大作曲家と楽器
第1回:ヨハン・セバスチャン・バッハ
今回から「大作曲家と楽器」と題して、大作曲家がどのような楽器を使っていたか、
どのように楽器と関わっていたのかについて、紹介して行きたいと思います。
さて、第1回に相応しい、「音楽の父」大バッハについて楽器との関わりを述べて
いきましょう。バッハは生前において、鍵盤楽器奏者、特にオルガニストとして名声を得ており、
それは作曲家としての知名度をはるかに超えていました。そのため、
ドイツのどこかの教会に新しいパイプオルガンが設置されると、しばしば鑑定者として招かれ、
歯に衣着せず厳正で的確な批評と改善点の指摘を行いました。
多くの教会にバッハの記した鑑定書が残っています。このためか、
バッハは楽器製造業者とも親しくしており、新しい楽器についてのアイデアなどを
提案したりしていたようです。特にドイツで初めてピアノを作ったジルバ−マン
(彼はオルガン製造者でもある)に対し、いくつかの有益な助言を行ったことは有名です。
さて、バッハは弦楽器も巧みに弾きこなし、若い頃はヴァイオリニストとして働いた
こともあります。彼の息子達によると、バッハはヴァイオリンを澄んだ良く通る音色で演奏し、
また合奏においては和声の判定者としてヴィオラを強弱自在にあやつりながら演奏するのを好んだ、
と伝えています。また、当時ストラディバリ(バッハの時代はまだニスも乾いていないような
新作楽器でした)より高価だったヤコブ・スタイナーの名器を所有していたとも言われています。
また、バッハは知り合いの弦楽器製作家ホフマンに依頼してヴィオラ・
ポンポーザを作らせました。これはヴィオラに似た5弦の楽器で音域はチェロに近い物でした。
これは音域はチェロで、当時のチェロ奏法では不可能であった高音域での早いパッセージの
演奏が可能でした。ただし、この楽器がバッハ考案によるものとする説には異論もあります。
バッハ自身は管楽器を演奏しませんでした(少なくともプロとしては)が、木管楽器、
金管楽器を指定した曲が多く残っています。ただ当時ニュルンベルグのデンナーによって
発明されたばかりのクラリネットについては全く記録には残っていません。
また金管楽器の名前の中には、現在どんな楽器だったかわからない物もあり、
研究者の頭を悩ませています。
バッハは多様な楽器の演奏技法について該博な知識を持っており、
それは管弦楽書法にも現れています。バッハが他のバロック時代の作曲家の中でも特に
取り上げられるのはこのような理由もあるからではないでしょうか。
→第2回
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