その3   1999.6.7

「その2」では、終盤になって仕事が入り、まとめを急ぎすぎて説明不足になったようですみません。より実践的な視点で「続き」を書かせてもらいます。

 基本に関連するキーワードとして、また、仕組みや構造を捉え、見極める上で使える言葉として「原点」とか「精神」「モラル」や「モラール」(対象となる組織や人、問題、課題にそれらが有るか無いかも含めて)を加えておいてください。それと、前回言い忘れたもう一点は、常に分析・分解と統合・総合化という2つの作業を双方向で進めることをぜひ心掛けていただきたいということです。それこそ、自分の癖(属性)としてしまうくらい定着させてほしいと思います。加えて、コト(仕事に限らず)を進め、達成するには観察力、表現力、説得力、実行力、集中力、正確・的確な情報・情勢の把握、こだわり、さらに良き仲間がいることも、それらを身につけ、獲得する努力と工夫も肝に銘じておいてください。

 以上も踏まえた上で先に進みましょう。『知的生産のための技術』(こういう名前の本もあります。知的発見・発想・創造と言い換えてもいいでしょう)というか実践編、応用編です。1980年代、山瀬まみが歌った「柔らかアタマしてますか」という固いと思われている鉄をつくる会社、住友金属のテレビCMが流行ったことがありますが、まさしくそれです。
 アメリカの雑誌の歴史的名編集長といわれた人物は「一見つながらないように見えたり、思えるものや問題を結びつけるのが名編集者、名編集長になれる条件だ」と言っていますが、近い話のような気がします。この種の発想から生まれたものを探すと、例えば、身近なところではイチゴ大福などそうかと思います。単行本の企画でもいろいろあるのではないでしょうか。
 もっと本格的な発明、発見でも同様なことが言えます。有名なフレミングのペニシリン発見の逸話のように、よく「偶然」が大発見のきっかけになったかのように言われたりしますが、多くの発見や発明は、実は発見者の「こだわり・観察力・集中力」など発見につながる可能性の高いバックグラウンドを持つ「必然」に近い出来事だったのです。
 その点を有名な薬の開発に関して見てみましょう。1つの薬だけで年間1500億円も売り上げているあの超ヒット高脂血症薬・メバロチンがそうです。この薬はもともと土壌中の線虫や家畜の寄生虫の駆除の農薬・動物薬として細々と開発試験が続けられていたのだそうです。ところが、殺虫力のほかのデータを細かく分析していた研究者が動物の血液中のコレステロールも下がっているのに気づいたのが、「まれに見るピカ新」といわれる新薬開発につながったのです。これまた有名なバイアグラしかり。実は、別の薬として開発中、最初の目的の薬としては効き目が弱く、一度はふるいに掛けられ捨てられかけたのが、視点を変えることによって生活改善薬のトップランナーとして見事に?復活したのです。
 古いところでは、植物生長ホルモン・ジベレリンの発見があります。もう早くも出始めた種なしブドウ(デラウエア)作りに無くてはならないものです(まだ、花の咲かない時期のブドウの花房をジベレリン液に数日おいて浸すと出来ます)。
 ジベレリン発見のもとはイネの病気です。昔から田圃に植えられたイネの苗の中に時々、草丈が飛び抜けて大きく伸びるものが現れるのです。その後は順調に生育し実をつけることはないので、バカ苗(バカ苗病=馬鹿でかくなるから)と呼ばれて引き抜かれる運命でした。誰一人、バカ苗に注目しませんでした。このバカ苗病、実はかび菌の一種の出す植物生長ホルモンが原因だったのですが、それを発見したのは日本人で、もう85年以上も昔のことです。「どうせ役立たずの厄介者」という発想ではなく、「なぜ、何が原因で伸びるのだろう」という強いこだわりが、新発見をもたらしたのでした。
 駆け出し記者時代に、著名だった考古学者が教えてくれたのですが、考古学者たちが大事にしている言葉に「in shi」というラテン語があるのです。「現地で、現場で」の意味で、自分の足元の発掘現場を掘り進めることによって「宝物(考古学の上での)が出てくる」といった思いの込もった言葉なのです。深く掘ること、また、自分の周囲をキョロキョロ広角的に見たり、聴いたりして情報やイメージなどを豊かにすることの重要さだと思います。あのサッカーの中田や小野の活躍と通じる面があるような気もします。
 以下は、私の前社の時代のささやかな経験です。退屈かもしれませんが、ご参考まで。その会社にいた10年間の最後の1年、私は編集と兼務で、それまで社長のやっていた営業本部を担当することになったのです。そのころ、経営や人材育成に対する基本的な考え方や手法で食い違いが目立つようになった創業社長とナンバー2の立場の私でした。曲者の社長は、もっぱら編集しかやったことのない私(彼はそう思っていたようですが、そうでもないのです)を営業担当にすれば、嫌気をさして早く辞めるだろうと考えたようです(役員をクビに出来るのは株主総会で、社長も取締役会もクビにする法的権限はありません)。
 私も初めは少し戸惑いがなかったわけではありませんが、10年近く番頭役を務めてきた相手ですから、彼のやり方、長所と短所(その社長は、センス・発想などなかなかいいものをもっているのですけれど、手柄は自分・責任は部下といったタイプで、とにかく部下をけなすことが多く、このため萎縮したりつぶれてしまう人が多かったのです)を知っていましたから、彼のやり方を改めて詳しく分析・総合し、売り上げ低迷の問題点・課題を洗い出すと同時に、まず13人の営業部員たちから徹底的に話を聞きました。
 そして、引き出した「決められた時間内に出来る営業戦略・戦術(営業カアップという複雑な方程式の1つの解)」は、彼のよい点だけ引き継ぎ、他は13人の営業部員の主体性と個性に任せ、「結果責任は僕が取るから、好きにやっていい。しかし、お互いに執行責任が取れるよう、共にホウレンソウ(報告・連絡・相談)を密にしていこう」ということだけでした。営業の素人の私ですから、オリジナリティーというものなど出せないままでの新体制のスタートでした。ただ、1つ根本的に違いつつあったのは、私も彼らも、社長が営業本部長をやっていた時に比べるとお互いに数段正確な情報を持ち合い、的確な判断や指示、報告などできるようになっていた、つまり、より正確な全体像を持ち、現状を把握出来るようになっていたということでした。言葉を変えれば、風通しがとてもよくなっていたのです。
そうしたらどうでしょう、萎縮していた部員たちが元気に動き回り、次々と企画や提案を出し、それを実行していくのです。結果は明らかでした。

 ちなみに、蛇足的に言えば、1つの結果が良けれぱ即他もうまくいくということではないということです。私が嫌気をさして辞任すると見込んでいた社長にとって、自分の時より成果が上がったのですから全く面白くありません。彼と私の間はさらに難しくなり、泥沼化を回避するため、その後1年して私は退任しました。人間関係の微妙なところというべきでしょうか。そうしたことも、長い人生では少なくないようで、私自身のことでなく、いろいろな人から聞かされます。次回以降のテーマについて、何かリクエストでもあればお聞かせください。

 

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