大作曲家と楽器
第5回:ロマン派以降(最終回)
大作曲家と楽器のつながりについてこれまで述べて来ましたが、
時代が下るに連れてどんどんそのつながりが希薄になっていきます。
作曲家と演奏家の乖離が益々進んで、分業化が進んで行きました。
そこでロマン派以降は、
作曲家として有名になる以前に職業演奏家だった人を一気にまとめて紹介して、
このコラムを終えようと思います。
古典派からロマン派に多いのがピアニストです。ピアニストはいろいろ潰しがききそうだし、
売れない時は教師として喰いつなぐことができます。
ピアノコンチェルトが有名なグリーグ(1843-1907)、大峡谷のグローフェ(1892-1972)、
途中で挫折したけどピアニストとして売り出しシューマン(1810-1856)、
言わずもがなのショパン(1810-1849)、
最初はショパン弾きとして売り出したスメタナ(1824-1884)、
ブラームス(1833-1897)、メンデルスゾーン(1809-1847)、
リスト(1811-1886)などなど。後半の3人は指揮者としても有名でした。
楽器ではないけれど、
自作以外の作品を指揮した職業的な指揮者もある種の演奏家と言えると思います。
そういう作曲家は、ウェーバー(1786-1826)、ヨハンシュトラウス(子)(1825-1899)、
リヒャルトシュトラウス(1864-1949)、ブルッフ(1838-1920)、ベルリオーズ(1803-1869)、
マーラー(1860-1911)、ワーグナー(1813-1883)などが挙げられます。
ベルリオーズやマーラーは当時指揮者としての方が有名でした。
バッハやヘンデルはオルガニストとして有名だったことは以前にも触れましたが、
ロマン派以降でも、近現代にいたるまでオルガニストだった作曲家はかなり存在しました。
ピアノ以上に交響的な楽器だからでしょうか。代表的な作曲家は、エルガー(1857-1934)、
グノー(1818-1893)、サン=サーンス(1835-1921)、フォーレ(1845-1924)、
プッチーニ(1858-1924)、フランク(1822-1890)、ブルックナー(1824-1896)、
メシアン(1908-1992)など、錚々たるメンバーです。
さて、弦楽器に目を転じてみると、
ヴァイオリニスト出身の作曲家はさすがに沢山いるのですが、クライスラー(1875-1962)、
サラサーテ(1844-1908)、パガニーニ(1782-1840)
等はヴァイオリン曲以外はあまり知られていません。
どちらかというと通俗的なヨハンシュトラウス(父)(1804-1849)
は自分の楽団を持つようになるまではヴァイオリン弾きでした。
変わった所ではニールセン(1865-1931)でしょうか。
バッハやベートーヴェンがヴィオラ弾きであったことは前回までに触れましたが、
その後もヴィオリスト出身の大作曲家は沢山出て来て、ドヴォルザーク(1841-1904)、
ヒンデミット(1895-1963)、ラロ(1823-1892)、レスピーギ(1879-1936)
などびっくりするような豪華メンバーです。
ヴァイオリニスト出身に比べてオーケストラ作曲家が多いのは内声を受け持つ楽器の所以でしょうか。
チェリスト出身の作曲家と言うとボッケリーニ(1743-1805)を思い出すのですが、
ベートーヴェンより古い方ですね。調べてみると、
オペレッタ作曲家オッフェンバック(1819-1880)がそうでした。
コントラバスを探したんですが、同様に私はドラゴネッティ(1763-1846)
を思い浮かべるのですがあまり有名じゃないですか。
管打楽器奏者出身の作曲家について私は寡聞ながら知りません。
どなたか御存知の方がいらっしゃいましたら御教示願いたいと思います。
弦楽器奏者の方が「潰し」が効くのでしょうか。
例えば本当は作曲家になりたいんだけど喰えないからとりあえずとか?
最後にちょっと楽器とは違いますが、アマチュアだけど大作曲家を御紹介しましょう。
と言ってもシューベルト(1797-1828)
の場合ほとんど定職を持たなかったのでアマチュアと言えるかどうか疑問ですが。
あとは国家公務員のシャブリエ(1841-1894)、化学の大学教授ボロディン(1833-1837)
などがいます。
以上ざっと見てみますと、指揮者やピアニストは別格として、
オルガニスト出身の作曲家が多いことが目につきます。
即興演奏を重視するオルガンと言う楽器の性格上、
オルガニストに作曲能力が要求されることと関係があるのではないでしょうか。
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