『The Wind and Cloud』 by 刈穂川夏樹


 殺気が迫っているのには、気づいていた。
 だから、ジークフリートは、驚きはしなかった。街道沿いの森の中から、ばらばらと飛び出してきた数人の男が、彼を取り囲んだ時にも。
「こいつ、ガキの割にはいい物持ってるぞ」
「よぉし、さっさと仕留めようぜ」
 男たちの会話も、大方、予想通りだった。戦場には付きものの、落ち武者狩り。・・・・オストラインスブルク城の陥落は、昨日の日暮れのことだ。それから丸一日。敗残兵の武器を狙う者たちが、この近辺を徘徊していた。
 血色の黄昏。もうすぐ、ここに本物の血が流される。
(連中、たいした腕じゃねえ・・・・弱い獲物しか相手にできないような、情けねえ奴らか)
 疲れきった眼差しを、彼らに投げかけながら、ジークは思う。
 太腿の傷がうずいた。落城寸前の戦いで負った傷・・・・包帯の下からは、まだ血がにじみ出ている。全力は出し切れまい。
包囲の輪を狭めてくる男たち。ジークはのろのろと、背の大剣に手をやった。・・・・が、何故だか、全く闘志が湧かない。
(このまま、死んでもいいや)
 不意に、そう思ったのだ。剣の柄に触れた手を、そのまま、だらりと下げてしまう。
 木々を渡る風の音が、ふと止んだ。いや、ジークの耳にだけ、聞こえなくなったのだ。静まり返った世界の中、彼はゆっくりと自問自答する。
(・・・・いいのか? 本当に?)
(いいんじゃないか、死んだって・・・・どうせ、このままじゃ、完全に狂っちまって生き恥さらすだけだろうし)
 彼の精神を、深く静かに蝕んでゆくもの。父が「殺された」あの日から。いつかは完全に狂う、という予感がジークにはある。心に巣喰ったそれを抑えるのにも、限界が来るだろう。多分、そう遠くはない未来に。
(いいんだ・・・・だから、もう、いいんだ)
(仇打ちは? ・・・父上の無念を、晴らすんじゃなかったのか?)
 視界の中で、男たちが顔を見合わせている。何故、一息に襲いかかって来ないのだろう?
 彼らは、何か喋っているようだ。
「こいつ・・・・頭イカれてるんじゃねえか?」
「そりゃあ好都合だな」
「好都合、じゃねえよ。戦で狂った奴ってのは、おっかねえんだぞ。ヘラヘラ笑ってたのが、次の瞬間には、剣振り回して暴れ出したりするんだから」
 だが、ジークには何も聞こえない。
 世界はただ、静かだった。傷つき疲れきった体で、盗賊たちに取り囲まれながら、ジークの心はただ、静かだった。
 このまま、なす術もなく殺されてしまうのだろう。
・・・彼の父親が、そうだったように。
(構わない・・・・殺されたっていい。仇討ちなんて、もうどうだっていい・・・・父上が死んだ時、俺の心も死んだんだ・・・・)
 ジークは眼を閉じた。こんな場には不似合いな微笑と共に、体に刃が食い込む瞬間を待った。
肉の斬り裂かれる音。静まり返った世界を、聞き馴れたその音が破った。だが・・・・おかしい。
(痛くない・・・・何故?)
 眼を開ける。閉ざしていた心に、一気に「外の世界」が流れ込んでくる。剣の打ち合わされる音、鋭い気合い、鮮血の匂い、そして・・・・
 思いがけない姿が、そこにはあった。
 昨日戦った、異国の剣士。細身の曲刀をひるがえし、荒々しい剣技で、ならず者たちを次々に斬り倒してゆく。
 勝負はすぐに着いた。
 異国の剣士は、呆然としているジークの前で、剣を鞘に収める。
「よぉ、また会ったな」
 ぼさぼさの前髪の下から、黒い瞳がのぞく。戦いの間は鋭かったその眼に、ふと陽気な笑みが浮かんだ。
 どうやら、命を救ってもらったらしい。
・・・昨日の、城での攻防戦では、勝負がつかなかった。ジークを倒すなら絶好の機会だろうに、この男には、その気はないようだ。
 礼を言うべきだろうか。いや、何のつもりで助けたかと問いつめるべきか。そんな思考が、ブラックアウトする視界と共に途切れる。
 疲れきった彼は、その場で気を失ってしまったのだ。


 気がついた時には、どこかの宿らしきベッドにいた。
 誰に運ばれてきたのだろう・・・・そう思っているジークの前で、部屋の扉が開く。さっきの、異国の剣士だ。
「おっ、目が覚めたか」
「・・・・何故、助けた?」
 ベッドの上に身を起こし、警戒しつつ、ジークは尋ねた。見聞が狭い方ではないが、この男の格好は、今までに見たことがない。どこから来たのか、検討もつかなかった。警戒せざるを得ない。
「何故、って・・・・死なせるには惜しかったから、かな?」
 前髪を無造作にかき上げながら、男は言う。
「惜しかった?」
「てっきり、落城の時に死んじまったかと思ってた。生きて脱出してきたのに、あの程度の野盗連中にあっさり殺られるなんて、黙って見ちゃいられなくてよ。お前ほどの剣士がもったいねえ」
「変な奴だな、お前・・・・敵に情けをかけるのか?」
「敵じゃねえだろ、もう。雇い主との契約は、戦が終わるまでだ。そっちだって同じだろ?」
 そう言って、こんな風に割り切りすぎるから恨まれやすいんだよな、と付け加えて笑った。裏表のない、あっさりした性格を感じさせる笑顔だった。
・・・男の名乗った名を、ジークは何度か、口の中で転がしてみる。やけに母音の多い、風変わりな響きのその名。
「ミツルギ、か。お前、どこから来た?」
「東の方。ずっとずっと遠くの、小さな国だ」
 長かった旅路を思い出すかのように、御剣は遠い眼をする。
「本当に、小さな国だよ。こうして旅してきて、改めて思うけどさ。・・・・なあ、『ぐろーぼ』って見たことあるか? 世界地図が描いてある、丸いやつ」
「え? ああ、地球儀(グローブス)のことか? まあ、な」
「この大陸の東の果てに、ちっこい島国があるだろ。こっちの連中が『ジパング』とか呼んでる所だ」
「ジパング? ・・・あの、黄金の国ジパングか?」
 幼い頃、父の膝の上で読み聞かせてもらった、マルコ・ポーロの旅行記。わくわくしながら耳を傾けたその一節が、ジークの脳裏に蘇る。
 だが、御剣は苦笑して首を横に振った。
「そんなこたぁねえよ。この国と変わんねえ。領主連中は戦を繰り返して、農民たちは貧乏な中で必死に暮らしてる。根っこの所じゃ変わんねえよ、何にも」
 俺も農民上がりなんだ、と、御剣は付け加える。貧しい生活に嫌気がさして、剣を手にしたのだと。
 気取らない雰囲気は、大きな雲を思わせる。夏の晴れ渡った空高く、ゆったりと流れてゆく雲。きっと、そんな雲のように旅してきたのだろう、この男は。ジークはそう思いながら、御剣に尋ねた。
「それがどうして、こんな所までやって来たんだ?」
「武者修行に。・・・・というか、鉄砲に勝つため、だな」
「鉄砲に勝つ、だとぉ?」
「ああ。俺みたいな、剣一本が飯の種って奴にゃ、鉄砲なんてものは大敵だ。寄せ集めの雑兵が撃ったタマ一発で、必死で腕を磨いてきた剣士がばたばた死んじまうんだぜ。なんか間違ってるとは思わねえか?」
 同じ剣士なら分かるだろう、と言いたげに、御剣は勢い込んで言う。
「まあ、そうだけどなぁ・・・・」
「だから俺は、鉄砲に勝てるようになりてぇんだよ」
 無茶なことを、とジークは呆れた。彼自身、鉄砲隊を相手にしたこともあったが、あれは作戦勝ちを狙わない限り歯が立たない。悔しいが、手ごわい武器であることは認めねばならなかった。
 御剣は、言葉を続ける。
「世界には、強い剣が一杯あるだろ。その中にはきっと、鉄砲より強いやつも・・・・俺は、そいつを手に入れたい。色々な剣を見てきたけど、やっぱり・・・・」
 聞いているジークは、ふと、嫌な予感を覚えた。
「噂の『そうるえっじ』だな、鉄砲より強いって言ったらよ。・・・・って、おいジーク、どうかしたのか?」
 ソウルエッジ、の一言に、ジークはびくりと身を震わせていた。
「冗談じゃねえ! ソウルエッジは・・・・無敵の剣は、この俺が手に入れるんだ!」
「え? お前も、鉄砲に勝ちてえのか?」
 御剣の、間の抜けた返答。
「違う。でも俺には、ソウルエッジが必要なんだ。父上の仇を討つために!」
「何だぁ? じゃ、その仇ってのは鉄砲使いか?」
 どうしても、鉄砲にこだわってしまうらしい御剣。
「いや、剣士だ」
 つい答えてしまい、ジークははっとした。動揺を見抜いたかのように、御剣は言葉を重ねる。
「剣士か・・・・だったら、お前ほどの腕がありゃ何とかならねえのか?」
「・・・・・・」
 一瞬、ジークは返答に窮した。
 鉄砲がどうこうというのは、早とちりしての言葉ではなかったようだ。御剣は、何故ジークが「無敵の力」にこだわるのか、今のやり取りで察してしまったらしい。
 黒い瞳が、鋭さを増してジークを見つめる。
「・・・・そんなに強いのか、その『仇』って奴は?」
 暗に、お前の腕では勝てないのか、と問われている。そうでなければ、わざわざ「無敵の力」などを求めなくてもいいはずだと。そう感じながら、ジークは唇を噛み、うなずいた。
「ああ、そうだ。・・・・恐ろしい奴だ。とても・・・・」
 決して勝てない、と思うしかない程に。
「俺は、あいつの顔さえ思い出せないんだ。父上を殺す所を、確かに、この眼で見たはずなのによ・・・・思い出そうとするだけで、恐ろしくて・・・・」
 「奴」が父を殺し、その首を高々と月光に掲げたあの時。あれほどの恐怖と衝撃は、後にも先にも味わったことがない。そのために、記憶の一部が欠け落ちてしまったらしい・・・・事件の晩について、ジークには、どうもはっきりした記憶がないのだ。
 だが、その「仇」に出会ったならきっと分かる。ジークはそう付け加えた。あの恐怖、あの凄まじい威圧感だけで、きっと。
「情けねえよな。それまで俺、自分のこと、こんな強い奴はいないぐらいに思ってたのによ。『シュヴァルツヴァルト(黒い森)』のならず者の中でも、俺ほどの剣士は誰もいねえ、って。なのに・・・・あの時は、震え上がっちまって手も足も出なかった。そのまま、泣きわめいて逃げ出しちまったんだ。情けねえよ、本当に・・・・目の前で、実の父親が殺されたってのに・・・・畜生・・・・」
 ジークの眼から、悔し涙があふれる。
「父上を見殺しにしてまで、助かりたくなんかなかった。・・・・いっそのこと、俺が代わりに死んでいれば良かったんだ! 毎日毎日、そのことばかり考えてる。でも、もう遅い・・・・父上はもう戻らない。俺に出来るのは、奴を倒して、父上の無念を晴らすことだけだ」
 頬を伝う涙を、服の袖で乱暴にぬぐって、ジークは御剣を見上げる。青みを帯びた緑の瞳に、思い詰めた光を浮かべて。
「俺は、本当の強さが欲しいんだ。今の俺じゃ絶対、あいつには勝てねえ。あっさり返り討ちにされておしまいだ。だから・・・・ソウルエッジでなきゃ、駄目なんだ。あの『無敵の剣』が、俺の最後の希望なんだよ」
・・・事情を聞き終わった御剣は、気の毒そうにうなずく。
「なるほどな、そういうことか。ところで、親父さんって、お前より強かったのか?」
「ああ。俺の剣の師匠だぜ、弱い訳ねえだろ。・・・・もっとも、あの時は、疲れきってて全力出せなかったのかもしれねえけど」
 父をかばうかのように、ジークは付け加える。
「とにかく、奴が強かったんだ。父上があっさり倒されるぐらいに」
「ふぅん、そんなに強いのか。・・・・言っちゃ悪いが、興味があるな。一度勝負してみたいもんだ」
「・・・・・・」
 あんな恐ろしい奴に「興味がある」とは。飄々として見えて、実はとことん豪胆な奴なのかもしれない、とジークは思う。
 と、御剣の瞳が、いたずらっぽく光った。
「なあ、ジーク。何だったら、仇討ちの助太刀してやろうか? 剣探すのも手伝ってやるよ」
「え・・・・?」
 何を言い出すのかと思ったら。あっけに取られるジークに向かって、御剣は続ける。
「お前みたいなガキが、そんなすげえ剣士に立ち向かうんだったらよ、助太刀の一人や二人連れてたって文句は出ねえって。な?」
「まあ、そうかもしれねえけど・・・・」
 ジークは考え込む。確かに仇との対決の時、とびきり強い剣士の助太刀があれば、どんなにか心強いだろう。この御剣だったら、きっと、自分ほどには「あいつ」を恐れはしないのではないか。そんな気がする。
「もっとも、ただで助けてやるほど、俺もお人好しじゃないんだよな。・・・・物は相談だけどよ、仇討ちが済んだら『そうるえっじ』をくれないか?」
「!」
 一瞬、ジークは驚いたが、考えてみればそれも道理だ。
 大抵の剣士が相手なら、負けはしないのだ。愛用の大剣ファウストさえ有れば。自力での仇討ちが果たせないからこそ、ソウルエッジが必要なのだ。
 逆に言えば、つまり・・・・ジークはうなずく。
「いいだろう。仇討ちさえ果たしたら、俺にはソウルエッジは用済みだ。お前にくれてやるよ」
「そうかい! じゃあ、これで決まりだな」
 満面の笑みと共に、御剣は言う。
「一人より二人の方が、剣を見つけるのもきっと早いぜ。それに、連れがいた方が旅も楽しいじゃねえか」
「楽しい・・・・ってよ、遊びの旅じゃないんだぞ!」
「何言ってんだ。人生、楽しまなきゃ損だぞ。俺、いつだって、先にはきっといいことがあるって思うことにしてるんだ。ホント、楽しみだぜ。『そうるえっじ』を手に入れて、あの忌々しい鉄砲玉を、ばっさばっさと斬り落とす日がよ!」
・・・その時、ジークは気づいた。これまで、仇討ちの後にどうするか、などと考えたことは無かったということに。いや、本気で「奴に勝てる」と思ったことさえ、一度もなかったのだ。
 無敵の剣・ソウルエッジさえ有れば。それでも、父の無念を晴らすだけが精一杯かもしれない。後はもう、精神が保たず、狂っていくだけかもしれない。だから・・・・未来など、思い描いてみたことも無かった。
 父の死んだあの日以来、ジークは初めて、仇討ちの先にある「未来」に心を向けたのだった。この、異国の男との出会いによって。
 生きてみるのもいいかもしれない、と。


 話がまとまると、急に、腹が減っているのに気づく。夕食、というより、もう夜食と言う方がいい時間だ。宿の一階の食堂へ、二人は向かった。
 見慣れない東洋人の男に、そこにいた連中は少し戸惑ったようだったが、御剣には気にしている様子はない。堂々と、ど真ん中のテーブルを取る。
「俺、この国の『びあ』って酒、結構気に入ってるんだ」
 そう言って御剣は、運ばれてきた陶器のジョッキに眼を細める。いつ覚えたのか、西洋風の乾杯も手慣れたものだ。が、次に運ばれてきたスープ皿には一瞬硬直する。
「な、何だぁ、この緑色のどろどろしたやつ?」
 豆スープなのだが。先に食べ始めたジークを見て、御剣は、意を決したかのようにスプーンを取り、少しすくって慎重に口に運ぶ。
「ん・・・・美味い! 見た目はともかく美味いな!」
 そう言うと、いきなりそのスープ皿を手に持ち、ずるずると音を立ててすすり始める。食堂中の人の目が、御剣に向いた。今度は、ジークが硬直する番だった。
「・・・・こっちの人には、東洋人って珍しいみたいだな。俺が食事してると、みんなじーっと見てるんだよ」
 全く理由が分かっていない口調で、御剣が言う。
 前途多難、かもしれない。
 ジークは、ため息をついた。
「頼む、次は焼き肉を食ってくれ」
 どうやら、この男と一緒なら、父のことばかり思い詰めていなくても良さそうだ。

 二人の旅は、始まったばかりである。
  
☆ FIN ☆
97年、『不自然な君が好き』掲載
 
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