’01GWツーリング 屋久島&九州
4月21日〜5月6日

途中集合者
・雷蔵夫婦:TT−R RAID & DR250R
・船長氏:XJR400
・Jr.:DR330SH

さて、当初は2週間の休暇を取得したので沖縄(特に石垣島)に行こうと画策していたが、フェリー等の諸問題にぶち当たり、あえなく断念。 しかし、この長期休暇を有効に活用するよう検討して、屋久島メインのツーリングを計画・実行した。
縄文杉・宮之浦岳等、充分に屋久島を堪能しました。 その後、種子島・九州を満喫したツーリングでした。


4月21日

今日は20時発の川崎−宮崎行きのフェリーに乗る。 1週間前になんとか予約を取得したフェリー。 時間が時間なので、家を出るのは15時頃を予定していた。 それにしても折角の出発日なのに、空は生憎の雨模様。 フェリーに乗るまでの辛抱とはいえ、幸先悪いなぁ

仕方無く雨の降る中、15時に出発。 2時間弱で川崎フェリーターミナルに到着。
予想はしていたが、GW前なので人がまばら。なんだか寂しげな雰囲気

フェリーには19時過ぎに乗船。 今回2等寝台なんだけど、1ブロック18人の部屋にJr.一人だけ。 もぅ気分は一等寝台みたい。 早速ビールを片手に夕食。一人チビチビと過ごし、就寝。


4月22日

朝8時に風呂に入ってから、ビールを片手に朝食。 宮崎には夕刻到着なので、それまでは暇。 屋久島の情報を読んだり、寝たりして過ごした。

夕刻に宮崎港に入港したが、1時間以上の遅れで到着。 結局18時20分頃下船。 今日はこの後、鹿児島まで走り、明日の屋久島行きフェリーに乗る予定。 今晩はフェリーターミナル付近で野宿しようと考えていた。

宮崎からR269都城まで行き、そこからR10で一気に鹿児島まで行った。
鹿児島には22時頃到着。 まず屋久島行きのフェリーターミナルの場所を確認してから市街のファミレスで夕食&仮眠。
25時にファミレスを出て、フェリーターミナルの駐車場に行き、駐車場隅にテントを設営して就寝。


4月23日

6時前に起床。7時前にテントを撤収し、朝食の買出し&給油を済ませフェリーターミナルへ。
フェリー受付を済ませ乗船。バイク2700円と良心的だったが、人が5200円と結構なお値段。 昨晩はあまり寝られなかったので、フェリーで爆睡。あっという間に屋久島に到着。

屋久島は、「1ヶ月に35日雨が降る」と言われていたが、とりあえずは今日は晴天。 今日は雨の心配はなさそうだ。
まずは今夜からの宿探し。 今回は雨の非常に多い地域であり、登山メインを考えていたので、贅沢だが宿を考えていた。 また、宮之浦岳縦走を検討していたので、登山者が集まりそうなところを考えていた。

まずはフェリーターミナルで情報集め。ライダーハウスをはじめ、各種宿情報を入手。
1泊1000円の宿を見つけるも留守電で繋がらない。 仕方無く、今日は島を一周しながら宿について検討することにして出発。

時計回りに島巡り。途中、空港近くのライダーハウスによって状況を聞いたが、宿泊者で登山する人はいないらしいので諦め。
次に空港横の観光案内で登山客の集まりそうな宿を聞くと、「晴耕雨読」(素泊り3500円)と言う素泊り宿を紹介された。 結局その宿を確保して、島巡りを再開。

明日からの登山等をする際、必ず通る道が県道592号安房から592号に入り、まずは荒川分れまで行く。 そこから宮之浦岳登山口淀川口に行く。
淀川口手前の紀元杉を眺め、早くも屋久杉ご対面。 道のすぐ横にあるので手軽に体験できる屋久杉

01gw01.jpg

淀川口から戻って荒川ダムに向かう。 こちらはウイルソン株縄文杉の入り口。 一応場所の確認をして、明日以降の行動の情報とした。

その後、千尋滝に向かった。 千尋滝は、巨大な岩盤から流れ落ちる壮大な滝で思わず圧倒された。
次に向かった大川の滝はこれまた迫力ありました。
共に迫力のあるすばらしい滝でした。
大川の滝より島の西側の道は通行量皆無の細い道で寂しげな道だった。 細くクネクネした道を淡々と走ると永田岬の看板が。 少しわき道を進むと突端に屋久島灯台が。 しかも沖合いには口永良部島が望めた。なかなか良い。

島を一周して今晩の宿へ。途中スーパーで夕食を調達して「晴耕雨読」へ。
宿は、「とほ宿」の様な雰囲気(個室だけど)。
それにしてもこの日の宿泊客が濃いメンツだったのには驚いた・・・

その日の宿泊者の中には、雑誌「ダ・ヴィンチ」取材スタッフ田口ランディさんがいた。 「聖地巡礼」という連載の取材らしい。
このグループの宴会が凄かった。一緒に飲んだが、ランディさんが仕切って宴会が進む。 しかも途中からは、宿主率いるバンド乱入!?で夜中まで騒いだ
(メンバーには写真家の山下大明さんもいました)
さすがに夜遅くなるとJr.は睡魔でヘロヘロ。 結局25時頃まで付き合わされた。
(この辺の詳細?は「ダ・ヴィンチ」7月号「聖地巡礼」にちょこっと載ってます)


4月24日

さすがに起きるのが遅く、登山どころではなかった。 天候も下り坂の様で曇り空。午後あたりから雨模様みたいだ。 仕方無く今日の登山は見送り。 ただ、昨晩の状況が続くようでは困る。 今晩の宿を昨日見つけた1泊1000円の宿にしようと考えた。

昨日あんだけ遅かったのに、田口ランディさん達は元気だ。 メンバーは、今日は白谷雲水峡に行くそうだ。 ここなら近くて時間もそれ程要しないので、天候不順の今日にはぴったりだ。 よって、Jr.も今日は白谷雲水峡に行くことに決めた。

「晴耕雨読」を出発して、フェリーターミナルの案内所で再度1000円の宿「屋久の里」に連絡を取ってもらい、宿に向かった。 宿は想像していたのとは異なり、1泊1000円とは思えない、Jr.には十分過ぎる宿であった。 とりあえず、ここで3泊するつもりだ。

宿に荷物を置いて、白谷雲水峡に向かった。 雲行きは怪しかったがしばらくは持ちそうだ。

10時半前に入り口に到着、管理棟300円を払い、出発。 歩き出して暫くすると、立派屋久杉が次から次へと現れた。 屋久杉が現れる度写真を撮ったもんだから、なかなか足が進んでいかない。 鬱蒼とした原生林に濃い緑。屋久島に来ている事を体中で感じました。

途中、田口ランディさん達に会い、少し話して、先に進んでいった。 屋久鹿にも出会った。そして、辻の岩屋を目指して登りつづけた。

辻峠手前辺りから、小雨が降り出して来たのだが、森の木々に遮られて、雨粒は殆どかからなかった。
辻峠で少し休んだ後、今日の最終目的地である辻の岩屋に向けて出発。
辻峠から辻の岩屋までは道が判り難かったが、30分もしないで到着。 小雨交じりで空が暗いのが残念であるが、とてもいい所だ。
聞いた話ではアニメ「もののけ姫」場面設定にも使用されたそうだ(「もののけ姫」は観た事無いのでわからんが)。

01gw02.jpg

辻の岩屋で小休止した後、来た道を戻るのであるが、辻峠に来る頃には遂に雨は本降りとなり、合羽を着る羽目になった。
白谷小屋では、土砂降りになったのでトイレ休憩&雨宿り。 雨の勢いは衰えそうも無いので、20分程休憩した後出発。 帰りということもあり、行きに観に行けなかった弥生杉行きルート以外同じ道なので、さっさと歩く。
15時少し前に管理棟まで戻り、東屋で一休憩し、土砂降りの中、宿まで戻った。
そう言えば結局、宿には登山者がいなかったので、宮之浦岳縦走諦めて各々Uターンする事にした。
明日の縄文杉・ウイルソン株探索に備えて早めの就寝。


4月25日

4時に起床。外は真っ暗。しかも雨・・・
覚悟はしていたが、げんなりとしてしまう。 それでも天気予報によれば、昼間は雨は一旦やむ様な事を言っているのが救いか。 結局、雨なのでグズグズして、6時過ぎに出発。

7時に縄文杉探索の玄関口、荒川登山口に到着。
ちょうど、GWを前にして、工事を行っており、車だと駐車場が閉鎖されていたが、バイクは入れてくれた。
ここに着く頃には雨も上がり所々に晴れ間まで見える。良かった。これで楽しく行けそうだ。

荒川登山口からは、森林鉄道線路上を進んでいく。 これが思いの外歩きにくい歩幅枕木間隔合わず、かえって登山道の方が歩きやすい。 唯一、道が平坦であることは救いであるが。
01gw07.jpg

小杉谷跡は、かつてこのような所に住んでいたのかと思わせるくらい山の中にあった。 今は、小中学校グランド跡事業所跡が残り、それを説明する小屋が確認できるが、その他は自然に帰りつつある。 なんとなく寂しくなってしまう所だ。

小杉谷を過ぎ、昨日の辻峠に通じる道との分岐になる「楠川分かれ」に着いたとき、後方から妙な音が近づいてきた。 振り返り暫く静観していると、音は次第に大きくなり、それが森林鉄道気動車の音であるのが確認できた。 驚きの中、森林作業者の乗せた森林鉄道が線路脇に退避したJr.の目の前を警笛を鳴らして過ぎ去っていく。
慌てて写真を撮ったがどうしたもんか。 鉄道が現役だなんて聞いてなかった。 それが、当たり前のように目の前を走り去っていったのだ。 混乱と興奮のぐちゃぐちゃ状態

01gw03.jpg

興奮冷め止まぬまま、進んでいく。 三代杉を過ぎて暫く進んだところで、先程の森林鉄道は止まっていた。 ここから一旦線路とは別れて、登山道に入り、また、別の線路跡にでた。 ここは、ちょうど決壊した鉄道橋から伸びているルートで、完全に廃線みたいだ。 途中には、大きな落石や倒木が線路を塞いでいたり、沢では線路が流されていたり・・・

大株歩道入口で線路跡ともお別れ。ここからが登山道。 ここを進んでいくと、いたる所で木道の資材が置かれていた。 さらに進むと、登山道整備工事が急ピッチで行われていた。 真新しい木道が敷き詰められていたり、取り付け中だったり。

やっとのことでウイルソン株に到着。 目の前に現れたウイルソン株大きい事大きい事圧倒されてしまいます。 株の中に入ると、小川が流れ、があり、空洞から光が注ぎ、なんとも言えない不思議な気分でした。
01gw04.jpg

ウイルソン株を眺めながら小休止をした後、縄文杉を目指して出発。 途中幾つもの屋久杉を眺めながらの行程。
そして遂に目の前に忽然と現れました。 そのあまりにも神秘的圧倒する姿を目の当たりにして、暫し言葉になりませんでした

01gw05.jpg

縄文杉を眺めながら、写真を何枚も撮って、休憩を済ませた後、少し先の高塚小屋まで足を伸ばした。 高塚小屋は、まぁ、本当に無人小屋と言った感じの陰惨とした小屋でした。

高塚小屋を訪れた後、来た道を戻る事にする。 再び、縄文杉で足を少し停めていると、鉛色の空から小雨が降り始めた。
雨が酷くならない内にと少し帰りを急いだ。ウイルソン株を過ぎ、大株歩道を過ぎて暫くすると雨が少しずつ降りがまとまってきた。

01gw06.jpg

仕方無く、合羽を着始めたが、なかなか蒸せて気持ちの良いものではなかった。 そして、森林鉄道沿いを暫く歩くと本降りになった。 まぁ、これが行きだったらへこたれてしまうが、帰りなのでそんなに気にならない

雨降りも、荒川ダム近くまで来ると止み、空も雲の切れ目からが差し込んでくるようになった。
そして、荒川登山口に14時15分頃到着。

ベンチで休憩&合羽を脱いで乾かしている際、駐車整理をしている方と暫しお話をした。 その方は、先程通ってきた小杉谷集落出身で、昔の事をいろいろ教えてくれた

おじさんと30分ほど話をしていただろうか、 「森林鉄道がすぐそこのガーター橋を通過するところの写真を撮りたいなぁ」と話していたら、山の方から森林鉄道の音響いてきた。 Jr.は、早速、森林鉄道ガーター橋を通過するところの写真を撮るため、橋が眺められる地点まで走っていった。 するとちょうど、森林鉄道姿を表した。 始めに人の乗ったトロッコが、傾斜を利用して惰性を通過していく。 その後、気動車が続いてゆっくりと橋を渡っていった。 もぅ、何度もシャッターを押した
橋を渡った後、スイッチバックの様にして登山口に戻っていった。 暫しの興奮冷め終わらなかったのは言うまでも無い

下界は、山の上の方とは違って、綺麗な青空を拝むことが出来た。 気持ち良く宿に戻って、宿の子供とキャッチボールなどして少し遊んだ後、風呂に入って夕食を取り、明日の宮之浦岳登山の計画を練った。
明日に備えて、早々に就寝。


4月26日

外はまだ暗い。でも雨が降っていない事はわかる。天気は良さそうだ。 うつろうつろしながらも5時には宿を出発した。 6時前には淀川登山口に到着したが、こんな時間にもかかわらず既にライトバンが数台停めてあった。 こちらも邪魔にならないようバイクを道端に停めて登山の準備

6時に登山開始。暫く小刻みなアップダウンが続いた後、淀川小屋に到着。 噂通り綺麗山小屋でした。登山前日にここで宿泊する人が多いと聞いていたが納得。
小休止の後、出発。

花之江河に向かう途中、高盤岳展望台があるが、そこから望む山頂奇岩には驚かされた。 豆腐のように綺麗切られ並べられた様は、とても自然に出来たものとは到底思えない
自然の奥の深さを感じさせられた凄いオブジェだった・・・

01gw08.jpg

花之江河は、思いのほか期待外れだったので、水分補給休憩のみでさっさと出発。 この先、初日に泊まった宿で絶景と聞いた黒味岳に登る為に別ルートを取った。
さすがにメインルートから外れたので、急に人気が無くなり登山道も荒れてきた。 途中、道が不明瞭な所も若干あったが特に問題なく山頂に到着。
山頂には大きな岩が鎮座しており、その頂きに朽ちた木柱の根元部分が僅かに残っているだけの寂しい所だった。 でも、ここからは、360°屋久島山々見渡せ、目を下に移せば、先程までいた花之江河望むことが出来る。

黒味岳を降り、元のメインルートへ。
そこから投石岩屋付近で小休止、他の登山客と情報交換
宮之浦岳の先、永田岳が良いそうだ。 時間的余裕があったら行こうと考えた。

この後暫く進むと、またもや奇岩至る所から目に飛び込んできた。 なんとも摩訶不思議奇岩群に言葉もありません。
01gw09.jpg
本当に不思議!

奇岩群のすぐ先が栗生岳。そして栗生岳を過ぎれば宮之浦岳はもう目の前。
そして10時、遂に宮之浦岳山頂にたどり着いた。 九州最高峰宮之浦岳(1935m)から眺める風景は、
「本当にここって島なの?」
ってくらい山深い。 また、山頂は雲の上。下界は雲の下に隠れている。雲海が広がっている

01gw11.jpg

それにしても、今日はついている。 この屋久島で全く祟られなく登山が出来ているのだから
山頂で1時間弱ほど休憩。 先程、永田岳の情報を教えてくれた方が、永田岳登山を誘ってくれたが、時間的にちょい厳しいので断って下山することにした。

下山は思いのほか時間が掛からず、14時半頃には淀川登山口に戻ってきた。 帰りは、観光客の殆ど訪れないがコアスポットである松峯大橋経由で帰った。 そして、登山の疲れを癒すために楠川温泉(300円)に寄った。 たまたま、先客が居なかったので温泉を独り占め。 ここは、蛇口からのお湯も温泉なんですよ。 気持ち良く汗を流すことが出来た。

今晩は屋久島最後の夜。 夕食は宿に長期滞在している民俗学者?さんと宿の子供Jr.の3人で取った。 明日は種子島に渡る予定。 今日の内に荷物をまとめて、就寝。


4月27日

今日も天候は申し分ない。
種子島行きフェリーは、9時出航なので8時過ぎに宿を出発。 種子島行きフェリーは、町営フェリーだ。さすがに小さい。
しかし、今日の乗客全部3人・・・経営大丈夫?
1時間程の船旅。フェリー備え付けの毛布に包まって仮眠

10時10分に島間港に到着。 今回、種子島の情報を殆ど入手してなかったので港で調査。 案内板とタクシー運転手に聞いて出発。 県道75号門倉岬に向かう。
01gw12.jpg

種子島は、観光客が殆どいないのか、岬は清掃作業者の他は、Jr.一人。 鉄砲伝来地なのだが、本当に寂しい所だ。 観るべきものが無いのでさっさと出発。種子島宇宙センターに向かった。

NASDA宇宙科学技術館(無料)は、なかなか楽しめる施設だった。 特にロケット製作シュミレーションはなかなかのもんでした。
これは、まず幾つかのミッション(月輸送等)を選定し、エンジンを出力等を設定して打ち上げるものです。
結果はプリンタで出力されます。 ちなみに、Jr.の設計したロケットこんな結果になりました。

01gw27.jpg

館内を見学した後は、H−Uロケット実物大模型と、ロケット発射場を観て回った。 しかし、内之浦ロケット基地とは違い、間近で観れないのは非常に残念だった。 総合的には内之浦の方が楽しい
01gw13.jpg

宇宙センターを後にして、千座の岩屋に向かう。 見事な砂浜の脇に巨大海蝕洞があり、ちょうど潮がひいていたのか、海蝕洞中に入ることができた。 そこは海岸の洞窟。岩の柱に支えられ足元は砂浜になっているなんとなく不思議な感覚。 多分ここは、種子島で最も良かった所だと思う。

千座の岩屋を出発したのは13時も過ぎた頃。 地図を覗けば、種子島キャンプ場はかなり少ない。 よって、今晩のキャンプ地を見据えながらの行動に変更した。
県道を北上し中種子町へ。町のほぼ中央にある歴史民族資料館(157円,中途半端だなぁ)に寄る。 相変わらず、見学者はJr.一人。 展示物でのサトウキビの圧搾機(木製)は、結構関心物でした。 ただ、種子島って言ったら「鉄砲」なんだけど、鉄砲に関する資料については皆無だったのが残念。 中種子町とはあまり「鉄砲」とは縁が無かったのかな。

中種子町からはR58で北上、地図に載っている住吉キャンプ場に向かった。 しかし、そこにはキャンプ場らしきものは全然無く、あるのは「ガジュマル防潮林」だった。 しかも民家のすぐ横にあるのでとてもキャンプできるとは考えられないのでキャンプは諦めた

R58をさらに北上、西之表市街に入る。 途中、auショップtotoを購入。そして明日鹿児島に帰るフェリーターミナルに行き時刻表の確認をした。
そして、種子島開発総合センター(鉄砲館,310円)へ。 ここには国内だけでなく海外の鉄砲も沢山展示されており、なかなかの迫力です。ただ、写真撮影禁止なのが残念鉄砲伝来についてもいろいろ説明があり、なかなか楽しめます。 鉄砲以外にも、絶滅してしまったシマウマなる珍獣骨格などもあり、お勧めです。 あっという間に時間が過ぎてしまいます

鉄砲館を後にして、県道で浦田キャンプ場に行ってみる。 ここは、海水浴場でキャンプ場は砂浜の先、しかもこの時期は当然やってない。 レストハウスみたいな所の下はバイクが乗り入れでき、屋根付なので夕方にいけばゲリラキャンプも可能だと思う。 ただ、ここは風が強くなんとなく気に入らないので、一応の候補にはしたが、そのまま引き返した。
この先、喜志鹿崎ゲリラキャンプには良さそうだが、なにせ風が強く候補にはしたが撤収
この時点で、地図に載っているキャンプ場で残っている所は無い・・・。 だが、ひとつ考えていたことがある。 それは、先程寄ったフェリーターミナル。実はこの正面に公園があった。 ベンチなどは東屋の様になっていて、テント設営問題無いトイレもあるしもある。
こころはほぼ決まった

喜志鹿崎からは種子島の東海岸南下する。 途中、寂しげな海岸巨大貨物船?漂着して朽ちていた
その景色がとても印象深く、暫し黄昏てしまった

01gw14.jpg

その後、うら寂しかった馬立の岩屋や、パラボラが林立していた増田宇宙通信所に寄ってから、中種子広域農道西海岸に出て、再び西之表に向かった。 フェリーターミナルに着いたのは18時を過ぎたあたり。 そろそろ暗闇に支配されつつ公園にバイクを停め、テントを設営、夕食を作る。 屋久島はずっと宿だったので今回のツーリングでは初めての自炊となった。


4月28日

ラジオ天気予報では、今日の昼頃からだそうだ。しかも30日頃まで続くそうだ。あぁ、不安だ
フェリーのチケット販売は12時なのでまだまだ時間がある。 一旦、町の中に入って食料などを調達。 この時、新聞を購入しようとしたんだけど、ここは種子島新聞昼過ぎに到着するフェリーに積まれているので、今日の新聞は無いとの事。 なんと言うか、やはり島の暮らし不便だと実感してしまった。

フェリーターミナルに戻り怪しい雲行きを気にして、荷物にカバーを掛ける。 12時にチケットを購入。
鹿児島から到着したフェリーには生活物資コンテナに詰まれており、それを上げ下ろしするのに手間取っているらしく、乗船30分以上遅れた。 やっとフェリーに乗れるかと思った矢先に遂に雨が降り出した。 なんとか乗船までは合羽を着ずに済んだが、鹿児島では着なくてはならないかと思うと気持ち沈んでしまう。 しかもバイク最後の乗船になったので、2等船室は既に満杯状態。 やっとの事で場所を確保
フェリーは結局1時間近くの遅れで出発。

海は低気圧でしけており、鹿児島に着く頃には遅れ18時過ぎに到着。 合羽を羽織り鹿児島港に降り立つと、雨は一旦は止んでいるものの、路面ずぶ濡れわだちには水溜りが・・・
沈む気持ちを抑えて、今晩のキャンプ場を目指す。 そこは、99年5月4日に泊まったキャンプ場(公園)だ。 東屋があり、中にバイクとテントを入れてしまおうと考えているのだ。 ここなら以前泊まってわかっているし、あまり人目につかないし、連泊も可能と判断したから。

鹿児島市内で給油を済ませたあたりから再びが降り出し、雨の勢いは北上するに連れて増してくる。 さらに日が落ち、暗くて走りにくい住吉池公園に着くころには、19時をとうに過ぎていた。 街灯の明かりを頼りに東屋にバイクを入れ、テントを張った。 やっと落ち着き夕食の準備。 それにしてもだんだん激しくなる。東屋を叩きつける雨音凄い。 横風でテントにもしぶきがかかるが、さすがに東屋の中なので全然平気。 つくづくここを選んでよかったと思う。


4月29日

昨晩からの大雨は衰えを見せず、激しく降り続いた。 この状況では連泊確定。 テントの中で、ラジオを聞きながらゴロゴロ。 トイレ以外はずっとテントの中
鹿児島から奄美大雨警報屋久島種子島降雨量200mm越えたらしい。 数日前まで走っていた屋久島県道通行止らしい。 全くもって助かった

夕方になって小康状態になった。 それでも殆どテントから出ないまま日が暮れた。 今まで連泊はした事はあったが、こんな連泊は初めてだった。
01gw15.jpg


4月30日

昨日、Jr.に遅れること1週間、九州ツーリングに出発した雷蔵夫婦と連絡を取ったら、霧島キャンプ場連泊すると聴いたので、そちらに向かうことにする。 まだは降っているが、そろそろ以外の食料が底をついてきたのと、2日間ほど風呂に入ってないので体を洗いたいのだ。 その為には、やはり出発しなくては。 幸い、天気予報では天候は回復傾向
雨が弱まった10時に出発。

蒲生町日本一クスを覗いた後、県道42号樋脇に向かった。 道の駅樋脇には市比野温泉から温泉を引いてあるとの事で行ったのだが、シャワーしかないようなので断念。 あまりずぶ濡れ公衆浴場とかは行きにくいので期待した道の駅だったのに残念
樋脇からは、県道33533351406R267に出てR504薩摩町を目指した。

薩摩町に向かう目的は、旧国鉄宮之城線薩摩永野駅跡を見に行くことだ。 97年宮之城線跡を探索した時は大雨薩摩永野駅跡探索を断念した経緯かあったので是非行きたかった場所だったのだ。 今回もに祟られてはいるが、雨は段々小降りになり降ったり止んだりを繰り返しているので問題無い

薩摩永野駅はバス停として綺麗な状態で使用されていた。 しかし残念な事に、駅の鉄道記念館にはがかかっており、中を見学することが出来なかった泣く泣く去ることにした。

県道50号横川に向かい55号R268で北上。
京町auショップでまたもやtotoを購入。R221に乗り換え、小林市に向かう。 話のネタにと陰陽石を見に行く。ついでに温泉も入れればいいかなぁって考え。
陰陽石は、あぁ、これねって感じ。 こういった場所に男一人って・・・。 写真を撮ってそそくさ帰りました。

小林市内で食料を購入、目指すは霧島高原キャンプ場えびのスカイラインを一気に登る。途中からが立ち込み、視界が奪われる。 前の車のテールランプを頼りに走る。 えびの高原を過ぎ霧島スカイラインを下り温泉街に近づくとも晴れてきた。 キャンプ場へは問題なく到着。雷蔵氏のテントも確認。 早速受付を済まし、近くにテント設営。 このキャンプ場には温泉併設されており、早速温泉に浸かる。 今日は、雨で気温も低かったので、もうサイコーですよ。 本当に気持ち良い温泉でした。

雷蔵夫婦はまだ戻ってきてないので、軽くビールを飲みながら待つことにする。 そして、暫くして二人が現れた。 買出し等もろもろ済ませた後で、宴会が始まる。 外は小雨交じりなので、雷蔵氏のテントの前室で行なった。 それにしても、夕食のレパートリーといい雷蔵夫婦すごいですなぁ


5月1日

朝食を済ませた後、雷蔵夫婦山の城温泉に向かった。
Jr.は、テントを乾かして撤収準備。 結局、小雨が降ったりして雷蔵夫婦が戻ってくるまで掛かってしまった。

牧園広域農道等を走り栗野に出て、そこからR268菱刈大口に向かう。 ここも廃線跡と並走していく。
途中から曽木の滝の看板が至る所に見受けられたので向かった。 地図にも東洋のナイアガラなんて書かれているしね。
滝は・・・はぁ、そうですかって感じ。 写真を撮ってさっさと出発。県道48号で出水市に。

出水市から県道と国道を乗り継いで長島に渡る。 R389をひた走り、蔵之元港には13時ジャストに着いたが、ちょうどフェリーが出航してしまう所で、14時の便まで待つことになった。
このフェリーは92年日本一周途中に土砂降りの中、牛深から乗ったことのあるフェリー。 当時は、土砂降りの中を走ることだけで精一杯で、周りの風景なんて目に入らなかった場所でもある。

時間が余ったので、今晩のキャンプ場選定を考えていた。 牛深に渡ってからは崎津天主堂大江天主堂のだけは見たいと考えていたので、そこを通過しながらいけるポイントを探した。 あと、またもや天候が芳しくなく、今晩も雨模様みたいなのでその辺も考慮したい。

牛深行きフェリーにはバイクだけでも10台以上外人ライダーもいた。
フェリーは30分ほどで牛深に到着。 牛深ハイヤ大橋に行こうかなとも思ったが、そのままR380を北上、崎津天主堂を目指す。 地図には岬を巡る道を進むと天主堂の景色が良いと書いてあるのでその通りに走る。 案の定、入江を挟み、漁村から望む天主堂はなかなか様になっていた
入江を沿って崎津天主堂に向かう。
天主堂は幼稚園併設みたいだった。中を覗いてみたかったが、が掛かって覗けなかった。 それでも、漁村にしっくりとした落ち着いた感じでとても良かった。

01gw16.jpg

次は大江天主堂。こちらは山の中腹に現れた白亜天主堂。 こちらは中まで見学が出来た。 崎津とはまた違った印象天主堂だった。

この後、下田温泉に行き、食料を調達、キャンプ場を目指す。 キャンプ場には、誰もいないのでなんか寂しい。 とりあえず受け付けのところで呆けていると の人が来てホッとした。 そして今晩のキャンパーは2名のみだった。 夜からはが降ったが、今晩は屋根付だったので問題なかった。


5月2日

昨晩からのは一応止んではいるものの、路面は完全に濡れている。 鬼池港からのフェリーに乗るにはかなり厳しい時間だったので、合羽を着る時間が惜しくて、XCの人と出発。 でも、路面が濡れているので、前輪が巻き上げた水しぶきであっという間にずぶ濡れに。 フェリーに乗り遅れちゃまずいと急いでいるので仕方無くそのままずぶ濡れ状態で走り続けた。
で、結局フェリーには・・・乗り遅れました・・・

フェリー乗り場では、ストーブが焚かれていたので、そこでズボン乾かす。 あまり乾いたとは言えないが少しはましになった。
そして8時の便で口之津に向かった。

口之津港XCの方と別れて出発。 雨は降ってないが、先ほどの事もあるので合羽を着込む。
R251を走り、島原の乱で有名な原城跡に行く。 城跡石垣のみが残っている。 でも城跡には説明板(声の出る)等があり、じっくり島原の乱について考えることが出来る。

R251をさらに進み深江道の駅に向かう。 記憶にも新しい雲仙普賢岳災害現場保存しているこの施設。 この付近は92年日本一周ツーリングでは立入禁止で行けなかった所でもある。
道の駅には土石流埋もれた家屋移設して保存していた。 なんともすさまじい自然の力をまざまざと見せ付けられた。
でも実は道の駅周辺の方が凄かったのだ。 周辺には、沢山の土石流に飲まれた家屋放置されたままなのである。 とかく目の行かない場所を観るに、まだまだ復興進んでないんだなぁと考えさせられた。
あと、この道の駅は温泉があったのでズボンを乾かす口実もあり入ることにした。 まだ11時前なので入浴客は数人。 寒さもあって体が心から暖まりました。

この後、雷蔵夫婦が連泊すると連絡していた、雲仙キャンプ場に向かったが、と小雨っぽかったのでとりあえずは素通りカステラを買い求めるために長崎に向かった。
小浜からは、温泉軽便鉄道廃線跡を望みながら長崎に向かった。 あまり事前情報を収集しなかったので、道なりに進み、遺構を見つけたら寄るっと言った感じで流していった。

01gw17.jpg

愛野町からR251長崎へ。
Jr.お気に入りグラバー園近くのカステラ屋を目指す。 グラバー園には13時過ぎに到着。 高校の修学旅行では、時間の関係で入らなかったグラバー園(600円)を見学する。 グラバー園中の喫茶店に入り、カステラコーヒーセットを注文、暫しの休憩。 贅沢でほっとしたひとときだった。

目的カステラをしこたま買い込み、ゆうパックで送る。 そして、中華街周辺を歩いていたら雷蔵夫婦バッタリ。 今日のキャンプ場の事を聞いて、Jr.は一足先に帰ることにした。
行きとほぼ同じルートで戻る。
行きに見つからなかった廃線跡をたどりながら、そして、食料を調達してキャンプ場には18時半頃到着。

キャンプ場には、雷蔵夫婦よりさらに遅れて九州入りした船長氏がいた。 2人共、雷蔵氏のテントの近くにテントを設営。 キャンプ場で聴いた温泉に向かった。
しかし、向かった公衆浴場お休み。 仕方無くキャンプ場に戻ると、他のライダーから別の場所を教えられた。 しかし、Jr.はもう面倒になったし、今日は既に一度温泉に入っているので諦めた。 でも、船長氏は諦めきれずにその場所に向かった。

雷蔵夫婦と船長氏を待っていたが、なかなか帰ってこないので一人で軽く飲み始めた。
その内、船長氏が戻って来て、そして雷蔵夫婦が戻ってきた。
そして、4人で楽しい宴会が続いた。


5月3日

みんなと別れ、北上して日本本土最西端に行くことにした。 県道128号木場に行き、そこからR57を走り、諫早からR34へ。 それにしてもこのR57からR34に入る交差点変な感じよーわからん
東彼杵R205ハウステンボスを横目で見ながらR35に乗り継いで佐世保へ。 そのまま休憩無しで、県道を使って神埼鼻に向かった。 途中、臼ノ浦線廃線跡がちょこっと望めた。 そしてその先、小佐々町西川内橋が気に入って小休止

01gw18.jpg

そこから少し走って、日本本土最西端神崎鼻13時に到着。 やはり端っこ好きな人が多いのか、ライダーが何人もいた。 駐車場から少し歩いた所に最西端記念碑がある。 早速写真撮影。 そういや、最西端訪問証明書を役場まで行けばもらえるそうだが、ここは諦めて出発する事にした。
01gw19.jpg

冷水岳に寄ってから佐々町に向かい、R204吉井町、ここから世知原線廃線跡と並走。 世知原を越えて本当は粟の木峠(旧道)に行きたかったんだけど、ルートロストして気付いたら国見国道(有料道)に入ってしまった。 仕方無く料金を払い、R498を走る。

R202との交差点で、Jr.は地図とにらめっこ。 実はこの先、何処に行こうか全く考えてなかった。目的がなくなっていた。 自分自身何処に行きたいのか、わからなくなっていた。
結局何処に行きたいのかもはっきりしないまま、東に向かって走り出した。

R498R34佐賀へ。 そこからR208で南東方面に進む。 そして諸富橋の所で驚いた。
すっかり忘れていた。ここには佐賀線廃線跡筑後川橋梁がある事を。 目に飛び込んできた光景はまさしくその橋梁であった。 早速橋の袂に向かう。

橋は整備され、今は観光用稼動中だ。 線路が外されているのは残念だけど、こうして保存されてるんだから良しとしなくては。 一旦橋の中央まで歩き可動部を眺め感動していた。 ちょうど操縦席に可動橋の時刻表が貼ってあり、それにはもうすぐ本日最後の可動時間が記載されていた。 この可動をぜひ橋全体を見渡せる中州から見たいと思い、駐車場に急いで戻り、中州に向かった。

中州に着き、写真場所を探し撮影体制万全にした。 すると、遂に動き出しました橋中央部少しずつ上昇していくのが。 橋が完全に上昇するまで大体10分程度でしょうか。 もう、感激しながら眺めました
01gw20.jpg

大感激の後、R208をひたすら南下していた。 岱明町無料キャンプ場、そして温泉が近くにあると地図に記載されているので、そこを目指す。 しかし・・・、キャンプ場はどうしても見つけられなかった
仕方無くコンビニで休憩してもう一度地図とにらめっこ。 その時、同じくコンビニでキャンプ場探しをしている ZEP1100 のライダーに話し掛けられた。 その人によれば、キャンプ場は一応見つけたが、駐車場からかなり歩かなくてはならず、しかもお墓などの裏手にあるのだそうだ。 それを聴いて、キャンプ場は諦めた
さて、どうしよう。 地図を見ても周辺には他のキャンプ場は見当たらない。 熊本健康ランドが候補に上がる地ビール園併設の誘惑が
ここで気分を落ちつかせるため、今朝別れた船長氏に電話してみる。 すると船長氏は、阿蘇のキャンプ場に居ると言う。 地図で確認してみる。 一気走りで2時間ちょっとといった所だ。 時間は既に18時をまわっているが、もう拠り所はそこしかなかった。 ZEP1100の人と阿蘇に向けて出発した。 当然、1100cc4発330cc単発では、どうしようもない速度差があるの別行動だが。

暗闇の道を走り通して21時にやっと阿蘇のキャンプ場に到着。 暗がりの中、ZEP1100ライダー船長氏と話をしながらテント設営。 夕食は、途中で購入したコンビニ弁当で済ます。
とにかく疲れた一日になってしまった。


5月4日

起きるとZEP1100ライダーは既に出発していた。 船長氏今日のフェリーで帰るので早々に出発。 Jr.はテントを乾かしながら、今日の行程を考えていた。
阿蘇東の日ノ尾峠湧水トンネル公園に行くことだけとりあえず決めて出発。

日ノ尾峠に向かう道がなかなか見つからなかったが何とか見つけて峠へ。 峠までは1車線のうねうね道だが舗装済。 峠を過ぎてからは未舗装路。 思いのほか急斜面ゴロゴロ。 荷物満載のDRで必死に走る。 だが、それもあっという間に舗装路になり、完全舗装になるのも時間の問題ではないかと思われた。

次は湧水トンネル公園。 ここは高千穂線未成区間の内、高森トンネル跡。 このトンネル工事中異常出水事故が原因の一端で開通することなく終わってしまった未成線跡なのだ。
公園には思いのほか観光客が多くビックリしてしまった。
トンネル内はいろいろ飾り付けられていい感じだった。 公開されているトンネル最奥には水神様が祭られていたり、 なる噴水があり楽しませてくれる。

さて、この後どうしようかと考えた時、空を仰げば晴れ。 そしてすぐそこには日本百名山阿蘇山がそびえている。 しかも阿蘇高岳は、ロープウェイを利用すれば、簡単に登れる山だ。 時間もまだ10時を過ぎたばかりだ。
そうなれば・・・、
登山でしょう! 阿蘇登山道を利用して阿蘇町に回り、仙酔峡道路仙酔峡に。 ここからロープウェイ火口東に着いたのは、12時少し前。

01gw21.jpg

すぐ目の前にある楢尾岳には向かわず、目的の高岳方面に向かう。
火口東展望所からの火口の眺めは火口西阿蘇町営道路側から見る火口とはかなり違った印象を受けた。 ここから中岳まで一気に高度を稼ぐとその後は思いのほか楽な行程高岳山頂へはあっという間に登頂する事ができた。
それにしても、草木の全く無い風景すさまじい
月面旅行でもしている感じだ。

01gw22.jpg

再びもと来た道を戻る。 中岳まで戻ってきた所で、火口西の駐車場付近から火山性有毒ガス濃度上昇による退避放送が流れてきた。
さすが活火山と唸ってしまう。 Jr.のいる火口東にいる人達はその放送を聴くも「関係ない」と言った感じで別段何かするわけでなかった。
中岳から火口東展望台に着く頃には、再び「避難勧告」の放送が流れてきた。 さすがに西側の駐車場は車が一気に減ったが、こっち(東側)の連中は関係ない。 のほほんと火口を眺めていく。

火口東からは楢尾岳に足を伸ばすも、あまりにも観光地していて癖癖してしまった。 さっさとロープウェイ仙酔峡に戻る。 15時過ぎに出発。

もう、今晩のキャンプのことを決めないといけないが、もう仙酔峡決めていた。 昨日泊まった坊中キャンプ場だ。
早々とキャンプ場に戻り、テント設営。 その時、同じ千葉県からのライダーに話し掛けられ嬉しかった。 その人達もJr.と同じく明日のフェリーで帰るそうで、いろいろお話することが出来た。

昨日が散々だったのに対して今日は早々にキャンプの準備が整った。 近くの温泉に入って食料を調達して、夕食を食べ終わる頃にやっと日が完全に落ちた。 明日、九州を離れるとあって夕食後暫くは夜空を眺めていた


5月5日

遂に今日で九州ともお別れ。 今日の行程はずいぶん前から行きたかった内大臣林道椎葉林道につきる。

阿蘇登山道白水に行き、県道319号清水峠越えの後、R218通潤橋へ。
通潤橋は、工事中なのかそれとも危険防止のためか、橋にはネットみたいのが張ってあった。 なんか興ざめなのですぐに出発し、県道180号内大臣橋に向かう。 99年GWツーリング気に入った写真を撮ることに出来た内大臣橋だけに「今回もっって期待で向かったのだ。

内大臣橋は2年前とだいぶイメージ変わっていた。 まず、橋の色が赤色から薄紫色になっていた。 さらに橋の両脇の危険防止のためか、追加されて高くなっていた。 見比べてみると違いが一目瞭然。 あぁ、迫力が少し減ってしまった感じ・・・。
01gw23.jpg

内大臣橋からすぐ、内大臣林道が始まる。 交差点からいきなりのダートフラットダートで走りやすい。荷物満載でも楽々走ることが出来た。 思いのほか通行量があったが今回唯一の本格林道ウキウキ気持ち良く走ることが出来た
01gw24.jpg

椎矢峠には10時過ぎに到着。 憧れていた椎矢峠碑感激です。 雲行きが怪しいのが残念だが、九州最終日にここに来れて本当に良かった。 もぅ何枚も写真撮りましたよ。
01gw25.jpg

楽しかったダートも終わり、椎葉に向かって淡々と走っていたが、上福良橋を渡った所に無人販売所があったので急停止。 この無人販売所は、野菜等の他に漬物赤飯まで置いてある。 時間は11時をまわったところ。小腹が空いていたので、ここで漬物赤飯を購入。 共に100円非常お手軽。 漬物は今晩のフェリー用に半分残しておく。 それにしても、こんな所で美味しい物をゲットできてニンマリです。
01gw26.jpg

椎葉では、鶴富屋敷民族芸能博物館を見学。 特に民族芸能博物館はかなり充実した内容です。 郷土資料館の類は、大抵見学者はJr.一人なのだが、さすがにここは何人も見学者がいた。

さぁ、ここからはフェリーの時間を考えながらの行動になる。 とは言え、まだ12時半過ぎ。 まだちょっと余裕があるので、小屋の平林道柏原中山林道経由でR388に向かう。
この2つの林道、走ってみると看板などが全然無いので本当に道が合っているのか判らず、ちょい不安になってしまった。

R388大河内越を越えR265西米良村へ。そこからR219西都市方面へ。 雲行きが段々怪しくなって遂に降り出してきた。 しかもいきなりの強い雨幸い雨宿りできる所があったので、バイクを乗り付けて合羽を着て、荷物にカバーを被せた。

西都市に着く頃には完全に雨は止んでいた。
西都市内では、妻線(1984年廃線妻駅跡を探した。 駐車場に妻駅看板だけが残るのみ。
西都市からR219を走ると、妻線廃線跡を眺めながらの走行になる。

ついに宮崎市に入る。途中、宮崎シーガイヤを覗いてフェリーターミナルへ。 時間がまだあったので、市内に入って軽く食事をして、フェリー用食料等を調達して戻る。
満を持してフェリーに乗り込む。 二等寝台は思った通りライダーが集まっていた。 暫しの間、ビール片手にツーリング談義


5月6日

久し振りのベット。ぐっすり寝れました。 朝一でお風呂に入ったら風呂上りのビール。 そしてベットに寝転びながら、昨日買ったOUTRIDERRIDINGSPORT日本GPを読みふける。 そして昼頃また寝る。
だから、あっという間に川崎港に到着。 しかしバイクは一番最後なので、下船までバイクの所で待ちぼうけ状態。
やっとのことで下船したら家に向かって一気に走る。 19時過ぎに自宅に到着。
こうして16日間2215kmのツーリングが終了した。


[戻る]


本ホームページの画像等、DATAの
無断転載・複製は禁止ですぅ