心の支えにしている。しんどい時ほどこの詩に背中をどづいてもらう。

         自分の感受性くらい    茨木のり子

       ぱさぱさに 乾いてゆく心を
       人のせいにはするな
       みずから水やりを怠っておいて

       気難しくなってきたのを
       友人のせいにはするな
       しなやかさを失ったのはどちらなのか

       苛立つのを
       近親のせいにするな
       なにもかも下手だったのはわたくし
       
       初心消えかかるのを
       暮らしのせいにはするな
       そもそもがひよわな志にすぎなかった

       駄目なことの一切を
       時代のせいにはするな
       わずかに光る尊厳の放棄

       自分の感受性くらい
       自分で守れ
       ばかものよ

●室生犀星が好き。故郷の温かさに包まれていては良いお仕事も勉強もできない。私は留学生や研究生にこの詩を送って励ましている。

詩集「抒情小曲集」から 室生犀星
     

ふるさとは遠きにありて思うもの、

そして哀しくうたうもの。
     よしやうらぶれて異土の乞食(カタイ)となるとても

帰るところにあるまじや。
     ふるさと想い涙ぐむ 

その心もて 遠き都に帰らばや。

 不慮の事故で手足の自由を失い、僅かに動く口に筆をくわえて詩画を書き続ける星野さん。星野さんの詩画集を見ていると、命の尊さがひしひしと伝わり、やさしとは何かを考えさせられる。そして言葉の1つ1つが心にひびいて、自分自身を見直す事もできる。私の1日は、自室の壁に掛けてある星野さんの詩画カレンダーを見ることから始まる。《花の詩画集》から。

      鈴の鳴る道」    星野 富弘  

    1日は 白い紙 

    消えないインクで 文字を書く

    あせない絵の具で 色をぬる

 

    太く 細く 

    時には ふるえながら

    1日に1枚

    神様がめくる 白い紙に

    今日という日を 綴る  

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    木の様に 歳をとれたらいいな

   幹は白く なめらかに乾き

   洞では ももんがが いねむりをしている

 

   鳥を憩わせる枝は 大きく 横にまがり

   たまには ここに腰掛け 

   休みなさいと

   人間にも いっているようだ

 

   歳を重ねて 老いるのではなく

   木のように 歳をとれたらいいな 

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    ねこやなぎを 割ってみた

   中から 宝石が でてくるような 気がして

 ●良い詩っていっぱいあるし、自分のその時の立場に合った詩もある。人生長いから。

●出会った時はそう意味がなくても、今の自分にピッタリとかね。(そう!)

●歌でも嬉しかったり、励まされたり。

●世間的に評価されていても、今の自分にピッタリしない詩もいっぱいあるし。今日はとっても良かった。嬉しい。

●病気の舅姑をおいて、夫が亡くなって18年になる。色々あって、こんな遅くなっても「千の風」に出会えて本当に良かった。(だからそれが御礼だったかもね)そう思う。詩というのは励まされたり、喜んだり慰められたり。自分の立場に合ったものに出会えると感動する。

●行いがあって、初めて出会えるのかもしれない。1日も看病しないで母が亡くなった。「色々お世話になってありがとうね」と言うので、「大丈夫、助かるから」って言って、ちょっと外へ出て下さいと言われて出て、すぐ呼び戻された時が臨終だった。我が家は平和公園の近くで、母は「私が死んだらお地蔵さんになりたい」と、しょっちゅう言っていた。暖かい日にお参りに行くと、サーッと曇ってきてパーッと風が吹く事がある。家族の他の者もそういう体験がある。10粒ほどパラパラッと雨が降ったり。この詩には参った。やっぱり風になっていると思う。

●私は漢詩をやって35年。3年前、30周年のリサイタルをやった。私は漢詩の中から人生の教訓を頂いている。親の面倒を見ている時もお月様を眺めて、詩を吟じようかとか。

●車を運転しながらも吟じる人。何か今、やって欲しい。

●詩吟を聞いた事ある?(鞭聲粛粛くらいは)(笑い)

●じゃ、この家と皆さんに幸せが訪れるように「松竹梅」を。杜甫や李白はお酒を一升飲む毎に100篇の詩ができたと伝えられているけれど、日本の松口月城の作を。宝船、松竹梅、富岳等はおめでたい席に使われている。お正月、お祝い事、結婚式、建前、お誕生日、同窓会、色々あるけれど、では、「松竹梅」を皆さんが幸せになりますように。

 「松竹梅」 松口月城 作  

寿福愈開松竹梅  

君家今日是蓬莱 

亀遊鶴舞人環酔  

無限歓壊在玉杯

(拍手)すごい!ちょうど時間となりました。(幸せになったぁ!)(楽しかったぁ!)

今後の予定 手紙・Fax参加大歓迎!話し合ってほしいテーマも大募集中!

1222 ()「戦後60年を考える」

130()「心に残った年賀状」  テーマを大募集中!応募してください。

時間厳守・手土産厳禁会費はお賽銭です。どなたでもご自由にどうぞ。

468-0057 名古屋市天白区御幸山2112-14-201 пEFax 052-834-9457

坂東弘美 bdk@dp.u-netsurf.e.jp がま口塾  http://www1.u-netsurf.ne.jp/~bdk/  

紙面が余りましたので、懐かしい、がま口塾第一期 25の冒頭を貼り付けます。