大作曲家と楽器
第4回:ベートーヴェン
さて、ついにこのコラムで「楽聖」Ludwig van Beethoven(1770-1827)
を取り上げることになりました。ベートーヴェンはその作品や影響力等から、
生前から既に神格化され始め、当オーケストラにおきましても「大権現様」
と言えばベートーヴェンのことを指します。
(なお御本尊を御守り申し上げている神主様はコラム「なかさんの音楽講座」
のなかさんです。)
ベートーヴェンが活躍した18世紀末から19世紀初頭にかけて、
楽器は大きな変革を遂げています。世界史的に見てもアメリカ独立、フランス革命、
ナポレオン戦争といった大変革の時代であり、産業革命の進行による工業化と市民階級の勃興は、
音楽芸術を王侯貴族の占有物から一般市民レベルまで拡大させました。楽器の面においては、
演奏場所が貴族の館のサロンからコンサートホールへと変わり、
より大きな音が出せるように次々と改造されていきました。
こういった時代を生きた最初の自由な音楽家の一人であるベートーヴェン(パトロンはいましたが)
がどのように楽器と関わっていったか見ていきましょう。なお、
ここでピアノと呼んでいる楽器は、
現在ピアノフォルテとかハンマーフリューゲルと呼ばれている楽器のことを指します。
ベートーヴェンはオランダ系の名前を持っていますが、
生まれは現在のドイツのボンで宮廷歌手を父(ヨハン、c.1740-92)として生まれました。
同じ名前を持つ祖父(1712-73)はフランドルのパン屋の子から
ケルン選定候の宮廷楽長にまでなった人物です。
幼いベートーヴェンは飲んだくれの父親から厳しい音楽教育を受け、
7才の時に(6才と偽って!)モーツァルトの様に神童として売り出されそうになりましたが、
ヨハンはレオポルドほどの才覚を持ち合わせていなかったようです。
ベートーヴェンの修行時代と言えるこのボン時代(1770-1792)において、
楽器の演奏法としてはピアノ、オルガンなどの鍵盤楽器やヴァイオリンやヴィオラ等の弦楽器を習っていました。
そして、1782年12才の時に最初の作品を出版し、13才の「選定候ソナタ」
の発表をもって本格的な創作活動を開始します。
最初期の作品はおそらくクラヴィコードで作曲されたのではないかと思われます。
その後、無給のオルガン助手を経て15才の時に宮廷オルガニストに就任しています。
ボン時代にベートーヴェンはワルトシュタイン伯爵から
ツーフェンブルックという作者のピアノを贈られていますが、
この楽器については良く分かりません。
このころはモーツァルトのところでも触れたウィーン式アクションのピアノが全盛の時代でした。
ベートーヴェンが17才の時にウィーンを訪れ、
モーツァルトの前で変奏曲を演奏した逸話が残っています。
19才でボンの国民歌劇場管弦楽団ヴィオラ奏者に就任、同年ボン大学に入学しています。
しかし、オルガンと言い、ヴィオラと言い何だかバッハと少し似ています。
1792年にベートーヴェンはボンを訪れたハイドンに弟子入りしウィーンに出て行きます。
そして様々な人に師事し、作曲法などを学ぶ傍ら、ピアニスト、ピアノ教師として生計を立て、
そして次第に作曲家としての地位と名声を確立していくわけです。
1792年以降、ベートーヴェンが所有したピアノは非常に多く、
その変遷と作曲に及ぼした影響を論じたら一冊の本になってしまいます。
そのためここではいくつかピックアップして非常に大雑把に概観しますので、
資料的価値がほしい方は図書館でより詳しく調べて下さい。
ウィーンに到着してから1800年頃まではフォーゲル、ヴァルター、シュタイン、
ヤケッシュなどのウィーン式アクションのピアノで作曲や演奏活動を行っていたようです。
フォーゲルのピアノはリヒノウスキー公女から贈られた物です。
また弟子のチェルニーが1800年にベートーヴェンの部屋にヴァルターのピアノが置いてあったと書いています。
この頃の楽器の音域はf1-f3までの5オクターブしかありませんが、
ベートーヴェンは全音域を使用する曲を書くなど、
楽器の限界に挑むような野心的な曲を書いています。この頃、
有名な「悲愴」ソナタを書いています。
さて、ベートーヴェンは1803年にパリのセバスティアン・エラール(1752-1831)から1台のピアノを贈られたのですが、
これはイギリス式のアクションやペダルを持つ大変力強い音が出るピアノでした。
このピアノを境にベートーヴェンの作曲様式が変わったほどです。この頃、
「熱情」「ワルトシュタイン」ソナタが作られています。
またこのピアノは5オクターブ半の音域を持っていました。
より力強い音を要求する時代の風潮はウィーンのピアノ製作家にも影響を及ぼしていきます。
おそらく、シュタイン一族と親交のあったベートーヴェンも何らかのアドバイスをしたものと思われます。
また1818年にベートーヴェンはイギリスの音楽家からイギリス式アクションのブロードウッドのピアノを贈られたのですが、
この楽器は6オクターブの音域を持ち、
その深い音色がベートーヴェンの後期ピアノソナタを作曲させる原動力になったと推測する研究者もいます。
1821年にエラールは現代に通じるダブルエスケープメントアクションを考案し、
ウィーン式アクションは衰退していきます。しかし、
現在のような鉄骨フレームを持ったモダンピアノに至るまでにはまだ至っていません。
ベートーヴェンは最晩年1825年にバンベルクのグラーフが製作した6オクターブ半のピアノを贈られていますが、
既に聴力を失っていたベートーヴェンは殆ど使用できなかったのではないでしょうか。
時代の風潮に合わせピアノは大きく変化し、それに伴ってベートーヴェンの作曲様式も変化していきました。
このような当時の楽器(あるいは復元した楽器)を年代毎に使い分けて演奏したCDがいくつか出ています。
このような楽器の変化と曲の変化に注意しながらベートーヴェンを鑑賞してみるというのもまた一興なのではないでしょうか。
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