モルヴィッツの戦い(1741/4) |
Antonio Vivaldiは活動の拠点をウィーンに移そうと1740年にイタリアを去りました。
ところがヴィヴァルディの後ろ盾になってくれるはずの皇帝カール6世は、
1740年10月に亡くなってしまいます。しかもカール6世には男子が無く、
生前に女系相続も可能なように法律を変え、列強の承認を得ていたにもかかわらず、
いざ長女のマリア・テレジアが相続すると各国が王冠を要求して戦争を仕掛けてきました。
オーストリア継承戦争(1740-1748)です。そのような中、
ヴィヴァルディは帝国を巡っていた可能性があります。 |
ウィーンの聖シュテファン教会 |