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途中集合者 ・雷蔵夫婦:TT−R RAID & DR250R ・船長氏:XJR400 ・Jr.:DR330SH さて、当初は2週間の休暇を取得したので沖縄(特に石垣島)に行こうと画策していたが、フェリー等の諸問題にぶち当たり、あえなく断念。 しかし、この長期休暇を有効に活用するよう検討して、屋久島メインのツーリングを計画・実行した。 縄文杉・宮之浦岳等、充分に屋久島を堪能しました。 その後、種子島・九州を満喫したツーリングでした。 仕方無く雨の降る中、15時に出発。 2時間弱で川崎フェリーターミナルに到着。 予想はしていたが、GW前なので人がまばら。なんだか寂しげな雰囲気。 フェリーには19時過ぎに乗船。 今回2等寝台なんだけど、1ブロック18人の部屋にJr.一人だけ。 もぅ気分は一等寝台みたい。 早速ビールを片手に夕食。一人チビチビと過ごし、就寝。 夕刻に宮崎港に入港したが、1時間以上の遅れで到着。 結局18時20分頃下船。 今日はこの後、鹿児島まで走り、明日の屋久島行きフェリーに乗る予定。 今晩はフェリーターミナル付近で野宿しようと考えていた。 宮崎からR269で都城まで行き、そこからR10で一気に鹿児島まで行った。 鹿児島には22時頃到着。 まず屋久島行きのフェリーターミナルの場所を確認してから市街のファミレスで夕食&仮眠。 25時にファミレスを出て、フェリーターミナルの駐車場に行き、駐車場隅にテントを設営して就寝。 フェリー受付を済ませ乗船。バイクは2700円と良心的だったが、人が5200円と結構なお値段。 昨晩はあまり寝られなかったので、フェリーで爆睡。あっという間に屋久島に到着。 屋久島は、「1ヶ月に35日雨が降る」と言われていたが、とりあえずは今日は晴天。 今日は雨の心配はなさそうだ。 まずは今夜からの宿探し。 今回は雨の非常に多い地域であり、登山メインを考えていたので、贅沢だが宿を考えていた。 また、宮之浦岳縦走を検討していたので、登山者が集まりそうなところを考えていた。 まずはフェリーターミナルで情報集め。ライダーハウスをはじめ、各種宿情報を入手。 1泊1000円の宿を見つけるも留守電で繋がらない。 仕方無く、今日は島を一周しながら宿について検討することにして出発。 時計回りに島巡り。途中、空港近くのライダーハウスによって状況を聞いたが、宿泊者で登山する人はいないらしいので諦め。 次に空港横の観光案内で登山客の集まりそうな宿を聞くと、「晴耕雨読」(素泊り3500円)と言う素泊り宿を紹介された。 結局その宿を確保して、島巡りを再開。 明日からの登山等をする際、必ず通る道が県道592号。 安房から592号に入り、まずは荒川分れまで行く。 そこから宮之浦岳登山口の淀川口に行く。 淀川口手前の紀元杉を眺め、早くも屋久杉とご対面。 道のすぐ横にあるので手軽に体験できる屋久杉。 ![]() その後、千尋滝に向かった。 千尋滝は、巨大な岩盤から流れ落ちる壮大な滝で思わず圧倒された。 次に向かった大川の滝はこれまた迫力ありました。 共に迫力のあるすばらしい滝でした。 大川の滝より島の西側の道は通行量皆無の細い道で寂しげな道だった。 細くクネクネした道を淡々と走ると永田岬の看板が。 少しわき道を進むと突端に屋久島灯台が。 しかも沖合いには口永良部島が望めた。なかなか良い。 島を一周して今晩の宿へ。途中スーパーで夕食を調達して「晴耕雨読」へ。 宿は、「とほ宿」の様な雰囲気(個室だけど)。 それにしてもこの日の宿泊客が濃いメンツだったのには驚いたが・・・。 その日の宿泊者の中には、雑誌「ダ・ヴィンチ」の取材スタッフと田口ランディさんがいた。 「聖地巡礼」という連載の取材らしい。 このグループの宴会が凄かった。一緒に飲んだが、ランディさんが仕切って宴会が進む。 しかも途中からは、宿主率いるバンドの乱入!?で夜中まで騒いだ。 (メンバーには写真家の山下大明さんもいました) さすがに夜遅くなるとJr.は睡魔でヘロヘロ。 結局25時頃まで付き合わされた。 (この辺の詳細?は「ダ・ヴィンチ」7月号の「聖地巡礼」にちょこっと載ってます) 昨日あんだけ遅かったのに、田口ランディさん達は元気だ。 メンバーは、今日は白谷雲水峡に行くそうだ。 ここなら近くて時間もそれ程要しないので、天候不順の今日にはぴったりだ。 よって、Jr.も今日は白谷雲水峡に行くことに決めた。 「晴耕雨読」を出発して、フェリーターミナルの案内所で再度1000円の宿「屋久の里」に連絡を取ってもらい、宿に向かった。 宿は想像していたのとは異なり、1泊1000円とは思えない、Jr.には十分過ぎる宿であった。 とりあえず、ここで3泊するつもりだ。 宿に荷物を置いて、白谷雲水峡に向かった。 雲行きは怪しかったがしばらくは持ちそうだ。 10時半前に入り口に到着、管理棟で300円を払い、出発。 歩き出して暫くすると、立派な屋久杉が次から次へと現れた。 屋久杉が現れる度写真を撮ったもんだから、なかなか足が進んでいかない。 鬱蒼とした原生林に濃い緑。屋久島に来ている事を体中で感じました。 途中、田口ランディさん達に会い、少し話して、先に進んでいった。 屋久鹿にも出会った。そして、辻の岩屋を目指して登りつづけた。 辻峠手前辺りから、小雨が降り出して来たのだが、森の木々に遮られて、雨粒は殆どかからなかった。 辻峠で少し休んだ後、今日の最終目的地である辻の岩屋に向けて出発。 辻峠から辻の岩屋までは道が判り難かったが、30分もしないで到着。 小雨交じりで空が暗いのが残念であるが、とてもいい所だ。 聞いた話ではアニメ「もののけ姫」の場面設定にも使用されたそうだ(「もののけ姫」は観た事無いのでわからんが)。 ![]() 白谷小屋では、土砂降りになったのでトイレ休憩&雨宿り。 雨の勢いは衰えそうも無いので、20分程休憩した後出発。 帰りということもあり、行きに観に行けなかった弥生杉行きルート以外同じ道なので、さっさと歩く。 15時少し前に管理棟まで戻り、東屋で一休憩し、土砂降りの中、宿まで戻った。 そう言えば結局、宿には登山者がいなかったので、宮之浦岳縦走は諦めて各々Uターンする事にした。 明日の縄文杉・ウイルソン株探索に備えて早めの就寝。 覚悟はしていたが、げんなりとしてしまう。 それでも天気予報によれば、昼間は雨は一旦やむ様な事を言っているのが救いか。 結局、雨なのでグズグズして、6時過ぎに出発。 7時に縄文杉探索の玄関口、荒川登山口に到着。 ちょうど、GWを前にして、工事を行っており、車だと駐車場が閉鎖されていたが、バイクは入れてくれた。 ここに着く頃には雨も上がり所々に晴れ間まで見える。良かった。これで楽しく行けそうだ。 荒川登山口からは、森林鉄道線路上を進んでいく。 これが思いの外歩きにくい。歩幅と枕木の間隔が合わず、かえって登山道の方が歩きやすい。 唯一、道が平坦であることは救いであるが。 ![]() 小杉谷を過ぎ、昨日の辻峠に通じる道との分岐になる「楠川分かれ」に着いたとき、後方から妙な音が近づいてきた。 振り返り暫く静観していると、音は次第に大きくなり、それが森林鉄道の気動車の音であるのが確認できた。 驚きの中、森林作業者の乗せた森林鉄道が線路脇に退避したJr.の目の前を警笛を鳴らして過ぎ去っていく。 慌てて写真を撮ったがどうしたもんか。 鉄道が現役だなんて聞いてなかった。 それが、当たり前のように目の前を走り去っていったのだ。 混乱と興奮のぐちゃぐちゃ状態。 ![]() 大株歩道入口で線路跡ともお別れ。ここからが登山道。 ここを進んでいくと、いたる所で木道の資材が置かれていた。 さらに進むと、登山道整備の工事が急ピッチで行われていた。 真新しい木道が敷き詰められていたり、取り付け中だったり。 やっとのことでウイルソン株に到着。 目の前に現れたウイルソン株の大きい事大きい事。 圧倒されてしまいます。 株の中に入ると、小川が流れ、祠があり、空洞から光が注ぎ、なんとも言えない不思議な気分でした。 ![]() そして遂に目の前に忽然と現れました。 そのあまりにも神秘的で他を圧倒する姿を目の当たりにして、暫し言葉になりませんでした。 ![]() 高塚小屋を訪れた後、来た道を戻る事にする。 再び、縄文杉で足を少し停めていると、鉛色の空から小雨が降り始めた。 雨が酷くならない内にと少し帰りを急いだ。ウイルソン株を過ぎ、大株歩道を過ぎて暫くすると雨が少しずつ降りがまとまってきた。 ![]() 雨降りも、荒川ダム近くまで来ると止み、空も雲の切れ目から陽が差し込んでくるようになった。 そして、荒川登山口に14時15分頃到着。 ベンチで休憩&合羽を脱いで乾かしている際、駐車整理をしている方と暫しお話をした。 その方は、先程通ってきた小杉谷集落出身で、昔の事をいろいろ教えてくれた。 おじさんと30分ほど話をしていただろうか、 「森林鉄道がすぐそこのガーター橋を通過するところの写真を撮りたいなぁ」と話していたら、山の方から森林鉄道の音が響いてきた。 Jr.は、早速、森林鉄道がガーター橋を通過するところの写真を撮るため、橋が眺められる地点まで走っていった。 するとちょうど、森林鉄道が姿を表した。 始めに人の乗ったトロッコが、傾斜を利用して惰性で橋を通過していく。 その後、気動車が続いてゆっくりと橋を渡っていった。 もぅ、何度もシャッターを押した。 橋を渡った後、スイッチバックの様にして登山口に戻っていった。 暫しの興奮が冷め終わらなかったのは言うまでも無い。 下界は、山の上の方とは違って、綺麗な青空を拝むことが出来た。 気持ち良く宿に戻って、宿の子供とキャッチボールなどして少し遊んだ後、風呂に入って夕食を取り、明日の宮之浦岳登山の計画を練った。 明日に備えて、早々に就寝。 6時に登山開始。暫く小刻みなアップダウンが続いた後、淀川小屋に到着。 噂通り綺麗な山小屋でした。登山前日にここで宿泊する人が多いと聞いていたが納得。 小休止の後、出発。 花之江河に向かう途中、高盤岳展望台があるが、そこから望む山頂の奇岩には驚かされた。 豆腐のように綺麗に切られ並べられた様は、とても自然に出来たものとは到底思えない。 自然の奥の深さを感じさせられた凄いオブジェだった・・・。 ![]() さすがにメインルートから外れたので、急に人気が無くなり登山道も荒れてきた。 途中、道が不明瞭な所も若干あったが特に問題なく山頂に到着。 山頂には大きな岩が鎮座しており、その頂きに朽ちた木柱の根元部分が僅かに残っているだけの寂しい所だった。 でも、ここからは、360°屋久島の山々を見渡せ、目を下に移せば、先程までいた花之江河を望むことが出来る。 黒味岳を降り、元のメインルートへ。 そこから投石岩屋付近で小休止、他の登山客と情報交換。 宮之浦岳の先、永田岳が良いそうだ。 時間的余裕があったら行こうと考えた。 この後暫く進むと、またもや奇岩が至る所から目に飛び込んできた。 なんとも摩訶不思議な奇岩群に言葉もありません。 ![]() そして10時、遂に宮之浦岳山頂にたどり着いた。 九州最高峰の宮之浦岳(1935m)から眺める風景は、 「本当にここって島なの?」 ってくらい山深い。 また、山頂は雲の上。下界は雲の下に隠れている。雲海が広がっている。 ![]() 山頂で1時間弱ほど休憩。 先程、永田岳の情報を教えてくれた方が、永田岳登山を誘ってくれたが、時間的にちょい厳しいので断って下山することにした。 下山は思いのほか時間が掛からず、14時半頃には淀川登山口に戻ってきた。 帰りは、観光客の殆ど訪れないがコアなスポットである松峯大橋経由で帰った。 そして、登山の疲れを癒すために楠川温泉(300円)に寄った。 たまたま、先客が居なかったので温泉を独り占め。 ここは、蛇口からのお湯も温泉なんですよ。 気持ち良く汗を流すことが出来た。 今晩は屋久島最後の夜。 夕食は宿に長期滞在している民俗学者?さんと宿の子供とJr.の3人で取った。 明日は種子島に渡る予定。 今日の内に荷物をまとめて、就寝。 種子島行きフェリーは、9時出航なので8時過ぎに宿を出発。 種子島行きフェリーは、町営のフェリーだ。さすがに小さい。 しかし、今日の乗客は全部で3人・・・。経営大丈夫? 1時間程の船旅。フェリー備え付けの毛布に包まって仮眠。 10時10分に島間港に到着。 今回、種子島の情報を殆ど入手してなかったので港で調査。 案内板とタクシー運転手に聞いて出発。 県道75号で門倉岬に向かう。 ![]() NASDAの宇宙科学技術館(無料)は、なかなか楽しめる施設だった。 特にロケット製作シュミレーションはなかなかのもんでした。 これは、まず幾つかのミッション(月輸送等)を選定し、エンジンを出力等を設定して打ち上げるものです。 結果はプリンタで出力されます。 ちなみに、Jr.の設計したロケットはこんな結果になりました。 ![]() ![]() 千座の岩屋を出発したのは13時も過ぎた頃。 地図を覗けば、種子島のキャンプ場はかなり少ない。 よって、今晩のキャンプ地を見据えながらの行動に変更した。 県道を北上し中種子町へ。町のほぼ中央にある歴史民族資料館(157円,中途半端だなぁ)に寄る。 相変わらず、見学者はJr.一人。 展示物でのサトウキビの圧搾機(木製)は、結構関心物でした。 ただ、種子島って言ったら「鉄砲」なんだけど、鉄砲に関する資料については皆無だったのが残念。 中種子町とはあまり「鉄砲」とは縁が無かったのかな。 中種子町からはR58で北上、地図に載っている住吉キャンプ場に向かった。 しかし、そこにはキャンプ場らしきものは全然無く、あるのは「ガジュマル防潮林」だった。 しかも民家のすぐ横にあるのでとてもキャンプできるとは考えられないのでキャンプは諦めた。 R58をさらに北上、西之表市街に入る。 途中、auショップでtotoを購入。そして明日鹿児島に帰るフェリーターミナルに行き時刻表の確認をした。 そして、種子島開発総合センター(鉄砲館,310円)へ。 ここには国内だけでなく海外の鉄砲も沢山展示されており、なかなかの迫力です。ただ、写真撮影禁止なのが残念。 鉄砲伝来についてもいろいろ説明があり、なかなか楽しめます。 鉄砲以外にも、絶滅してしまったシマウマなる珍獣の骨格などもあり、お勧めです。 あっという間に時間が過ぎてしまいます。 鉄砲館を後にして、県道で浦田キャンプ場に行ってみる。 ここは、海水浴場でキャンプ場は砂浜の先、しかもこの時期は当然やってない。 レストハウスみたいな所の下はバイクが乗り入れでき、屋根付なので夕方にいけばゲリラキャンプも可能だと思う。 ただ、ここは風が強くなんとなく気に入らないので、一応の候補にはしたが、そのまま引き返した。 この先、喜志鹿崎もゲリラキャンプには良さそうだが、なにせ風が強く候補にはしたが撤収。 この時点で、地図に載っているキャンプ場で残っている所は無い・・・。 だが、ひとつ考えていたことがある。 それは、先程寄ったフェリーターミナル。実はこの正面に公園があった。 ベンチなどは東屋の様になっていて、テント設営も問題無い。トイレもあるし水もある。 こころはほぼ決まった。 喜志鹿崎からは種子島の東海岸を南下する。 途中、寂しげな海岸に巨大な貨物船?が漂着して朽ちていた。 その景色がとても印象深く、暫し黄昏てしまった。 ![]() フェリーのチケット販売は12時なのでまだまだ時間がある。 一旦、町の中に入って食料などを調達。 この時、新聞を購入しようとしたんだけど、ここは種子島。 新聞は昼過ぎに到着するフェリーに積まれているので、今日の新聞は無いとの事。 なんと言うか、やはり島の暮らしは不便だと実感してしまった。 フェリーターミナルに戻り怪しい雲行きを気にして、荷物にカバーを掛ける。 12時にチケットを購入。 鹿児島から到着したフェリーには生活物資がコンテナに詰まれており、それを上げ下ろしするのに手間取っているらしく、乗船は30分以上も遅れた。 やっとフェリーに乗れるかと思った矢先に遂に雨が降り出した。 なんとか乗船までは合羽を着ずに済んだが、鹿児島では着なくてはならないかと思うと気持ちが沈んでしまう。 しかもバイクは最後の乗船になったので、2等船室は既に満杯状態。 やっとの事で場所を確保。 フェリーは結局1時間近くの遅れで出発。 海は低気圧でしけており、鹿児島に着く頃には遅れ18時過ぎに到着。 合羽を羽織り鹿児島港に降り立つと、雨は一旦は止んでいるものの、路面はずぶ濡れ。 わだちには水溜りが・・・。 沈む気持ちを抑えて、今晩のキャンプ場を目指す。 そこは、99年5月4日に泊まったキャンプ場(公園)だ。 東屋があり、中にバイクとテントを入れてしまおうと考えているのだ。 ここなら以前泊まってわかっているし、あまり人目につかないし、連泊も可能と判断したから。 鹿児島市内で給油を済ませたあたりから再び雨が降り出し、雨の勢いは北上するに連れて増してくる。 さらに日が落ち、暗くて走りにくい。 住吉池公園に着くころには、19時をとうに過ぎていた。 街灯の明かりを頼りに東屋にバイクを入れ、テントを張った。 やっと落ち着き夕食の準備。 それにしても雨はだんだん激しくなる。東屋を叩きつける雨音が凄い。 横風でテントにもしぶきがかかるが、さすがに東屋の中なので全然平気。 つくづくここを選んでよかったと思う。 鹿児島から奄美は大雨警報。 屋久島、種子島は降雨量が200mmを越えたらしい。 数日前まで走っていた屋久島の県道が通行止らしい。 全くもって助かった。 夕方になって雨は小康状態になった。 それでも殆どテントから出ないまま日が暮れた。 今まで連泊はした事はあったが、こんな連泊は初めてだった。 ![]() 雨が弱まった10時に出発。 蒲生町の日本一のクスの木を覗いた後、県道42号で樋脇に向かった。 道の駅樋脇には市比野温泉から温泉を引いてあるとの事で行ったのだが、シャワーしかないようなので断念。 あまりずぶ濡れで公衆浴場とかは行きにくいので期待した道の駅だったのに残念。 樋脇からは、県道335→333→51→406でR267に出てR504で薩摩町を目指した。 薩摩町に向かう目的は、旧国鉄宮之城線薩摩永野駅跡を見に行くことだ。 97年に宮之城線跡を探索した時は大雨で薩摩永野駅跡探索を断念した経緯かあったので是非行きたかった場所だったのだ。 今回も雨に祟られてはいるが、雨は段々小降りになり降ったり止んだりを繰り返しているので問題無い。 薩摩永野駅はバス停として綺麗な状態で使用されていた。 しかし残念な事に、駅の鉄道記念館には鍵がかかっており、中を見学することが出来なかった。 泣く泣く去ることにした。 県道50号で横川に向かい55号→R268で北上。 京町のauショップでまたもやtotoを購入。R221に乗り換え、小林市に向かう。 話のネタにと陰陽石を見に行く。ついでに温泉も入れればいいかなぁって考え。 陰陽石は、「あぁ、これね」って感じ。 こういった場所に男一人って・・・。 写真を撮ってそそくさ帰りました。 小林市内で食料を購入、目指すは霧島高原のキャンプ場。 えびのスカイラインを一気に登る。途中から霧が立ち込み、視界が奪われる。 前の車のテールランプを頼りに走る。 えびの高原を過ぎ霧島スカイラインを下り温泉街に近づくと霧も晴れてきた。 キャンプ場へは問題なく到着。雷蔵氏のテントも確認。 早速受付を済まし、近くにテント設営。 このキャンプ場には温泉も併設されており、早速温泉に浸かる。 今日は、雨で気温も低かったので、もうサイコーですよ。 本当に気持ち良い温泉でした。 雷蔵夫婦はまだ戻ってきてないので、軽くビールを飲みながら待つことにする。 そして、暫くして二人が現れた。 買出し等もろもろ済ませた後で、宴会が始まる。 外は小雨交じりなので、雷蔵氏のテントの前室で行なった。 それにしても、夕食のレパートリーといい雷蔵夫婦はすごいですなぁ。 Jr.は、テントを乾かして撤収準備。 結局、小雨が降ったりして雷蔵夫婦が戻ってくるまで掛かってしまった。 牧園広域農道等を走り栗野に出て、そこからR268で菱刈、大口に向かう。 ここも廃線跡と並走していく。 途中から曽木の滝の看板が至る所に見受けられたので向かった。 地図にも東洋のナイアガラなんて書かれているしね。 滝は・・・、「はぁ、そうですか」って感じ。 写真を撮ってさっさと出発。県道48号で出水市に。 出水市から県道と国道を乗り継いで長島に渡る。 R389をひた走り、蔵之元港には13時ジャストに着いたが、ちょうどフェリーが出航してしまう所で、14時の便まで待つことになった。 このフェリーは92年の日本一周途中に土砂降りの中、牛深から乗ったことのあるフェリー。 当時は、土砂降りの中を走ることだけで精一杯で、周りの風景なんて目に入らなかった場所でもある。 時間が余ったので、今晩のキャンプ場選定を考えていた。 牛深に渡ってからは崎津天主堂と大江天主堂のだけは見たいと考えていたので、そこを通過しながらいけるポイントを探した。 あと、またもや天候が芳しくなく、今晩も雨模様みたいなのでその辺も考慮したい。 牛深行きフェリーにはバイクだけでも10台以上、外人ライダーもいた。 フェリーは30分ほどで牛深に到着。 牛深ハイヤ大橋に行こうかなとも思ったが、そのままR380を北上、崎津天主堂を目指す。 地図には岬を巡る道を進むと天主堂の景色が良いと書いてあるのでその通りに走る。 案の定、入江を挟み、漁村から望む天主堂はなかなか様になっていた。 入江を沿って崎津天主堂に向かう。 天主堂は幼稚園併設みたいだった。中を覗いてみたかったが、鍵が掛かって覗けなかった。 それでも、漁村にしっくりとした落ち着いた感じでとても良かった。 ![]() この後、下田温泉に行き、食料を調達、キャンプ場を目指す。 キャンプ場には、誰もいないのでなんか寂しい。 とりあえず受け付けのところで呆けていると ジェベルXC の人が来てホッとした。 そして今晩のキャンパーは2名のみだった。 夜からは雨が降ったが、今晩は屋根付だったので問題なかった。 で、結局フェリーには・・・、乗り遅れました・・・。 フェリー乗り場では、ストーブが焚かれていたので、そこでズボンを乾かす。 あまり乾いたとは言えないが少しはましになった。 そして8時の便で口之津に向かった。 口之津港でXCの方と別れて出発。 雨は降ってないが、先ほどの事もあるので合羽を着込む。 R251を走り、島原の乱で有名な原城跡に行く。 城跡は石垣のみが残っている。 でも城跡には説明板(声の出る)等があり、じっくり島原の乱について考えることが出来る。 R251をさらに進み深江の道の駅に向かう。 記憶にも新しい雲仙普賢岳の災害現場を保存しているこの施設。 この付近は92年日本一周ツーリングでは立入禁止で行けなかった所でもある。 道の駅には土石流で埋もれた家屋を移設して保存していた。 なんともすさまじい自然の力をまざまざと見せ付けられた。 でも実は道の駅周辺の方が凄かったのだ。 周辺には、沢山の土石流に飲まれた家屋が放置されたままなのである。 とかく目の行かない場所を観るに、まだまだ復興は進んでないんだなぁと考えさせられた。 あと、この道の駅は温泉があったのでズボンを乾かす口実もあり入ることにした。 まだ11時前なので入浴客は数人。 寒さもあって体が心から暖まりました。 この後、雷蔵夫婦が連泊すると連絡していた、雲仙のキャンプ場に向かったが、霧と小雨っぽかったのでとりあえずは素通り。 カステラを買い求めるために長崎に向かった。 小浜からは、温泉軽便鉄道廃線跡を望みながら長崎に向かった。 あまり事前情報を収集しなかったので、道なりに進み、遺構を見つけたら寄るっと言った感じで流していった。 ![]() Jr.お気に入りのグラバー園近くのカステラ屋を目指す。 グラバー園には13時過ぎに到着。 高校の修学旅行では、時間の関係で入らなかったグラバー園(600円)を見学する。 グラバー園中の喫茶店に入り、カステラとコーヒーのセットを注文、暫しの休憩。 贅沢でほっとしたひとときだった。 目的のカステラをしこたま買い込み、ゆうパックで送る。 そして、中華街周辺を歩いていたら雷蔵夫婦とバッタリ。 今日のキャンプ場の事を聞いて、Jr.は一足先に帰ることにした。 行きとほぼ同じルートで戻る。 行きに見つからなかった廃線跡をたどりながら、そして、食料を調達してキャンプ場には18時半頃到着。 キャンプ場には、雷蔵夫婦よりさらに遅れて九州入りした船長氏がいた。 2人共、雷蔵氏のテントの近くにテントを設営。 キャンプ場で聴いた温泉に向かった。 しかし、向かった公衆浴場はお休み。 仕方無くキャンプ場に戻ると、他のライダーから別の場所を教えられた。 しかし、Jr.はもう面倒になったし、今日は既に一度温泉に入っているので諦めた。 でも、船長氏は諦めきれずにその場所に向かった。 雷蔵夫婦と船長氏を待っていたが、なかなか帰ってこないので一人で軽く飲み始めた。 その内、船長氏が戻って来て、そして雷蔵夫婦が戻ってきた。 そして、4人で楽しい宴会が続いた。 東彼杵でR205、ハウステンボスを横目で見ながらR35に乗り継いで佐世保へ。 そのまま休憩無しで、県道を使って神埼鼻に向かった。 途中、臼ノ浦線廃線跡がちょこっと望めた。 そしてその先、小佐々町の西川内橋が気に入って小休止。 ![]() ![]() R202との交差点で、Jr.は地図とにらめっこ。 実はこの先、何処に行こうか全く考えてなかった。目的がなくなっていた。 自分自身何処に行きたいのか、わからなくなっていた。 結局何処に行きたいのかもはっきりしないまま、東に向かって走り出した。 R498→R34で佐賀へ。 そこからR208で南東方面に進む。 そして諸富橋の所で驚いた。 すっかり忘れていた。ここには佐賀線廃線跡の筑後川橋梁がある事を。 目に飛び込んできた光景はまさしくその橋梁であった。 早速橋の袂に向かう。 橋は整備され、今は観光用に稼動中だ。 線路が外されているのは残念だけど、こうして保存されてるんだから良しとしなくては。 一旦橋の中央まで歩き可動部を眺め感動していた。 ちょうど操縦席に可動橋の時刻表が貼ってあり、それにはもうすぐ本日最後の可動時間が記載されていた。 この可動をぜひ橋全体を見渡せる中州から見たいと思い、駐車場に急いで戻り、中州に向かった。 中州に着き、写真場所を探し撮影体制万全にした。 すると、遂に動き出しました。 橋中央部が少しずつ上昇していくのが。 橋が完全に上昇するまで大体10分程度でしょうか。 もう、感激しながら眺めました。 ![]() 仕方無くコンビニで休憩してもう一度地図とにらめっこ。 その時、同じくコンビニでキャンプ場探しをしている ZEP1100 のライダーに話し掛けられた。 その人によれば、キャンプ場は一応見つけたが、駐車場からかなり歩かなくてはならず、しかもお墓などの裏手にあるのだそうだ。 それを聴いて、キャンプ場は諦めた。 さて、どうしよう。 地図を見ても周辺には他のキャンプ場は見当たらない。 熊本の健康ランドが候補に上がる(地ビール園併設の誘惑が)。 ここで気分を落ちつかせるため、今朝別れた船長氏に電話してみる。 すると船長氏は、阿蘇のキャンプ場に居ると言う。 地図で確認してみる。 一気走りで2時間ちょっとといった所だ。 時間は既に18時をまわっているが、もう拠り所はそこしかなかった。 ZEP1100の人と阿蘇に向けて出発した。 当然、1100cc4発と330cc単発では、どうしようもない速度差があるの別行動だが。 暗闇の道を走り通して21時にやっと阿蘇のキャンプ場に到着。 暗がりの中、ZEP1100ライダー、船長氏と話をしながらテント設営。 夕食は、途中で購入したコンビニ弁当で済ます。 とにかく疲れた一日になってしまった。 阿蘇東の日ノ尾峠と湧水トンネル公園に行くことだけとりあえず決めて出発。 日ノ尾峠に向かう道がなかなか見つからなかったが何とか見つけて峠へ。 峠までは1車線のうねうね道だが舗装済。 峠を過ぎてからは未舗装路。 思いのほか急斜面でゴロゴロ道。 荷物満載のDRで必死に走る。 だが、それもあっという間に舗装路になり、完全舗装になるのも時間の問題ではないかと思われた。 次は湧水トンネル公園。 ここは高千穂線未成区間の内、高森トンネル跡。 このトンネル工事中の異常出水事故が原因の一端で開通することなく終わってしまった未成線跡なのだ。 公園には思いのほか観光客が多くビックリしてしまった。 トンネル内はいろいろ飾り付けられていい感じだった。 公開されているトンネル最奥には水神様が祭られていたり、 ウォーターパールなる噴水があり楽しませてくれる。 さて、この後どうしようかと考えた時、空を仰げば晴れ。 そしてすぐそこには日本百名山の阿蘇山がそびえている。 しかも阿蘇高岳は、ロープウェイを利用すれば、簡単に登れる山だ。 時間もまだ10時を過ぎたばかりだ。 そうなれば・・・、 登山でしょう! 阿蘇登山道を利用して阿蘇町に回り、仙酔峡道路で仙酔峡に。 ここからロープウェイで火口東に着いたのは、12時少し前。 ![]() 火口東展望所からの火口の眺めは火口西(阿蘇町営道路側)から見る火口とはかなり違った印象を受けた。 ここから中岳まで一気に高度を稼ぐとその後は思いのほか楽な行程。 高岳山頂へはあっという間に登頂する事ができた。 それにしても、草木の全く無い風景はすさまじい。 月面旅行でもしている感じだ。 ![]() さすが活火山と唸ってしまう。 Jr.のいる火口東にいる人達はその放送を聴くも「関係ない」と言った感じで別段何かするわけでなかった。 中岳から火口東展望台に着く頃には、再び「避難勧告」の放送が流れてきた。 さすがに西側の駐車場は車が一気に減ったが、こっち(東側)の連中は関係ない。 のほほんと火口を眺めていく。 火口東からは楢尾岳に足を伸ばすも、あまりにも観光地していて癖癖してしまった。 さっさとロープウェイで仙酔峡に戻る。 15時過ぎに出発。 もう、今晩のキャンプのことを決めないといけないが、もう仙酔峡で決めていた。 昨日泊まった坊中キャンプ場だ。 早々とキャンプ場に戻り、テント設営。 その時、同じ千葉県からのライダーに話し掛けられ嬉しかった。 その人達もJr.と同じく明日のフェリーで帰るそうで、いろいろお話することが出来た。 昨日が散々だったのに対して今日は早々にキャンプの準備が整った。 近くの温泉に入って食料を調達して、夕食を食べ終わる頃にやっと日が完全に落ちた。 明日、九州を離れるとあって夕食後暫くは夜空を眺めていた。 阿蘇登山道で白水に行き、県道319号の清水峠越えの後、R218で通潤橋へ。 通潤橋は、工事中なのかそれとも危険防止のためか、橋にはネットみたいのが張ってあった。 なんか興ざめなのですぐに出発し、県道180号で内大臣橋に向かう。 99年GWツーリングで気に入った写真を撮ることに出来た内大臣橋だけに「今回もっ!」って期待で向かったのだ。 内大臣橋は2年前とだいぶイメージが変わっていた。 まず、橋の色が赤色から薄紫色になっていた。 さらに橋の両脇の柵が危険防止のためか、追加されて高くなっていた。 見比べてみると違いが一目瞭然。 あぁ、迫力が少し減ってしまった感じ・・・。 ![]() ![]() ![]() ![]() さぁ、ここからはフェリーの時間を考えながらの行動になる。 とは言え、まだ12時半過ぎ。 まだちょっと余裕があるので、小屋の平林道と柏原中山林道経由でR388に向かう。 この2つの林道、走ってみると看板などが全然無いので本当に道が合っているのか判らず、ちょい不安になってしまった。 R388で大河内越を越えR265に西米良村へ。そこからR219で西都市方面へ。 雲行きが段々怪しくなって遂に降り出してきた。 しかもいきなりの強い雨。 幸い雨宿りできる所があったので、バイクを乗り付けて合羽を着て、荷物にカバーを被せた。 西都市に着く頃には完全に雨は止んでいた。 西都市内では、妻線(1984年廃線)の妻駅跡を探した。 駐車場に妻駅の看板だけが残るのみ。 西都市からR219を走ると、妻線廃線跡を眺めながらの走行になる。 ついに宮崎市に入る。途中、宮崎シーガイヤを覗いてフェリーターミナルへ。 時間がまだあったので、市内に入って軽く食事をして、フェリー用食料等を調達して戻る。 満を持してフェリーに乗り込む。 二等寝台は思った通りライダーが集まっていた。 暫しの間、ビール片手にツーリング談義。 だから、あっという間に川崎港に到着。 しかしバイクは一番最後なので、下船までバイクの所で待ちぼうけ状態。 やっとのことで下船したら家に向かって一気に走る。 19時過ぎに自宅に到着。 こうして16日間2215kmのツーリングが終了した。 [戻る] 無断転載・複製は禁止ですぅ |