『Only For You, Only For Me』

 
 深夜のGM号に、ゾロは帰ってきた。
 桟橋から見えたのは、キッチンだけに点いている明かり。サンジがいるのだろう。いつものように悪態をつきながら、それでもゾロを待っているのか。
 その明かりを目にして、ゾロはふっと、肩の力が抜けるのを覚える。単なる疲労ではなく、正体を隠して行動してきた気疲れが、思った以上に心身に染み込んでいた。・・・古びた革のジャケットの下には、腹巻きもしていない。ピアスは、耳たぶを覆うデザインのイヤリングに付け替えている。髪は茶色く染めて、何より、身体の一部のようだった刀さえ持ち歩かずに。
 お尋ね者の剣士ではなく、一介の労働者として過ごした、この港町での日々。それも、もう終わる。
 足音を潜めて、ゾロは船に乗り込んだ。疲れているのだ、いきなり蹴り飛ばされるのは遠慮したい。だが、それでもサンジの顔が見たかった。
(その前に、シャワーだな)
 汗臭い身体でキッチンに入るな、と怒鳴られないように。
 それから、髪の染料も落としておこう、と思いついた。明日、この船は出航する。もう変装してまで、出かけなくてもいいのだから。
 元の姿に戻ろう。そして明日を、サンジの誕生日を迎えよう。



 ぼろぼろになったキャラヴェルが、この港にたどり着いたのは、二月上旬のことだった。
 麦わら海賊団は、他の海賊船とやり合った折り、特殊な毒矢を使われたのだ。常人にはさほど効き目はないが、悪魔の実の能力者が食らうと、まるで海に漬けられたように力を失う。解毒法はなく、命を取り留めたとしても、一月ほどは効果が続くらしい。
 何とか敵を撃退した後、今度は突然の大嵐に襲われた。ナミが、ルフィとチョッパーの容態悪化に気を取られる余り、嵐の兆候を見落としたのだ。暴風の中、メインマストの帆が引き裂かれ、船体にもかなりのダメージを食らった。
・・・ようやく嵐が去り、ルフィたちも一命を取り留めた後。即席の病室となった倉庫に、クルーたちは集合した。ナミが一同を見回し、そして告げる。
「こんな状態じゃ、とても航海は続けられない。だから、海賊旗を降ろして。使えない帆も捨てるわ。ただの民間船を装って、一番近くの港に入るの。それ以上遠くまで、たどり着く余裕はないのよ」
「だ、駄目だ、海賊旗を降ろすなんて・・・」
 ルフィの力ない抗議を、ナミは優しく、だが容赦なくはねつけた。
「あの港町にはね、海軍基地があって、大部隊が駐留してるのよ。船長のあんたと、船医のチョッパーが動けない今の状態で、勝ち目があると思う? おまけに、船の修理にだって、この様子じゃかなり時間がかかるわ。その間、騒ぎを起こす訳にはいかないの」
「・・・・・・」
 そして彼女は、抗議をやめた(というより、もうそんな気力もない)キャプテンに代わり、てきぱきと指示を出し始める。
「ウソップ、船首像にかぶせ物をして、別の像に造り替えて。それからチョッパー、特殊な髪染め剤を作ってたでしょ? 専用のシャンプーを使わないと落ちないってやつ。あれを貰うわよ。みんなで使って、変装するの。船の修理が済むまで、私たちはただの、通りすがりの民間人を装うのよ」
 その夕方、栗毛の若者たちを乗せたキャラヴェルは、怪しまれることもなく港に入った。港の係官に向かって、ナミは船名を『ベルメール号』と申告した。傍らでは、腹巻きとピアスを外し、サングラスをかけたゾロが、少々落ちつかなげにもやい綱を結んでいた。



 船の修理には、一月ほどかかる。その間、麦わら一味としての正体を隠しつつ、ルフィ達の回復を待たねばならない。海軍本部の燃料供給地、お膝元と言っても過言でないこの街での、息を潜めての日々が始まった。
 隠れ家として選ばれたのは、耳の遠い老婆が切り盛りしている、小さい質素な宿屋。部屋数も少ないので、ちょうど貸し切り状態になった。これで、部外者との接触は最低限に抑えられる。
 不幸中の幸いにも、一行最大のトラブルメーカーは、終日ベッドでぐったりしている。喋る気力さえ無い有様だ。誰かが、この病床の少年を見たとしても、手配書の満面の笑顔と、すぐには結びつけられまい。
 それでも万一に備え、ルフィの頬傷の上には、皮膚病に似たメイクが施され、さらにガーゼを張り付けてある。
 泥棒の前歴ゆえに、変装慣れしているナミが、率先してこのあたりを計画した。そして、クルーの男連中にも、急ぎ買い集めた古着を手渡す。
「改めて言っておくけど、外出時にはいつもと違う、それもなるべく目立たない格好をすること。ちょっとダサいかな、ってぐらいで丁度いいわ」
 そう言う彼女はすでに、ジーパンと灰色の長袖シャツという、地味かつ露出度の低い格好に身を固めている。
「可もなし不可もなし、なるべく平凡で印象に残らない・・・ってことだね? その美貌には勿体ないけど、地味で可憐なナミさんも素敵だぁ。スリリングな恋の潜伏生活ですねっ」
 そんなサンジの軽口が、ゾロは気に入らない。思わせぶりに一言突っ込む。
「・・・おい。誰と誰が、恋の潜伏生活だって?」
「だっ、誰でもいいだろてめぇ!」
「へーえ、誰でもいいのか」
 頬をわずかに赤らめて動揺するサンジに、ゾロはさらに追い打ちする。サンジは、ゾロとの仲をナミたちに気づかれたくないのだ。とは言っても、とっくの昔にバレているのだが、とにかく彼女たちの前では、話を出されたくないらしい。
「てっめえ、この・・・」
「はいはい、喧嘩しないの。騒ぎを起こせば、それだけ見つかる確率が上がるわ」
 すかさず割って入るナミ。そして、サンジの顔を立てるように言い添えた。
「サンジ君にも一理あるのよ。隠れて暮らすのはやむを得ないんだから、息が詰まりそうなんて思うより、みんなでスリルを楽しんじゃおう。子供の頃の隠れんぼ、
楽しかったでしょ? ただし・・・今度のは、命懸けだけど」

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