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がま口弘美の日記 がま口塾便り

44331日号

『二言目には……言う言葉』

 花曇りというのか、花冷えというのか、晴れてはいるけれど、こ寒いお天気。お向かいの桜井さんちの桜も残念ながらお愛想なし。但し、がま口塾は春。9人がだんだん「もったいない」爛漫?になって、最後は思いがけず、全員で25分間のDVDを見て仕上げました。

祖母は明治、母は大正生まれなので、しょっちゅう二言目には「聞いてからやれ」。もう一つは「叱ってもらえるのは、自分に見込みがあるからだ。言われなくなったら終わりだから、注意してもらうのはありがたいことだと思え」。でも、日本人同士それを頭にもってくると、なかなか上手く行かない。今回、アメリカ人の方に家をリフォームしてもらって、何一つ厭なことが無かった。基本的に向こうも私も「聞く」。向こうも私も「言う」。祖母と母の言葉は私自身の中で「化石」になりかかっていたけれど、それは「基本」であったと思い、元気になれた。(きいて、自分が思っていたことと違うことを言われたら、その方の言う事を聞くの?)話し合う。提案すればいい。そして、分かっていることでも聞く。

●「これって私だけ?」って言うことがよくある。花粉症でも、皆は杉やヒノキぐらいだけど、私は遅れてバラ(へーえ!)それで「これって私だけ?」って聞く。更年期障害の時は、皆が涼しい顔をしているのに、私ひとりだけ暑いと「これって私だけ?」って常に聞いて、自分の感覚がどうなのかを確認した。子供と会話をしてても『ちょっとずれてるな…』と思うと「これって私だけ?」ってよく思う。(いい意味で?)と、とれば自分の才能でいいのだけれど、自分だけが変だとちょっと不安になる。「そういうことあるよ」って言ってくれると安心できる。人と一緒にというんでなくて、認めてくれればいい。「おかしくないんだ。変人でも奇人でもないんだ」(笑い)って思うと安心する。そういうことない?

●私は変な人だって開き直っちゃって(笑い)、「私だけ」っていうのが、けっこうあって、いいやって思っている。(盆栽のサツキで花粉症の友人がいる)

●私はこのテーマをいい方に思っちゃった。私の努力目標としての「二言目」なんだけど、子供が小さい時、よく子育ての講演会を聞いた。素晴らしい話を聞き、「明日から私は絶対素晴らしいお母さんになれる」と思っても、あまり変わらなかった。中で一つだけ、これだけは実践しようと思ったことがある。必ず子供に話す時に主語をつける。「お母さんはこう思うよ」「私はこう思う」(ほーう)。他の事は全部忘れているのに、それだけはインプットされて実行した。どれだけのことが出来ているか客観的にはわからないけど、つい、カーッと言って、あっ…「私はこう思うよ」。自分の子供だけでなくて、大人でも、押し付けがましくならないようにそう言うように努力している。でも、今の若い子が「私的には」とか「そうかも」とかってぼやかして自分の責任の所在を曖昧にする。もしかしたらそれかもしれないと思って最近ちょっと後悔している。(笑い)幼稚園から小中高とよく学校を休む子で、苦しかったけれど、「学校は行かなきゃいけないものだ」と、頭から努めて言わないようにして、役に立ったような気がする。(私は行かなければいけないという言い方をした)でも、18歳になるまで効果出なかったけれど、自分から選択した時に強くなったと思う。

●私は皆さんのようにレベルの高い「二言目」じゃなくて、この頃どんな動作をするにも「どっこいしょ!」(爆笑)。自分であきれるくらい、ちょっと椅子から立つ時も「どっこいしょ」。肉体的な老化現象で、一日の発言の中の最も多い言葉。人によっては「そう言って自分を元気付けているんだから」って言ってくれるけど。独り言めいては「もうこれでいいんだあ」ってこと。(あーあ)悪いことがあった時、もしかしたら、もう一歩、最悪のことになっていたかも知れないと考えて「せめてこれで終ったんだから、まあ、これでいいっかあ」。って思うことがとっても多い。

●自分で言って自分で確認するのはまだいい。主人は「よっこいしょ」って言ったので、そう言うと「え?言ったか?」(爆笑)。無意識に言っているのが怖い。

●一つは「最低」。今日も朝起きた時に、枕元においてあったカップラーメンの食べ残しを蹴っ飛ばして(笑い)飛び散ったので「サイテーッ」(爆笑)。以前は、ネズミが出てきて、夜寝てたら齧る音がして、(エーッ)せっかく買ってきたポロシャツも齧ってた(ヘーッ)つかまえようと思ったらスルッスルッて逃げたので「これってサイテー」(笑い)。これを言うと、「本当に最低ですね」と言われるような気がして迷ったけど(言っちゃった!)(笑い)

 昔「ごめんなさい」という言葉をいつも言っていて、この前も帰りがけに玄関で靴をはくのに時間がかかって、皆さんに「ごめんなさい」ってすぐ言ってしまった。子供の頃、母親が怒鳴るので怖くて怖くて、何を言っても「ごめんなさい」「ごめんなさい」って言っていて、それが二言目に言う言葉になってしまった。小学校の3年生の時にテストで60何点かをとった時に、最初は「こんなことでどうするんだ!」って怒鳴る。怒りが増すと「哀れだねえ、惨めだねえ、私の人生は終った」って、母親が三日間くらい寝込んで泣くんで、「ごめんなさい、ごめんなさい」が習性になってしまった。

カウンセリングを受けるようになって、グループワークをやっている時に、ソーシャルワーカーが「Mさーん」って言ってくれた時、ボーッとしていて「ごめんなさい」って言ってしまった。その時「もう、ごめんなさいって言わなくていいんですよ」って言ってくれて、『そうなんだあ』と思った。心配して声をかけてくれたのに、「おまえ、何やってるんだ」って言われたような気がして「ごめんなさい」って言っていた。こどもの時はボーッとすることもできない、ものすごい恐怖だったので、それがなくなって、この頃は言わなくなって、最初に話が戻って「サイテー」になった(笑い)。生活は最低。先日スーパー銭湯でお爺さんがのぼせて倒れて救急車で運ばれた。その光景は「最低だなあ」と思った。でも、言葉は最低と言っているけど、最低ではなくなってきたので、とても嬉しい。

Mさんの話聞いてて、そう言えば家の親も二言目には「お金がない」って言ってたなあ(笑い)と思いだした。夫は二言目には「女の癖に」(あーあ!)。「男の癖に情けない奴だ」とか。娘には「男が遅刻するのはいいぞ。女の癖に遅刻するのはいかん」(あー)どうしてそこに女をもってくるのかな。「女の癖に整理するのが下手だ」とか。九州男児だからかも。

 小泉首相が靖国神社に参拝して、中国と韓国から批判されると、二言目には「心の問題だ」って言う。自民党の総裁選の時に一匹狼で子分がいなかったので、人を集めるために、日本遺族会や軍恩連盟の票をとりつけるために靖国神社に行くと公約した。票をごっそりとって勝ったという、動機が不純な政治的マターであるにも関わらず、最近何か言うと、二言目には「心の問題」って言うのは違和感がある。でも今日、こんなこと言う雰囲気でないね。まっ、いいや(笑い)

●我家には今年10歳になる年とった兔がいるが、先週から体調を崩して、後ろ足が不自由になった。一気に老化が進んで、今介護している。ここ一週間、夫婦で「ミルクちゃん大丈夫?大丈夫?」と二言目には言っている(笑い)。普段はベランダで飼っているが最近寒いので室内に入れたり、箱に入れて外で保温に気をつけたりとか試しながら。もともといた所だと不自由な身体になってもいっぱい動いている。あまり環境を変えるのは良くない。でも、昨夜、とても寒かったので、出かける時家に入れなかったのを悔いて「ミルクちゃんどうしてるかな、大丈夫かな、大丈夫かな」って祈りながら帰ってきて、元気な姿を見た時はホッと一息入れた。我家の牛乳が切れていて本当は買ってきたかったけど、牛乳よりミルクが心配で(笑い)一目散で帰ってきた。今日も、自分でトイレが出来ない垂れ流し状態なので、ちょっと腰湯につけて洗って、ドライヤーで乾かしてきた。しばらくは「大丈夫?」って問いかけながら過ごすと思う。(兔の寿命はどれくらい?)10年なら長い方だと思う。数年。本当にペットとして室内で飼っている人は最初から過保護状態。マンションだけど、一応走り回るスペースを確保していたけれど、動きが鈍いなと思っていたら、だんだん麻痺してきた。人生の終末をどう生きたらいいかを、今学ばせてもらっている。

●犬みたいに人間と心が分かり合えるってことある?言葉は分かるの?

●犬ほどダイレクトな反応はないけれど、やっぱりある程度わかると思う。少なくともこちらは充分彼女によって癒されたり励まされたりしているので、心を尽くしたい。

●だって、植物だって言葉をかけてあげるといいっていうし。(笑い)

●温室で育てている果物だってモーツァルトを聞かせると味が良くなるとかって言う。

●やっぱり獣医さんなんかに見せる?

●まあ、老衰ってことがわかっているので、薬漬けにするより、私達の手で最後はみとってやろうと思っている。私達が主治医という気持ちで。それがいいかどうかわからないけど。家族でやれるだけのことをしてだめならそれを受け容れようという感じ。

●身近な人の悪口を(爆笑)。夫が質問するので答えようとすると、途中で遮って「僕が聞いてるのはそういう事じゃなくって」と二言目には言う。それを言うには、あの事があって、そのことがあって、と説明がしたい。(私、逆バージョン)あ!?(遮っちゃう)(まどろっこしいの?私も先の先の先の方から説明しなくちゃいけないと思うけど)(まどろっこしい。質問したことだけを答えてくれればいい)(爆笑)(私も一緒で、結論言ってって言う)(笑い)私は色々聞いて欲しい。だから「そういう言い方を会社でもきっとしてると思うけど、若い人たちに厭な思いをさせているよ」って言うと「もういいから、そういう事じゃなくって」(爆笑)

 倉橋綾子さんの「永い影」「憲兵だった父が遺したもの」という本の、一つのキーワードがお父さんの、二言目に言う「こんなことじゃ駄目だ」「しっかりしろ」。さっき、花にも動物にも声をかけてやるのが大事だって話が出たけど、「こんなことじゃ駄目だ」ばっかり言ってたら、追い詰めて、家庭を苦しめ、そのお父さんの言葉が皆の心と生き方に対して、何十年も延々と影響を与えていく。私自身は親に何を言われたかと言うと、二言目には「○○さんはお嫁にいきゃあた」。(笑い)。で、私は二言目には「忙しい忙しい」。反省している。

●家族との摩擦がないように、口にはあまり出さないようにしているけど、「もったいない」(あーあ)。省エネを日々実行している。ストーブは必ずやかんをかけたり、煮物に利用する。子供がする家事には「そんなもったいないやり方をしなくて…」と、洗濯から料理まで細かく、「省エネにしないと地球の温暖化が」と、二言目には思っている。常にエコに心がけていて、行き過ぎると家族に負担がかかってまずいかなと反省もしている。口には出さないようにしているけど。

●今、ストーブにやかんがかかっていないと私、思ってたよ。(爆笑)

●ひっくり返ると危ないという面もあって一長一短。ワンガリー・マータイさんというノーベル平和賞を受賞した方が日本の「もったいない」を世界に広めようとされている。二言目には「もったいない」が拡がるといいなあと思う。実家は商売で、何でももったいないから捨てずにとっておくという環境で育ったので。で、整理整頓が出来ればいいけど、グチャグチャになるのが問題で(爆笑)

<メール参加>Tさんのお友達から。(えっ。私の?) はい。

自分では気が付かないけれど「でもねェ」とか「だってェ」とか「だからサァ」など言い訳みたいな事言っている。最近言葉ではないけれど「ヨイショッ!」「ドッコイショッ!」のかけ声がないと動けない。(大爆笑)「ハァッ〜〜〜」とか「フゥッ〜〜〜」のため息も増えた。でもこれは深呼吸をするのと同じ効果があるそうだ。28日で満77才になった。

●私「もったいない」を実践している。外食する予定があると、容器をもって出る。我家は一合炊くと二日あるくらい、ちょっとしか食べないから、どんぶりいっぱいご飯が出ると明らかに半分以上多い。口をつける前に容器にとって家に持って帰る。絶対傷まないで大丈夫というおかずも、時には入れる。容器たるや、赤福なんかのきれいなプラスティックの容器をとっておく。(私もそうだけど、すごくこれが家族に嫌がられる) 夫婦ならいいけど、友達と行ったり、高級なレストランだとちょっとそれは出来ない。そういう点で中途半端だけど(夫婦間ではないの?)夫の方が私より徹底している。

●私がすると、夫は「何でそんな田舎のクソババアみたいなことするんだ」って言う(爆笑)

私は人間には二つのパターンがあると思う。捨てる人と捨てない人の(笑い)。考えちゃうと捨てられない。考えないとパッパカパッパカ捨てられる。彼の辞書には「もったいない」がない。お互いに価値観があってないとすごいストレスになる。

●最初は私も恥ずかしかった。でも、もって帰ったご飯が、悠々一食になるので、「今日は

ご飯、炊かなくていいよ」って帰って来る。

●でも、私も実際に飲食店でアルバイトした。今は競争が激しくて、あれもこれもつけてどーんと出して「お得ですよ」。お客にしてみれば、多い方がいいけど、全部食べられる訳がない。すごくたくさん残して全部残飯になっている。本当は、そういうのを持ち帰ってくれるお客さんの方がお店にとってはきっといい。でもそういうお客さんはあまりいない。

●北海道と愛知の結婚式場の食べ残しが全国でトップだというデータがある(へーえ)。北海道もけっこう見栄をはるらしい。愛知は見栄っ張りの県民性がある。

●レストランでアルバイトしている若い女子学生の投稿があった。「バイキングの食べ残しが凄いって。高級な料理の」。

●一日、二日は「もったいない」と思っているけど、三日目くらいから慣れちゃって感覚がなくなって日々流していく。

●残飯を堆肥にするような企業的な取り組みを環境の為に行政がやって欲しい。

●豚の餌にするために、契約している所もちょっとあるって。

●大きな企業でないと、採算があわないからね。家は犬がいるので、食べ残しを必ずビニール袋にいれて持ち帰る。で、たまたまご飯がないと、そういえばあれがって、人間が食べる時がある(笑い)。犬にやるからって友達の分も貰ってきて…(笑い)

●「ドッギーバッグ」って言葉がちゃんとある。「犬にやりますから」って言って、実は人間が食べている。(笑い)

●“もったいないと美意識は共存する”っていうのが、家庭画法に出た。高級な陶器など、少しヒビが入って使えなくなったものに、例えば金箔をぬったりする。すると、それがパッチワークみたいになって作品になる。その写真がいっぱい載っていて素敵だった。それは名古屋から生まれたって。名古屋人はケチだから(笑い)、「もったいない」を芸術にした。

●もともと刺し子などは「もったいない」って気持ちから発展したよね。

●昔日本人の上流階級の人は絹を着たけれど、一般の人は麻を着ていた。綿の歴史は江戸の中頃で新しい。それまでは木の皮、色々な麻の素材を何枚も重ねて寒さを凌いだ。綿はなかなか高くて買えない。東北の寒い国の人たちが、関西で出た古着を東北に船でもって行った。関西の綿も弱っているので、何枚も重ねて、そこで刺し子が出来て(はーあ!)丈夫にした。それが芸術になったんだね。アメリカのパッチワークもそう。「もったいないから」っていうのが、芸術になった。

●着物のリサイクルも今や芸術になっている。

●お茶の先生から聞いたけど、欠けたお茶碗を使ってもいいとして、茶会をする月があるんだって。利休の考え方らしいけれど、そこに芸術性を見出す。味わう。びっくりした。

●お寺のリフォームもジェフェリーさんが、やっぱり「もったいない」って言う。「ビフォーアフター」というテレビ番組に、そそのかされて応募して最終審査まで行ったけれど駄目になった。でも、その番組に出ていた匠に直に頼み込んだ。それでその改築の過程をずっとプロのカメラマンに頼んで撮ってもらって、それを編集したDVDを持ってきた。(エーッ!)(改修のポイントは何?)やっぱり「生き返らせる」こと。築200年、創建400年の、檀家なしの修行寺。

日本人が便利さを追求して、機能的であればいいというものでもないのではないか、不便だからこそ美しさがあるという考え方。本物にこだわる彼は、いつも「僕は中途半端な事はしたくない」と言っていた。京都大学でも建築の講義をしているが、日本人が忘れてしまっている事を彼は持っている。(戸も、どこかの家の廃材を京都から運んできて、ぴったりはめたりしている)。だから、「もったいない。今、この建具を作ろうとしたら、出来ない」って言って(うーむ)

●以前よりは日本の文化が見直されてるように感じる。産業消費も少し抑えられているかな?

●自然に近い生き方をしていたのが、どんどん離れてきてしまったのかな。ジェフェリさんは、ノミを使って建てる建築に魅力を感じたのかも。私はラッキョウとか、生姜漬けとか田舎料理しかできないけど、彼はそれも大好き。肉は食べられない(はーあ)。生き物を殺して自分が生きるってことの違和感があるのだと思う。彼に追求して聞いてはいないけど。

●最初からリフォームしたい計画があって、テレビ番組に応募して、最終的に落ちたけど、強引に匠の電話番号を聞きだして、それでリフォームしたってこと?(まとめちゃったよ)(爆笑)

●で、もったいないの精神がその匠にあったということ。ずっと施工者が決まらなかったのは、どの業者も建て替えた方が早いって言って、寺の歴史や存在する意味をなかなか汲み取ってくれなかったから。外国人が初めて、壊したらいかんと言ったわけ。

●お寺でなくちゃ出来ない事をしていかなくちゃいかんて。歴史に対しての敬いとか、尊敬を持っている人。

●日本人にはそういう人が居なかったんだ。結果的には(そうだよね)

●構造計算の問題が沸騰したので、マスコミも、このお寺のリフォームを取り上げた。

●人を騙しても自分が利益を得るとか、日本人は走ってきた。

●マサチューセッツ工科大学の大学院博士課程出身で、今もアメリカでも建築中の物件があって、日本と行ったり来たりで建築してる。

4/22~5/7の津島公園の藤祭りの、2週間限定で、お寺の改修記念の写真展をする。1人で応対するので期間限定にするが、良かったらどうぞ。最近は観光客は増えてもお寺でお参りする人が少ない。人間が手を合わせるというのは、左手が自分の煩悩で、右手がお釈迦様。それを合わせて拝むという意味がある。(へーえ)。二期工事がまだこれからある。CBCの「大石で行こう」の大石さんがとても誠実な取材をしてくれた。

●私も生ゴミを堆肥にするリサイクルの講習会をした時に、彼が取材に来てくれて、とてもキャスターとして上手に伝えてくれているなって感じる所があった。後で、反響があったかって聞いたらなかったのだけが残念だったけど(笑い)

●話が変わってきてしまうけど、生ゴミは、名古屋も一時盛り上がった。市が補助費を出して生ゴミ処理機を勧めた。あれっきり。

●やっぱり長所短所があって、続かない人も多くて試行錯誤。その割りに減量効果が出ていないので、M区のD地区に限定して生ゴミの容器を使ってもらって、有機性資源(バイオマス)として集めてガス抜きしてエネルギーにする試みをした。土はだんだん痩せていく。半年育てると草花が栄養を取って土が痩せる。追肥として生ゴミで作られた堆肥を利用する。そういうリサイクルを私はやっている。早ければ今年の秋の環境大学の講座に何とか入り込もうと思っている。

●私は一番最初はぼかしで生ゴミの処理をしていたけれど、お漬物みたいな凄い臭いがするし、水が重たくなって、畑まで運ぶのがすごく大変だったので、名古屋市が補助するというので電気のを買った。それが壊れてしまった時、電機を使うのが環境問題にいいのかどうかという議論もあって、考えていた時にFさんから聞いたので、植木鉢で攪拌する方法をやりだした。電気の処理機は放り込むだけなので本当に楽。それに比べると毎日かき回さなければならないし、雨の日は覆いをしなければならないし、大変だけど、土がホクホクしてきた。そうなると嬉しい。非常に些細な事だけど。

●土で癒される。いい堆肥ができると、真っ黒で、スコップでかき回してると癒される。

●機械のは、出来たものの行き場がないって事があるのでは?

●それもあるし、臭いも気になり、電機代もかかる。壊れるという事もある。

●おがくずに微生物を入れた、チップも変えなきゃいけない。それに比べると、Fさんの方法は土に新たな土を加えるだけ。

●植木鉢で終った土を入れると、それが又元気になる。最悪、マンションの人でもできるし、かさは減る。そんなにできる物ではない。向き不向きがあるので、その人にあったやり方でやるといい。市民農園の希望者は多いけど、なんか上手く回っていかない。

●私の田舎は山の中で、どこもかしこも後継者がいなくて、土地を手放したい人ばかり。産廃なんか来てくれたら大喜び。というのが、確かに一方にある。

●二酸化炭素を撒き散らして車で持って行く事を思うとね、皆が家で処理できたら(笑い)

●庭に生ゴミをそのまま埋めているけど、それは、そのやり方と比べて肥料としてどう?

●直接埋めると強すぎる。それだけ大きな空き地があればいいけど、近くに作物があればやっぱり強すぎてプラス・マイナスがある。昔は皆埋めていた。猫やネズミが掘り返すし。この方法は猫よけ、虫除けにもなる。生物学的な生ゴミリサイクルの方法として大学の先生が提唱されているので、今度ガイドブックを持って来るね。

●ロハスだって言うけど、何がロハスだって思うことが多い。(?それ)(スローライフに近い言葉)もとの言語が分からないけど(その基本的な考え方はイタリアから来てる)、やたらとおしゃれな言葉に使われている。セレブと同じ様な感覚。ちょっと違うんじゃない?と思う。要するに環境にいいものをじっくりした生活をしながら末永く使って行く生活スタイルって言うけど、高級志向みたいな所もある。確かに高い物を買えば大事に使うし…、(もったいないとは違う?) 違う。一般的に、今、デパートのパンフレットに盛んに使われているの等はね。良い物を買いましょう!みたいな。庶民感覚と違う。

 (それはデパートの戦略だよね)。もともとは意味が違うはずなんだけど。

LOHAS(ロハス);米国の社会学者ポール・レイ氏と心理学者シェリー・アンダーソン氏が提唱した  Lifestyles Of Health And Sustainability の頭文字をつないだ造語で、「健康や持続可能性を重視するライフスタイル」を意味する。

●「もったいない」というのも、どこに視点を持っているかで、本当に難しい。高くてもながーく代々使える物を大事に使えば、それはそれでいい使い方だけど、今お金がないのにそれを(笑い)という訳にはいかないので安いのでいいわになるし、やっぱりリサイクルだって何だって新たにエネルギーを使いながらの訳だから、コスト計算がよく分からない。地球全体の命に関してどっちが良いのかって事はよく分からない。「もったいない」ってお皿に残った物を全部自分のお腹に入れると(笑い)…賞味期限もまだ大丈夫と思っていても過ぎてしまって食べて、結局お腹を壊したり(笑い)。身近な所からの心配もある。

●何かのエネルギーを使わないと私達は生きていられない。私は子供が生まれた時、紙おむつが出始めの頃だったので迷ったが布オムツにした。でね、布オムツがいい勝手いうと、やっぱりすすぎを過敏にして水を使う。紙おむつを使ったら、家の子はかぶれてしまったので布にしたんだけど、せっせせっせと洗ってはたたんで、疲れたお母さんが大変なエネルギーだよね。

●紙オムツは高いし、その割りにかぶれ易い。私は迷わず布にしたけど、今だと紙もずいぶん良くなったし、(紙が主流だよね)

●布の人いないんじゃない?(干してある所見たことない)(病院は全部紙オムツ)

●で、ゴミに出してるんだよね。普通の。(そうそう)

●紙って言っても本当は石油製品。(不燃物?) 当は不燃物だけど、不燃物にしてしまうと、衛生上の問題が発生する。だから、しかたがないので可燃ごみ。今は南陽工場が立派なので、ダイオキシンは出ないけど。

●迷うことなく文化とかそういうものも伝えていかないともったいないよね。

●本当にもったいない。

●昔の人達は、二言目には、自分達が学歴がない中で、自分を食べさすために、奉公したりして、その中で言い伝えた。自分で自分を食べさせて行く、生きていく智恵を次世代にアドバイスとして言ってくれたんだなと思う。

●さっきの話を聞いていて、私はそんなこと、ずっと言われてなかったって思った。で、本の中の「そんなことじゃ駄目だ」って言うのを聞いた時に、先生にも親にも、いつも言われてきたなーって思い出した。

●「人の噂も75日」とか。「そんなに考えなくていいよ、いつか忘れていくから…」と、気持ちか楽になるような事とか、「撒かん種は生えん」とか、色んな智恵を貰ったことを、今になって思う。それが今回、アメリカ人と付き合うのに、すごく生きた。(後世に伝えなくちゃね、そういうのは)。書き出さなくっちゃね。明治時代だから本当に学歴がないから、子守奉公からした人達の、自分が食べて行く智恵。

●おばあちゃんに、二言目には言われていた言葉が、今尚口をついて出てくるっていうのは、いかに二言目に言っていることが後世に伝わって行くかってこと。

●知識はないけど、智恵。(うんうん)

●去年絵本のベストセラーでも「もったいないばあさん」っていうのがあった。けっこう若い作者だけど、やっぱり自分のおばあちゃんがいつも、口癖のように言っていたのをちょっと絵本にして「もったいないばあさんが来るよ。ご飯を一粒一粒大切にしないといってもったいなーいと言って来るよ。もったいない事してないかい?」。

●よーく言われたね。目がつぶれるぞとか。今はそんな事言ったら盲人、いや、視聴覚障害者の方に悪いけど。(ご飯、一粒も残さないってことだよね)(うんうん)ほーんとに残さなかったものね。一生懸命食べたもの。

●昔のお百姓さんは88の手間をかけたって言ったよね。今の農業はその説得力がないのかな(笑い)

●見えてないんだよ(見えてない)

●自然の恵みに感謝するってことよね。学校給食で「頂きます」って言うのはおかしいっていう親がいて、(へーっ!)(読んだ!私も)給食費を払っているのにどうして頂きますなのかって(えーっ)。校長が「ああ、そうだ」って「頂きます」って言うのをやめちゃったって。(へーーーーーーーーーーーーーーーっ!)どういう事かと呆れた。(本当の話?)本当。(私も新聞ではない、何かで読んだ)

●頂きますって、日本特有のいい言葉だよね。

●万物の恵みに生かされているんだという、全部を含めた感謝の言葉。

●学校教育にクレームをつけたのは親でしょ?

●学校は親に説明するんじゃなくて、親の言う事を聞く。

●事なかれ主義でぶつかりたくない。

●「自然」と遠くなってきたって事だね。

●だって、暑さ寒さも温度計の数字を見て言うんだもの。テレビで何度何度というけど、自分の家の設定温度は段々低くなっていて、20℃だと寒いと言う。夏は18℃。自分の感覚とはちょっとずれているような気がする。

●「暑さ寒さも彼岸まで」なんて言いながら耐えるって事がなくなってきた。

●一応彼岸までだけど、その前には「三寒四温」とかね。(花冷えとか)

●皆さんは、いいお住まいに住んでいらっしゃるので(笑い)オンボロアパートなんで、暑さ寒さが直に伝わるんで(あーあ)

●日本は断熱材を使わなさ過ぎる、アメリカは二重に断熱材を入れるって。アメリカは、エネルギーを無駄に使わないため断熱材を使わなければいけない法律があるんだって。

●アメリカは室内でジャンジャン暖房してシャツ一枚で暮らしている。

●アメリカに駐在している友人が、使っていない部屋も全部暖房しているから、無駄な気がするって言っていた。

●アメリカが世界のエネルギーをどれだけ使っているの?(笑い)

●クリントンの時はけっこう規制していた。原子力発電を規制したりしてたけど、ブッシュになってもどってしまって最悪。

●石油産業で持ってるから。イラク戦争も美辞麗句を言ったって、もとはと言えばそれ。一方で、そういう建築士もいるという事は確かね。そういう動き、運動も根強いね。

●断熱材も今はパックになっていて、ポンポンと入れるだけ。日本の断熱って土壁だったんじゃない?

●高いし、その技術がもうなくなってきている。例えば、漆喰でも、素材は海草で、海から採ってくるけど、海草自体がない。海が汚れて採れなくなっている。今日のテーマが「もったいない」になってしまったようだけど、(笑い)昔の物を潰さずに生かしていけるようにする。戦争で焼けなかったけど、道路に面した家は立派な家が多くて、それが道路拡張でどんどん潰されて行って、街並みがどんどん変わって行った。そういう中でもったいなさを生かして快適さをプラスしていく事が大切だと思う。

●ヨーロッパの街並みでも、街並み自体は古いけど、中は改造してる。

●築何十年という古い物でも使っている。日本はせいぜい築30年。次から次へと建てる。

●遠縁で京都の北山杉を生産している人がいるけど、今はもう、北山杉で家を建てる人はいなくなってなかなか大変みたい。(あーあ)

●森林がどんどん小さくなっているし。手入れをする人がいないし、手入れをしてもペイしない。

●だから、スギ花粉症もそうなの。杉山が荒れているから杉がやたらと花粉をつける。(生き残るためにね)ちゃんと人間が手入れをしていれば、ここまで花粉がひどくならない。

●竹もね、森や林を侵食している。

●番傘をさして通れるくらいに間引きして育てなくてはいけない。太陽の光が欲しい。

●番傘ってなーにって言われるよ。まだ作る人いるの?

●昨日、京都へ行って蛇の目を買ってきたけど、もう廃業しなきゃいけないほどの業種になっている。蛇の目や番傘が生活に遠い物になっている。中国の番傘が1000円で入ってくるし。日本の物は、最低でも、12000円から13000円。中国のは格好だけの番傘。番傘、蛇の目、日和傘の違いとか、色々なことが分からなくて、しっかり講義を受けてきた(笑い)

●雨が降り出すとコンビニの人がすぐ傘を出す。(100均も便利だし)使い捨てでポイだものねえ。(もったいないね)(そう)

●朽ちていく物の方が美しい。(ああそう。プラスティックは残る)(だから私も美しい)(笑い)

●そうだよね。人間も老いてなくなる訳だから、そういう物は美しい。だから自分の命を大切にしなければいけない。床の間の壁も雨漏りでちょっとしみがあったけれど、塗り直さなくていいって言われた。「自然の風雨に晒された物だから」って。(はーあ)人間もそうなんだって思って(そうだ!)(笑い)年輪は美しい。今まで気がつかなかった価値観を貰った。

●北山杉の仕事をしていた人が、フィリピンで全滅に近い戦況になって、上官の最後の命令が「海へ行く者は海へ、山へ行く者は山へ行って自分で生きろ」になったって。その人は山だったら自分は知っていると思って山へ逃げて、何千人の中の本当に23人しかない生き残りの1人になって日本に帰れたそう。海へ逃げた人も1人か2人生き残ったそうで、多分それは海で育った人だと思う。プラスティックばかりで暮らしていたら生き残れない。

●今の子は携帯がないと生きてられないよ(爆笑)

●電気が一つ止まったら生きていけないよね。そこまでないとしても、ダメージが大きい。携帯もあって当たり前だと思っているから。(生き残れないね)

●昭和20年代の生まれだけど、私達は学歴をつけて、なるべくダーティな仕事をしないホワイトカラーを目指した気がする。ジェフェリさんはすごいインテリなのに、ダーティな仕事をいっぱいした。それを子供達に見せたかった。ダーティな仕事もするからカッコイイんだよって。私も一緒に手伝ってやったけど、子供達もボランティアで一緒にやってすごくいい影響を与えたと思う。新聞の報道を見て、もと大工さんだったような人が、自分でお弁当を持って手伝いに来てくれたり。身体で仕事を覚えてきた人達の仕事振りは歳をとっても本当に凄い。中途半端なボランティではなくて、75歳でも、その日の仕事はきちんとやりこなして帰られて、本当に頭が下がった。日本人がようやらんと言ったことを外国人が引き受けたので、その心意気に感動し、神社やお寺の仕事をしてきた自分がやらなくてどうすると思ってボランティアに来たって言われた。最初から名刺を出す人とは違う(笑い)

●豪雪のボランティアでも、「来てやってあげる」みたいなのはボランティアの意味がないよね。それと同じだよね。今夜僕どこへ泊まるんですか、何を食べさせてくれるんですかではね。(災害の手伝いにきているのにね)

●ボランティアという言葉自体が自分の意志って言う意味でしょ。竹や木や本当にシンプルな自然の物を使っている、日本の建築に興味を持って、京都に住んだアメリカ人建築家

では、記録のDVDを皆で見ましょう。(拍手)

<メール参加>

●イラク派兵後は二言目に「私は父を戦争で亡くした遺児です」と書いたり、話すことが増えた。平和に生きられる確信が持てるまでこの二言目は続くだろう。それまでは、人に話したくない私の劣等感だったが。

<吉祥寺改築の写真展> 42257までの2週間の午前10時から午後4時まで。

  愛知県津島市。名鉄津島駅から徒歩78分。近くの津島神社の藤祭りも楽しめます。

 DVDをご覧になりたい方は連絡してください。


今後の予定 手紙・Fax・メール参加大歓迎!毎回10時〜12時まで。司会はジャンケンで。

427()「今も心の琴線に触れる一曲」              

5月29()「風水・縁起・習慣」

629()「マスコミに願うこと」

724() 「人と話すことは……」(2期がま口塾最終回)

  時間厳守・手土産厳禁会費はお賽銭です。どなたでもご自由にどうぞ。

4年間、御幸山の坂道をエンヤコラ登って頂いた皆様、有難うございました。ただただ感謝あるのみです。皆様から便りの感想やお返事を頂く度に、

挫けそうになるのを支えて頂きました。皆様に心からお礼申し上げます。

この度、諸般の事情で小休止を決意しました。勝手なお知らせをどうぞお許し下さい。

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