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「がま口」の旗をたてようとベランダに出た途端、固まってしまいました。石川県から前夜ホテル泊のSさんが垣根の入り口に立っている!岐阜からも北京からも、近くからも続々と…。最終回で、気合を入れて集ってくださった皆様、本当に有難うございました。26人のジャンケンで司会になったタチアナさんの進行で、和やかな2時間でした。最終的に午前の部は30人の参加。あまりの人数で、いつものようなフリートークの時間はなくなってしまいましたが、頭の数だけの「話」とメール参加が、どっしりとカバーしました。
●一番苦手な事。無駄口は言うが、ちゃんと向き合って話す事が下手なので、ここで勉強しようと思ったら、もう終わり。話さないと伝わらないという事があるので、その為にはどんどん話していかなければいけない。若い人達と長い間活動していて、関わりがある。同年輩や、歳上の方達とのつきあいはあるが、繋がりは意外と少ない。おしゃべりは下手で、人に伝わるようにはなかなか話せないなあといつも思いながら、どうしようもないなあと毎日過ごしている。こういう集まりがあって、勉強できたらなあと思っているけど。 ●私も同じで、主婦をしていると、アホなおしゃべりはするが、ちゃんと自分の考えをまとめて、皆さんに分かるように話すという機会がなかなかない。あると、自分が自分でなくなっちゃうようなやり方しかできない。本当に自然体のままで自分の考えを皆さんに分かるように伝える事の難しさを思っているが、それがこの会ではすごくできる。格好つけなくても自然体でという、こんな機会はないと思っている。すごく嬉しかった。
●話すことは上手でない。聞くことは比較的上手なので、N市のボランティア相談員をやっている。口を挟まないタイプで、色々聞きながら、それでも、それが良いか悪いか分からないけど、高齢者に対する食事会も15年続いている。だからあまり喋らない方が却っていいのかなって思っている。 ●井戸端会議的な無駄口はする。今A市の男女共同参画事業に関わったり、ボランティア活動を色々していて、1分で自己紹介しなさいとか、3分でとか言われるが、3分も1分も長いし、なかなかその時間内にまとめて話すのは難しい。自分では言っているつもりでも相手に自分の想いが伝わらない。 **********司会者は、いつもと違って指名で発言者を決めて進めている。次を指したら「順番でないです!」の抵抗あり。司会「順番は私が決めます!」(爆笑)(拍手)**************
●会話の無い家で育った。祖父母、両親がいる大家族だったので、母が普通の核家族みたいに子供の事に目が行かないというか、嫁としての立場が第一。田舎で田畑に草を生やしておかないという事で嫁が評価される。草ぼうぼうにしているような嫁はダメだという事。父も酒飲みで子供の事に目がいかなかったのか、本当に会話の無い家庭だった。 こういう事話したいなと思っていても、それに相手が応じてくれないと、そこで萎んで しまって、もういいやという感じ。子供のお母さん達とのたわいのない話はよくできるけど、突っ込んだ事はなかなか話せない。話せる場がない。人間関係がブツブツ切れることが分かっていても、果敢に立ち向かって皆さんに話をした方がいいのか…。その辺が難しい。がま口塾ではテーマもあるし話ができるので、毎回来た。ちょっとガックリきている。
●人と人。自分の役割は何だろうと思った時、人と人を繋げる事。人と人の情報を繋げる事ってよく言っているが、話す事はその道具と思ってる。人見知りをして、書いて纏めるのは仕事柄するけれど、頭が回転する方じゃないので、人の前で的確に話を纏めるというのはすごく苦手。そのせいもあって、人前で話をするのは嫌いだが、やっぱり話さないと人と繋がれないので、奮い立たせて話している。
●私も本質的に色々な人と会うという事とお話をする事が好きだと思っている。仕事を辞めて、これから世界が狭くなるなと思った時に「ひととき」欄でがま口塾を知った。二期からずっと参加して、本当に月一回のこの会を楽しみにしている。
●殆どの方が女性なので(笑い)、話して良いものか、話さない方がいいのか、今までも悩んだ。今僕は体の具合が悪かったりとか、後遺症で、グループワークにも出ている。話す事については、がま口塾とそのグループワークが話す場だった。こんなに大切ながま口塾の場だったけれど、最近まで、僕は皆さんの話を聞いて、何を言っているのか、殆ど分かっていなかった。自分の体験していない事ばかりが話されるので、皆さんの言っている事の意味が分からない。 でも、全く社会ではダメだと言う訳ではなくて、「もし膠原病でなければOKだよ」と、この前主治医が言ってくれたので、かなり回復してきたと思う。すごくもがいていて、人と言葉で交流できるようにとずっと生まれた時から思っていて、それがようやく出来てきた。もうすぐ50になってしまうが、僕にはそれが言葉には出来ない程のものすごい体験なので、ここのがま口塾があって成長したし、虐待を受けた人達のグループワークで成長できたし、色々なボランティアで話して、それらがあって、今ここにあると思う。
●現在1人住まい。そういう友達同士で電話をすると、相手が「今日初めて声を出した」というぐらいの生活。私はお蔭様で、空の巣症候群にかからない地域に恵まれていて、怖いくせに冬でも玄関を開けていて、網戸になっていたらいるよという証拠にしてあるので、誰かが何かを言いに来てくれる。 昨日、スーパーで野菜を選んでいたら、キリンさんに覗かれる様な大きな気配で、振り向いたら、白人の外人男性がいた。選んだ野菜を古そうだったので戻した私に「お母さん、何故買わない」(笑い)と言うのでびっくりして「コレ、フルイ」(爆笑)。(※♪ソファソミドの音程)ドキドキして「お先にどうぞ」「僕母さんと一緒でいいです」という事で、もずくのところに来て、裏を見たら中国製だったので、止めようとしたら「お母さん何故買わない」(爆笑)。「コレ好きじゃないです」。 ●第1回から参加している。何故かと言うと、ちょうど2年前に主人を亡くし、2人の子供も続けて結婚して、住居も変わってC区に来たので、真っ白なマンションの部屋で1人でポツンといて「これからどうしよう」と落ち込んだ。その時に朝日新聞の「ひととき」が目にとまって「あ、これだ!」と思った。私は家の中ばかりにいて、狭い範囲しか知らなかったから、これから生きていく人生で、1人でも多くの人と関わっていこう。皆さんはどういう考えでどういう風に生きてきたか聞きたかった。 第2期は若い人が多くなって、ちょっとついていけない感じがして、しばらく休んでいた。私達の年代になると、食べ物とおしゃれとカラオケの同じ話ばかり。何か、ここのテーマになっているような事を話できるような人があると楽しいなあと思って、ここへ来ると「あ、私でも!」ってなる。
●私も第1回から参加している。その頃は子供が大学に行っていた。1人の子だから、子供に関わっていないと何となく寂しいのじゃないかなあという感じで、専業主婦をしていたので、毎回参加した。第2期は色々他で忙しくなって、曜日が重なって殆どダメだった。私は話下手で、井戸端会議はあまり好きじゃない。最小限の事は話すけど、大きい声でキャーキャー話さない。 証拠に、気の合う人と度々山歩きをした時、あまり普段交流した事の無いご主人が「Mさんは笑顔が素敵な方ですね。山に来られた時の笑顔は普段と違いますね」と言われた。写真を撮って頂いたのを見たら、本当にこれが自分かと思う程良い笑顔をしている。『ああ、私は普段嫌な顔をしていたんだなあ』と(笑い)反省した。
●月1回テーマを決めてお話をするという事を、ずーっとBさんがしてきて、がま口塾の便りでだけで参加していたが、1回、本物の塾生になってみたいと思っていて、やっとその夢がかない、石川県から来た。(へーえ!)
●こんなに沢山の顔ぶれが揃ったのは、寂しいけど、これが最終回だからかな。私にとって話は飢えていない。寝てる時と食べている時以外は殆ど話している(笑い)。私がここに来たのは、色々な方と知り合いになりたいから。自分も話をする事が好きだし、皆さんの話もそうだが、何よりも1人1人の人間の顔を見て、新しい方に会えるのが、第一の喜びだ。
●人と話すことはすごく楽しい。人の話を聞くと言うのもすごい楽しい。実は第一回目に参加した時の記事をもってきた(ヒエーッ!)。88年の4月19日の記事。私が名古屋に引っ越してきたのが、4月4日。読んだら転勤族でここへ落ち着いたと書いてあって、私も転勤してきてまだ1週間ちょっと。最初は朝日新聞をとったが、4月19日から1ヵ月くらい後、中日新聞の方が来て、「ここに来たら中日をとらないと、色々な事が知れないからぜひ中日にしてくれ」と言われ変えた。(へーえ)(ひえーっ!) ほんのちょっとの間に、彼女が「ひととき」に出してくれたおかげで、ずーっと参加した。
●私は二期から友達の紹介で来るようになった。元々話をするのが上手くないので、子供が小学校に上がった時に、生涯学習センターとか受講したが、自己紹介して下さいと言われて、自己紹介がある講座は嫌だなって、人と喋るのが苦になっていた。がま口塾を重ねる度に、少しずつは喋れるようになって、ドキドキ感も和らぐようになって、これは場慣れかなあ、数を踏めば、少しずつ喋れるようになるのかなあと思って、関心のある事には参加するようにしていた。
●今日で2回目。この前は今から10何年前(笑い)。今日、出がけに主人が「何人集まるんだ? 5人だったら5分の1、10人だったら10分の1だぞ」。という事は、私は人よりもの凄く喋る(笑い)。ところが、もの凄く大勢の所だと真っ白になってしまって全然喋れない。一番いいのは5~6人。60歳を過ぎたら、同窓会の回数が4年に1回が2年に1回になったり、「あの人が亡くなられた」という話が多くなるので、だんだん集まりが増え、気の合う人、合わない人というのを凄く感じるようになってきた。気の合わない人と1日付き合って帰って来ると、ストレスが溜まって、考える。でも、その日の方が学ぶ事が多い。 旅行に5人で行って、写真が出来上がって皆に配った。「お金とってよ」「いつも有難うね」とか色々ある中で、自分の写真を見て「何―っこれっ!」ってビリーッと破っちゃった。(エーッ!)(すごーい!)その人に、私今まで随分写真あげたから、家へ帰って破られた事はあるかもしれないけど、目の前で破られた事は初めて。私達から見たら、後ろから横顔を撮った普通の写真だが、その人は自分でその方向から自分の顔を見ていない。目の前で破ってくれる位親しいのだと思えばいいのだけど、たった1枚の事で色々思った。 同じAさんの事を「あの人良い人よ」「悪い人よ」って言うけど、よく考えると「都合の」良い人、悪い人。それを聞く時に、自分で「」をつけて聞けば、(笑い)他人の言葉で中傷される事も無いんじゃないか。私から見たその人でいいんじゃないかなあと思う。気の合わない人と会いたくないと、何もこの年になって思わなくても、会う事で学ぶ。
●歳とともに煮詰まるという言葉を私も何かで読んで、友だちに聞いたら、皆も「その通り」って言った。私も丸くなると思っていたら、加齢と共に我侭だったら、いよいよ我侭になるし(笑い)、好き嫌いが激しい人だったら、より激しくなる。そうでない人もいるが。 書く事も話す事も全く論理的でなくて、夫や娘達から注意ばかりされる。支離滅裂に話が飛ぶ。女同士だと割りとそれはいい。映画の話をしていて、「この前読んだ話が面白くてねえ」って言うと、「この前、誰それと久しぶりに会ったよ」と、めっちゃくちゃに飛び交っていても、不思議と思わない(笑い)。
●娘と来た。第一期の時は、今20歳のこの娘と、この下の男の子の2人を連れてはなかなか来られなかった。「イエローケーキ」という原発反対運動をやっていて、その通信を出していたので、がま口塾の通信と双方の想いを交換していた。一期には2回位しか来れず、二期になって、やっと子供達も大きくなったので何回か来られて良かったなと思っている。
夫の母が隣に住んでいるが、4年前に脳梗塞やって、呆けも入ってきたかなと思っていた。認知症の外来が精神科にあるから、脳外科にかかっていたけど、精神科に連れて行ったら、「脳外科の薬を全部やめてみろ」と言われ、止めて脳の検査もしたら、全く問題なかった。
●今回、私が一番年下だと思う。お引き回しの程宜しくお願いします(笑い)。今日、皆さんの話を聞いていたら、すごく楽しくなってドキドキワクワクしている。テンションが高くなっているので、「この若輩が!」と思われる発があるかも知れないが、そこはナマアタタカイ目で見て下さい(笑い)。 人と話す事は、私にとっては浄化という意味がある。今大学生活を送っていて、日々不安や不満との戦い。色々考えたり、ショックを受けたり、感動する事もあるが、色々心の中に溜まっていくのは、綺麗な事ばかりでない。自分が思っている汚い事とか外から入ってくる汚い黒々としたもの…黒って言う表現はありきたりだが、それを口に出して言うのは、洗って貰うというイメージがある。 私達の年代でも、そこら辺のおばさん達の会話と変らない人が多くて(笑い)、学校生活で「そんな事話してて楽しいか?」「どうでもいいじゃん、そんな事」「レベル低いなあ」って思う。ちゃんと考えたり、自分の意思をもって話しているのかなって、すごく思う。
●20歳の息子が3歳の時にここに来た。引っ越して間もなく「ひととき」を見て来た時は全く誰も知らず、出会いを求めて来たが、ここで出会った色々な人との繋がりが、私にとっては宝物になっていて、感謝している。ここは安心して喋れるし、自分が喋る事で自分の中ではっきりしなかった考えが纏まって行く。言葉のキャッチボールをしながら『あ、そういう事だったのか』と。人と喋る事は、けっこうシンドイ事もあるので、引き篭もりたくなる事もあるが、やっぱり人と話すと、自分の考えが整理されていく。 地球大学というゼミをとったので、10、20代の人達とずっと勉強した。自分が歳をとったなあと感じたのは、10、20代の子達は感情をもろに出すものだから、すごく激しくて、色々な人達と、ハグしながら泣くみたいな経験を何年かぶりにした。そういう意味では年齢を重ねるという事は、そういう感情を、ある程度おさえている部分もあるのかなと感じながら旅をしてきた。もう1回乗るとなるときつい部分があるなと…(笑い)。でも、90代、80代の人もいっぱいいて(へーえ!)、 1人暮らしのお年寄りには非常に楽しい空間だろうな、と思った。 ●人と話す事が結構苦手になってしまっていて、7~8年前は、近所の人に挨拶する声すら出す事が怖くて貝になっていた。N市に住み、Tさんや、Bさんを慕うような方達の中にいる中で、だんだん声を出す事ができるようになった。 結局そこで、核の削減条約にも関わってくるような、核弾頭の中の燃料を、別にロシアの原子炉の中で燃やしてしまうというタイプの研究に関わる事ができた。が、もんじゅの事故やら何やらで、前回のメディアのテーマにも関わってくるけど、外からのバッシングとか、その中での、人が壊れていく姿を見たり、とかで、よけいに人と話す事が苦手になって、いつかはBさんの周りにいる方達からでも、もうちょっと喋れるようになっていこうと思っていたが、とりあえず最終回になってしまったので、こういう者ですがという事もある。 私が今どこの位置に立っているかは、すごく不安定で、どう考えても多分「えっ!?」という感じで見られてしまうと思うけど、すごくあったかい人達。さっきも人と人を繋ぐという言葉があったが、閉じ篭っているままでは、本当に何もできないし、一歩一歩下がったりしながらも、とりあえず動かないと、何も動いていかないと思うし、動かないまま済ませる訳には、子供達とか、その他先の世代の為にも、どうにもなっていかないなと思うので、とりあえず逃げないで、この場だけにでも来たいなと思って来た。Sさんにもお目にかかる事ができたので、とっても嬉しい。(拍手)(司会:誕生日おめでとうございました)(笑い)。
●今日で3回目位の参加。いつもニュースレターで元気を貰ったり、インターネットのHPの日記で勇気が出たりしている。この3月で定年をまっとうしないで仕事を辞めた。私は人と話す事は苦手。自分の想いが上手く伝わらないという事が何度もある。今も知らない方達の中でドキドキしているし、何を話していいのか分からないが、それでも勇気を出して出てきて、話せば自分というものが出てくると思う。自分が何を考えているかという事が分かってくる。 私は犬が好き。何かに「犬は遊んでくれる人、褒めてくれる人がいい」と書いてあった。私自身もそうで、「遊んでくれる人いいな、褒めてくれる人いいな」。
●Sさんの本を買って2冊持っていて、今日お会いできて良かったなと思う。実際に参加したのは10回位だが、自分が出た時のレジメを読むのと、自分が出なかった時のレジメを読むのとでは、やっぱり感じが違う。自分が出た時のを読むと、一生懸命簡潔にしてある事がよくわかるが、あの時、皆で笑ったなあ、こういう冗談を言ったなあとか、こういう顔をしていたなあとか思う。
母は77歳で、ちょっと体を壊して、実家のC区から私の家、M区に来た。5人家族の私の家は、夜、皆が集まるのは、11時、12時の生活で、母が誰とも話さないで家にいる、結局、夜は安心して寝られるが、昼間全然人と喋らないというのを数日続けただけで、もう参ってしまった。近所の人が話に来てくれて、「どう、元気?」とか、惣菜を持ってきてくれたりするのが、凄く支えていたんだなというのがよく分かって、人とはこうやって顔を見て話さないと、とても生きていけないなと思っている。 仕事で小さい子供と接する事が多いが、小さい子供は、もの凄く自分の事を話したくてしょうがない。「今日学校でこういう事があってね!…」。やっぱりきちんと目を見て話してあげて、関わった子供に対しては、最後の「さようなら」も、目を見ていないと「もう一度目を見て」とやり直す。 ●私は最初から参加している。最近はチョコチョコしか来ていない。私は話をする事が苦手。これだけ大勢になると苦手で何を言っていいか…。やっぱりここへ来て凄く楽しかった。お便りを読むのも大好きだった。それがなくなると思うと寂しいが、又の機会を信じて又来ようと思っている(拍手)。(※司会の言葉に皆、爆笑しているが、聞き取り不能)
●遅刻したので、自己紹介だけする。Bさんと一緒に北京放送で仕事をしていて(へーえ!)、去年の10月まで、ニュースのチェッカーをしていた。契約切れ後、京都で在宅で、(中国の)人民日報のニュース翻訳を引き続きしている。 ●彼女は子豚1号、私は2号と呼び合っている。後姿がそっくり(笑い)。皆さん、今日はようこそ私の生前葬にお出で下さいました…(笑い)と言おうと思っていたけど、縁起が悪いと言った人がいるので止める。でも本当に遠くからも来てくださって有難うございました。
私を励まし続けて下さったのは、勿論会員の皆さんだが、S(水野スウ)さんの存在が大きい。私より何年か前に自宅を開放して、毎週水曜日、毎週ですよ!水曜日の午後全部「紅茶の時間」をされている。Sさんは本当に癒しの場というか、テーマは決めないで、優しくどんな話も受け止めている。私は「ダメ!」とか「はいはーい」とか、脅したり流したり(笑い)。 Sさんには1人娘のMさんがいる。(講演に来て頂いた時、連れていらしたMちゃんが8歳位で眠っていたのを覚えている。金沢のキルト展にも行った)。Mちゃんが大学の卒論で「場の持つ力」を研究し、それを冊子に纏めた。「話し合う場」の持つ力を科学的に分析、考察していて感心した。若々しい親しみやすい表現で、読み手を誘ったりしていて、素晴らしいと思った。
昨日まで、やっぱり閉会が寂しくて、思い出の便りを1号からベタベタ貼ったり、写真を並べたりと今朝の2時頃までやっていたが、昨夜遅くOさんからFaxがガタガタ入って、何と!「がま口塾天道支店」を開店して下くださるという「お知らせ」でした (拍手)(わーっ!)(笑い) 心がパーッと明るくなって、いっぺんに元気が出たの(良かったあ!)。皆さん、今後とも支店をお引き立てくださいますよう、宜しくお願いします。(笑い)
<Fax・メール参加>********************************************************* ●人と話す事はお喋りとは違う。テーマがあったり、何か目的があって話す事かな〜。そしてエネルギーが要る。自分の事ばかり話していては話が噛み合わないし、聴くばかりでも噛み合わないし、頭も耳も目も使って、自分の意思表示もして、エネルギーが要る!エネルギーが要るからこそ、話し終わった時に満足感があり、又次のエネルギーが沸く。話しすぎて、時には力一杯落ち込む時もあるが…やっぱりメールでは一方的になってしまうね!
●投稿と言う形で参加をさせて頂いていたが、当日出席をしていたら、思うような話ができていたかしら、と考えてしまう。自分の思いを話すには、できるだけ沢山の材料があったほうがいい。体験、学習、全てが材料。自分はどれ程の材料を持っているか、そう考えると自信がない。薄っぺらな自分に気がつく。豊かな体験にプラス「話術」が伴った時に、人は人を引き付けられる話ができるのではないかと思う。 ●話し上手は聞き上手!他人の言う事を良く聞いてあげてこそ話上手と言えます。(拍手) ******************************************************************************** ●本当に今日まで、皆さん、無口な私を支えて下さいまして有難うございました(笑い)。それでは大西恵子さん、皆さんにご挨拶を。 【大西】こういう集まりが、このままで、休みとは言え、何ヶ月、何年という休みの間が寂しいと思って、できれば細々とでも続けたいと思って考えた。録音とかテープ起こしはできないし、やろうと思うと重くなるのでやらない。パソコンもなーんにもできない、今の私でやりたい。宜しくお願いします。(うんうん)(拍手)。 (※開催日の案内が欲しい方は、今回同封の申し込み用紙を大西さんに直接郵送して下さい)。 ●安城市から来たNです。8月8日に安城で「ぞうれっしゃ」を上演する。 (名古屋で孫が出た。南京まで応援に行くよ!)。名古屋は270人の舞台だったが、私達は70数人。今、必死で頑張って練習しているので良かったら来て下さい。
●スウさん、万依ちゃんの本の事、ちょっと話して。 ●娘がよもや「紅茶の時間」の事を社会学的に研究するなんて事、思ってもみなかったので、実際に「卒論書けたよ」って言って、それは勿論、絵など入っていない、真面目な卒論がコピーして送られてきた時に、読んでびっくりした。私自身が長い事やってきたけど、そんな視点を持っていなかったので、何度もハッとして、そうなんだという事があった。
●造形芸術。芸術というと、日本画とか洋画とか彫刻とか色々思い浮かべられると思うが、私は総合造形という学科で、1、2年生で、絵画・彫刻・写真もつまみ食い程度に全部やる。先生達の意向としては、現代美術で新しい表現の仕方を追求していくという学科にいる。 ●Hちゃんの話を聞いていて、社会学部の人かなと(笑い)思った。きっと言葉が刃のように研ぎ澄まされていくって言うのは、(※ドアチャイムの音で聞き取り不能)娘も同じような事を言うので、社会学って常識を疑えっていう学問だよね。だからドキドキして聞いたの。 ●さっきからスウさんって、水野さんの事?ここにいない人の話しかと思っていた(笑い)。
●ゆったり工房所長のKです。日進市で精神障害者の小規模通所授産施設で、3年前に 社会福祉法人をとって活動をしている。今、15名のメンバーが日常生活訓練や作業訓練を通しながら、社会参加を目指して頑張っている。今年活動を始めて11年目。「第11回あじさいコンサート」を29日に開催する。昨年は10年の節目で、Bさんのナレーションで10年をふり返ったコンサートで、1000人ホール満席のお客様に来て頂き好評だった。 ●私はゆったり工房、メンバーさん、職員さんを少しでも支える事ができればと支える会に入っていて、「ボランティアゆったり」でお手伝いをしている。メンバーが年々力をつけて行くのを見て、ボランティアの本当の意味を私が体験させて頂いている。皆と一緒に楽しみたいというあじさいコンサートで、司会もメンバー自身がやり、しかも今年初めての人がする。「やります」って、自ら手を挙げた。それが大事な事だなと思い、私達もそれを支えなくてはと頑張っている。皆さんに声をかけているので宜しくお願いします。(拍手)
【司会】午後もあるが、とりあえずここでBさんに大きな拍手を!(ワーオ!)(拍手) 【B】皆さん、有難うございました。Oさん、宜しく願いします。 【O】9、10月に関してはもうお便りを出さないので、渡したチラシを見て来て下さい。 がま口塾天道支店開店のお知らせ
塩釜口本店塾の休店を悲しむ皆様――― 細々とでも営業を、の思いで天道支店を開店いたします。 坂東塾長のようなパワーをもたない見習い塾長の営業する塾ですが、あんなに楽しくて、タメになって、心安らぐがま口塾がお休みになるのは、さみしいと思っている皆さま、支店もごひいきにお願いします。 ただし、支店ですので、本店並みのサービスは難しいものがありまして、 話の録音、テープ起こし、ましてや皆さまへの発送はいたしかねます。……です。 毎月の塾の日程・テーマなど、最低限のお知らせのみハガキかファックスでお送りします。ご希望の方は大西か坂東塾長へ。
第1回天道店塾 9月14日(木)午前10時〜12時 テーマ「夏をどう乗り切ったの?」 第2回天道店塾 10月20日(金)午前10時〜12時 テーマ「コトバは乱れているのか」 がま口塾天道支店 大西恵子 пFax 052-834-4041
がま口塾天道支店での日程などお知らせを送ります。切り取ってお渡し下さい。
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