音楽教師ヴィヴァルディ

(2003/12/22更新)

pieta
Ospedale della pieta. ピエタ慈善院
A.Portio(Venezia, Museo Correr).
pieta2
演奏するヴェネツィアの孤児の娘達(部分)
グレヴェンブロエク(1700)

 Antonio Vivaldiは1703年9月に女性孤児のための施設である「ピエタ慈善院」 (Ospedale della pieta)に音楽教師として採用されました。 当時のヴェネツィアは私生児が大変多く、その養育と教育に共和国政府はかなり心を砕いたようです。 その音楽教育のレベルは高く1700年代には貴族が学費を払って自分の娘を通わせるほどでした。 ヴィヴァルディは当時の父親の給料を考えると破格の待遇で雇われ、その後もどんどん給料は上がっています。 その実力と名声を考えると当然かもしれません。 ヴィヴァルディはここで自分の自由になるレベルの高いオーケストラを手に入れ、 その後発表される多くの名作をここで作り上げることになるのです。1703年には作品1のトリオソナタ集を、 1709年には作品2のヴァイオリンソナタ集を、そして1711年には有名な作品3「調和の霊感」を出版しました。 その後、ヴィヴァルディは何回かの中断を挟みながらも、このピエタ慈善院での地位を守り続け、 多くの名品を生み出していったわけです。この慈善院の娘達の演奏の評判は高く、 当時の様々な人々、特に旅行者の証言や日記はまさに賞賛の嵐と言った感じです。 ヴィヴァルディの指導するピエタ慈善院のオーケストラは、 まぎれもなく当時ヨーロッパ最高のオーケストラの一つであったのです。


戻る