人気俳優が監督する場合、普段出ている大作映画と違ってとてもシンプルな映画を作る傾向があるように思う。突出しているのはロバート・レッドフォードだが、このジョージ・クルーニー
初監督作はどちらかというと、いろんな事を試し過ぎて散漫に終わってしまった印象を受けた。
がんばってはいるのだが、、、。
昔日本のテレビでも少しだけやっていた「ゴングショー」、古くは「パンチdeデーと」等の元ネタ
の「デートゲーム」などの立案者であったチャック・バリス。日本人には馴染みはほとんど
無いけど、劇中ゴングショーや例のアンノウン・コミックについての説明が一切無いから、アメリカでは誰もが知っている番組なんだろう。そのあたりが我々日本人が見るにはハンデだったりする。
そのテレビマンが裏では政府の為に人殺しを依頼される話なのだが、描き方がほんとに
ステレオタイプの「スパイ」。暗号を使ったり、、路地裏でバン!とか。昔のドラマに出てくるような、そんな累計的な感じで、実際何のための殺しなのか全然判らないので、観ていてちっともカタルシスが伝わって来ない。特にジュリア・ロバーツのキャラクターもありきたりすぎ。
実際この話そのものがチャック・バリスのフィクションなんだそうである。自伝のようであって
半分以上はフィクションになっている変わった本だったのである。同じような題材を使っている
「ビューティフル・マインド」のほうがその描写は上だかもしれない。
このスパイの部分と、テレビ業界の内幕、バリスの私生活と3つのシチュエーションがあるのだが
いろんな事を詰め込み過ぎてどれも中途半端な印象を受けた。次がんばってジョージ。
★★★
ポール・トーマス・アンダーソン(以降PTA)は天才である。と思う。コーエン兄弟の映画も「頭が良さそうだなあ」という印象をいつも持ってしまうが,PTAは凄い、、、といつも思ってしまう。
感覚が自分のツボにはまっているからなのか?、今回のこの作品もそう、ツボを押されまくり。
「マグノリア」以来の久しぶりの映画だし、いまいち話題になっていなかったせいもあって
映画が始まってしばらくは少しナメて、、というかリラックスして観ていたが、はっきりいって
そんなに大きな物語の起伏がある訳ではないのにどんどんどんどん映画の世界に引き込まれて
いった。
あいかわらず「なんか変」な部分と、とてつもなくピュアな部分が同居しているのが彼の特徴
だと思っているが、今回の作品は後者のウエイトがかなり高いのではないか。
、、映画を観ていてフィオナ・アップルとまだ交際しているのかな?なんて事を想像してしまった。
フィオナのあのとてつもなく臆病でエキセントリックな
感じ、、マスコミやインタビューではいつもおどおどした感じで落ち着かない様子の彼女
いざステージでピアノの前に向かうと人が変わったように黙々と歌い、ピアノを使わないアップ
テンポの曲になると、いったいどうしたの?っていうくらいブチ切れて踊り出す、、その感じと
今回のアダム・サンドラ−のキャラクターがかぶってしまった。
フィオナにとってのPTAが、主人公にとってのエミリー・ワトソンの存在なのではないか。
映画の中では何故彼女がある意味変人のバリーを好きになったのか、、なんて説明は一切
なし、、でもこの映画の観客はいつの間にかこの恋の行方を誰もがハッピーになるように望んで観てしまうはず。
描こうとした大きなテーマはなんだろう?主人公バリーが、彼女に気に入られようと最初は体裁の
いいウソをつこうとするが、根本的にそれ出来ない人だってことがだんだんとわかってくる。そこが
とても心引かれる部分だった。その描写が必要に多かったので、PTAの考える「美しさ」の
片鱗を観たような気がした。
話はすこしえげつないけれども、ちょっとニンマリしてしまう。また「すごく良かったよ」と
万人には勧めにくいけど「俺は好きだ!」と言いたい映画。
エンドクレジットにはやっぱり最後の最後に「Special Thanks」としてフィオナの名前があった。
そいえばこのホームページのまるで更新していない音楽のページに、フィオナのアルバムに
関して書いた所があるので、映画を気に入ったら、一度そのアルバムも聞いてみてほしい。
僕が観た大阪のコンサート会場にもPTAが来ていたと後で聞いた。PTAがフィオナを観ている
その同じ空間にいたと思うと少しドキドキするな。
When The Pawn/Fiona Appleのことについて
★★★★1/2
最近シネコンばかりで映画観ていたので、バレエの舞台からはじまる
この映画、ゆったりとした気分で見始める事が出来た。
この監督の映画は絵が奇麗、そして音楽がとても絵にはまっている。
途中カエターノ・ヴェローソが生演奏で歌うシーンが出てきて、どっかで聞いた
ことあるなと思ってたら「ブエノスアイレス」という映画の冒頭に出てくる
曲だった。とても心に滲みるいい曲で、映画そのものはその曲のように
ゆったりと進むのであるが、話はかなりえげつない。
見る人、特に女性と男性によって感じ方が全然違うかもしれない。人によって
はこのベニグノという主人公のひとりがとって
いる行動はストーカーまがい
だし耐えられないと感じる人がいるだろう。
僕はよくわからないほうなのだが、それよりも植物人間状態だったヒロインが
深い眠りにいたころに、彼が話していてくれていた事に少なからず反応していた
、、という描写に興味を持った。
うーん後味はそんなに悪くないけど、かなり考えてしまう映画だったな。
★★★★
あくまで私感だが最近ヒップホップっていつの間にかメインストリームになっていて、MTVのチャンネルを回してもたいていヒップホップのクリップばっかりなのは気のせいだろうか、、、元々ブレイクビーツは好きなのだが、この氾濫ぶりはちょっと食傷気味、、、だってメロディが無い音楽なんだよ本来。もっとひどいのが最近の歌謡曲にまでその影響が出てきてて、例えばkick The Can Crewなんかは僕の耳にはTUBEみたいに聞こえるのだが、、すんません。私感です。
それでそのムーブメントで最も人気ある人ってのがこのエミネム。もし自分が
いや、日本人がネイティブに英語が100%理解出来るとしたら、この人のライム(ラップの詩)はどう感じるんだろうか。
そのエミネムが主演の映画がこれ。へたすると、へたします。が、なかなかの傑作に仕上がっているのは多分監督カーティス・ハンソンと、ヒップホップの根底を理解した上で練り上げられた脚本のお陰では?
プロットは簡単で、うだつのあがらない男が最後に本気勝負するっという「ロッキー」みたいな話に、プレス工場が出てくるのはなんとなく「ダンサー・イン・ザ・
ダーク」のよう。
ヒップホップは当然、もともと黒人のもので、彼らの貧困や差別を訴える音楽的
手段として発展してきた。初期のヒップホップの精神が垣間みれる映画としては、スパイク・リーの「ドウ・ザ・ライト・シング」があると思う。あの映画はパブリック・エネミーの「ファイト・ザ・パワー」を主題に、当時の黒人のどうしようもない憤りをあの曲で上手く表現していた。
しかし近年になると当然、そのジャンルで成功した先達たちが現れ、僕達と同じように、若いキッズたちは皆ヒップホップアーティストになりたがる。それは簡単に
成功しそうで、イケれば苦労も無くお金も名誉も女も手に入るし、かっこいい!。というよりそう見えるから。日本人の若者にアンケートすると「なりたい職業」の上位がミュージシャン、美容師、デザイナーってなるのと同じ。(笑)ほんとは楽な仕事なんてないのにね。
この「8マイル」はその部分に結構スポットをあてていて、ジミーの友人のみんながそういう夢に振り回されている事を執拗に描く。
ジミーそのものの存在はそういう黒人コミュニティの中にいるホワイトトラッシュで、ひどいトレーラー暮らし、彼女にはフラれ、母親は自分の大嫌いな先輩と
やりまくってる。はっきりいって誰よりもひどい境遇である事を描いていく。
でメインとなるのがラップバトルなんであるが、黒人達が相手を罵倒する1分勝負
みたいなもの(これは正直あんまり熱くなるものじゃないと思った)
そのライムの中に、本当にもとあった怒りやどうしようもなさを表現する
のが:ヒップホップではないか?というラストの展開にけっこう「おー!わかるwかる!」って感じになってしまった。才能のある人は絶対に努力しているし、
コネや人付き合い以前に音楽的な本質が必要である。
ヒップホップはもとは、そういったマイノリティの精神的な
部分から来ているものである、、と言う事が言いたかったのではないか?
だから何かに「勝つ」事が重要ではないのがこの主人公なのではないか。
勝負を終えたエミネムが少し抜け出してきた夜勤の仕事に帰る地味なラストが
久しぶりにかっこいいラストだなと思ったよ。
★★★★
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