Linuxの奨め

Linuxを使ってみませんか

1999-7-14 改訂
初めに
 
 Linuxを使い始めて、次のようなことが出来るようになった。
 
 1. LAN内にWWWやMailサーバを構築することにより、ネットワークの関連でのインターネットの理解がより深まりつつある。

 2. CGIなどの実験がLAN内で可能になり、本番のISPの制約の元でもCGIが作り易くなった。

 3. マイクロソフトWINDOWSの重いOSから逃れ快適な操作スピードでパソコンを使用できるようになった。ユニシス社の大型汎用コンピュータAシリーズや2200シリーズ等を長年使用してきたが、これらの機械のコンソールを使った時の歯切れの良さをlinuxでも感じることが出来ている。

 4. 24時間接続の料金がもっと安くなればいつでも自分の機械からホームページが発信出来るようになった。

 5. Linuxは今最も注目されつつあるOSです。その理由の一つは開発環境の豊富さにあります。自分でプログラミングをしてこそパソコンの世界を2倍に楽しめるというものです。ぜひプログラミングの世界の入り口としてLinuxを使って見ようではありませんか。
 
 能力不足になり使用しなくなったパソコンがあればLinuxをそれに導入することから初めてみて下さい。1999年入ってから爆発的にLinuxの人気が高まり沢山の本や雑誌が発行されとてもLinuxが使いやすくなってきました。それらの殆どの本や雑誌の付録に従来のものに比べてより導入が易しいパッケージであるTurboLinuxやPlamoLinuxやVineLinux等のCD−ROMが付いています。勿論インターネットのおのおののホームページからダウンロードすれば最新のバージョンのものが入手出来ます。

  これらは一昔前のハードウエアの機能が劣るノートパソコンなどにインストールしても快適に動くとのことであり、市販のWindowsXXをインストールする代わりにLinuxを入れればWindowsXX並の性能のパソコンになるはずです。

 これらをインストールすればC言語やPerlが揃っていてすぐにでもプログラムの勉強を始めることが出来ます。すでにパッケージ化されてこれらのコンパイラーやインタプリッタが含まれているからです。このソフトウェアも最新版が欲しくなればいつでもインターネットからダウンロードが出来ます。

 もしHDが簡単に増設できるならなるべく新しいハードウェアにLinuxを導入しよう。ディスプレイ・カードやNICやSCSIやIDEのインターフェースで一苦労するかもしれないなどと思っていたらバージョンの上がったパッケージをはとても導入が楽になっていた、相当なスピードでインストレーションの自動化が進んでいる。

Plamo Linux1.4.4のインストールに失敗する

  Windows98を使用するにはペンティアム200MHzに64KBのメモリでは少々かったるくなってきていたのでハードウェアをセレロン400メガに128KBのメモリつきに変えた。HDも10ギガバイトのものを取り付けた。パーティションを分割してLinuxも導入するつもりであった。ところが最初の2GBのパーティションにWindows98をインストールしてしまったのがミスの始まりであった、つぎの2GBのパーティションにLinuxが導入できないのである。

  現象としてはFDISKがうまく機能しなくなる、HDによってヘッド、セクター、シリンダーの値が違うわけだが、たまたま最初の2GBでシリンダーが1229になり1024をこえてしまっていた。だから次の2GBはFDISK上ではLinux用のパーティションが作れなくなる(インストール作業の途中ではLinuxのインストール先が選べないという現象となってしまう)。Windows98と同居させなければ最初から5GBのパーティションをきってもOKとのことだが未だ試してはいない。

Plamo Linuxへの ftp と telnet がWindowsNTから出来なかった

  この問題はPlamoのホームページではUpdateパッケージが用意されていてそれをインストールすれば解決すると説明されていますが、この場合原因とかが解らないままに問題が解決されてしまい趣味の世界でLinuxを使用しているものとしては少々物足りないところがあります。このような場合、山崎康宏著の「Linux活用メモ」をしらべてみると解決策が見つかることがあり、この場合も/etc/hosts.allowとか/etc/hosts.denyの存在と使用方法が見つかりました。

  私はいまになってSlackwareの古いバージョンで少しばかり苦労(後述)したことがとても役に立っていると思えてきました。今年に入ってからインストールの自動化が進んだパッケージがいろいろ発表されてきており、それらを利用するととても楽にLinuxを使用できるようになりますが、便利になったLinuxのバージョンに対し感謝の念が湧くかどうかの境目が1998年以前にLinuxを使い始めていたかどうかになっているように思われます。

Vine Linux(v1.0)をインストールする

  1999年の4月の半ばになってになって雑誌にVine Linux 1.0のCDROMの付録が載った。ベータ版のときCUIで使用しようとしてコマンドがSLACKWAREと異なっていたので使うのを諦めていたのだが、雑誌の解説でGUIから使用できることが判り早速インストールをした。自作のK6−2搭載の、SCSIカードが2枚付いていたり、100base2のイーサーネットカードなどが載っている機械にインストールをしたが全て自動認識されて2時間ほどですんなり導入が出来てしまったのには驚いた。

  Netscape Communicator 4.08 の日本語化されたものが自動的に導入されてしまい、そこで日本語化されたマニュアルが読めるようになっている。おまけにウインドウマネージャーがとても綺麗でWindowsXXなどと比べると色合いといいアイコンのデザインと言い真に素晴らしい。おまけにTKPPXPが旨く作動してくれるのでネットサーフィンをするのがとても楽しい。こんなに素晴らしいものが出来てしまったことが不思議でならない。関係者の皆さんのおかげでこのようなものを利用させてもらえることに感謝している。

  このパッケージはRedhatが下敷きになっているので、各種の設定が画面から出来るようになっている。AdduserなどをコマンドラインからやろうとしてもSlackwareのようにviがうまく使えない。Control-panelというOSの管理プログラムの使用方法をまず覚える必要がある。その代わりコマンドライン上からの操作を知らなくてもよい。Linux特有の各種設定ファイルの名前や使い方を覚えなくても済むのでWindowsXXからパソコンを使い始めた人たちには Redhat系のパッケージが使いやすいと思う。

Linux(slackware3.5)をインストールするつもりがPlamoLinux1.3になってしまった

・年頭の決心はよかったが

  1999年はLinuxのインストール作業を初めから意識的に順を追って進めてみたいと思った。まだまだ旨く行かぬことが多かったが、SCSIのHDやMOやプリンターを使えるようにするとか、Perlの日本語化したものを使うとか日本文のメールを書けるようにするとか、今までインストールしたシステムを個々にバージョンアップするのが本筋であろうが、まず別の機械に日本語化が進んだパッケージごとバージョンアップされたLinuxをインストールをして、そちらに今までシステム内に出来上がった色々なファイルをバックアップしてからシステムのバージョンアップとかカーネルの再コンパイルとかいろいろな作業を安心してやってみたいと思った。

  そこで導入を予定している2台目の機械のハードウェア仕様を調べるところから作業を始めることにした。まずインストールする領域を定めないといけない。すでに Windows 98 などOSが複数インストールされているので、IDEチャンネルにはハードウェア・ディスクやCD−ROMが全部取り付けられている。そこで1GBのデイスクをSCSIチャンネルに取り付け其処にLinuxをインストールすることにした。SCSIにはMOも取り付けられているので、はたしてLinuxでこれをいかにして使用するように出来るか課題だと思っていた。

  Linuxでのディスクドライブの扱われ方は、CドライブとかDドライブとかというものがない。ルートディレクトリ以下いろいろのデイレクトリがあり、それらのサブディレクトリはslackwareなどパッケージによって収録されるファイルなど決まりがある。だから本当は幾つかサブデイレクトリ名に対応したパーティション領域を設定する必要があるようだ。

  しかしSCSIにHDを増設にして何もかもそこに入れることにするなら問題はない。IDEチャンネルのデイスクに空き領域が3カ所あり、サブデイレクトリの割り当てはそれらに自由にできるが、容量的にはどのサブデイレクトリでも自由に割り当てるというわけにはいかない。各種アプリケーションなどがインストールされる/usrなどは相当大きく取っておく必要がある。もっとも空き領域を残してあれば、あとからそれを追加出来そうなので神経質になる必要はなさそうである。

・年頭から躓く

  ここまでは考え方として順調に行くはずであったが現実は厳しかった。まずFDISKでSCSIのHD(1GB)に900MBと100MBのパーティションを2つ作った。またIDEのHDDのSECONDARY Masterの2.5GBのHDにOSをインストールした余りの420MBの空き領域があったのでこれにもパーティションを作ることにした。

  次にLinuxインストール用のCD−ROMから、ブート用の起動ディスクとルートディスクのフロッピーを2枚作成した。起動ディスクはIDEとかSCSIのインターフェースに対応したものを作らねばならないのだが先ずはここで早とちりをして間違ったものを作ってしまったためSCSIのHDが認識されない。直ぐに作り直せばいいものを確認のためLinuxのFDISKを使ってパーティションを作成しようとしたり、いろいろ調べて見たのがいけなかった。

  WindowsNTのディスクアドミニストレーター等もそうだが、LinuxのFDISKもDOSのFDISKのときの表示と違った表示になる、たとえばEドライブなどDOSのFDISKでパーティションを作ったはずが変なふうにこちらでは表示されたのでステータスだけならと軽い気持ちで触ったのがいけなかった。DOSのとき1つのパーティションと1つの空き領域だったのが、空き領域が小さなものが2つ増えている、そこで更に調べようとしてその増えたところを含め触ってしまった。

  いずれにしてもSCSIを認識できるような起動ディスクを作り直すためWindowsNTを再起動しようとしたらntoskrnl.exeが壊れたと表示されて起動しなくなってしまった。LinuxのFDISKで小さな空き領域として表示されていたところにntoskrnl.exeの場所を指し示すものが入っていたらしい。linuxのFDISKはNTのデータの入っている所を空き領域として認識し表示をしていたらしい。まったくつまらないミスをしたものである。

  インストールを予定していたSlackware3.5版の起動ディスク用のフアイルには、搭載されているtekram製のDC390UというSCSIカードのドライバーが入っているのだが、フアイル名がn_53c8xx.sというものを使用しなければいけなかったのに、DC390用のものを使おうとしたために旨くいかなかった、英文の説明書を斜め読みするとこういった間違いを犯しやすい。仕方なしにもう一度丹念に読み直しこれらのことがことが判明したがいまだにSLACKWARE3.5をインストールしていない。

  DC390用を間違えて旨くいかなかった時点でAdaptec製のSCSIカードを別の機械から交換しても良かったがいずれにしてもLinuxをこの機械に本格的に常駐させるわけでないので、前述のPlamo Linuxというものをインストールすることにした。このパッケージには4つの起動ディスク・フアイル候補がありそのうちの一番最初のフアイルにDC390Uのドライバーが入っていたし、NICのドライバーも入っていてすんなりとSCSIのHDにインストールが終わってしまった。この場合は起動用のフロッピーは1枚である。

・Plamo linuxに感心する

  rootのパスワードの設定やadduserをしたり、/etc/hosts や、/etc/fstabにCD−ROMやMO用の記述を追加、hostsにLAN上の記述を追加したりした。これでftpやtelnetがOKになり古いバージョンの機械から保存用のフアイルをこちらに移せるようになった、おまけにMOのほうもすぐにOKになりそこへもバックアップすることが出来た。slackware3.5のインストールはこれで安心して出来ることになったので、再挑戦をすることにする。その前にせっかくインストールしたPlamo Linuxについても色々調べてみることにする。以前のことを思うとこんなに簡単にインストールできるPlamoLinux1.3にはほとほと感心する。

  感心ついでにPlamoLinux1.3をこのまま残してもうすこし触ることにした。

・楽な方へなびく

  その後Slackware3.5をインストールしてみたがLinuxのバージョンが2.0.34でPlamoのは2.0.35であつたし、PJE関連の「.ファイル」をいちいち作らねばならなかったのがPlamoは予め入っていたもので間に合ったというかadduserをすると自動的にそこに追加される。またNICのドライバーがSlackware3.5では入っていたものでは間に合わなかったので結局PlamoLinux1.3を使用する事に決めた。このパッケージは基本がSlacware3.5だったからである。

  次にPlamoで感心したことは、勿論XF86Setupバージョンが上がった所為でもあるが日本語の画面でXウインドウの設定作業を出来るようになっていたことである。とかく問題があるこの設定作業を日本語で出来るようになったことにより英文の斜め読みによる早とちりも無くなり順調に作業を進めることが出来た。ただもっと前のXサーバーのインストールの選択のところで自分の機械に取り付けられているビデオカードの他に、XF86Setup用にVGA16(X332vg16)とSVGA(x332svga)の2つも選択する必要があることが見過ごされがちなことで、こんなのには直ぐはまり早速ミスをしてしまった。

  PlamoはSLACKWAREを基本にしているので含まれているファイルなどは結果的に同じ様であることがあとで判った。

・快適な共有ディスク

  /etc/fstabの使い方がだんだん解りだし、今では2台のLinux m/c のHDを相互に共有ディスクにして使用できるようした。また半端に余っていたHDのパーティションをDOSファイルシステム FATのままマウントして、そこえ画像ファイルなどを入れておきWindowsからもlinuxからも使用できるようにした。Linuxの特徴の一つにいろいろなファイルシステムを扱えることがある、バージョン2.2.xからは NTFSも取り扱えるようである。

  プリンタも10年前のドットマトリックスプリンタを繋いで使っているが、Linux上の一般的なPostScriptプリンタは買えないまでもGostscriptというフィルタを使用すると安価なカラープリンタがPostScriptプリンタになるらしいのでこれも今後の課題にしている。このあたりからまたもやHOWTOのお世話になる必要が出てきた。

  HOWTOもJFのバージョンが上がっている所為か内容も豊富、おまけに日本語訳も沢山含まれていて、すごく楽になっている。

  Gostscript等も設定がなされていて、それ用のPlamoのテストファイルが含まれていてXウインドウからMuleとMewのテストを兼ねた確認が出来るようになっていた。SLACWARE3.4からすると至れり尽くせりの感がする。

・便利なソフト・コピイアンドペーストも簡単

  感心したことのその2は、マウスを使い範囲指定をしてコピイアンドペーストが簡単に出来るようになっていたことである。gpmというソフトの働きだそうだが、色々と便利なものが増えてきている。

・PPPの苦労が待ちかまえている

  そのまえにISDNのTAを繋げるようにしなければならないが、またPPPでの一苦労が待っている。何か問題があるとHOWTOを読まねばならないが日本語訳が有るのと無いのとでは大違いである。PPPよりも楽なPPxPいというのも有るらしいので何とかしてみたいものである。(これはすごくよくできていてすぐOKになった)

  HOWTOを読んでみてもISDNのことが良く分からない。SLACKWARE3.5のインストールを書いた本によればPPxPとかTKPPxPというものの方が簡単にダイアルアップ接続が設定出来ると有り、早速楽な方へ惹かれてしまった。

  Xウインドウが使えるようになっていたのでTKPPxPというのを使い作業をした。日本語で設定が出来るようになっていて楽である。モデムの種類の所ではちょっと難渋し、出来合のものを片っ端から使ってみたがなかなか旨く行かない。モデム設定フアイルは自分のISDN用のTAに逢うものがないときは作れるらしいが試しに作ってみたがこれも理屈が判って作ったわけでなかったので旨くいかない。一旦諦めて他のことを先にやることにした。

・気分転換、何故か旨く回避

  他のこととはプリンタのことで、とりあえず漢字交じりのHOWTOを印刷できるようにした。GostScriptを利用してかっこよく印刷するのはリボンを使ったプリンタでは無意味なので、こちらの方はWindows98のTrueTypeフォントで綺麗に日本国憲法やタイガーの絵が見えるようになったところで区切りとした。

  気分が転換できたのでISDNに再挑戦した、Plamoでは、PPxPのインストールは予めなされていて、必要なファイルGNUreadlineとかUserLinkとかがインストール済みなので、いきなりPPxPの設定が出来る。おまけに日本語の画面で出来るのでとても楽である。一回目に旨くいかなかった時は認証プロトコルをPAPにしていたが、PAP CHAP/MD5 CHAP/MSにしてみたら、モデムの種類は出来合のものでOKになった。毎度のことだが色々理屈を調べるより、適当な組み合わせで強引にOKにしてしまう方が早い。

  どうころぶにせよ気軽にやって旨くいかないときでもそのうち何とかなるさ、という気分になれるのはSLACKWARE3.4のときの経験が役立っている。それに1台はLinuxが動いている所為もある。ISDNでISPに繋がったので、つぎはNetscapeCommunicatorのインストールと日本語化を行った。日本語化作業は前回失敗しているので慎重に文書を読んで進めた。しかしながらである、起動してみるとNGである、色々調べてみるとjcommunicatorと入力して起動することが判りOKになった。ひょっとすると前回も是が判らずOKにならなかったのかもしれない。

・日本語化

  Linuxでの日本語化は、種類が色々あって、ルールがよくわからない世界のように思えた。まず日本語が扱えるようにはなるがLinuxが日本語システムになることはない、ファイル名に漢字は一切使用できない。システムにならないから、全てが例外的なルールというか、日本語を使うルールはアプリケーション毎に有ると言うべきか、とにかく一昔前ワープロが部屋の中に数台並んでいて製造会社が違えば1台1台の使い方がひどく違っていたのとそっくりなのである。106キーボードを使用しているからキーの機能が統一されているなどとおもったらとんでもない。

  日本語かな漢字変換サーバとクライアントが分かれていて、まずインストールのときサーバ側の変換ソフトをCANNAかWNNかSJ3のどれかに決める必要がある。辞書などはこちらに含まれているがサーバーのステータスを表示させると、使用辞書を知ることが出来る。カストマイズファイルを使用してキー操作などを変更する。ローマ字かな変換テーブルも指定する。指定しないとデフォルトのファイルを使用することになる。

  次にクライアントが色々ある、アプリケーションごとに違うことがあるので、一度ATOK12に決めたら全部がそれで済むようなわけには行かない。操作方法、キーの使い方、位置や機能も決まっていない。すべて自分で決めなければならない。デフォルトで我慢するならアプリケーション毎にワープロを換えたと思って使うことである。先ず始めに標準的なエディターであるEmacs(多国語対応版をMuleという)で日本語を使用する場合から使い方を決めていくようである、Mule専用のFEPもあるらしい。

・Netscape Communicator

  Netscape Communicatorのバージョン4.05をインストールして使用しているが、4.5をためしに別の機械のPlamo Linux上にインストールしてみた、しかしながらなぜかホームページでキー入力ができない何か設定を間違えたらしい。設定方法も今ひとつ良く分かっていない。デフォルトでは/usr/local/netscape と言うところに設定されるはずなのだが4.05のときはそうはならなかった。今度はディレクトリは旨くできたのだがそれ以外に何かが不足しているらしい。付属の説明書を良く読まなかったせいである。また課題か増えた。

・Plamo Linux上にApacheをインストールする

    ブラウザの次は壊してしまったWWWサーバーの再構築である。雑誌の付録のCDROMにDatabaseとApacheがともに入ったものがあったのでそれのインストールを試みたが、データベースのことが良く分かっていないため、変なLibraryが次々と必要になり一向に旨く行かない。良く分かっていないものと一緒に導入するとえてしてこのような結果になりやすい。ここはおとなしく撤収することにして一旦機械からそれらのファイルを除去した。

  しかしながらサーバーは必要である、そこで志気を鼓舞してhttp://www.apache.or.jpから最新のバージョン1.3.4をダウンロードした。先ず解凍をする、Apacheはコア部分とモジュール部分から構成されていると有る。モジュールは多すぎても削りすぎても問題だと書いてある。

    前の3.4バージョンではインストールした後/var/lib/httpdにあったものをデフォルトの/usr/local/etc/httpdに移したとたん/home/user-ID/public_htmlへアクセスが出来なくなったほどである。またもや数週間は難儀をする覚悟をした。

  Apacheをコンパイルする前に先ず利用するモジュールを選択して組み込むと有る。/srcの中のモジュールを調べてみるがどうゆうものか良く分からないものが沢山入っている。Configurationの書き換えなどとんでもない。とにかくデフォルトで行くことにする。Configureコマンドを実行する、画面になにやらぞろぞろとでてくる。次にmakeコマンドの実行である、コンパイルの経過がまたぞろぞろと表示され画面が流れて行く。早くてエラーメッセージが出ていたとしても判らない。最後はコンパイルずみのものをインストールする、これもmake installコマンドで自動化されている。

  最後はスタートさせる番である、/usr/local/apache/sbin/を怖々開けてみる、しめた!色々コマンドが入って居るではないか。apachectl startで実行をかけ、別の機械からhttp://www.kono2.or.jp/にアクセスしてみる。例の " It's worked! " が表示された。目出度し目出度しである、ついで/home/user-ID/public_html/に実際のホームページ用ファイル一式をftpする、ばっちりOKである。

  Linuxの世界は急速に自動化が進んでいるらしい、Linuxがプレインストールされた機械の発売が相次いでいるご時世である。アプリケーション・ソフトも簡単にインストール出来る時代が到来しているのである。そろそろ有料のLinuxを購入して日本語環境を試用するときが来たようである。

  

Vine Linux導入途中記(1.0beta) 

  雑誌の付録にVineLinuxがついていて初心者には使いやすいとあった。たしかにNetscapeCommunicatorの日本語化されたものまで自動的にインストレーションすることが出来た。導入そのものは日本語化されたインストール作業が出来て楽であった。基本になっているのはRedHatLinuxである。Xウインドウシステムもとても綺麗である。ウィンドウ・マネージャはWindowsMakerという。Plamoにくらべても/etc/fstabなどにはCDROMやフロッピーの設定がなされていた。

  インストレーションが終わりしばらくして気が付いたが、ライブラリーがglibc2を使っているということである、このことは例えばadduserの代わりにuseraddコマンドがあるというような別のコマンド系統であるということで、4300円も出して購入した「Linuxクイックリファレンス」が全く使えないことを意味する、ただでさえコマンドの使い方に難渋しているのに全然別物を更に覚えなければならないことになる。たとえば設定ファイル/etc/exportsに相当するものが別に何かあるのかそういったことも含め別に勉強しなければならなくなることが判明した、現在の乏しい知識ではとりあえずこのようなSlacwareと別系統のパッケージを触るのは時期が早いと思った。

Linux四苦八苦記(Slacware3.4)

  これは1台目の機械にLinuxをインストールしたときの苦労話で何回も気がついたら夜が明けていたことがあった。

 
1.ことの始まり

 1997年の夏、DOS/V誌の付録にPC用UNIX系のLinuxというOSが付いていて、そのときから気になっていたが、試すこともなく一年経っていた、本屋にいくとパソコン書籍の棚にLinuxとかBSDだとかいう本がおいてありその種類もだんだん増えつつあったので時々手に取ってみていた。

 ウインドウズNTワールドという雑誌にアメリカのコンピュータ辛口評論家がバクだらけでユーザーが自由にいじれない商品のOSよりPCUNIX系のLinuxなどがよほど使い良いと言った内容の評論が乗っていたりもしてそんなこともあるのかと思っていた。

 1998年に入ってから何時だったか新聞に、天文学者が何かの天体の距離だったか大きさだったかの計算をコンピュータで算出したらしかじかという記事が出ていて、後でパソコン誌を読んだ所Linuxを搭載した機械で算出したと書いてあり、パソコンのみならず相当高性能なハードウェアの機械上でもこのOSが動いていることがわかった。

2.インストールをはじめてみると

 DECのCelebris5100という、CPUがペンティアム133メガ、メモリ48メガ(少し増設ししたので)、ハードディスク800メガのWindows3.1時代の機械にWindowsNTServer4.0を入れて使用していたが、この機械にウインドウズNTサーバーのオプションパックを導入しようとしたところ、ハードウェアの能力不足とかで動かなくなってしまった。このOSは3.5バージョンあたりから使用してきているが、バージョンアップの度に金は掛かるし、それにハードウェアの方でも次々と性能アップが要求されるのでハードウエアをつぎつぎに手当せねばならず、その商業主義にかねてから嫌気がさしてきていた。

 そんな次第で 機械が一台余ったのでかねてから気になっていたLinuxを導入してみた。簡単に何とかなると思っていたが、どっこいなかなか動かない、マウスの種類だとかは適当に入力してまずは通過した。
 

3.最初の難関

 ところがである、Xウインドウのセットアップでまず難渋した、ハードウエアのチップ名や、RAMDACのスピードを入力させられたりとか、やたらにハードウェアの細かいスペックを知っておく必要がある、付属のマニュアルをよんでみたり、機械の中をあけてみたり、チップの表面を覗いてみたりした。マザーボードについているビデオチップの性能がついに判明せずそのためさっぱり旨くいかず、とうとう分からなくて別の機械から外したやや資料があるビデオボードを取り付けるなどしてみた。

  このボードは台湾製でアメリカ製でないからボードメーカーのリストの対象外でそこから判断がつかなかったが搭載されているビデオチップ名が分かったので何とかOK,しかしこんどはディスプレイユニツトの方のこまかなハードウエアのスペッシフィケーションを入力するところでまたまた旨くいかない、そのうちいろいろやっていると何となく動いてしまった。DOS/V誌の記事だけではうまく行かず「入門Linux」という本を買ってきてそれに沿って導入を幾度もやり直して何とかとりあえず動かせる所まで来た。

 

4.XウインドウにつられてOSもハージョンアップ

 やっと動いたXウインドウがDOS/V誌や入門Linuxに載っているバージョンと違う。付録のCD−ROMに搭載のバージョンと記事の説明のバージョンが違っている、もっとウインドウズ95ライクもののはずである。いろいろ調べてみたところどうもOSも含めて別のバージョンがあるらしい。

 そこでそんな付録のCD−ROMがついている「Linuxインターネットサーバー構築入門」を買ってきた。ところが前に旨くいったはずのXウインドウの導入中マウスのセットアップの所でこんどは機械がハングアップする、まえはハングアップなどしなかったのにである、しかもこのOSは寡黙で操作が良くても悪くてもいちいち細かなメッセージがかえってこない。

  気を落ち着けて考えてみたところどうも前のバージョンのセットアップ・フロッピーディスクをそのまま使ってはいけないことに気が付いた、これを作り直したところめでたくXウインドウのセットアップを通過できた、前回難渋したビデオカードのセットアップはなんなく通過し、ディスプレイのところまでこぎ着けた。

  前回偶然でたらめに入力してたまたまOKで通過したのが今回はなかなか当たらない、付属の資料なぞとっくの昔無くなってしまっていてどんなハードウエア・スペックなのかよく分からない、ここの設定は候補の数が多いがそれを選択すればいいのだからなんどかやれば当たるはずであるからと、気ながにやったところOKになつた。

 

5.日本語拡張機能の導入

 次は漢字を使えるようにする番である、これは日本人が開発した部分であるからどこかに日本語の説明が入っているはずだが導入に成功しない限り是が読めるようにならないので英語のドキュメントとさきの入門の本だけが頼りである、バージョンが上がっているせいか、パッケージを組んだ人が違う組み方をしたためか、本の通りでは旨くいかずいろいろ試行錯誤してなんとなくOKにした。

 次にあとでどうでも良いことが分かったのだが、一番難しかったのはフロッピーディスクを読み書きすることであった、MS−DOSの1つの操作がLinuxでは3つの操作で行わなければならないのには驚いた。ところがフロッピーなどを使わなければならない場面にその後いちども遭遇しない、どうもこれは使うことがないらしいことに後になり気が付いた。

 そんなことで CD−ROMもそのまま機械に挿入しても動かないのにはなれた、呪文のようにメッセージ(~# mount -r -t iso9660 /dev/cdrom /cdrom)をキーインして日本語拡張機能をHDに読み込んだ。次に読み込んだ物を解凍しなければ日本語のヘルプは利用できない、解凍関係のコマンドはとあちこち本を探し回りやっと見つけた、ここら当たりからPJEという新しいバージョンをロードしたことに気が付いたが、フアイル・パスなどが違うので自分でいちいち調べて本の内容を読み替えないといけない、なんとか漢字コンソールのkonというのが起動して漢字が表示できるようになったがデイスプレイのところでいんちきをやった報いがこんな所であらわれて歪んだ画面に漢字が現れた。次が又訳の分からない漢字フアイルのパッケージの選択である、これは本の筆者のお薦めに従ってとにかく選択し相当な数のフアイルをロードした。
 

6.やっと106日本語キーボードが使えるようになった

 次はキーボードの配列である、とにかくインストレーションの途中にキーボードの種類を選択するところがあるが日本語用の106型キーボードなどはリストに含まれていないから101キーボードのキーと106キーの変換をメモを頼りにとりあえず試行錯誤しながら入力をしてきた、日本語拡張機能をロードすると106キーボードマップを使用できるようになり、106キーボードをキーの刻印通り使用できるようになることが分かったので早速コマンドを打ち込んだ、毎回打ち込まなくても済むように、早速起動時にもこのキーボードが使えるように起動用のフアイルにこの操作を記述した。

  ここらあたりから必要になってくるのがEMACSとかviとかのエディターの使い方である、私はviの最低のコマンドを何とか覚えた。これがないと色々設定を変えることもできないからである。

 やっとここまでたどり着いたがこのままでは何の使い道もない、たしかにCやPerlやjavaのコンパイルなどは出来るしそれはそれで有用ではあるが出来上がったフアイルをほかの機械へ移しにくい。それに日本語の機能は貧弱で使いにくく、こちらはいまのところ別にもっと良い物の導入が必要である。そこでLANでWindowsが動いている機械に繋ぐことにした。
 

7.インストレーシヨンを楽にやる方法があるらしい

 ところがまたもや難関が待ちかまえていたのである、実はLinuxにはインストール・パッケージという物が幾つもあって、たまたまSlackwareというのを使用したがじつはインストールが一番難物だったしろものらしいのである。

 Turbo LinuxとかRedhat Linuxとか、それにそのほかにも9000円くらい費用をかけるともっと楽が出来るらしい、LinuxでなくてBSDとか、更にしかるべきコンピューター会社があつかっているUNIXのバージョンが沢山あるらしいのである。事前に導入したい機械のハードウエアの構成や内容を調べたり、インストールするOSについても種類を調べたりしてから始めれば良かったのにいきなり無料の雑誌付録の古いバージョンから始めたのが苦労の始まりだったらしい。

 それからバージョンは上がったのはよいが、いきなりサーバーの構築から書いてある本の付録を買ってしまい、基本的な知識のないままにインストールをやったために本当はあるフアイルの所定のところを一行だけ修正すれば済むところを、総て御破算にして始めからやり直すやりかたしか知らなかったために無駄があったようである。
 

8.イーサーネットカードのインストール

 LANを始めるにはイーサーネットカード(NIC)を取り付け、これと他の機械のNICとをケーブルで接続しなければならない。Linuxを導入した機械はもともとWindowsNTが入っていて他の機械とLANで結ばれていたのであるから機械的には繋がるはずなのに一向に旨くソフトウエア的にNICの存在を認識してくれないのである。

  付録の本体であるインターネットサーバーの構築方法の本にはごく当たり前に繋がるがごとく記述されていてこんな低次元のケースについては書いてない、カーネルの再構築などという恐ろしげなことのやり方が載っている、藁にもすがる思いでこれもやってみる、いろいろ訳も分からずに変な設定や選択をやり最後にコンパイル迄やり直してみたがいっこうに旨くいかない。OSの再コンパイルなどということは昔バロースB1000と言う機械で一晩がかりでやったことがあるだけで、こんなに簡単に出来る物とは思わなかったが、いまはまったく関係ないらしい。

 そこで仕方が無くまたもやOSに含まれるマニュアルを読むことにする、Ethernet−HOWTOなどカードについていろいろ説明が書いてあり、古いカード程認識されやすいとあり、ISAバスのカードをわざわざ取り付けたりしてみたが旨くいかない、そのうち日本語のマニュアルのなかにもこの文章の翻訳が見つかったがいずれにしてもピントくる記述がない。

  日本語のマニュアルのなかに堀江さんというひとが書いた文書をふとみつけた、是が丁度ぴったりの内容を説明てしてあり、/etc/rc.d/rc.modulesのなかにDEC製のNICのドライバーの記述をすればよいことが分かった。例が書いてあったので、自分の機械の、マザーボードに直接組み込みではあるがLAN用のチップが同じなので試しにやってみたところOKになった。それからNE2000コンパチブルカードだともっと旨くいくはずなに何故だめなのかはどうもカード側でWindows用のP&Pドライバーがアクティブになっているためらしく是をころせばこのNICもOKになりそうだということも分かってきた。

箇条書きにしてみると
1. /etc/rc.d/rc.modules というフアイルにLinux用のイーサーネットカードのドライバーを記述する。
2.hostsフアイルを編集するかDNSを構築する。
3.netconfigからネットワークの基本設定を行う。
と言うことになるようである。
 

9.快適に動くようなったと思ったが

これでWindows搭載の機械からTELNETができるようになった、次にFTPサーバー、メールサーバー、WWWサーバーの構築を行った。オプションなども追加しながら、いろいろテストをしながら、FTPでホームページ用のHTMLや画像フアイルをLinuxマシンにアップロードし、apacheというWWWサーバーが動くイントラネットを構築した。メールサーバーはsendmailをインストールした。とりあえずインターネットプロバイダーのUNIXマシンと殆ど同じ操作でTELNETやFTPが使えるようになつた、WWWサーバーもまだ一部おなじに出来ないのはapacheの設定をすべてしていないためのようでこれは今後の課題である。
 

10.NETSCAPE COMMUNICATOR をインストールした

 かねてから本屋の店頭で見かけていたにもかかわらず手に取ることの無かったUNIX USERという雑誌を手にしたところ、付録のCD−ROMにUNIX用のNETSCAPE COMMUNICATORとVJEが使えるVPENというエデイターがついているのを見つけた。NETSCAPE COMMUNICATORはNETSCAPEのホームページからダウンロードしたものの許諾契約のアクセプトの仕方が分からなくて使えないでいたので日本語のインストールの説明の付いているだけでもありがたかった上に、UNIXに疎い者にも何とか分かるような説明になっている、早速失敗を何度もしながら明け方までかかってインストールした。

 イントラネットでWindowNTからホームページを見ていたが、Linux搭載マシンから自分のホームページをNETSCAPE COMMUNICATORでブラウズできるところまでなんとかこぎ着けた。

 自分のホームページをWindows搭載の機械から眺めていると、全角文字や半角カタカナで画像ファイル名をつけたところも表示されているのに、Linux上のNetscapecommunicatorからはそれらが表示されないことが分かった。UNIX系の機械からアクセスしている人と同一の視点の問題点が発見出来るようになったわけである。

 次にnetscapeのメールソフトを使いメールの発信や受信をLANで繋いだ機械どうしで行ってみた。とりあえずテキスト・メールは旨く行くことが分かった。
 

11.CGIのテストをしたところ

 ホームページを賑やかにするにはCGIを使えるようにするのが一つの方法である。ホームページ改造大作戦と銘打った本を買ってきて早速試してみたところまたまた問題が出現するのである。まずApacheのことがよく分かっていないことに気が付いた。又本屋へいってApacheの本を購入してきた。次はCGIを記述する言語のPerlが分かっていないことにも気が付いた、リフアレンスの本は高いし本屋で立ち読みするには分厚くて重すぎるが、いずれは購入するはめになりそうである。Linuxのリファレンスも必要でこれはしかたなく購入した。

  この調子でゆくと、本来無料のOSだが本代だけでWindowsの購入価格の二分の一位になるかもしれない。しかしApacheはWindowsNTにも導入できることがわかりCGIもどうせ必要になったはずだし、結局Linuxのリファレンス以外はOSとは別の費用ということになるようである。インターラクティブなホームページの改造を目指して、これから更にやらねばならぬ事がいっぱい出てきた。(後でエリック・ハーマン著の「CGI入門」と言う本に巡り会いこのあたりの疑問が解決した。)

 

12.解らないことが急速に増えてきた。

 「Perl/CGIプログラミング&サンプル」と言う本を購入した、これでperlでも分からないことだらけであることに気が付いた。とくにperlの環境変数なる物とApacheのconfiguration関連フアイルとの関係もまだよく分かっていない。

 更に話はWindowsNTにも飛び火した。NET関連のコマンドラインがとんと分かっていないのである。このため今年の春に発刊されたWindowsNTのクイック・レファレンス(Eric Perce著)も購入する羽目になってしまった。これはなかなか良くできた本でリファレンスとしては便利である。

 Perlで書かれたCGIサンプルは環境変数の所へくる度に、パスは環境に合わせて変更する必要があるという注釈のところで立ち往生する、適当に絶対アドレスを入れればOKにはなるがこれでは実際にプロバイダーの機械に載せられない、どうしても環境変数を生かしプロバイダーの環境でも実行可能にするにはこれをマスターする必要が有りそうである。勉強するために「Apacheハンドブック」と「Apache活用ガイド」も購入することにした。これらの本はしかしとても難しくいまでも利用する能力に欠けている。

  実は日本語が使えるPerl等も別のパッケージ、例えば前述の付録のPlamo Linux等をインストールすれば使えるとは思われるが、その一部分を別にインストール済みのLinuxに導入する力がまだ無い。 だから宿題だらけである。

 

13.ダイアルアップ接続に苦労する。

 NETSCAPE COMUNICATOR4.04をインストールしたときから気になっていたことの一つがダイアルアップ接続のことである。前から購入したものの内容が高級すぎて書いてあることがさっぱりよく分からないので積んであった「Linuxパワーガイドブック」をたまたま広げたところ丁度ダイヤルアップ接続の事が書いてあるページを見つけた。

 早速記事を頼りに接続用のスクリプトを手直ししたり、色々な設定をやってみた。ところが案の定上手く繋がらない。モデムのインシジケーターを眺めている限りでは正常なシーケンスを経て繋がったようになるが、ifconfigというコマンドで調べてみると接続できていない。

 それでISPに電話をしてみることにした。うちはPAPですからといわれたがぴんとこない。とりあえず本には認証方法が2つ有ると書いてあるのでもう一度その設定をやることにして電話をきった。そこで例のごとく日本語のHOWTOを調べてみた。あるある早速Linux PPP HOWTOという45ページのものをプリントアウトした。

 PAPの説明もあるし、CHAPもある。しかしながらいろいろその通りやるが上手くいかない。OPTIONSというフアイルがありものすごく沢山の設定をするかしないか判断しなくてはならない。自分の機械にはいっている英語のOPTIONSフアイルとHOWTOのOPTIONSフアイルは若干項目が違う、説明をよんでもどちらにしたらよいのか判断が付かないものが沢山有る。 

 適当に増やしたり減らしたりすると、エラーメッセージが変わってくる。これでは組み合わせがあまりにも多くてどうしようもない。まずデバッグのやり方を習得する必要が有ることを悟り、chatの範囲からOKにすることにした。OPTIONSはなるべく少なく設定して除除に増やしていくことにする。デバッグはXウインドウズでXtermを複数走らせて置いて別々のウインドウにしておくとログを眺めることが出来る事が判った。デバッグを進めてchatの所まではOKになった、次にPAPでNGになるということが判ったがその先へなかなか進めない。ISPへ電話してから一週間もたつというのにである。

 そこで本屋に出かけたところ「LINUX活用メモ」という本が見つかった、そこにも色々ダイアルアップ接続のことが詳しく書いてある。700ページもある分厚い本だが他にもいいことが満載されているので買ってきた。ところがPPPスクリプトなどが全然違っている。とりあえずそのPPPスクリプトフアイルを作ってみることにした。しかしやはりPAP認証で上手くいかない。デバッグしていくとpppdのところで引っかかる。

  この本にはSLIPの方法も書いてあるのでPPPは横に置いてSLIPをやってみることにした。IBMへの接続方法が例にされているが自分のISPへの場合デバッグしながら所々を変えて行かねばならない。一旦mode PPPでIPアドレスが取得出来るところまではきた。しかしその後切断されてしまう。どうもISPの方式がこの後も違うらしいことが判ったのでこれも一旦止めることにした。後でISPに電話したらうちはSLIPは出来ないと言われてしまった、とんだ回り道であった。

 HOWTOにあって2冊の本に説明がないOPTIONSフアイルがどうも怪しいこととは判ってきたが組み合わせを根気良くやり直すしかない。本に書いてあるpppdに付加するオプション通りにOPTIONSフアイルも設定し直すことにした。色々やってみたが最後に日本語訳のOPTIONSになく英文のOPTIONSにある+PAPという項目を無効にしたところ上手くいった。+PAPの設定をPAP認証を選択することと勘違いしていたことが判った。

  さつそくアクセスしてみたところうまくLinuxマシンのXウインドウズ上で走らせたNETSCAPEコミュニケーターを使用してISPから自分のホームページを見ることが出来た。漢字や半角カタカナのフアイル名を使用したところがNGで有ることが判明していたが2カ所有っただけだったので早速手直しした。これでUNIXからアクセスしていただいた方々にも完全なホームページを見ていただけるようになった。後に横浜市のある公社のホームページを作成したときに、このチェック方法で幾つかの問題点を見つけることが出来た。

 

14.CGIでいろいろの機能を試してみた。

CGIのサンプルプログラムをいれて色々試してみたところ書込ボードなどがすんなりと動いてしまった。ところが本番のプログラムを契約しているISPにロードしてみると環境が違いおまけに色々制限が加わっていて旨く動かない。使えるライブラリーも違うし、chmodコマンドまでもが違う。あれこれ取捨選択をしてやっと動くようになった。現実の環境は刃物のようなCGIにやたらと制限をくわえて窮屈にしてある、nifty等はCGIは一切使えなくしてある。

 しかしこれらもまたしてコロンブスの卵的で制約を乗り越えてしまうともはやどうでも良くなってくる。それよりもPERLを勉強して自前のプログラムを書けるようにならなくては本当のことは解らない。

 PERLは「初めてのPerl」という本を買ってきて読み始めた。サンプル・プログラムの部分だけはどうやら読み終えたところである。
 CGIはLinuxの操作をやっていたかと思うとHTMLになったりで色々配慮しなければいけない先が多すぎる。まだまだ修行しなければならない。

15.ApacheによるWWWサーバーの構築

  いつの間にか通過してしまっているので意識して構築をやってみないと本当のところは解ってこないと思われる。後日の宿題である。実際のISPはいろいろ制限を加えてあるので、ユーザーが自由に使えるOSのコマンド数が少なかったり、Apache等にSSIを使えないようにしてあつたり、もろもろの不自由さがある。

16.Sendmailによるメール・サーバーの構築

 LANで使っているもののこれも本当に解っているわけではなく後日の宿題。

17.Shutdownと仮想コンソール

 Linuxを使用していて不便を感じていたことの一つは、Shutdownコマンドがrootユーザーからしか使えないということであった。IDをkonoでログインしていて、CGIなどを作っていて、rootでの作業が必要になるといちいちkonoからログオフをしてrootでログオンをするという面倒なことをやっていた。

  仮想コンソールということをしらなかったため、こんな基本的なことを不便なやりかたでやっていた。適当な本がなかなか見つからなかったが、山崎康弘著「Linux活用メモ」を見つけてからはおかげで何が基本的なことか解り、体系的にLinuxを勉強出来るようになった。ぜひLinuxの習得にとっかかりがつかめず悩んでいらっしゃる方々にこの本をお勧めする。SUコマンドの存在も知らなかった。

18.VJEとVPENの導入

 一太郎を使い慣れた身にはまことにやっかいでいまのところ旨く使えるようになっていない。「JAVA版一太郎」の発売が楽しみである。フロッピー・ディスクに入るサイズらしい。

19.Netscape メーラー の日本語入力

  これもいまだに旨く行かない。いつになったらLinuxから日本語メールが発信できるようになるか。 今までにインストールをして使用してきたパッケージをすべてご破算にして日本語入力が可能な別パッケージを導入し直せば簡単に可能になりそうではあるが未だ其処までは踏ん切りがつかないままに1998年は終わってしまった。

20.ついにLinux(Slacware3.4)を壊してしまった!

LANサーバーとして重宝していたこのバージョンもだんだんディスクの空きエリヤが足りなくなってきてしまい、ついにViを使おうとするとスワップ出来なくなってしまった、足りなくなった原因をろくに考えもしないで適当にファイルを減らしたところ終いにはXウインドウまで立ち上がらなくなってしまった、後で考えてみるとApacheあたりのログが増えすぎたのだろうが原因追及の機会を逃がし残念なことをしたものである。まあそんなわけでこの機会にSlacware3.4は役目を終了させることにした。

  
                                            以上

Linux関連のホームページ

http://www.linux.or.jp/  日本Linuxユーザー会
http://jf.linux.or.jp/  JFの部屋
http://sunsite.une.edu/mdw/linux.html LDPホームページ


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