Soul of The Sword

By Natsuki.K

「……そう、友の亡骸を葬った気分だった」
 オールグレンは、哀しげ、というには少し複雑な表情で、そう呟いた。

 冷たい風が、コートの裾をはためかせ、頬を刺してゆく。
 1869年冬、オクラホマ州・ウォシタ川。
 灰色の流れを見下ろす、低い崖の上に、ネイサン・オールグレンは立っていた。上官や戦友たちを振り切るように、騎兵隊を辞めたのは、ほんの数日前のこと。
 軍服はもう着ていない。栄光の第七騎兵隊の紋章は、もはや彼にとって、辛い記憶を呼び覚ますだけだ。
 だが……荒野の風に吹かれながら、彼の手にはまだ、軍隊時代の名残があった。
 一振りの、サーベル。
 士官学校の頃、南北戦争、そしてインディアン討伐戦。騎兵刀は常に、心の支えとして傍らにあった。
 実の所、彼は銃よりも剣を好んでいた。軍人になったのも、持ち前の正義感もあったが、何より、騎兵のサーベルに魅せられたから。時代遅れのロマンティシズムだと、他言はせずにいたが。
 銃の訓練も十分していた。だが、サーベルをかざしての突撃ほどには、血がたぎることはない。剣の時代は終わろうとしていたが、まだ乱戦ではサーベルの活躍所もあり、そこで彼は、才能を――剣士としての天賦の才を、存分に発揮してきた。
 士官学校時代から、仲間たちは「ネイサン相手に斬り合いなんて真っ平だ」と、冗談交じりに言い合っていたものだ。そもそも、第七騎兵隊に迎えられたのも、その剣技をカスター将軍に見込まれたため。
 ……士官学校にいた頃、一人だけ、彼以上の剣技を誇る男がいた。ただし、そいつは勉強はからっきし、素行も最悪で、席次はいつもビリだった。優等生だったオールグレンは「剣の一番だけは譲るまい」というその気迫に勝てず、校内試合ではいつも、彼との競り合いの末に準優勝に収まったものだ。
 その男が、後に南北戦争で頭角を現し、史上最年少で「将軍」の称号を得るカスターで。
 もはや敬意は残っていないが、出逢ったあの頃のオールグレンには、豪放磊落で魅力的な男に見えていた。ある意味「天才」だ、自分のような「ただの優等生」とは格が違う、と。後に上官となったバグリーのことも、そんなカスターを巧みに補佐する、知的で優秀な将校と信じていたのだ。
 かつてのオールグレンは、彼らを信じて「剣を捧げた」のに。
 幼い頃、胸を高鳴らせて聴き入った、騎士たちの物語。剣を主君に捧げた、気高く勇敢な正義の戦士。分かっていた、おとぎ話の騎士はもういないと。それでも、憧れていた。
 自由の国アメリカには、騎士もその主君も、存在しようがない。だが、その精神は、騎士の末裔の熱い血は、受け継がれているはず。それを信じて、彼は軍人の道を選んだ。
 南北戦争は、奴隷解放という大義のために。
 そして、インディアン討伐は、無力な開拓民たちを守るため……信じていた。命を懸けるべき正義が、そこにあると。だが、裏切られた。
 彼の手は、血まみれだ。この手で守るはずだった、罪なき人々の血で、永遠に穢れてしまった。


 今、彼が携えている剣は、既製ではない特注品だ。見た目はさほど変わらないが、刀身はずっと頑丈だし、切れ味もいい。
 普通のサーベルを、どこか物足りなく感じ始めたのは、初陣からいくらも経たない頃。腕のいい鍛冶屋を探し、実戦経験をフィードバックしつつ改良を重ねて完成したそれは、米軍騎兵隊のサーベルとしては、おそらく最高レベルの名剣だったろう。
 剣の時代が、過ぎ去ろうとしていたとしても。
『なぁネイサン。どんなにカスタマイズした剣だって、結局銃には勝てないんだぞ』
 嫌な上官の言葉と、冷笑めいた顔を思い浮かべてしまい、オールグレンはぎゅっと眼を閉じて首を振った。
―――奴のせいだ。奴の命令のせいで、俺は。
 戦友のごとく頼みにしていた騎兵刀を、彼は、抜けなくなっていた。あの、忌まわしい日以来。
 ……それに気づいたのは、ウォシタ河畔の事件から少し後。行軍中に、小規模な襲撃を受けた時だ。近隣の部族の者が、弔い合戦を仕掛けたものか。
 いつもの通り、サーベルの柄に手をかけた瞬間、ふっと気が遠くなった。背中に嫌な汗が伝う。周囲の音が遠くなる。目の前の光景が、あの日に見たそれとすり替わる。
 悲鳴を上げ逃げ惑う、インディアンの女子供。炎上するテント群。銃声の度に飛び散る血。その血に酔ったように、無抵抗な相手を弄び、切り刻んでゆく戦友たち。そして……虐殺の嵐が去った後の、彼自身の行為。
 瀕死のインディアンたちの前に、サーベルを手にした自分がいた。
『ああ、可哀想に……』
 隊で唯一、自分だけが操れた、部族の言葉で言いながら。
『今、楽にしてあげるよ』
 血まみれの刃を、無力に倒れ伏す身体に突き立てて回りながら、自分の顔には、虚ろな狂った笑みが浮かんでいた気がする。
 ああ……神が存在するなら、何故、あの場で自分を罰してくれなかったのだろう?
 ほんの、数秒。なのに何時間にも感じられたフラッシュバック。
 敵襲を前に、騎兵刀は抜かれないまま、彼の手の中で、虚しくカタカタと音を立てていた。
 傍らの部下の声に、ようやく我に返ったオールグレンは、とっさに拳銃を抜いた。剣では、戦えない。
 間近に迫る、トマホークを振り上げたインディアンに発砲する。あっけなく落馬するその様を、ひどく虚しい思いで一瞥し、また別の敵を撃つ。そこに、戦士の誇りはなかった。サーベルを抜き、命を懸けてぶつかり合う時の、熱い血のたぎりはなかった。
 誇りをもって、戦士の剣を振るう資格など、自分にはもう無いのだ、と。迫る敵を機械的に撃ち倒しながら、ネイサン・オールグレンは、静かに絶望していた。


 その後も、剣を抜こうとする度に、悪夢は甦った。部下たちは、彼らの英雄たるオールグレン大尉が、どこかおかしいと気づき始めた。先頭に立ちサーベルをかざす、勇ましい姿が見られない。微妙な士気の低下が、直属の部下のみならず、別の隊にまでじわじわと波及し始めた。
 部隊に問題が起こるより、彼自身が壊れ、軍務に耐えられなくなる方が早かったのだが。
 そして……軍人ではなくなったオールグレンは、再び、ウォシタ河畔に立っている。冷たい風の中、虚ろな瞳に灰色の流れを映して。
 手の中には、あの日以来、一度も抜けなかったサーベル。
 ずいぶん長いこと、この剣の、陽光にきらめく様を見ていない気がする。最後に覚えているのが、あのインディアンの村で、虐殺の血に染まった刀身。
 一度は、捨ててきたのだ。何もかもが終わった後、取り落とした剣を拾う気になれず、累々たる屍の側に置いてきた。それでいい、と思っていた。この剣は、一度は友であった彼らと一緒に、ここに葬るべきなのだと。
 ガント軍曹が、気を利かせて拾ってくれなければ、そのままそこで朽ち果てていたろう。
『手入れはしときました、染みひとつ残っちゃいませんや』
 そう言って、励ますように微笑んでくれた、心強い部下。だが彼にも、本当には分かっていなかった。オールグレンはもう、剣を抜けない。二度とこの愛剣に、魂を込められはしない。
 ……魂のない亡骸は、葬らねばならない。オールグレンが、ここで行おうとしているのは、密やかな鎮魂の儀式だった。
 どのぐらいの時間、川風の中に立ち尽くしていたろうか。あの日、手放せなかった剣を、握りしめたまま。
 彼のために生まれ、彼と共に戦ってきた騎兵刀。刀身に顔が映るほど磨き上げて、誇りと共に携えてきた。迷いや恐怖を感じた時は、一人になって、その剣に自らを映したものだ。弱さを振り切り、決意を新たにするために。
 でも、そうすることも多分、二度とない。
(だから……最後にもう一度、この刃を目に焼きつけておきたい)
 ふと、胸をよぎる思い。
 親しい人を埋葬する前、最後に棺の蓋を開け、顔を見て別れを惜しみたいと思う。そんな感情に、よく似ていた。
 だが、彼の手はただ震えるばかり。剣を抜く、ただそれだけの動作を、忘れてしまったかのように。小さな鍔鳴りの音は、つれない主人を責めるようにも、切なく慕うようにも聞こえる。
(馬鹿な感傷だ。物には、心など無い)
 人が物に「心」を感じるとすれば、それは思い入れの結果、すなわち、自らの精神の反映でしかない。近代的合理主義は、彼にそう教えている。
 だから……オールグレンには、分かっていた。そこに映るのは、魂を失った自分自身に他ならないことを。
 抜くことが出来ないまま、眼を、剣から背けた。震える手でそれを、投げ捨てた。足元に渦巻く、ウォシタの流れへと。
 小さな、水音。灰色の濁流の中に、彼の愛剣はあっけなく呑まれ、姿を消した。人の命が消えるのと、同じぐらい簡単に、取り返しのつかない虚無の向こうへ。
 ……無惨に殺されていった人々と、失われた己が魂を、オールグレンはそうして弔ったのだ。
 何もかも喪った、抜け殻の男だけが、そこに残った。


 長い沈黙の後、ほうっと息をついて、勝元が呟いた。
「辛かったであろうな。武人の魂を、葬ることは」
 ここは古寺の一室。陽当たりはいいはずなのに、昔語りが、あの日の冷たい風を思い出させる。
「葬ったんじゃない……俺はあの剣を、正視さえしないで、ごみのように投げ捨てて来たんだ」
 オールグレンは、そっと首を横に振った。
「あの剣に、心があったとすれば、さぞ嘆いていたろうな」
 この村に来て、人々が「物にも魂がある」と信じていると知った。あらゆる物の中に、スピリチュアルな何かが宿ると信じる、素朴な信仰が存在すると。
 殊に「刀」への侍たちの思い入れは、オールグレンに、不思議な安堵感を覚えさせた。彼が抱えていた、サーベルへの度を過ぎた思い入れは、ここでは「当たり前」なのだ。
 戦士たちが、剣をその魂として掲げる社会は、西洋にはもう無い。だが、まだこの国に残っていた。
 ……しかし、だからこそ、彼は懺悔せねばならなかった。かつての愛剣を、どう扱ったかということを。
 告解を聞く司祭の眼差しで、勝元が静かに言う。
「心があれば、嘆きはしておるまい。自ら命を絶つことは、お前にとって罪なのであろう? 代わりに、お前はその魂たる剣を葬った。主の身代わりとなり、主を罪から救ったなら、剣もきっと本望であろうよ」
 そして、微笑と共に付け加えた。
「ましてやその剣は、お前という優れた剣士に仕えたのだ」
「気休めを言うなよ。剣士だったネイサン・オールグレンは、あのサーベルと一緒に死んだ。今の俺は、木刀しか握れない惨めな軍人崩れだ」
 侍たちの剣技に憧れはしても、オールグレンにはまだ、自分に刀が抜けるとは思えない。稽古を重ねても、それなりに様になってきても、「剣士としての自分」は失われたままだ。
「だが、あの森での戦いでは、剣を抜いていたではないか。鮮やかな技であったというぞ。剣を捨てて何年も経つとは、信じられぬ程にな」
 勝元はじっと、オールグレンを見る。いつも、彼を奥深くから揺さぶる、不思議な深い眼差しで。
 ……ああ、そうだ。あの時は。オールグレンは思い返す。
「あれは、俺が弱い側にいたからだ。無力で怯えきった兵たちを、俺が守らなければ……そう思ったら、自然に身体が動いた」
 それは、裏側から再現された悪夢。もし自分が、虐殺される側にいたら、という有り得ない夢想。もし、軍の命令を裏切り、インディアンたちを守って戦っていたなら。どんなに絶望的だろうと、決して引きはすまい、一人でも多く助けるために戦い続ける。そのためなら……もう一度、剣を抜くことも出来ように。
 そんな夢想があの時、思いがけず現実となった。かつての愛剣に比べたら、ちゃちな飾り物でしかないサーベルは、苦戦のうちに、手の中から吹き飛ばされてしまったが。
「それが、戦士の誇りだ。力なき者らの代わりに自らを投げ出す、武人たる者の名誉ある姿だ」
 勝元の言葉に、オールグレンは再び、首を横に振る。
「誇り、名誉……そんな綺麗事じゃない」
 ウォシタの村で出来なかったことを、あの場でしただけだ。抜け殻の生を、せめて意義ある形で捨てたかっただけ。
「戦士の魂が剣だというなら、砕ける瞬間まで敵に立ち向かいたかった。今から思えば、そんな気持ちだったな」
 ウォシタ川に投げ捨てられたサーベルに、もし心があるのなら、きっと願っていたろうこと。
「そうか……わしも、感じるぞ。お前の魂に宿る、一振りの剣を。打ち捨てられ錆びついてなお、再び掲げられる日を待つ、誇り高き刃を」
 時折、勝元はこういうことを言う。奇妙な、しかし理屈を越えて、胸に飛び込んでくる言葉を。
 オールグレンはふと思う。かつての愛剣には、本当に魂があったのかもしれない。この国の言葉で言えば「成仏」出来ずに、ずっと自分の側にいたのだ。主人の虚ろな魂を秘かに補い、生き延びるよう励まし、そして……戦いの中、白虎の旗を手にするよう導いた。
 埒もない妄想だ。だが、オールグレンは、そう信じてもいいような気がしていた。
 剣を魂として掲げる、誇り高き戦士たちの里。このサムライたちの長とは、剣に導かれて出会ったのだと。
 ……目の前に座す勝元が、何か知らせがあるかのように、居住まいを正す。何だ、と思っていると、突然にこう言われた。
「今度、お前に刀をやろう」
「ええっ? 俺に、刀を?」
 捕虜の、それも外国人に、そんなものを与えていいのか。そんな戸惑いにも構わず、勝元は続ける。
「お前が、誇りと名誉を取り戻した時、その魂にふさわしき刀を贈りたい。受け取ってくれるか?」
 これほどの欠落が、取り戻せるものなのか。そう思いつつも、オールグレンには、その気持ちが嬉しかった。
 剣の道を知るこの男の、後を追って歩き、いつか隣に並べたら。そんなことを秘かに願いながら、彼は覚えたての日本語で答える。
「ハイ!」
 心の重しが、ひとつ取れたような気がしていた。


ラスサムにハマった頃出来たネタだったりします。
もっと長かったのですが、まとまらずに後半をぶった斬ってたり(笑)。
という訳で、もしかしたら、続きを書くかもしれません。

相変わらず、グレン&殿の関係がぬるいですが、
この一編については「むしろエロは邪魔だ!」と言うしかないような。
いやその、後半切ったのって、そっちに行って大迷走したせいなので(笑)

それと、水中に武器を投げ込むシチュエーション、
某剣術格ゲー好きの方は既視感を覚えるかもしれませんが、
どうか笑って許してやって下さい(笑)。


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