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2/9(月)

 今日は、月曜日。
またまた金曜日に引き続き、ランチタイムはお魚やさんのお弁当にした。ビルのエスカレータで下るとき、社内の、通称『ドラちゃん』こと『ドラ吉くん』と会う。ドラ吉くんは、最近すっかり親馬鹿ぶりを発揮し、自分のHomePageも模様替えして、子ども一色になりつつある。
彼の子どもというのは、実はジャンガリアンハムスター。かわいいので、ぜひ見てやってください。
ジャンガリアンハムスターって、ものすごく小さい。マスコット人形のよう。あんなに小さな動物を飼うって、すごいな〜と、感心している昨今。
私は、日々の猫ちゃんとの闘いがあるので、動物を飼うなんてこれからの人生にも考えられないですぅ。


2/8(日)

 年明けから、お花やさんでは、チューリップが花盛りになっている。
私はことのほかチューリップが好きで、いつの間にかGW過ぎるくらいまでは、部屋のなかにチューリップを殆ど欠かさないようになった。
先週は荻窪に出たら、駅近くのお花やさんで、ちょうど今が旬の『バレリーナ』という品種が出ていたので、買って帰ってきたが、1週間ちょっともった。これも部屋が寒いお陰?かな。
『バレリーナ』は、濃い目のオレンジ色で、花びらが長くシャープな感じで、香りが他のものより強いチューリップだ。
さっきも、近所のお花やさんに『バレリーナ』があったので、今週も続けて部屋に登場となった。チューリップは、私にとっては童心に帰してくれる心なごむ花。
どんな花が好きですか?

あ、、今日はいつもMailをくれるお友達のお誕生日だった。。おめでとうのメールを送ってあげよう。
でわでわ、また一週間頑張りましょう!おやすみなさい。


2/7(土)

 オリンピックがいよいよ始まりました。
私の家族は冬のオリンピックが好きだ。
札幌オリンピックは、父親の人生のなかでの誇りなのである。その頃父親が札幌オリンピック組織委員会に勤めていた。当時の経団連の会長や、要職にあたる人々の傍らで働いていたのだ。
札幌オリンピックのとき、私は小学校の低学年だったので、はっきりとした記憶は少ないのだが、父親のお陰で、無理をしてくれたのと「子どもたちの一生の思い出に」との想いとがあって、開会式、フィギュアスケート、ジャンプ、閉会式を見ることができた。
今から思うと、それはなんてすごいことだっただろうか。
開会式は、とにかく寒くて、手も足もガチガチに凍っていて大変だったように感じている。だから、寒かった以外、開会式自体の記憶はあまりない。母親の友人の娘さんにあたるお姉さんが連れて行ってくれた帰りに、彼女の好きという、中華屋さんのギョウザ。それが美味しかったので、そっちの記憶のほうがあるかも。まったく「父の心子知らず」だ。

札幌オリンピックで一番残っているのは、女子フィギュアでのジャネット・リンの転倒シーンである。あのシーンを真正面で見たのだ。ずっと大人になってから、TVで見たときに鮮やかに蘇ってきて、思い出した。『これ見た!見た!』と。
それまで、あまり自分のなかでそんな記憶がなかったので、とても不思議な気持ちがした。
子どもの頃の記憶は、何気ないところで出てくる。私の場合、冬のオリンピックが始まると、蘇ることがたくさんある。実際に行われていた競技のシーンの記憶数は少ないけれど、開会式の色とり取りのたくさんの風船、父親のくれた五輪バッヂ、部屋の壁に額で飾られていたオリンピックのポスター、人々の笑顔。憶い出を残してくれた父親には、感謝すべきところか。


2/6(金)

 今日のお昼に、会社のお昼仲間と、近所の商店街にあるお魚やさんのお弁当を買ってきて食べたら、とても美味しくて感動した。
お魚やさんの店舗の一角のカウンターで定食が食べられて、店頭の脇では、炭で魚が焼かれ、焼きたてのお魚を詰めてお弁当にして売られている。お店は混んでいていつもなかなか入れないため、せめてもと長蛇の列に加わって、お弁当にしたのだ。今日はぶりの照焼だった。
私は病院から出てからは、外の食事を身体が拒絶することがあり、ちょっと粗食になったかもしれない。そうは言っても、食べる種類も量も多いのだが。外では何がって、味が濃いのとお米の固いのがきついのだ。

月曜日のメニューが書かれていて、来週も来ようという話しになる。最近の中では一番気に入ったお昼のメニューになった。


2/3(火)

 またまた、すっかりブランクがあいてしまいました。
これは言い訳をさせていただくと、パソコンがイカレてしまったことと、少しアナログ生活に戻ろうと思い始めたことにある。
便利なことに慣れる暮らしは、それはそれでいいことだと思ってはいるが、その分本をゆっくり読むとか、無駄だな…と思いながらも電話でちょっとばかり長く話をしてしまうことも、今の自分には、大切なとこだと思う。
 さて、パソコンは、細かい点に不自由はあるものの、普段使うには十分回復した。ハードディスクは、初期化してシステムは再インストールになってしまったが、いただいたMOのお陰で、ほとんどのデータをカバーできたことは、ありがたいことだった。今回のトラブルのためにご尽力いただいた方に改めて感謝!

 回復といえば、今日は定期的な検診のため、病院での細胞診があった。N先生がオペになってしまったとかで、女性のI先生が担当をしてくださる。入院により、半分以上の医師とは関わりがあるので、こういうときでも名前や病状をすぐにわかってくれて安心できる。
I先生が、オペの終わったころのN先生に電話で、一応今日のメニューの確認をしてくださっている間、入院中、空きがなく入った産科のベッドとその観察室でたいそうお世話になった看護婦さんがいて、いろいろお話しをしてくださった。観察室でのヘビーな一週間の日々や、今、思ったよりも薬焼けが少ないようでよかったということ、これからのこと…などなど。病院生活の日々を回想すると、いろんなことが駆け回る。

 ずっと昔読んだ、ジャーナリスト故千葉敦子さんの本を引っぱり出して、先週から読み耽っていた。病気は違うものの、自分自身と病気と関係、医師との関係など改めて考えさせられている。アメリカでの世界最高で最先端治療に、絶大なる信頼を寄せて闘ってきた様、たくさんの人々に世話になりながらも寸前まで自分の役目を全うし仕事を続けたこと、どんな状況にも決してひるむことなく冷静に闘病生活を送ってきた様子を目の前で確認するような思いで、読み続けた。
アメリカの、「入院はさせずにできるだけ普通の生活をさせて、自宅で過ごす」という治療方法はあたりまえであることにちょっとだけびっくりしたが、彼女の姿を通し、それがとてもいい術だと感じた。

 さて、ともかくもパソコンは生き返りましたが、アナログ生活を重要視しつついきたいと思っている昨今なのでよろぴく。


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