MENUに戻る           Home

 98年8月24日(月) <身にならなきゃ損だよねぇ>

昨日、近所のコンビニで「仕事の教室」という雑誌を購入。
こっちに住んでいる間に、新種の資格でも修得できないかと実は目論んでいるのでした。(笑)
学生時代はバイトに明け暮れ、ちっとも勉強せず、社会人になってから自分で使える真のお金を得てから、いろいろやり始めたという具合です。当然資格と呼べるものは殆どなく、社会人1年生では中学3年生の時の英検3級だけ。何も使い物にならない…。
フランス菓子の仕事をやりたいと思っていたのですが、突然思い立ち転向。専修学校に通いこれからはワープロだ!と思い習い始めました。まだその頃は習いにいく人も少なく、受験した検定も北海道では開催第2回目と実績もありませんでした。
学校に通ってまもなく、その後6年世話になった会社の募集で採用され、バイト見習いのあと入社。
マシンも自分で買えるはずもなく、練習は紙のキーボードと、始まる前に早めに行き、さりげなく先生に質問したりしていました。3ヵ月後の受験で2級を取得。日本語ワープロのインストラクトレスと言っても、その時は誰も仕事を判ってくれまなかったものです。
先生とよく話していたのもあり、声をかけられてからは夜間に本職の傍ら、学校で週2回講師のバイトを始めました。当時はかな漢字変換で1級規定の800字は打てていたんですよ!今はとてもとても(笑)。Macを始めてローマ字打ちになりましたが、たまにかなに戻しても、手が忘れている。もうだめかも。
ワープロを教え始めてすぐのある日、受講に来ていた女子高校生に「先生この字なんて読むんですか?」と聞かれ、なんとわからないことがありました。
日本語がまだまだだなあ、、と思い、またまた当時はまだポピュラーでなかった「漢字検定試験」が受けられる講座を、社内の通信教育にあるのを見つけ、漢字検定1級を取得しました。でも最近の本を見ていると、問題はとても難しいので、取得しても実力はないでしょう。これからもしやるにしても、1段からなんだよなぁ。むずかしすぎる。。もうだめ。。。
実は、免許と呼べるものは、なにもありません。(涙)車の運転もできません。かなぴー。
そういえば社会人になってからヤマハのエレクトーン教室に通って7級というのをとったっけなあ。。そんなふうにして、細々としたあまりものになっていない検定はいろいろやったけど、それによって得したものは???
 「仕事の教室」を読んでいると、あーやっぱり自己投資がデカイ。。と感じます。身になるものでないと、やっても無駄になってしまうだろうか。と思う。通教の大学生も休学してから既に2年がたってしまいました。こっちが先かな。もしかして。
こんなことしてたら10年経っても卒業なんてできそうもないです。
あー、、どうしようかなぁ。。

 98年8月21日(土) <食べ物ネタ>

今日は、ちょいと遅くまで会社にいたのですが、帰ってきてからひさびさにカレーが食べたくなり(辛いもの禁止令があるので甘めで)ごそごそ作り始めてようやく今出来たところ。ふぅ。疲れた。
お昼は、別のフロアで退職してしまう人のFarewell Lunchに参加し、ビル最上階(こう聞くだけでもドキドキするでしょ?)の和食のお店「海燕亭」で懐石ランチを食べました。そこのお店は初めてだったので、ちょっと緊張して向かったけど、食べているメンバーが面白かったのでそんなのはすぐに吹っ飛びです。
メニューは、牛サイコロステーキに白葱、なすの天ぷらが添えてあるもの、温泉たまごと糸こんにゃくの酢醤油風味のたれの小鉢、しめじといかの塩辛風、焼鮭、一口のかまぼこ、3種の香の物、ごはん、赤だしの味噌汁(これはイマイチだったなあ)最後のデザートは白桃の寒天寄せ生クリーム添えと緑茶。このランチは2000円でした。うむ。まあまあそれなりという感じか。可もなく不可もなく。時間のあるときに行ってゆっくり食べないと、ありがたみはわからない。普段からこんなランチしてたら、おこづかいも持ちません。せいぜいFarewell Lunchのときくらい。その店の隣にある「サバティーニ」とかも。

さて、とうとう来週から電話回線がデジタル、つまりISDN回線になります。長い道のり?だったかも。
接続して完全に始動するのに、1日くらいはちょっとまごつきそうです。

 98年8月18日(火) <ふぞろいでも今だフレッシュな林檎たち>

お休みを頂き帰省してきました。
母親の調子がよくないので、今年はちょくちょく帰っているけど、そろそろ(謎)と思う今日この頃。
今回高校のクラス会が4年ぶりにありました。4人の幹事が奮闘。個々には強力な横の繋がりがあるのですが、ちゃんと開催したのは久しぶりでした。今だにふぞろいの林檎たちを、地でいっているような感じかも。
とても仲の良い人達ばかりだったので、今でも会うと、元に戻ってばかなことばかり云っているような気がします。子どもや奥さんがいても、「さいちゃん」「みーちゃん」などと、そろそろおやぢ世代に突っ込もうとしている彼等のことを呼べるのも、ほっとしますね。
高校の時は、男子34人に女子が9人という、すごいバランスでした。(笑)どちらも同化してる感じでしたが。
この年代的には色々あるって感じ。仕方ないことかもしれないけど。殆どの人が札幌に戻っており、所在不明はわずか数人で、彼等を除いて、関東圏住む人は私を含めたった4人でした。住所が分かったので、今度おいしいものでもたらふくご馳走(!)にならなくちゃ(爆)。
Uターンをした人や仲の良い彼等からは、さっさと帰ってこい!と言われっ放しでした。おばかで不器用で小心者という私の、どうせろくなこともできてない…というのは見え見えでしょう。「仕事はないかもしれないけれど、もっと考えるべきこともあるんじゃないか」と、唯一小学校からのクサレ縁のKくんにはさんざんなことを×××。
彼は国鉄マンとして社会人になりJRになるも退社。その後、厚生省の仕事に就くが激務に倒れ東京でのエリート生活からUターンしたひと。今はタクシードライバーで生活。「俺だって、みんなにエリートだとちやほやされてきたんだ。最初はプライドが許さなかったんだぞ」と。帰り、営業車の客として乗り込み目的地まで話し込んだ貴重な時間。
「人の気持ちがわからない奴にはなるな」と今回は何回も言われて帰ってきました。
ありがたい、ありがたい。(涙)

ここを見られる人はそんなにいない(たぶんMac使いアートデザイナーのMくんとN×T勤務のAくん、車屋さいちゃんくらいでしょう)ので、いろいろ書いてしまいました!(あ、、Aくん、INSよろしくね!)

 98年8月9日(日) <永遠の一秒>

昨日、ここに書いたことをぼんやりと考えながら、夜はずっとネットに繋いで起きていた。
CUでTetsu、PapaTango、Arf!、Andrew、indigoなどのオリジナルメンバーの方々とその他諸々と、偉い長いこと居残ってしゃべり捲ってしまいました。NYのPapaTangoがここのintroduction Pageをみて、生年月日の196×の×に入る数字はいくつなの??としつこく聞いてきたけど、ごまかしていたら、♪カウントダウンして数字をひとつづつ聞いてくるので、更にごまかしていたら自分のJPEGをメールで送ってきましたとさ。ははは…。
CUにいると、いろんな国のいろんな方々が突然現われて、おもしろい。
さて、今日は先日のBBQメンバーと大阪から遊びにくるkuwaを囲んで六本木に集まりました。
行く途中、人にぶつかりそうになり交そうとしたら、滑ってしまい変に転んでしまいました。思いっきり恥ずかしかったのを隠し、冷静さを装って、歩きました。お店についても足の痛さは我慢して誰にもいいませんでしたが、左足負傷です。(笑)足の裏よりちょっと甲に寄った側面に大きな擦り傷を作ってしまい、痛いのなんの!かなぴ〜。

ところで、今日お昼間に友だちのKeiからCDが1枚届きました。私が探していたアルバム。普通のお店では売っていないので、注文したかったものだけど、keiがそのArtistの出身地に住んでいるためそこではいつでも手に入るためわざわざ送ってくれたのでした。嬉しかった。
彼がずっと前に時任三郎さんに書いた♪ロングラン♪という曲も収められていました。
♪ 海よりも深く大空より遥かに
  素直な愛を君に伝えたい
  果てしなく続く 永遠の一秒を
  微笑み添えて "V"の文字で飾ろう
  
一つの生命というのは、釈迦の目からみれば永遠。それは宇宙の摂理、法則にも結び付いています。
過去と現在とそして未来という三つの時(三世)で考えれば、今この時というのも、宇宙の流れからいくとほんの瞬きにすぎない。
今日は、昨日のことをほんのちょっとだけ振り返りながらいました。
過去世のどこかで出会った人が、今世で何らかの形でまた自分と出会い、関わっていく…。今の自分には記憶のない人とでも、実は過去のどこかで出会っていたそうです。(もしかしたら過去では人間として出会っていなかったかもしれませんが。)
でも、それは何も不思議なことではありません。
フランス語にある「De-Ja-Vu」という言葉。『いつかどこかで出会ったような…、いつかどこかで見たような風景…』というような現象のことを言っています。日本語にはそれにあたる単語はなく、強いて言うならば「機知現象」とでも表わしましょうか?
その言葉も、生命が永遠であるとみるならば、決して特別なことではなく、当たり前と言えるかもしれません。だから今別れなければならない人も、またいつか、きっと巡り会える…ということ。

いろいろ書きたいことはあったのですが、とりとめもないし、足が痛いので、やめとく。
今日はこれでおやすみなさいまし〜

 98年8月8日(土) <霜とりと不思議なこと>

冷蔵庫の霜取りをした。
髪をちょっとだけカット。「パーマは来月にしたほうがいいですよ」とアドバイスされたのもあり、とりやめにしました。

昨日、去年手術してからちょうど1年の日でした。今あるのが感慨深くて、予定もいれずにまっすぐ家に帰って、美味しいものでもたべるつもりでした。
朝、目覚めるときに頭のずっと遠くの方で、低い声でゆっくりと呼ばれた気がして目が覚めました。7時頃。いつもなら目覚まし時計と格闘しているのです。あれ?今のは車の音かな?と結局考えるのを止めて、そのままぬくっと起き上がりました。
顔を洗ったら、何故だか「黒いお洋服着なくちゃ」と思い、真っ黒のロングワンピースを着ました。本当はその上に花模様のオーバーワンピースがあるのですが、それを一旦着てからやめ、わざわざ黒のシースルーのカーディガンを出して羽織りました。
ゆうべまでは全然違う格好を決めていたのに、何故かそうしていませんでした。いつもは寝る前に「明日は肉体労働だから、あの格好でいこう」と考えて寝ないと、朝ぼけっとしてる時間が長いためキツイので、たいていは朝になってから服を出すことはありません。
昨日は何故か違ったのです。自分でもわかりませんでした。 電車に乗ったときは汗だくで、「このめちゃ暑い日になんでこんな格好をしてきてしまったのだろう…」とすごく自分に腹がたったくらい。
会社に行ってから、Macを立ち上げているあいだに、ベンダーマシンの飲み物を取りにいきました。そこで他部署のSHさんに会い、彼女が私の全身をみると「あら、今日は??」と声をかけられたので、私は「いえいえ、何もないんです」と答えると「お手伝い?ずいぶん早くわかったのですね」と言われました。お互いに会話が全然かみ合っていませんでした。
私:「今日は特に何もないんですけど、なんでかこんな格好してきちゃったんですよ。何か?…」
SHさん:「Sさんの…」。
私:「Sさん?どうかしたのですか?」
SHさん:「メールご覧になったのかと思って…」
そこでSさんの訃報を知りました。前日、会社でいつも私のところのマネージャが幹事でやってくださる定例会の日でしたが、投薬の日だったため欠席しました。「もしかしてSさん行った先で?」と思い急いでメールを見ると、時刻は夕方でした。出勤してきた飛蔵くんに聞くと、「僕も昨日は行けなかったの」との返事。他の方に聞くと、会社で倒れたとのことでした。
Sさんとは定例会ではお話しをしていたのですが、社内では挨拶程度でした。(一番最初にSさんと会話したときは、職場のなたーしゃ氏の酔っ払って家まで送って行ったと言う話題でした。なんでそういう話しになったんだっけな?? う〜ん。思いだせない。
朝から擦れ違う人々に、「知っていて、用意して出勤してきたようだ」と何回も言われました。自分の姿を職場で改めて見たときは、ぎょっとしました。
目覚めのときは、たぶんSさんが呼んだのかな?と後になって思いました。何故Sさんが私を呼んだのかはわかりませんでしたが、去年からこのような不思議なことが続いていたので、あとから考えたら、驚くようなことでもないかと納得。
病院に入ってからは、隣のベッドで一緒だったAYAKOさんが亡くなってから、続けて4人とお別れをしましが、そのうちの3人に、偶然に私をその場に呼び寄せたとしか思えないことがありました。それは今回のことよりももっと不思議な出来事ばかりでした。彼等は、結局何らかの仕事を私にさせており、回りの人達にも大変に驚かれました。(私はとっても鈍いほうで、霊感なんかも感じたことないです。母親はものすごい人なんだけど、私には今までまるっきりそういうことがありませんでした。)
会社帰り、勿論そのままの格好でお別れの会に出向きました。いつもはお通夜などの場所へ行くのは、どんよりして気が重く、なるべくなら避けたいと思うほうでしたが、昨日はそんなふうに思いませんでした。私は大ボス秘書のFさんにお声をかけていただき、Sさんのきれいなお顔も拝見させていただきました。その瞬間すーっと軽くなったような感じは気のせいかな?
私のなかのAYAKOさん、おねえちゃんさっちゃん、Fおばちゃん、マサコさんと共に、Sさんも永遠に。
私の入院中、何回かきてくれていた妹は看護婦なのですが、周囲のことも知ってくれていたのもあり、最初のうちはその度に電話をして、わんわんと泣いたりしていました。彼女の冷静さに(さすが職業柄だとおもう)救われたものです。
亡くなった方のお顔拝見ももう慣れてしまったかな。。困ったもんだ。。

 98年8月3日(月) <宣伝>

連日の暑さに、汗で1パーツを除いては(笑)痩せたかも。黙っているだけで、ダ〜っと汗が流れてくるのです。一体どれくらい噴き出せば止まるのでしょうか??想像つかない…。
ところで今日は、私の大真友(!)である、Keiの旧知の彼である『阿部克巳クン』の撮影に行ってきました。今月、いよいよインディーズデビューを目指し、オーディション的ライブが阿佐ヶ谷で行われます。私は生憎帰省しなければならず、行けなくなってしまいました。
阿部クンはプロのシンガーソングライターを目指し、岩手県一関市から東京にでてきた人。彼のPageを作りを始めたは、Keiの私への厚い友情(?)からです。それが私を動かしているといっても過言ではないです。
今日のインタビューと撮影部分は、近日中にアップする予定。もしご近所で、気の向いた人がいたら、聴きに行ってみてね!

疲れた!寝ます。


 98年8月2日(日) <IEに苦労する>

夜にトップページを変えていたら、うまくいかなくてごちゃとちゃになってしまい、書き直ししました。メニューがうまくIEででてこなくて(すっぽり抜ける)でずっと悪戦苦闘して、なにもできませんでした。ぐすん。
明日月曜だから、早く寝よう。


 98年8月1日(土) <SLIDING DOORS>

早いもので、8月に突入しました。黙っていると、ホント時がどんどん流れてしまいます。
さて金曜日、『SLIDING DOORS(スライディング・ドア)』の試写会に行って来ました。とてもテンポのよい、おもしろい映画でした。
私もそうですが、「もしあの時、ああなっていたら…」と思うことがあると思います。
「もし今の電車に乗り遅れたら…もし、その電車に乗れたら…」。
そこで、間にあったときと、間にあわなかったときとでは、どんな風に人生が違っていくのだろう。そうやって話しは進んでいきます。
主人公ヘレンのふたつの人生をテンポよく進め、そのどちらの人生もまた不思議で、運命とはこういうものなのだ、、と思わずにはいられませんでした。
また、ファンタジック・ラブストーリーとはなっていましたが、単なるラブストーリーとしての見方だけもいられません。
ここに出てくる男性たちは、男性の性というか、ほんと「やはり男はみなそうなのか」という典型的な行動をし呆れたりもしますが、そういう男と会わなければいけない宿命みたいのを女も持っているのだ、とも思いました。

最後に、この映画の解説の一部。

What if one spilit secound sent your life two completly different directions?
Helen is about to find out that romance was never this much fun.