新潟・山形・福島 廃道?&廃線ツーリング
9月13日〜14日

参加者
・Jr.:TDM850

今回は、今年(98年)で廃道になる?新潟県のR291中山トンネルと 新潟県・山形県・福島県の鉄道廃線跡を旅してみようと言うことで 4連休(仕事場では)だったこの日に決行した。


9月13日

昨日の天気予報では、13日〜15日までは良い天気が続くと言っていたので 最近は信用しない天気予報を信じることにして、出発することにした。

最初の目的地は、雑誌「OUT RIDER」 で紹介された

R291中山トンネル
なんでもこのトンネルは、国道でありながら普通車の通行が無理と言う非常に 珍しいトンネルなのだ。
要は 「高さ1.5m、幅1.4m」までの車両しか通行できないのだ。 この事から言えるのは、軽自動車とバイク位しか通れないと言うこと。 しかも、記事によれば、この中山トンネルの横に新しいトンネルを建設していて、 98年の冬までに開通、そして現在のトンネルは 通行不能になるとの事。
こうなったらもう行くしかないでしょう。走れるうちに・・・。

外環道→関越道で向かうことにした。途中、 上里SAで休憩がてら地図を覗くと “魚沼スカイライン”が目に入った。
7月の”信州林道ツーリング” の時、入口前を通過して、ちょっと魅かれるものがあったのを思い出し、 「今日はまだ早いし、途中で寄り道しても余裕じゃん」と考え、急遽ルート変更。

変更はいいけど、はて、どこで関越道を降りようか?
そういや、今までR17で三国峠を越えたのは、
92年に”日本一周ツーリング” した時だけで、それ以降関越道意外で行った事がない。そうだよなぁ、 それじゃついでにR17で 三国峠越えをするか!
ってな事で、R17とのアクセスが楽な 月夜野ICで降りる事にした。

R17は比較的空いている。R17での三国峠なんて面倒なんで 皆関越道使っちゃうのではなかろうか?と思う。バイク乗りなら違うと思うけど・・・。 でも、いるんだよなぁ、トラックが・・・。
黒煙を吐きながらトロトロと坂道を登っている。 こいつのせいで後続車が次々繋がってくるし、 排ガス

気持ち悪い
まったくイライラするなぁ。 峠だと、対向車の確認が難しいので追い越しが難しいから追い越すまでが大変。

トラックをパスして、快適に峠をクリア、ダウンヒル(笑)に突入。 二居トンネルを越え気持ち良く流す。八木沢にさしかかった時である。目の前に 鉄道車両が飛び込んできた。 急ブレーキ&Uターンをして、その鉄道車両を確認することにした。 その車両はどうもバス停(八木沢口)の待合室 として変わり果てた姿で使われているようだ。

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どういう経緯があったのかは解らないが思いもかけない発見に1人うかれてしまった。

R17→R353で”魚沼スカイライン”に入った。 UP&DOWN、コーナーも結構あって楽しめるのだが思いのほか道が狭いのと、 路上に障害物があって、思いっきり走るって感じになれなかった。 途中何個所か展望台があったが、雲が垂れ込めていて景色は良くなかった。

栃窪峠→八箇峠→R253→R17へ。R17は交通量が有りそうなのと、 主要国道は走ってもつまらないので、すぐ脇を走るR291を走ることにした。 思った通り、R291は交通量は少ないし、 景色もさすがに田舎っぽい(すいません)感じがしてこっちを選んで正解だった。

R291は一旦R17と合流して小出市街を抜けて、再び分岐する。 ここから目指す中山トンネルまではあと僅かであり、期待が膨らむ。 R291はまさしく田舎道だったが、どっかの3桁国道に比べれば全然快適である。
そうこうしているうちに目的の 中山トンネル・・・、

「えっ!!!」
トンネルに続く道には 「仮設橋撤去による 通行止めの看板が・・・。 目の前にある中山トンネルは、建設中のトンネルの入り口を仮設の橋でクロスして 行くのであるが、その橋が見事に撤去されている。しかも、そこに続く道には 重機でしっかり道を塞いでいる。これではトンネルに人間さえも近づけない。
「ここまできて・・・」 予想外の事態に放心状態。途方に暮れる・・・。

「もう打つ手はないのか」と思った時、

「そうだ、反対側に行けばなんとかなるのでは」
早速地図を見る。どうも県道514(今後県道は“K”と表示)
→K563→K23→R291が最も近そうだ。 そうと決まれば即行動。K514に入る。多分この道だろうと思って入った道は 見る見るうちに狭くなり、 そして未舗装路になった。 それでも「この道であっている」と思って進む事しばらくしていよいよダートが林道になって トロトロ運転。 引き返すにもUターンする適当な場所が見つからず焦る。 「あぁ、どうしよう」という 不安が頭を過ぎるようになった頃、K230らしき道が現れた。 しかし、行きたい方向の道は赤土のドロドロ道。幸い反対側は真新しい舗装路だ。 内心ほっとした。
「もうTDM850でダートはごめんだ」
とばかりに、戻ることにする。 道が合っていればこのまま進めばR291(小出側)に戻ることができる。 気を取り直して、進むことにしたが、この道もすぐにダートになってしまい、 トロトロ運転を余儀なくされてしまった。しかも結構な ダウンヒル。 エンブレ、リヤブレーキを慎重に操作して下っていった。 舗装路が現れた時の安心感たるやもう・・・、ほっ。

K230→R291→K230→R17→K23→R291でなんとか 反対側の入り口に到着。「なになに、仮設橋撤去により通り抜け不可」 ふふぅん、そんな事など先刻承知<中略>
「いざ、出撃!」ってな感じで 意気揚々と突入!

「おぉっ!狭ーい、暗ーい、道悪ーい」
トンネルは距離にして1km以上あり、 そこを通過する間、否応なくトロトロ運転を強いられる。 とりあえずはトンネルを制覇して、記念撮影。
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調子にのって何枚か写真を撮っていると、KLX250、FZX750、アフリカツインの グループが来た。やはり彼らも「OUT RIDER」を読んで来たそうだ。 さて、車が来ない事を良い事に、トンネル内にて撮影を実施した。 トンネルの中間地点辺りにバイクを停め、三脚を使ってのバルブ撮影。
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(良い子は危険だから真似しちゃだめだよ)
明かりは全く無いので、バイクのライトだけを頼りに撮影した。 写真じゃ解らないが、撮影中はずっとエンジンをかけていたので、 トンネル内で響きまくっていた。

た〜っぷり中山トンネルを堪能した後は、

鉄道廃線跡の探索だ。
今回の廃線跡は
JTB BOOK ”鉄道廃線跡を歩くU&V”を参考にルート設定した。 まず目指したのは”蒲原鉄道”だ。
”蒲原鉄道”は、”加茂−五泉” 間を走っていた鉄道だ。
”村松−五泉”間はまだ何とか現役。 99年全線廃止らしい)

加茂駅目指しR291→K23→K472→R17→K126→K242
(この辺、”越後交通”の廃線跡もあるが、 情報収集してないので今回パス) →K8→R403→K8で JR信越本線加茂駅に到着。
加茂駅には「蒲原鉄道のホームが残っているらしい。」
曖昧な返事しかできん。駅に入らなかったので確認できてない。

いい加減なスタートになってしまったが、かまわず沿線を走る事にする。 廃線跡はK9沿いに進み、黒水で左折、 R290と沿う事になる。分岐の所に、 ”七谷駅”跡があった。

駅舎は”黒水東区集会場”として残っていた。 また、ホームも草に埋もれてはいたが、はっきりと残っていた。 交換駅だったのでもっとおっきいと思っていたが、草に覆われていた為か、 それ程大きく感じなかった。線路跡は農作業道として使われているらしい。

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蒲原鉄道廃線跡で最も見たかった 七谷駅跡を訪れることができ、 まずは満足。

R290で村松方面へ。 R290沿いはあまり、廃線跡を確認できなかったが 冬鳥越駅跡はスキー場のゲレンデとして 国道沿いにあるので確認できた。その後は、たまに廃線跡を確認しながら進んで、 村松駅に到着。 現役の線路の終点が国道脇に突き出ていた。ここで線路はぷっつりと切れていた。 村松駅には車庫などがあり、幾つもの車両があった。車両についての 知識は全然無いからわからないけど、それでも 相当年代物だという事は容易に想像がつく。

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そうこうしているうちに、電車が駅に入ってきた。ローカルムード満点でなんだかうれしい。 さて、村松城跡には 車両が展示してあるそうなので、行ってみる事にする。 結構場所がわからなくて散々迷った挙げ句、何とか辿り着くことができた。 看板によれば、城跡公園の一角が軌道敷だったそうで、展示しているそうだ。 城跡を後にして、まだ現役の ”村松−五泉”間をK7沿いに眺めて走った。

さて、次はどうしよう。そろそろ今晩のねぐらを確保したいし、温泉にも入りたい。 ここから地図を東北編に変えて検討する。 キャンプ場&温泉にするならR290で 笹神村へ行けばキャンプ場&温泉が沢山ある。 でも ”赤谷線”(新発田−東赤谷)廃線跡は一山越えたK14&K335である。 こっちに行くと笹神村に行くのが困難になるので悩んだが、 「まずは赤谷線廃線跡」と言う事で、K436→R290→R49→K14→K335で 赤谷線の終点”東赤谷駅”跡を目指した。 K335をしばらく走ると、工場が見えてきた。この辺かなぁと思いながらもそのまま通過。 その後、右手にトロッコ用と思われる軌道敷が 道路と平走する事になる。

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「あれっ?変だぞ」と思いながらも そのまま進んで行ってしまった。 その内、発電所らしき物が見えてきて、完全に東赤谷駅跡を過ぎてしまった事を確認した。 道路と平走していた軌道敷は、鉄鉱石運搬トロッコ用で、東赤谷駅跡から伸びている線だったのだ。元々赤谷線は鉱石運搬用の路線だったのさ。 Uターンして、先程怪しいと思った工場まで引き返した。案の定、工場と道をはさんで反対側に、 ”東赤谷駅”跡はあった。 あったとは言っても、そこは更地となり、バス停&転回所になっていた。 ここはスイッチバックの駅だったのだが、その面影は全然見つけられなかった。

次に”赤谷駅”跡を探しにK335→K17と進んだ。駅跡とにらんだ辺りにそれらしき物が見当たらない。 なにせ、赤谷線の軌道敷の位置も把握できていない。 ちょうど道端にいた人に聞いてみると、なんと驚いた事に 今立っている位置が軌道敷跡だと言う事なのだ。 確かに言われてみれば道は狭いし、カーブの仕方がそれっぽい。聞いてみて大正解だった。 その人の話で”赤谷駅”跡もわかった。K14沿いにあるんだと。 軌道敷跡はすぐにバイクの通れない道になったが、平行して走るK14で快適に見てまわれた。 赤谷駅跡に向かう途中では鉄道橋がにょきっと現れたりして楽しめる。 そして赤谷駅跡は容易に見つけられた。
”赤谷駅”跡は駅舎が ”元宮集会所”として残っているのですぐにわかる。

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この後、新発田駅まで行きたいのだが、 いい加減今晩の寝床を決めなくてはならないので、 途中の天ノ原付近から K60→R290→K53で 胎内温泉&胎内平キャンプ場を目指した。 キャンプ場は閑散としていた。ただ、問題が・・・。 バイクをキャンプサイトに持ち込めないのだ。 道路に面した駐車場に置かなくてはならない。 U字ロックは持ってきてはいるが 一抹の不安を感じる。ちょっと躊躇してしまい、テントの設営はせずに温泉を先にした。 胎内温泉はと〜っても立派なホテルでありながら入浴代は思いのほか安かった。 温泉からあがって、もう一度、キャンプ場に行く。 キャンプ場に着くと、DUCATI 900SSZZ−R1100(確か)がいた。 彼らもキャンプ場にバイクを入れられないのを不安に思っていたが、 日も暮れてきてしまい、仕方なく?ここにキャンプする事にした。 普段ならここから宴会が始まるかもしれないが、疲れていたので テント張って、夕食を済ませてそのまま寝てしまった。


9月14日

今日もいい天気じゃ。
「まるで人間の心が蒸発してかすみになりそうな日だね」

(by寺田寅彦)
「さぁ行きますか! 」 テントを乾かして、荷物をたたんで出発。
K494→K272→R113と進み、ふと地図を覗き込むと、
「日本最長」の文字が・・・。 そしてR113を走ってすぐ、 気になるオブジェ?が目に飛び込んできた。 Uターンして確認する。前にテレビで見た事がある。名前は覚えていないが、 それははっきりとわかる。
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ちょうどそこは例の ”丸山大橋”の入り口の道だったのだ。 折角なのでオブジェを見つつ橋に向かった。
たしかに立派な橋だった。周辺はすっかり観光地みたいになっていた。 でも橋の上からだとその大きさは実感できないので、道を下って確かめる事にする。 さすがに下から眺めると、その大きさが実感できる。

橋を眺めた後は、”泡ノ湯温泉”を目指した。 なんか地図見てたら急に行きたくなっちゃって(^^;)。 R113→K15で下新田へ。 K15で行くかK260で行くか悩んだが、K15で行く事にした。 足水中里からは 舗装林道みたいな道が延々と続いて 樽口峠に到着。 飯豊連峰が目に飛び込んできた。 空が白やんでおり景色はいまいちだが、まぁいい。
峠を越えてすぐ見晴らしの良い駐車場があった。ここは本当に 眺めがいい

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しばしの間、休憩して”泡ノ湯温泉”へ向かった。

小さな集落の入り口を左折してすぐ温泉宿はあった。
今はまだ9:00。 入浴できるかどうかわからないがとりあえず聞いてみると 「OK!」の返事。 「ラッキー!」とばかりに入浴する事にした。
風呂は内風呂だけだが、山側はガラス張りで景色は拝める。 また、入浴者は私だけなので貸し切り状態
温泉につかってると、外ではひっきりなしに ヘリコプターが行き来している。 窓から見える所で、荷物の積み下ろしをしては飯豊連峰へ出かける。 入浴していた時間だけでも2回往復している。
どうも、山小屋を往復しているようだ。確信は無いけど理由はそれ位しか思いつかない。 まだ9月だけれどもこの辺だともう冬支度の季節なのだなぁっと 季節の移り変わりを感じた

湯上がりに地図を眺める。飯豊町に向かう途中に ”極楽峠”があるそうだ。 K15の途中にある”極楽峠”は、かなり前から気になっていた。名前からして
「さぞかしすばらしい峠なのでは」 と期待を膨らませて向かった。
うねうねの狭い道をひたすら走る。走った。その内上りがいつの間にやら 下りになった。「はて?峠はどこ?」 ”極楽峠”なんて名前が付いているものだから、すっかり看板位あるものと 思っていたが、そんなもんは見つからなかった。景色だって・・・。 結局どこが”極楽峠”なのかはっきりしないまま、峠をパスしてしまった。

K15→K8→R113で南陽市赤湯温泉へ。
目的は、”龍上海””赤湯辛みそラーメン”。 地図のお勧め料理らしい。ちょうどお昼時だし向かったのだ。 温泉街は、イメージしていたのとはかなり違っていた。 私のイメージする温泉街とはかけ離れていて、入浴する気が起きなかった。 目指した”龍上海”は、お休みだった(泣)。 お昼はこの後行く予定の喜多方にした。

次の鉄道廃線跡南陽市のすぐ隣の 高畠町
”山形交通 高畠線” {糠ノ目(現 高畠駅)−二井宿}だ。
情報によれば、糠ノ目駅跡周辺には鉄道跡は皆無との事なので、 いきなりメインの高畠駅跡に向かった。 高畠に入ってから、結構迷ってしまったがなんとか高畠駅跡に到着。 高畠石で造られた 立派駅舎が残っていた。 現在はバスの待合所として使われている。 ホームに出ると ED1・ワム201・モハ1が展示されていた。

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それにしても、駅跡は公園としてよく整備されている。駅の形を 崩す事無く残っているのってあんまり無いんじゃないかなぁ。

さて、この先二井宿に向かう途中、 安久津八幡宮の隣に ”高畠町郷土資料館”がある。 ここには、高畠線に関する資料が沢山あると聴いていたので、楽しみに向かった。 しか〜し、休館していた(泣)。 今日は月曜日で休館なんだと・・・。 飛び石連休なんだから開けてくれよ〜(叫)。 いくら叫んでも(笑)無理なので、 終点の二井宿駅跡へ。 二井宿駅跡は製材所の貯木場になっているそうだ。 二井宿付近になると、軌道敷跡は道路になっているのでR113から乗り換えた。 さて、目的の二井宿駅跡は結局見つからなかった。と言うより、製材所には さすがに入れなかったのもので・・・。

二井宿峠に行きたくなった。 金山跡の碑なんかがあるそうだ。峠までの道も面白そうだし・・・。 行きは、バイパスの方で行った。車も走ってなくて気持ち良く流せる。 高速コーナーにうきうき。あっという間に峠に到着。それにしても碑が無い。 何度もUターンしたが、見つけたのは”古戦場の碑”だけ・・・。 仕方なく、下る事にした。下りは旧道の方にした。 旧道はさすがにタイト&急勾配だったので対向車を気にしながらの走行。 R113に合流して一旦高畠に戻り、 K1で米沢を目指した。

米沢といえば米沢牛が有名だが、もちろんビンボーなJr.には関係ないのでそのまま通過。 R121で喜多方に向かう。 途中”道の駅田沢”で休憩、地図を眺める。
次の目標は”日中線” (喜多方−熱塩)。 しかし、もうひとつ引かれるものがある。 それは”R121旧道 大峠越え”である。
93年夏に北海道に向かう途中、喜多方から米沢に向かう時この道を使おうとしたら 工事で通行止めで、仕方無くバイパスを使った事があった。 それ以来、バイクでこの辺は訪れていない。あの時から、「いつかは通りたい」と 思っていたので、いい機会だ。地図には小さく 「通行止め」と記載されているが あてになるものかってな感じで進路を大峠に向けて出発した。 そして、大峠との分岐で曲がって、いざ突入。 でもその勢いはあっけなく崩れた。数キロ走った所に、 「この先5km路肩欠損、落石のため当分の間全面通行止」の看板が・・・。 「悔しい!」多分、 旧道になって、通行量が皆無になったので、補修工事はもう行われる事も無いだろう。
「OFF車できた時にでも再々トライするさ」と言い聞かせて引き返した。

最初の予定に戻って”日中線熱塩駅”跡に向かう。 この場所は、雑誌でも結構紹介されているので、知っている人も多いと思う。 R121を走っていてすぐに見つける事ができた。 この駅も奇麗に保存されている。また、駅の外れには ”キ100・オハフ61”が展示されている。 バイクをホーム前に持ってきて、休憩。 長閑でいい。 人は誰もいないのでゆっくりと駅跡を探索できた。
”郷愁にも似たセピアを少し漂わせた風景”が非常に印象的だった。 (写真はセピアフィルター使用)

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熱塩駅跡を後にして、 軌道敷を探しながら走るもなかなか場所がわからず、 SLが展示してあるという公園も見つけられないまま、 喜多方駅に到着。 駅に入って、”喜多方ラーメンマップ”をGETして、 遅い昼食をする事にした。どこの店が良いのか全然わからなかったので、 地図に載っていた途中の店に入って、喜多方ラーメンをたのんだ。

味音痴なりに喜多方ラーメンを堪能して店を出た。 さぁ今日最後の目的”日本硫黄沼尻鉄道” (川桁−沼尻)廃線跡だ。 まずは、車両が展示されている ”猪苗代 緑の村”を目指す。
R459→K69→K337→K7を走る。 途中、名水百選”磐梯西群湧水群”に行くも途 中でダートにより断念。 一路”緑の村”目指す。緑の村はすぐに見つかった。
駐車場から ”DC121・ホサハ12?”が確認できた。 結構な客が周囲にはいたが、この車両に興味を示すのはほとんどいない。 ここにある理由なんて誰も知らないだろう。 車両は思いのほか保存状態が良く、客車は中に入る事もできた。

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さすがに客車の中は狭い。現代においてこの様な車両が走っていない事に悲しみを感じる。 軽便鉄道と言われる鉄道に乗る事のできない寂しさを感じる。

写真撮影を終え、実際の廃線跡付近を見るために”緑の村”を出発した。 位置的な関係もあって、 まずは終点の”沼尻駅”跡に向かう。 K7→R115と走る。地図にはR115とK24の分岐にちゃんと ”沼尻駅前”と記載されている。 鉄道がなくなって30年経ってもなお、 当時を忍ばせる名前が残っている事に感激する。 沼尻駅は場所を移して ”沼尻観光(株)”の事務所として現存していて、ちょうど分岐の地点にあった。 ちょうど、事務所前の駐車場にバイクを止めると、事務所から女性の方が出てきた。

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「道をお探しですか?」
意外な言葉だったが、 「なんて親切な」感激した。
「実は、沼尻鉄道の廃線跡を見てまわっているんです」
と話したら、
「事務所に当時の写真を飾ってあるので見ていっては」と言ってくださり、 事務所に入れていただいた。
セピア色に褪せたその写真は、 本に載っていた写真そのものだったが、とても感激した。 Jr.もバイクから三脚を取り出し、その飾ってある写真を撮影した。 事務所の横には倉庫があり、それは当時の車庫だそうだ。中はさすがに覗けなかったが 貴重な遺構を見る事ができとても満足する事ができた。

ここから廃線跡を追って、 R115→K323で川桁駅を目指した。 それにしても、沼尻付近はかなりの急勾配。 こんなのを鉄道が往来していたのかと感心する。 しかし、道なりに走るも遺構らしき物は一切確認できなかった。 そうこうしている内に川桁駅に着くも、遺構らしき物は無く、そそくさと出発した。

さて、もうこれからはひたすら家を目指して 走るだけ。 R49→R4→R118→R349→R6で家に一気に帰った。 時間はもうすぐ15日になろうとしていた。 猪苗代でもう一泊しても良かったが、目的がなくなったので帰ったのが本音だが、 帰って知ったのは、15日の天気予報が雨だという事。 改めて今日帰ってよかったと思った。


一泊二日のツーリングにしては結構内容が濃かったなぁ。高速道路を うまく利用すると結構な距離を稼げるんですねぇ。
残念だったのは、事前にもっと情報収集していればもっと充実した内容を GETのではないかという事。反省。


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