オペラ興行師ヴィヴァルディ(2) −1720年(当世風劇場)

(2004/2/14更新)

Il teatro alla moda
「当世風劇場」表紙。舵の上で片足を上げてヴァイオリンを弾いているのがAldiviva
Aldiviva

 Antonio Vivaldiは1720年成功の内にマントヴァ宮廷を辞し、ヴェネツィアに戻りました。 マントヴァではこれ以降もヴィヴァルディの作品が上演されました。ところが、 1720年12月にヴェネツィアで「当世風劇場」(Il teatro alla moda) と題する小冊子が出版されました。作者は匿名でしたが、作曲家でもあるヴェネツィア貴族、 ベネデット・マルチェッロであることがわかっています。 この中で、あるオペラ劇場の内幕や関係者の仕事振りを悪意たっぷりに皮肉っているのですが、 その仮名は当時のヴェネツィア人であれば容易に類推できる、 すなわちサンタンジェロ劇場とヴィヴァルディに対する物である事は明白でした。 この本が出版された背景には、マルチェッロ家がサンタンジェロ劇場の経営権を巡って、 ヴィヴァルディらと深刻な対立関係にあり、 また名門有力貴族対理髪師とその息子と言う階級差から来る蔑視もあったのかもしれません。 もちろんこれはヴィヴァルディの才能や実力に対するねたみの裏返しかもしれませんが。 ただ、ここであげつらっている欠点の中には真実も含まれており、 ヴィヴァルディの名声及びヴィヴァルディ自身を傷つけることになりました。 ただ、ゼーノやメタスタジオによるオペラ改革の前の事なので、 これらの批判の多くは当時のオペラ界全体に当てはまることなのかもしれません。
 皮肉なことにマルチェッロが敵意たっぷりに当時のオペラ界の内幕を暴露してくれたおかげで、 書かれることのない当時のショービジネスの裏側を今日に紹介してくれる貴重な資料となっています。 もちろんこの冊子の反ヴィヴァルディ派プロパガンダという目的を理解した上で読まなければいけませんが。 とはいえ、40代を迎えたヴィヴァルディはその名声も実力も頂点を迎えようとしていました。 まもなく有名な作品8「和声と創意への試み」すなわち「四季」を出版する事になります。


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