『Spiritual Dance』 「へへっ、ラッキーだなぁ。ちょうど収穫祭の時期だなんてよ」 嬉しげなサンジの声を、昼寝から覚めかけたゾロは、ぼんやりと聞いていた。頭上に広がるのは、ゴーイングメリー号の白い帆と、「秋島」の澄んだ高い空。まばゆい日差しに手をかざしていると、港のざわめきが近づいてくる。 ゾロが起き上がった時、丁度ウソップが、係留ロープを桟橋へ投げた所だった。着岸を待たず、「祭り〜!」と叫びながら飛び降りていく麦わらの船長と、慌てて後を追うナミ。 そして、渡り板に足をかけつつ、黒スーツの男が振り向く。 「やっと起きたか、クソ剣士。だがてめえは留守番だ。折角の祭りなのに、残念だったな」 「・・・別に。興味ねえし」 「そうかよ。じゃあ、夕方には一度戻るから、せいぜいしっかり見張ってろ」 サンジの言葉には答えず、ゾロは再び寝転んで、目を閉じる。街からは、あのコックが好みそうな、浮き立つようなラテンの音色が聞こえてきた。 そして夕方。GM号の上には、再び一同が揃っていた。船長ルフィと航海士ナミによる「決定事項」が、改めて通達される。港の近くに良い宿が取れたので、ログが溜まるまでそこに泊まり、祭り見物をするという。 「宿は、あの大きな灯台の下よ。あれを目当てにすれば、ゾロだって迷わないで済むでしょ?」 場所選定には、ナミが気を利かせたらしい。 ゾロの空間認識力は、自分を起点とした「絶対座標」の把握は人並み以上だが、地図や方位を元にした「相対座標」の認識となると、とたんに混乱をきたす。迷子になるのを防ぐには、目立つランドマークを覚えさせ「まっすぐここへ来い」と教えておくしかないと、今では仲間全員が思い知っていた。 「ええと、それから・・・」 ナミが、含みのある笑みを浮かべる。こんな顔をする時には、ろくなことを考えていないと、ゾロは経験上知っている。 「もうすぐ、ダンスコンテストがあるんですって。飛び入り自由で、賞金も結構いい額だわ。ねえサンジ君、出てみない?」 「はいはいはいもちろんですっ、ナミさんの頼みとあらば喜んで!」 とたんに眼をハートにして、相好を崩すサンジ。 ダンスは、彼の隠れた特技である。本人いわく「レディとお付き合いするための基本素養さ」という。バラティエでもしばしば、貸し切りのパーティなんかがあったようで、そうした機会に社交ダンスを覚えたのだろう。 それ以外のダンスについても、結構詳しい。・・・前にウソップが、催眠術師ジャンゴと、その妙な歩法のことをふと口にしたことがあった。その時サンジは、 「ああ、ムーンウォークだな?」 と即答し、のみならずその場で実演してみせて、一同を驚かせた。 何より、サンジの体得している足技。それは、どこかの民族舞踊が元になっているらしい。 時折だが、ゾロはサンジのトレーニング風景を見かけることがある。真夜中の甲板。傍らでは必ず、小さく蓄音機がかけられ、軽快なラテンのリズムが流れている。それに合わせて躍動する身体、流れるように繰り出される蹴り技の数々。予備知識のない者が見れば、それは華麗な舞い以外の何物でもないだろう。 実際本人も、ゾロが見ているのに気づくと「暇だから踊っていただけ」と言い張るのだ。 閑話休題。 「それじゃ、ダンスコンテストまでに、街で腕を磨くかぁ!」 大張り切りのサンジは、今にも飛び出していきそうな様子だ。 「街の広場じゃ、楽隊に合わせてみんなで踊ってるんだぜ。楽しそうだったなぁ」 「ルフィ、本当に見てたのか? 食ってばかりだったじゃねえか」 ウソップの突っ込みに構わず、稚気の抜けない船長は騒ぎ出す。 「俺も今度は踊るー! 面白そうじゃん!」 ふと、ゾロは嫌な予感を覚えた。ルフィが何かに夢中になると、多かれ少なかれ、仲間全員を巻き込むことになる。まさかとは思うが、自分にも「踊れ」と言い出すのではないか? ゾロが知っているのは、せいぜい盆踊りぐらいだというのに。 ・・・その予感は、最悪の形で的中する。 問答無用のキャプテン命令が、クルー全員を踊りの輪へ放り込んだのは、最初の広場へ出てすぐだった。 そして皆、それなりの基礎は持っている。逆に言えば、うまく踊れずにいたのはゾロ一人で、それを見たルフィの、次なるキャプテン命令はこうだ。 「サンジ、ゾロに踊り方教えてやれ!」 最高で、最低な人選。サンジは、口では「レディとの一時を邪魔しやがって・・・」などと言いつつ、にやにや笑いを抑えきれない様子で、ゾロの側につく。何かと張り合っている彼らだが、今度ばかりはサンジの一方的リードで、嬉しくてならないようだ。 「ほら、左足を下げたら右足をこう・・・ああっ何やってんだ、こんなの初歩のテクニックだぜ?」 「うるせえっ!」 脚をもつれさせつつ、ゾロは必死で、サンジのステップを真似ようとする。実は、ルフィやウソップは適当にリズムに乗っているだけであり、ゾロもそうすればいいことなのだが、なまじ完璧主義なのが裏目に出た。セミプロ級の腕前を誇るサンジの真似など、出来るはずもなかったのに。 サンジのダンスは、まるで生まれつき、身体の中にそのリズムが組み込まれているかのようだ。どんなに焦っても、ゾロはその動きについて行けない。 (何故だ、どうして思い通りにならねぇ! 奴に出来て、どうして俺に出来ねえんだ!) 自分の手足は、こんなにも鈍重で不器用だったか? そんな筈はない、ひとたび剣を握れば、その切っ先にまで神経を通わせて戦える。なのに、どうして。ゾロが感じる目眩は、散々回転したせいだけではない。 賑やかな楽の音が、祭りの派手な飾り付けが、楽しげにさざめく人々が、まるで嘲笑っているかのようだ。 そんな中、本当に嘲笑を浮かべながら、サンジは軽やかにターンを決める。曲が終わった。楽隊が交代するらしく、次の曲の代わりに、ざわめきや楽器のチューニング音が流れ出す。 新しい煙草に火を着けつつ、サンジが突然、こんなことを言った。 「知ってるか、ゾロ。ダンスの上手い奴は、喧嘩も強いって」 「ああ?」 「分からねえかよ。それだけ身体が思い通りに動きゃ、当然、喧嘩も強くなれるんだ。・・・さっきのやつ、ミラーボールアイランド発の最新ステップなんだけどよ」 「それが、どうした?」 ミラーボールアイランドといえば、イーストブルーの流行発信地にして、ダンスの本場だ。 「ジョニーの奴は、一晩で覚えたぜ。ココヤシ村の祭りで教えてやったんだけどな」 サンジは突然、ゾロの「弟分」の名を出す。 確かに、共に旅していた頃、何かといえば踊り出す二人をゾロは見ていた。子供じみた振る舞いに見えて気恥ずかしく、加わってみようなどとは、思いもしなかったけれど。 「ヨサクはちょっと手こずってたが、次の晩には問題なく踊っていたなぁ。連中が、賞金稼ぎとしてそこそこにやってけるのは、あの素質があるからだぜ。思い通りに、柔軟に動けるぐらいの」 「・・・何が言いたい」 にらみつけるゾロに、いささかの怯みも見せず、サンジは言ってのける。 「だからぁ、馬鹿みてえに筋トレばかりやってねえで、ダンスの一つも覚えてみろって言ってんだ。それぐらい出来ねえようじゃ、てめえの強さもじき頭打ちだな」 「・・・・・!」 思わず血の気が引く。確かに最近、ゾロにはスランプの自覚があったのである。 戦いでは勝てるものの、技量が伸びた実感がない。アラバスタで会得した「斬鉄」の技も、まだ未完成なのだ。極度の精神集中を要するその境地は、激しい消耗をもたらすため、自在に操れるとはとても言い難い。 長い階段をようやく登り切ったと思ったら、目の前には巨大な踊り場が広がっていた、そんな感覚。 その焦りをまともに突かれ、思わず頭に血が昇る。 「やめだやめだ、馬鹿馬鹿しい! それこそ筋トレやってる方がましだ! てめえは勝手に踊ってやがれ!」 言い捨てると、ゾロは人混みを強引に押し退け、その場を後にした。こんな所で、さすがに刀は抜けない。頭を冷やしたかったし、それ以上に、コックのにやけ顔を見ていたくなかった。 しばらく歩き回った後、案の定、ゾロは迷っていた。一杯引っかけて宿に戻ろうと思ったのだが、街外れの時計塔を、例の灯台と間違えたのだ。ちなみに港は、街の反対側である。 もう、すっかり夜だ。その闇の向こうから、不意に聞こえてきた、どこか懐かしい音色。繁華街にあふれていた、楽隊の音とは違う。 (笛・・・? それに、鼓の音も) 時計塔下の広場に、仮設舞台が据えられていた。その前に、人々が集まっている。いずれも、どこか厳粛な表情で、期待をこめて舞台を見上げていた。 舞台の両脇に用意された薪に、火が灯る。薪能、という言葉が、ゾロの脳裏をよぎった。そして、それは正解だったのだ。 (グランドラインのこんな所で、能だなんて・・・) イーストブルー辺境の、小国の伝統芸能。懐かしい故郷の薫りが漂うそれを、ゾロは引き込まれるように見つめた。 寂しげな竹笛の音色と共に、舞台に現れた僧形の男。その舞いと謡に招かれるようにして、翁の面をつけた人物が、中央に進み出てきた。この翁が、主役(シテ)であろう。幽玄をたたえた音色の中、扇を広げ、舞い始める。 僧と翁の、静かな中にも緊張をはらんだやり取り。僧は怨霊を鎮めるため、旅をしている。かつてこの地に倒れた、悲劇の武将の霊を慰めに来たのである。 翁は、僧にその武将の秘話を語る。一見優雅な舞いの中に、ただならぬ気配を漂わせて。何か、秘密があるようだ。誰もが、翁の一挙一動を、固唾をのんで見つめている。そしてじきに、彼は舞いながら、客席に背を向けた。 楽の音が高まる中、再び振り向いた時・・・翁は、異相の鬼に変貌していた。客席が低くどよめく。面を付け替えたに過ぎない、と気づかせないほどの気迫が、その全身からあふれていた。 翁の変じた鬼、それこそが武将の怨霊であり、非業の死の恨みを切々と歌い上げつつ、最期の戦いのさまを舞いに乗せる。ゆるやかにひらめき、振り下ろされる扇は、もはや扇ではなかった。血にまみれた、刃こぼれだらけの剣を、ゾロはそれと二重写しに見た。 (また、一人斬った・・・今度は振り向いて後ろの奴を・・・次は心の臓を一突きか・・・足払いから、倒れた所へとどめ・・・) それは舞いであって舞いではなく、死力を尽くした戦い。だがついに、敵は彼を追い詰め、取り囲んでとどめを刺す。鬼は双の手を高く差し上げ、天を仰ぎ、そして、ゆっくりと膝をついた。倒れこそしなかったが、ゾロの眼には見えていた。血溜まりの中に伏し、息絶える戦士の壮絶な姿が。 (ああ・・・俺もいつかは、あんな風に、戦いの中で死んでいくんだろうか?) ゾロは、まるで自分がその場にあるかのような、深い震撼と共に舞台を見つめた。それは、客の誰もが同じだったろう。賑やかな祭りの夜から、異界へ連れ去られたような気分でいただろう。 ・・・恨みの全てを語り終えた鬼は、僧の鎮魂を受け入れ、成仏してゆく。その姿が舞台から去り、最後の鼓の音が消えていった時、客席からはいくつもの、すすり泣きの声が聞こえていた。 拍手は、起こらない。拍手などという、現実の存在を称える方法は似つかわしくない・・・とでもいうように、人々は呆然としている。だがじきに、ひとりの観客が、大きな音を立てて拍手を始めた。それでやっと我に返ったように、そこかしこから拍手が起こり、じきに満場の大喝采に変わる。 程なく、楽士たちが再び、舞台上に現れた。そして、さきほどの舞い手たちも、今度は面を着けずに。 その中央に進み出た男の顔に、ゾロは息を呑んだ。見覚えのある、白髪混じりの総髪。いたずら者の仙人とでもいった風情の、飄々とした微笑み。 「モリヤのおっさん・・・何でこんな所に!」 もしかしたら、と思ってはいたのだ。だが、ここに居る訳がないと、可能性を否定していた。同郷の人物、しかも故国で確固たる地位を築いていた男が、まさか。 ・・・郷里が生んだ有名人と言えば、ゾロの少年時代には、この能楽師モリヤだった。 歴史ある能楽師の一門が、かつて、くいなの村にいたのだ。三十年ばかり前、政府の保護を受けることになり(当時、若き天才と言われたモリヤの影響が大きい)、一族をあげて首都へ移り住んだという。だがモリヤは、大きな祭りの時には必ず帰ってきて、奉納舞を披露したものだった。 その後にはいつも、ゾロのいた道場を訪れ、師匠と酒を酌み交わしていた。古い友人なのだと聞いたことがある。幼い頃は、道場で共に剣を学んだこともあると。 くいなとも親しく言葉を交わすモリヤに、ゾロは幼いながら、嫉妬めいたものを感じたりもしていた。他の大人に対する時とは、明らかにくいなの態度が違うのだ。剣の天才としての自負から、生意気さが目立った彼女が、この男には確かに一目置いていた・・・。 (だけど、何であの人が、このグランドラインに) 戸惑いもあったが、やはり懐かしい。とにかく直接、会って話したい。そう思ったゾロは、退場してゆく能楽師の姿を追った。大きなテントが張ってあり、モリヤはそこへ姿を消す。これが楽屋代わりらしい。 追って入ろうとしたゾロの前で、鋭い金属音と共に、二本の槍が交差した。 「おい、何の用だ。ここは関係者以外、立入禁止となっている」 入り口の両側に立っていた見張り番たちが、横柄な口調で言う。むっとしたゾロは、至って簡潔に「用事」を告げた。 「能楽師に会わせろ。ロロノア・ゾロだと言えば分かる」 ・・・こういう物言いが、いつもトラブルを招くのである。 「何ぃ?! き、貴様、『海賊狩りのゾロ』か? あの方に、一体何の用だ!」 男たち(後で分かったのだが、近辺の自治政府が派遣したSPだった)が血相を変える。 「いいから通せ! 本人に会えば分かるこった!」 「い、いかん! ここは通さんぞ! おい、早く応援を呼べ!」 「貴様ら・・・!」 だが幸運にも、暴力沙汰に発展するより、騒ぎを聞いたモリヤ本人が顔を出す方が先だった。少し驚いた様子だったが、それでも嬉しげに、テントから出てくる。 「おやまあ、ゾロ君じゃないか! こんな所に来るだなんて。剣術バカだった君が、とうとう深遠なる能の世界に、興味を持ってくれたのかい?」 護衛たちが、思わず青ざめた。あの「魔獣ゾロ」を、顔を見るなり突然バカ呼ばわりして、ただで済むとは思わなかったのだ。 が・・・次の瞬間、彼らはぽかんと口を開ける。 「お久しぶりです、宗家様」 ゾロは気をつけの姿勢から、丁重に頭を下げたのだ。モリヤがこういう人物だということは、もうとっくに承知の上だ。 「もう『宗家様』じゃないよ。地位は弟に譲ってきた」 白い扇で、ぱたぱたと顔をあおぎながら、モリヤは言う。気温としては涼しいのだが、舞台に出ていたせいだろう。彼の額には、汗が浮いていた。 「それにしても、凄い偶然だねえ。こんな所で会えるだなんて」 「って、何でここに・・・」 「国を出て、世界巡業の最中なんだよ。いい歳をして地位を捨てるなんて、愚かかもしれないが・・・小国の伝統芸能を守り伝えるだけで、一生終えてしまうのは嫌だったんだ」 そう答えてから、少し茶目っ気のある笑みを浮かべて、モリヤは付け加えた。 「実は、ゾロ君の影響もあるんだよ。君の活躍の噂を聞くにつれ、広い世界で自分の芸を試してみたい、という気持ちが強くなってね。お偉方には止められたが、なぁに、知ったこっちゃない」 「活躍? 世間様にゃ、あんな風に見られてますがね」 ゾロは、凍ったままの護衛たちを横目で見つつ呟く。 なのに、人間国宝級の人物に「君の影響を受けた」などと言われると、面映ゆいような気もした。だが、自分の「悪名」も、恐怖を振りまいただけではなかったのだ。ゾロはそれが、少しばかり誇らしかった。魔獣と怖れられた自分を、少なくとも同郷のこの男は、信じていてくれたのだと。 「彼らを責めないでやってくれ。私がこの前、妙な剣士に絡まれたりしたものだから、神経質になってるんだよ。大したことはなかったっていうのにね。・・・さあ、立ち話もなんだ、入りたまえ」 能楽師は、テントの入り口から、ゾロを手招きする。その後に続きながら、ゾロは尋ねた。 「ところで、先生はお元気でしたか?」 「ああ、私が会った時には変わりなかったよ。去年の秋だ。少しばかり、寂しそうではあったがね」 娘は早くに世を去り、愛弟子のゾロも旅立ってゆき、そして親友までもが、国を離れると言い出したのだ。寂しくない訳がなかろう。だがきっと、師は笑って、モリヤを送り出したはずだ。無二の友にしてライバルである男の、前途を祝福しつつ。 「心配かって聞いてやったら、まさか、って笑ってやがったよ。お前なら身を守る力はあるだろう、ってさ」 「腕前は、俺も知ってます」 「ん?」 思わず、そう言ってしまったゾロに、いぶかしげな視線が返る。 「俺・・・これまで、言わなかったけど・・・見てたんだ。モリヤさんが、先生相手に一本取ったの。くいなが、死んだ年に」 「・・・ああ、あの時だね」 |
やたら大物のオリキャラってのもヒンシュクかもしれん・・・(^^;
とりあえず、くいなパパの親友にしてライバルです、この能楽師。
後編は、ゾロの回想から・・・おおっと、後は読んでのお楽しみ(笑)。