良き仲間たちへのささやき(その1) 1999.5.31

 
 若い人の結婚式で挨拶を求められると、私はもっぱら「たくさんの良き出会いと、その分の良き思い出をたくさんつくってください。それも1人だけでなく2人以上で。人であれ、仕事であれ、本であれ、何であれ、それこそが人生と人生の意味を豊かにしてくれると私は思っています」と話します。
 日本の看護婦さんたちに絶大な影響力を持つ元聖路加看護大学学長で聖路加国際病院院長(現名誉院長)の日野原重明さんは、その出会いや思い出を言葉に変えて「人生紅葉論」を展開しています。人の一生を山々の木々の葉っぱの1枚1枚に例えて、彼はこう言います。
「周りを、山を見渡せば、若葉あり、青葉あり、紅葉あり、枯れ葉ありです。そして自分も、時の移ろいとともに若葉から紅葉へと自分を染め上げ、やがて散っていくのですが、そのはかなさと同時に周囲と自分の彩りを見られる幸せこそが人生ではないのか」
 ざっとこんな内容です。例え話ですから「自然では若葉と紅葉は同時に見られない」などと理屈を言ったらきりがありませんが、多くの人の共感を呼ぶわけが分かっていただけるかと思います。
 と同時に、漫然としていては、せっかくの素晴らしい出会いを見逃したり、それに気づかないままと言うことも少なくありません。むしろ、そのほうが多いかもしれませんし、若葉、青葉、紅葉それぞれの時代に自らの彩りを自覚し、輝かなければ人の彩り、輝きにも気づくことは少なくなるでしょうし、また他の木々の葉っぱたちから気づかれ、声を掛けられる機会も減ってしまいます。次代に豊かな栄養を伝える「豊かな落ち葉」にもなれないかもしれません。
 自ら輝くためには、それぞれが自分の思いや夢、考えを持ち、それを仲間に知らせ、伝える表現力と説得力、実行力を身につけなければならないのだと思います。

 現代は、その出発点である大事な思いや夢、考えを持ちにくくなっている時代だと言われます。人間生活のあらゆる面で、本質が見えにくくなっている時代だからだと思います。だから、余計に本質に迫り、本質を見抜く目や発想、探究心、そして何よりもそれへの「こだわり」や「執着」「悩む」といった“人間臭さ”が大事なのではないでしょうか。その対極にある「無関心」が、人間と社会に限りなく多くの戦争などの悪と殺傷を生んだことは、歴史の教えるところであり、にもかかわらず、その「無関心が」人間の営みの様々なところに根を広げているのが今日の状況ではないでしょうか。
 例えば、世界の軍事費が今日、いくらになっているかご存知でしょうか。1981年に5000億ドルだったものが、89年には1兆ドル、そして現在は2兆ドルと見られています。この金額がいかに大きなものなのか、バブル的な生活と発想に慣らされた日本人にはピンと来ないかもしれませんが、国民1人当たり年間所得5000ドル以下の世界の大半の国の国民(40億人以上)のざっと10年分の所得に該当するのです。ポスト冷戦になっても、この急増する軍事費にブレーキはかかっていないのです。

 1971年、広島に世界の頭脳・良識といった学者などが集まってパグウォッシュ会議が開かれました。同会議はアインシュタインや湯川秀樹などノーベル賞学者など世界的な知能、知識人の呼びかけで開かれるようになったもので、「核戦争」が現実視されていた冷戦時代には大きな役割を持っていました。

 その広島での会議で、参加したノーベル賞学者が「軍人たちは、24時間365日、休むことなく戦いに勝つことを考え、そのための努力を続けている。また、軍事技術者や、いわゆる武器商人たちもしかり。ならば、平和を願う私たちはどんな努力と取り組みで対抗していかなければならないのか」と述べていたのを思い出します。平和を願う市民の側の「無関心の排除」と「安全・平和のための、闘いともいえるしつこい取り組み」が求められれているということを言いたかったのだと思います。
 「無関心」や「関心の温度差」について、ささやかながら私の2つの経験を、少し長くなりますがお話しましょう。
 1つは子供たちの学力に関する問題。京都での出来事です。30年くらい前までの京都では、文部省の規制や管理が強まる中にあって、戦後の「民主教育」の典型といわれる教育制度が続いていました。そのため、全国でも京都府教育委員会は「西の文部省」といわれたりしていました。
 具体的には、「15の春は泣かせない」の言葉に代表される高校入試における小学区制です。学校格差を無くすため、1つの中学からいける公立高校は決まった1校だけというのが小学区制の原則です。越境入学は一切認めないのです。ということは、1つの公立高校の中に普通科と職業科(商業・工業・看護科など)が同居し、一緒に授業を受けるのです。
 確かに理想への挑戦といえる面をもち、大きな成果と存在意義がありました。しかし、高度経済成長の中での高校進学率は急速な高まり、また、大学進学希望者の増加に伴う種々の問題や、職業教育専門・高度化の時代的な要請が強まる中にあって、入学してくる生徒の学力差の拡大と、多くの教育実習設備を必要とする工業科の単独高校としての独立など、小学区制の根幹を揺さぶる非常に困難な問題・課題が浮上してきたのです。
 それらの問題・課題に対する一つの対応策として京都府教育委員会の「考える人たち」が取り組んだのが「到達度評価」でした。これは、子供たちの学力は「5と1の評価の子供は全体のそれぞれ7%、2と4は何%、3は何%」と固定的に考えたり、捉えたりするのではない、と、それまでとまったく違う学力観に立っています。
 子どもたちの学力を伸ばす教育というはきわめて意思的な人間の営みにおいて、「1や2の評価の子供がたくさん出ることは、教育の怠慢であり、全員を3以上にするために何が必要なのか」と教師を始めとする教育関係者たちが、それこそコペルニクス的な発想の転換を行ったのです。
 具体的には、一見科学的に見えながら、実は子供たちの成長の特徴や各教科書のベースとなっている科学・文化などの発展に裏打ちされていない面の多い各教科教育の中身を徹底的に科学的に見直し、組み立て直そうというのです。例えば、漢字の各学年への割り当てなども、「言」や「舌」よりも「話」が先に、しかも学年も違うというちぐはぐさというか、矛盾。算数でも同じことがたくさんありますし、なぜ分数と分数の割り算で、あとの分数をひっくり返して掛けるかといった基本的で大事なこと(考えると言う点で)も(−と−を掛けると+になったりも)残念ながら、十分には教えられてはいないのです。ことほどさように教科書、教育課程は子供の発達を保障するようにはなっていないし、教える教師たちもそのことをあまり知らないのです。
 私が「無関心」という問題を最も強調したいのは、この点ではありません。実はさらに続きがあります。少し我慢して付き合ってください。
 京都の「心ある教育者たち」は、この「到達度評価」に関する研究と実践の成果を各教科ごとに「長帳」にまとめたのですが、その反響は大変なもので、全国から「長帳を送ってほしい」との申し込みがありました。
 ところが、面白いことに真っ先に申し込んできたのが、ダイエー、ナショナル、各銀行、商社などの企業、それも大企業の人事部や社長室だったのです。学校関係者の反応は遅く、しかも、件数的にも際立った差はなかったのです。企業はこれを社員の能力アップのための教育・研修システムの改善や新たな評価方法の開発・導入に使えないかといち早く考えたのです。今日の企業の能力評価にも影響を及ぼしているかもしれないのが、到達度評価だったのです。
 それに比べると、教育界でのその後の到達度評価の研究や実践は一部に限られ、残念ながら大きな潮流となることはありませんでした。それは教師にとって知恵と根気、仲間と厳しい切磋琢磨のいる「しんどい取り組み」だったからであり、「無関心」を装う教師たちには、それを教育の主人公である子供たちのために使い切れなかったのです。その延長線上に今日の教育問題が厳然として起こってきているのです。

 一息して、もう一つお付き合いを。それは私の16年の記者生活で最後の「いわゆる特ダネ」(1981/8/8 毎日新聞)です。この記事が出たときに真っ先に問い合わせをしていたのは労働組合ではなく、やはり大企業の人事部や労務担当部門でした。「どうしたら違法・違反部分をクリアするか」という視点でアプローチしてきたのです。その後の大企業でのこの問題での取り組みが、一層巧妙になり、対する労働側は後退を余儀なくされていったのは歴史の示すところです。そして、今日のリストラ旋風があるのです。
 「無関心」の怖さは、日本の戦前の歴史が嫌というほど教えてくれているのに「人間が歴史に学ぶことが少ないというのが、歴史の教訓」というアイロニーが言われつづけるゆえんです。

 この「無関心」をめぐる状況は、今日も変わっていないのではないでしょうか。それだけに、「無関心」との「たゆみない戦い」が“宇宙船地球号”の死命を左右する人間に課せられている大きな、そして緊急のテーマだと思うのです。

 目次に戻る