by Natsuki.K 高い音を立てて、木刀が宙を飛んだ。目を見張ったまま、地面から身を起こそうとするオールグレン。その喉元に、氏尾の木刀が突きつけられる。 「その程度か」 言葉が通じなくとも、こちらを見据える黒い瞳から、嘲るような一言の意味は伝わってきた。黒曜石の矢尻を、オールグレンは思い出す。黒く深く輝き、手に取るとひんやりと冷たく、鋭利に標的を貫くそれを。 惨めな思いとは裏腹に、からりと晴れ渡った空。周囲の草の上に座し、手合わせの様子を眺める、村の侍たち。いずれの表情も、この結果を当然のように受け止めている。 勝元だけは、どこか不満げにも見えた。少し離れた所で、腕組みをして様子を見ていたのだが。気の弱い者ならたじろいでしまうだろう、あの眼差しが注がれている。周り中の反対を押し切り、「敵を知るため」に命を救った、異人の軍事顧問。それが「この程度」でしかないのか、と言いたげに。 まだ、手が鈍く痺れている。立て続けに三本取られた。目の前の剣豪は、息すら乱していない。 (違う、こんなはずはない。俺は……俺の力は……) 怪我のため本調子ではない、という言い訳は、もう通用しない。あの雨の日の、屈辱的な敗北の時とは違って。 なのに、身体が思い通りにならない。騎兵隊の頃なら、余裕で見切れたろう攻撃が、あっけなく決められてしまう。氏尾の剣が見えない。見えたと思っても、反応が追いつかない。 除隊の後、酒浸りで過ごした歳月が、どれだけ身体を蝕んでいたか、オールグレンは改めて思い知る。 剣にかけては、彼は密かに、自信を持っていたのに。 時代遅れの武器と知りつつ、輝くサーベルに魅せられた少年の日。大人になったら騎兵隊に入って、あの剣を勇ましく振りかざし、正義のために戦うのだと憧れた。 その剣が彼を、南北戦争の英雄へと導いた。接近戦や乱戦に強かったことで、銃に頼りきりでは出来ない形の活躍が出来たのだ。 幾多の栄光と共に、第七騎兵隊に配属された頃、彼に剣で勝てたのは、あのカスター将軍ただ一人。そして、根が不真面目なカスターとは違い、オールグレンは鍛錬を欠かさなかった。じきに「あれはもう将軍を越えたぞ」との噂が、隊員の中で囁かれたものだ。 実証の機会を待たず、ウォシタ河畔の事件は起こり、オールグレンは隊を離れてしまったが。誇りとしていたサーベルを、文字通り投げ捨てて。 軍服を再び身につけ、日本へ渡ってからの二ヵ月ばかりも、彼の仕事は「近代式軍隊の教官」であり、自らを鍛えることではなく。 腰のサーベルは、飾りに過ぎなかった。吉野の森の戦闘で、追い詰められてそれを抜くまで。それでも久々の剣は、長いブランクが嘘のように、懐かしい血のたぎりを伝えてくれたが。 ……今は、稽古の場だ。純粋に、技量とそれを支える心身が問われている。獣のように暴れ狂う力ではなく、人として、武人としての実力が。 「素人ではないのだろうが、太刀筋が死んでおる。自暴自棄にならねば力が出ぬのか、お主?」 氏尾はそう言いつつ、木刀を引いてきびすを返す。 冷たく背けられた顔を、いっそ殴ってやりたい。だが、そんな風に逆上したら、本当に負けだ。かつての技量を失ったのは、自分自身の、心の弱さ故なのだから。 「モウ、一度……」 必死で立ち上がり、ふさわしい言葉を思い出し、オールグレンは追いすがろうとする。 「モウ一度、オネガイ、シマス!」 「これ以上、お前と遊んでいる暇はない」 鋭い視線が、枯れ草まみれの洋服に落ちた。この村の情景に馴染まない、異国の軍服に。 その時、勝元が歩み出てきた。声を掛けられた氏尾が、不機嫌に何か言っている。 「所詮は異人。せいぜい鉄砲に頼っておれば良いのです。侍の真似をした所で、剣の心を悟れる奴とは思えませぬ」 「そんなものかのう? 確かに、鉄砲を持たせた方が強そうだが」 断片的にしか、意味は取れない。鉄砲、と言ったか? 侍の、真似? 自分の剣が、一体どうだと? ただ分かるのは、氏尾も、その意見を容れるだろう勝元も、剣士としてのオールグレンを否定するだろう、ということ。 かつては騎兵隊のサーベルを誇りとし、だからこそ深く傷ついて、この地まで流れ着いた自分を。 勝手に捕らえて、勝手に生き延びさせて、その上で否定するというのか。 堕ちたとはいえ、これでも自分は……! 「KATSUMOTO、Tell him!」 思わず、オールグレンは大声で怒鳴っていた。 周囲がどよめく。氏尾が殺気立ち、木刀を構え直す。その手を抑え、勝元が聞き返す。 「What should I tell?」 彼に言えとは、何を? と。一人だけ冷静なその姿が、いっそ癪に障る。荒々しく、オールグレンは叫び返した。 「Tell him, Don't despise me!」 そして再び氏尾をにらみ付け、立てた親指でぐっと己が胸を指して、一息に言い放つ。 「I once was called the No.1 swordsman in The 7th Cavalry!!」 周囲の空気は、凍っていた。 『そいつに言え、俺を甘く見るなと! 俺はこれでも、第七騎兵隊一の剣士と呼ばれた男だ!!』 オールグレンは、そう言ったのだ。彼らに意味は分からずとも、この場にふさわしからぬ、とんでもなく傲岸な口調と態度で。 その場の誰もが、そう思った。ただ一人を除いて。 静まり返った稽古場から、乱暴に身をひるがえし、去ってゆく異人。その背を見送りながら、勝元はいち早く、場を呑み込んだ驚愕から立ち直っていた。 (なるほど、そうか……) その表情が、得たりと言わんばかりの笑みに変わる。 アメリカ人にとって、謙譲はあまり美徳にならない。そのことを勝元は知っていた。彼らが、己とそれに属するものを「つまらぬもの」と卑下することは決してない。贈り物をする時は『良い品を用意しました』と言い、手紙には臆面もなく『誠実なるあなたの友』 と書き添える。 そして、自らの才能と価値についても、遠慮なく口にするのが彼らの流儀、誇りの形だ。オールグレンには、自虐的な言動が多いため、今まで目立たなかっただけで。 (確かに、あれがメリケンの男よ) 小さくなってゆく後ろ姿に、勝元はうなずく。 周囲で凍りついていた時間が、ようやく動き出した。思いがけぬオールグレンの言動に、しばし唖然としていた氏尾が、主君に向かって尋ねてくる。 「殿……? あ奴は、一体何と?」 「ああ、あれはな……」 言葉が通じなくて良かった、と、勝元は内心で思う。 「自分も、誇り高きメリケンの軍人だ。その名を汚さぬよう、これからもっともっと修行して強くなってみせる、と。そう言うておったのよ」 その「訳」を聞き、氏尾はいぶかしげに見上げてくる。 「とても、そのようには聞こえませなんだが?」 「聞こえなんだとすれば、言葉と習慣の違いからに過ぎぬ。そなたは、わしの言うた通り思うておけばよい」 信じられないのも当然だ、直訳したら血を見ていたろう。オールグレンの中で、目覚めた誇り。その形が、この日本に馴染むには、もう少し時間が要るのだから。 「あ奴は、強くなる。油断すると、追いつかれるぞ。あれでもかつて、米国に名を馳せた第七騎兵隊で、一の剣士と呼ばれた男なのだからな」 「それが真かどうか、しかと見届けまするぞ。偽りならば、あれの性根が直るまで打ち据えてやりましょう。そして……」 氏尾の口元に、ふっと静かな笑みが浮かぶ。 「もし、真なら……南蛮の剣豪と、この国に居ながらにして試合える訳ですな」 この瞬間、彼にとって、オールグレンを鍛えることは「やむを得ぬ主命」から「剣客として、やり甲斐のある使命」になったのだ。微かな表情から、勝元はそれを見て取った。 夢の中の白虎の、猛々しい姿。それがあの男の魂であると、証される日は遠くない。 それまでには、あの異人も、自分も、もしかしたら傍らの忠臣も、少しずつ変わっていることだろう。勝元はそう思い、その変化はきっと、望ましいものだと予感する。 ……日差しに透ける金茶の髪をなびかせ、異国の男が坂の向こうに去ってゆく。冷めやらぬ激情からか、いつになく荒々しい歩調で、ぐっと胸を張ったまま。小走りに後をゆく見張りの老人が、今日ばかりはまるで、主を追う従者のようだ。 「ようやっと目覚めおったわ、誇り高き異国の虎が……」 最後の侍・勝元は、満足げにその姿を見つめた。彼の想いと魂とを、継ぐことになる男を。 END |
侍の村で、オールグレンの態度があまり浮いて見えない理由。
自虐的になってるせいで、図らずも日本人並みに控えめに見えたんでは。
ならば、本来の「アメリカ人としてプライド全開な態度」かましたらどうなるか。
で、周囲が思いっきり凍るだろうその状況を、勝元はどう収拾するのか……
等々想像してたら、ポロッと一編出来ました(笑)。
実際、オールグレンが「謙遜の美徳」を会得するのは、もっと後でしょう。
シナリオの没シーンで、氏尾と引き分けた後の、勝元との会話があるのですが
「腕を上げたな」「まだまだ初心者だよ」「謙虚だな、まるで日本人じゃないか」
などというやり取りがあり、つまりは、謙虚じゃなかった時期もあったと(笑)。
なお、氏尾の名誉のためにも、オールグレンは元々強かったと信じてます。