・・・そして、その夜。
「おう、無事に戻ったかよ『デューク』。それで、今日はどうだったんだ?」
宿へ戻ったゾロを、サンジは上機嫌な様子で迎えた。
「あ、向こうで夕飯出たから、夜食は軽くでいい」
キッチンの方から、何か美味そうな匂いがするのに気づき、ゾロは答える。新入りの歓迎会に誘われたのだが、用心のため早々に引き上げてきたのだった。
「風呂はどうする?」
「要らねぇ。向こうでシャワー浴びたし。それより酒だ」
歓迎会に並べられた、美味そうな酒が飲めなかったのは残念だが、サンジのことだ、もっといい酒を用意してくれているだろう。
「おう、分かった。居間で待ってろ」
軽い足取りで、サンジはキッチンへと駆けてゆく。どうも浮かれすぎではないか? という不自然さを感じたゾロに、後から居間に顔を出したナミが愚痴った。
「聞いてよゾロ! サンジ君ったらね、街の食堂に、料理の指導に行くとかいうのよ! ゾロが出かけてるだけでも、こっちは心配だってのに・・・全くもう!」
「街の食堂?」
テーブルについたゾロは、酒を運んできたサンジを、じろりと見やって訪ねる。
「まさか、店員みんな若い女とかいうんじゃねぇだろうな?」
「何で分かるんだ? 確かに、美しき未亡人たちが、健気に運営している小料理屋なんだが・・・あれを見捨てちゃ、男がすたるってもんだろ」
なるほど浮かれている訳だ、とゾロは呆れつつ納得する。
「取りあえず、大丈夫だとは思うぜ。俺はまだ手配されてねぇから、顔はあまり知られてない。それこそ『金髪碧眼の足技使い』ぐらいの情報しか流れてねぇだろ。ゾロよりもリスクは低いぐらいなんだ、心配すんな」
そう言って、サンジは悪戯っぽく笑った。何だかんだ言って、彼も完全に考え無しな訳ではない。アラバスタでの「Mr.プリンス」の時より、ずっと慎重に変装しているのだ。そう思いつつ、半ばは自分を納得させるために、ゾロは呟く。
「そうだな・・・髪は染めてあるし、喧嘩しなけりゃ足技の出番もねぇ。後は女を口説きまくったりしなけりゃ、『腕のいいコック』って特徴しか残らねぇか」
「だといいんだけどねぇ。まあ、取りあえず今日は無事に過ぎたことだし。あたしは先に休んでるわ」
ナミはため息をつきつつ、ドアに手を掛けた。
「ああ。しっかり休んで、明日もアホコックを見張っとけ」
彼女の背中を見送ったゾロは、突然背後から耳を甘噛みされ、飛び上がりそうになった。こんな風に、ゾロがふと気を抜いた時を狙って、サンジはこういう悪ふざけを仕掛けてくる。
思わず振り向くと、碧い瞳が笑いかけてきた。
「妬いてんじゃねぇよ、クソ剣士。てめえは特別だって」
「バ、バカッ」
小悪魔め、と内心で毒づきつつ、火照った頬をごまかすように、ゾロは酒杯を呷った。
そこへ、今度はウソップが、様子を見に出てくる。
「・・・あー、その、無事だったかゾロ。邪魔じゃなけりゃ、俺にも一杯くれよ」
ルフィとチョッパーについてやっていたウソップだが、二人とも毒の影響か、今日はほぼ一日中眠っていたという。
ちなみに、もう一人の能力者・ロビンも例の毒矢を受けていたが、幸い軽症で済んでいた。日常生活に支障はないが、やはり本調子ではないらしい。今日はもう、起きてはこないだろう。
「それで、炭坑ってやつはどうだったんだ? なーんかいかにも、汗くさい労働の世界って感じがするけどなぁ?」
ウソップに改めて尋ねられ、ゾロはぼそりと答えた。
「なんか・・・えらく疲れた」
「うわっ! ゾロが『疲れた』だなんて、一体どんな重労働なんだよ! 石炭何トン運ばされたんだ? それとも仕事場の環境が極悪ってか? この島に労働基準法はねぇのか、おい!」
「騒ぐなウソップ、余計疲れる」
まくし立て始めたウソップを制しつつ、ゾロは昼間の様子を思い出していた。
「何ていうか・・・仕事そのものは、大したことねぇんだよ。まだ新入りだし、簡単な石炭運びだけで」
先輩炭坑夫たちが、つるはしを振るって掘り出した石炭を、スコップですくって手押し車に乗せる。そして、地上へ運び上げるベルトコンベアの所まで持ってゆき、車の中身を空ける。そうしたらまた、戻ってスコップで石炭をすくう。延々とその繰り返し。
石炭の重量など、日頃の鍛錬に使う重りに比べたら、軽すぎて物足りない。小さな一輪式の手押し車には、積める量もたかが知れており、あまり積みすぎるとこぼれてしまうのだ(それでもかなり多めに積んでいたが)。
「なのに、何なんだろうな、この妙な疲れ方は・・・」
どう説明したらいいだろう、と考えつつ、ゾロは言葉を継ぐ。
「例えて言うなら・・・長い間戦っててよ、本当はもう限界のはずなのに、どっからともなく力が湧いてくることってあるだろ?」
そう聞いて、サンジが思い当たったようにうなずいた。
「ああ、前にチョッパーが言ってたぜ。そういうヤバい時には、アドレナリンとかいう物質が脳の中に出て、疲れを感じなくさせるんだと」
「アド・・・何だ? まあとにかく、丁度、そういう時の反対って感じだ。限界にはほど遠いはずなのに、まるで何かに、力を吸い取られてるみてぇでさ。変だよなぁ」
ほの暗いランプに照らされた、地下深くの坑道。その暗がりの奥に、力が吸い取られていくような妙な感覚は、慣れない仕事というだけの理由だろうか。
重くなった空気を変えようとしてか、ウソップがいつもの調子で、即興のホラ話を始める。
「そりゃあ、地下の幽霊じゃねぇか? 深い深い地の底には、人の生気を吸い取る幽霊が潜んでてさ、『生きのいい男はいないかぁ、強い男はいないかぁ・・・』と言いながらさまよい歩・・・」
「馬鹿言うなっ!」
思いがけず強い口調で、それを遮ったのは、サンジだった。
その一瞬の、ひどく思い詰めたような眼差しは、幸か不幸か前髪の影になっていて、ゾロには見えなかったのだが。
次の瞬間、サンジはいつもの不敵な笑みを浮かべて、手にした煙草の先をウソップに突きつけた。
「あのなぁウソップ、俺たちゃお子様連中とは違って、そんな怪談なんかでビビったりしねぇんだよ。場を盛り上げるなら、もうちょっと気の利いたホラを吹きやがれ」
その後ゾロは珍しく、酒盛りもそこそこに、部屋へ引き上げてしまった。
夜半の宿の廊下。半開きになったままのドアから、中の様子をのぞき込んで、サンジがウソップを手招きする。
「見ろよウソップ。マジで疲れてんだなぁ、マリモの分際で」
布団もかけず、ベッドに斜めに倒れ込んだまま大いびきをかいているゾロの様子に、くっくっと抑えた笑いをもらしながら、サンジは言う。
「せいぜい明日からは、疲労回復に効く料理でも作ってやっか」
「・・・布団、かけてやらなくていいのか? ここ、春島だけどよ、明け方は結構冷え込むぜ?」
「この体力バカが、そんぐらいで風邪なんか引くかよ。放っとけ放っとけ。それよりてめぇも早く寝ろ」
皮肉げに口元を歪めつつ、ウソップを追い払うように、ぴらぴらと手を振るサンジ。
そして、隣に割り当てられた自室へ、とっとと姿を消す。
・・・が。ドアを閉めた瞬間、サンジの視線が空中を泳いだ。力が抜けたように、ドアに背をもたせかける。
(俺、大丈夫だよな。何事もねぇ振り、できてたよな)
彼が隠していたこと、皆の前では口に出さなかったことが、一つあった。
あの「月夜の小唄亭」の女性たちは、元々炭坑夫の妻。そして、夫と死に別れている。・・・あの炭鉱で起こった、悲惨な大事故によって。
彼女たちから聞いたその出来事が、サンジの胸に、小さなとげを打ち込んでいた。
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